106 友情
禁術。それは古代人が儀式を行う際に使用したとされる失われた技術である。
夜中の地方にあるレイトラで長く奴隷としての差別的扱いを受けてきた雷の属性者たちは、いつか必ず一矢報いようとこの禁術についての調査を密かに続けていた。だがしかし、奇跡的に発掘されるもそのあまりに無意味とも思える内容に誰もが落胆し、逆襲には到底意味を成さないとされたものである。
その内容とは、自身の心臓を抉り出し、そこへ雷を落とすことによってレベルを強制的に1つだけ上げるというもの。心臓を抉り出すという時点で死亡するため、そこでレベルを1つだけ上げたところで元も子もない話だとされたのだ。儀式を行わなくなった現代においては、皮肉にもその無意味さから再び包み隠されることもなく広く雷の属性者の間で笑い話として知れ渡ることになっていたのだった。
だが、ゼゼルの太刀は心臓を貫こうとも完全に吸収するまでにしばらくの時間を要する。ルナはそこを逆手に取ったのだ。
カンストしていたルナであればレベルが1つ上がればミルになれる。そしてミルになれれば卑怯を扱うことも可能となるわけだ。
ルナは宙に高く浮かぶ巨大な雷の心臓の下で、黄金色の光の中でゼゼルを射るように睨みつけた。
「恩人の仇を討つためならこの命も惜しくないわ。卑怯者で上等よ!!」
「……!?」
ルナがゼゼルの太刀をゼゼルに向けてそう叫んだ。
ゼゼルは目を疑ってしまう。たった今ミルになったばかりのルナが、卑怯を成功させたのだ。
宙に浮かんで拍動していた雷の心臓。それを核にして、みるみるうちに金色の電撃が巨体を成していく。
ルナの背後に信じられないものが遂に姿を現した。10メートルはあろうかという黄金色の鬼のような姿をして、頭上に真っ白な二重の輪が浮かんだ怪物。誰だって説明されずとも一目で分かるだろう。それが紛れもなく、雷神であるのだということを。
これにはゼゼルも苦笑いしてしまう。
「おいおい、これは、本当にとんでもないね、君という人は。まさか雷神を召喚するなんて、これは一体どうしたものかねぇ」
太刀を奪われて丸腰のゼゼルを雷神が遥か高みから見下ろしている。
卑怯とはそもそも地上の者が条件を満たしてようやく扱うことのできる、神に匹敵する能力のことをいう。もしこれが本物の雷神だというのであれば、神なのであるから能力の全てが卑怯以上ということになるはずだ。いくらルナの命が残り少ないとはいえ、それまでにゼゼルを殺すには充分すぎる状況。
観念してもおかしくないはずだが、それでもゼゼルは笑みを浮かべている。
「いいことを教えてあげよう。武器を扱うには武器より強くなくてはいけない。今までドレイクや他の部下たちにも教えてきたことさ。そう、こういうときのためにね。さて、心から尊敬するよ、君のことを」
ゼゼルは武道家のように半身で構えた。そして、言う。
「卑怯、其の、百七十四——」
「!?」
「——豪撃」
咄嗟に雷神がルナを包むようにして庇う。が、ルナは雷神の内側でがくりと倒れ、地に這いつくばってしまった。
さ、さ、さ、と足音が近づいてくる。何が起きたのかさえ分からなかった。ただ、何か息ができなくなるほどの重い一撃が腹を貫いたような感覚があったということくらいしか手がかりがない。
雷神にさえも影響があったようでルナに覆い被さったまま動かないでいる。とうとうゼゼルが目の前に来ても動くことはなく、あろうことかゼゼルはルナたちの前にあぐらをかいて膝に頬杖をついた。
「いやぁ、流石に驚いたなぁ、雷神を召喚しちゃうなんて思いもしなかったよ。せっかくだから何か技とか見せてくれない? ねぇ」
雷神を前に、またヘラヘラと喋り出した。
こんな屈辱があろうか。まるで身動き一つ取れず、ルナも雷神も地に這いつくばるばかり。しかも卑怯を扱ったとき「其の百七十四」と言っていた。まさかそんなことがあり得るのだろうか。あり得るのだとしたら、一体全体どういう仕組みだというのか面目見当がつかない。
ゼゼルが雷神の髪を鷲掴みにして強引に目を合わせる。余裕綽綽の、見下した顔が雷神の目に写った。
「何をしたのか教えてあげるよ。今の卑怯は、やろうと思ったその瞬間から時間を止めて、必ず先制して発動する卑怯なのさ。だから相手が神様であっても大抵の相手になら先制できるというわけだよ。そして、死なない程度のダメージを与え、しばらく身体の自由を奪うというものだ。いやぁ、それなのによくその子を庇うことができたね。流石は神様。えらいえらい。はははは」
