105 一緒だよ
フミュルイが死んだ。フミュルイは、ゼゼルに殺されたのだ。
黄金色の淡い太陽の光がぼんやりと、空っぽの3人に虚しく降り注ぐ。
亡骸さえも残してはくれなかった。塵ひとつ残らず、まるで最初からフミュルイなどという少女は存在していなかったかのよう。
抜け殻のようになったルナがふわりと浮かぶようにおもむろに立ち上がる。出会ってから1年と少し。短い間だったとは微塵も思わない。生まれた時からずっと一緒に育ってきたかのようにさえ感じるほど、フミュルイは近しくて大きな存在だった。
ぎりり、と歯を食いしばる。その頬には静かに涙が伝い、手には拳を握った。
「アンタさえ……、いなければ——」
しばらくの静寂の後、不意に呟かれたその言葉にベラポネは耳を疑った。はっとして見上げたベラポネの顔が、ルナに蹴り飛ばされる。
短く苦しい悲鳴を上げつつも身を捻ってしらたまを庇った。ルナはその胸倉に掴みかかって強引に引っ張り上げ、無理矢理に振り向かせる。そのルナの目は異常だった。
怒り狂い、目玉が飛び出そうなほどひん剥かれた目。胸倉を引っ張り上げる拳がぶるぶると震えて今にも殺されそうな勢いだ。
「あんなところで何してたのよ、アンタ」
「……ルナ」
「答えろ!!!」
刺すような怒号が耳を劈く。
ルナはこれでも平生を保とうとしているのか、静かに声を震わせながら続ける。
「……アンタさ、一体何の役に立ったわけ? え? 教えてよ」
「……」
「船に居残ってさ、モナ一人助けられなくてさ、ただ無駄に血なんか吐いて。回復させてもらって、馬鹿みたいに逃げ回って。何がしたいの? ねぇ。挙句にその恩人のフミュルイに……、ただのヒーラーのフミュルイに庇ってもらって死なせて、220年も生きてるくせに何もできやしないじゃないの」
「……」
「そんなに長生きして何がしたいわけ? え? ああ、あーそっかそっか、そうだよね。自分とその子だけ助かればそれでいいんだもんね。もしも仮に万が一百歩譲ったとして、そうじゃないんだとしたら何ができたのか今、言ってみなさいよ。ねぇ!」
ゲフォルたちアハダアシャラの急襲に戸惑いつつもモナとメイシーを守るために、反動の大きい卑怯さえも使い、その上モナのバリアーを強めるために体力を使い果たしそうなほど奮闘していた。その後ゲフォルと戦うしらたまを守るべく自ら地上へ降りたが、あとはルナの言う通り。満身創痍でまともに戦えるわけもなく、逃げ回って回復してもらって、それだけでこれと言って何もできやしなかった。
ルナは腕を大きく振るってベラポネを引っ叩き、こう言い捨てる。
「……アンタが、死ねばよかったのに」
凍るような寒気がベラポネの背筋を撫で上げた。
「……」
「……」
塔の内部の長い螺旋階段。天に空いた大穴から降り注ぐ太陽の日差しも冷たく思えるような、音も温度も失った時間が永遠を思わせる。
「消えなさいよ。アンタなんか仲間じゃないわ。もう、二度と顔も見たくない」
ぼろぼろのベラポネは下唇を噛み締め、また静かに頬を濡らした。
「……」
布が擦れる音がうるさいほど静かに立ち上がる。しらたまを抱いて何も言わず、うつむいて……。涙をすすりながらルナの横を通り過ぎていった。
こつ、こつ、こつ。ベラポネの足音が遠く遠く消えていく。
『……だって、ルナは何を犠牲にしてでも私たちのことを優先してくれる。私たちの、優しいリーダーなんだもん』
『みんな、大好きだよ。きっと、明日も……、一緒にいようね——』
あれからどれくらい経ったのか。ふとフミュルイの声が聞こえた気がしてルナがはっと我に返る。
「ベラポネ——」
慌てて振り返るが、もうそこにベラポネもしらたまもいない。独りになった。
とっくに足音も消えている。なんだかベラポネが果てしなく遠くへ行ってしまうような気がした。
いや、それはきっと勘違いだ。あんなやつをそんなふうに思うわけがない。
自分がこれから、ゼゼルを殺すために死ぬのだろう。
○○○○
外へ出た。
腹が立つような快晴だ。
その空の果てに青白い光の筋が浮かんでいる。
「……」
フミュルイの成れの果て。ようやく追いついた。
殺す、殺してやる、殺さなくては。
見開かれたルナの目はただ眼窩に目玉が埋まっているというだけ。生きている者の目ではなかった。
見つけたからだ。
ゼゼルは海岸にいた。岩に腰掛け、太刀を杖代わりに体重を預けて両目を痛そうにしている。ベラポネに放たれた閃光でまだ目が見えないようだ。
ルナの額に血管が浮き上がる。これじゃあまるでベラポネが役に立ったようじゃないか。
フミュルイの成れの果ての光の筋は既に太刀の中へと吸収されてしまった。殺した相手を肉体ごと吸収する能力があるようだ。だがそんなこと今更どうでもいい。
フミュルイを吸収したなら傷を癒す能力も高められただろう。ルナはゼゼルの背後でじっと回復を待った。
ゼゼルが目を擦り、辺りを見渡す。とうとうルナを見つけると驚いて飛び上がった。
「おや、これはこれは。まさかそちらからおいでとは驚いたね。一体どうしたんだい?」
「は?」
「……」
ゼゼルはルナの異変に気づいて大きく飛び退く。前に太刀を構え、切って開いたような切れ長の真剣な目をした。
波の音が大きく聞こえる。
日差しが肌を焼くように照りつけて暑い。
潮風が涼しく吹きつけてきた。
さっきまでと同じ環境。さっきまでとは違うルナの表情。まるで別人だ。
ただの下民でも全てを失って死ぬことも厭わず攻め込んでくる者は、達人を相手にする以上に手強い。
しばらくしてゼゼルはふふっと、愉快そうな笑みを浮かべた。
「フミュルイとかって呼ばれていたかな。彼女のおかげで随分と治りが良くなったよ。どうもありがとう」
「どこへやったのよ。フミュルイを」
ゼゼルは緊張を解いてヘラヘラと喋り出す。白い太刀を見せびらかすように振り回して指を刺した。
「ああ、あの子なら今、この中だよ。凄いだろう? この太刀は殺した相手の魂も肉体も全て吸収する。そしてその能力を、奪うんだ」
トンネル効果とは極端に低い確率で起こる粒子レベルでの物理現象である。それは物体を構成する分子の結合する間を電子がトンネル内を進むようにすり抜けるというものだ。理論上はある物体の中を他の物体がすり抜けることも可能ということになるが、それぞれを構成する粒子の量があまりにも多すぎるために、その全てでトンネル効果が起きる確率はほぼゼロであるとされる。
だが、もし自分を構成する全ての粒子を操ることができたとしたら。
「!?」
太刀を握るゼゼルの右腕に、ルナの右手が溶け込んだ。間一髪避けなければまるで悪霊が憑依するような格好になっただろう。
「返しなさいよ」
ゼゼルが大声を上げて怯み退く。ばちんっ、と電気火花を散らしてゼゼルの右肘から先が抉り取られてしまった。
余分な腕は電撃で即座に消し炭にし、ルナの右手がゼゼルの太刀を握る。
「何をする気だ」
ゼゼルは一瞬のうちに右腕を再生し、すぐさま奪い返そうとすることもできた。けれどその気も失せるほどおぞましい光景が目の前にある。
ルナは自ら白い太刀の先端を自分の胸に突き立てたのだ。
『明日も……、一緒にいようね——』
ルナの目が心地良さそうに天を仰ぐ。その胸には白い太刀がずぶりと突き刺さって背中まで突き抜けた。
「ああ、ごめんね、フミュルイ……。これで、明日も一緒だよ」
「!?」
勢いよく引き抜き、ルナの胸から心臓がつられて串刺しのまま飛び出した。
ゼゼルも吐き気を催す気の狂いよう。何が起きているというのか、不可解にもルナはその状態で立っていた。
「——禁術。雷の心臓」
ルナはそう唱えると自分の心臓を天高く突き上げた。
この周辺にだけ黒い雨雲が急激に集まって太陽を隠し、辺りを暗くする。ルナの心臓に激しい雷が落ち、目を焼くほど金色の光を放った。
「何だ、この呪文は!」
驚愕するゼゼル。彼の目の前には、鼓動する巨大な雷の心臓が電気火花を散らして浮かんでいた。