高笑いしたゼゼルは次の瞬間に雷神の手で弾き飛ばされた。元いた場所より少し離れたくらいで猫のように身体を翻し、着地して向き直る。
雷神への効果はやはり薄かったというわけだ。
「おっと、少し怒らせちゃったかな? 楽しくなってきちゃうね」
未だに小馬鹿にするような笑みを浮かべるゼゼルに、雷神は既に立ち上がって絵に描いたような鬼の形相で睨みつけていた。
さらに驚いたことに、地に伏していたルナもゼゼルの太刀を支えにして起き上がってくる。これにはゼゼルも舌を打った。
どういうわけか、ルナの胸の傷跡が塞がっていく。ゼゼルから受けたダメージも回復してきているようで、地に立てたゼゼルの太刀も引き抜いて自分の足で立ってしまった。
ルナにはそんな自己を再生する能力は無い。彼女自身も目を丸くして胸の傷跡を見つめ、はっとする。
そうだ、フミュルイに違いないのだ。フミュルイが死の間際にルナの胸へしがみついていたとき、ルナの回復能力を高めていたのである。自身もかなり体力を消耗する回復術だとルナは聞いたことがあった。それもどうせ死ぬのなら関係なかったというわけだ。
「……フミュルイ」
怒りに我を忘れ鬼のような目をしていたルナが涙を浮かべる。傷跡は完全に塞がり、ゼゼルの太刀への吸収も止まった。けれど、フミュルイにこんなことができるのであれば、本当は自分の傷も完治させて吸収されずに済んだはず。それなのに自分の命と引き換えにルナの回復力を高めたということは、そうせざるを得ないほどにゼゼルが強いと判断したということなのだろう。
『きっと、明日も……、一緒にいようね——』
あの最期に言い残した言葉の真意はこういうことだったというわけだ。
フミュルイがいるのはゼゼルの太刀の中ではなく、まるでルナの身体の中にいるかのようだ。
でも一緒にいようと言い残されたというのに、ベラポネたちを突き放し、フミュルイと一緒なのは自分一人にしてしまった。
「ゴメン、フミュルイ……」
弱々しい声だった。「くっ」と歯を食いしばり、涙を浮かべる黄色の瞳で再びゼゼルを勢いよく睨みつける。
「絶対に! キサマを許さない!!」
「卑怯、其の九百五十八」
雷神の反撃とゼゼルの卑怯がぶつかり合う。
雷神は地に両手をつけ、地上を猛烈な電撃が這い回った。空から落ちるはずの雷が逆に地上から広範囲に渡って空へ向かって飛んでいく。
一方でゼゼルの卑怯は奪われた太刀を液体化させて取り返すというだけのもの。詠唱なしで放たれる雷神の攻撃が予測できなかったようで直撃し、ゼゼルの身体は宙へ打ち上げられた。
畳み掛けるように今度は空から複数の雷が槍のようにゼゼルを串刺しにしようと襲い掛かる。だが、寸前で取り返した太刀一つで受け止め、再び地上へ。それでも威力を抑えきれず遥か遠くへ地を抉って飛ばされていった。
雷神はルナを左手に乗せてゼゼルを追いかける。すぐに追いつき、巨大な右手でゼゼルの頭を鷲掴みにして雷のような火花が散るほどの電撃を浴びせつつ、そのまま引きずり回し次々に木々をも薙ぎ倒していく。
光の速度で動けるのはあくまで身体の自由が効く場合の話。掴まれてしまっては意味がない。
と、突然雷神の動きがぴたりと止まってしまった。雷神の左手にはルナと、もう一人。ゼゼルがいた。
「どう……して」
ゼゼルの太刀はルナの背中から胸へと貫いていた。
愕然として振り返るルナにゼゼルがあの嫌な笑顔で回答する。
「その僕の分身を君はいつまで本体だと思っている気だったんだろうね」
太刀はルナの腹まで縦に切り裂いて引き抜かれる。同時に雷神はふわりと金色の煙のようになって消えてしまい、ルナはばたりと地上へ落ち、ゼゼルは自分の分身のところへひらりと着地した。分身を太刀で突き刺して消滅させ、うつ伏せで土を握るルナの前へ来てしゃがむ。
「苦しいだろう。今までとは違うからね。君はよく頑張ったよ。すごい子だ。でも残念だったね、傷一つつけることができなくて」
「……フミュルイ」
「卑怯、其の一。エクトプラズム」
ルナの身体が青白く光はじめた。フミュルイが死んだ時と同じように。
いくつもの卑怯を操り、その上狡猾なゼゼルの前でミルになったばかりのルナは善戦するも無力だった。閉じられたルナの目から流れた涙に込められたのは、一体どれだけの感情か。
アステリアを撃退したララがたどり着き、ルナの匂いがここで途絶えたことに気づくのはそれから間も無くのことだった。