104 明日も
ベラポネはいまだ気を失ったままのしらたまを抱えて岩陰に座り、身を隠していた。フミュルイも一緒に来てくれていなければどうなっていただろう。
フミュルイが二人を回復させようと、正面に立って見下ろし、同時に治療を進めていた。
彼女はかなりの天才だ。学生時代から名門中の名門で成績優秀、1000人を超える学生の中で常に一番。並の人間なら修得不可能なはずの魔法もベラポネから教わり、魔女でもないのに少しだけなら使えるようになってしまった。今では一目見ただけでどこがどう悪く、何をすれば治るのか見通せるようになっている。特に止血関係の魔法はベラポネも目を見張るものがあった。たとえ腹から下を全て失ったとしても即座に止血し、失った側が残っていれば再接着することさえできてしまう。
けれど、今のベラポネとしらたまの状態はわけが違った。
ベラポネが水晶玉を利用して卑怯を行った代償に受けた胃の傷はまだ塞ぎきれていない。回復能力も極端に低下するという更なる代償のせいだ。そのうえ自己修復もできなくなるという三重苦でありながら無理を続けて出血を助長し、この岩陰に至るまでにも何度血を吐いていたことか。
一方でしらたまはゲフォルが死に際に何らかの呪いをかけていたようで、なかなか意識を戻すに至らない。
黙々と治療を続け、そしてやっとのことでベラポネの胃の傷が完治した。あとは消耗した体力を回復させていく。少しずつベラポネの顔色が良くなってきた。
「……ありがとう、フミュルイ」
「よかった、これでもうすぐ全回復ですね」
「そう……。やっとまた戦えるのね」
「だめですよ、無理しちゃ。ベラポネさんはとりあえず、しらたまちゃんをどうにか守ってあげないと」
「ええ? 攻撃こそ最大の防御じゃないの。もう逃げるのはゴメンだわ」
「もう、ベラポネさんったら、またそんな頑固を——」
不意にベラポネの顔に赤い液体が飛んできた。
彼女の右肩にフミュルイの左手が置かれる。一方で右手は、フミュルイの胸から突き出た白い太刀を握っていた。
ゼゼルだ。
今、回復させてくれていたフミュルイの胸を背後から貫いていた。もしフミュルイが自分を貫いて飛び出した太刀の先を握って受け止めていなければ、ベラポネも一緒に串刺しになるところだ。
「やあ、君はヒーラーだったんだね。厄介な能力者だ」
「!!」
フミュルイの左手が苦しそうに強くベラポネの肩を握る。
あの人畜無害なヒーラーの、何の罪もないフミュルイが貫かれた。
「……ベラ、ポネさん。……大丈、夫?」
「……くっ——」
今にも死にそうだというのに、自分より他人の心配をするとは。
どうしてこんな優しさに満ちたフミュルイが犠牲にならなければならない。どうして自分じゃなかったのか。
腸が煮え繰り返るような途方もない怒りがベラポネを満たし、噴火の如く溢れ出す。無理をするなと言われたばかりだが、迷わず水晶玉を召喚し、ゼゼルに閃光を浴びせた。
まだ今の段階では目眩しにしかならないが効果は充分。手負いのベラポネが反撃できるとは思わなかったようでゼゼルは大きく怯んで退き、フミュルイから太刀が引き抜かれた。
「フミュルイ!!」
魔法を教えた教え子だ。
220年も生きているベラポネからすればフミュルイも赤ん坊同然の可愛い家族の一員。倒れ込んだフミュルイもしらたまと一緒に抱きしめるが、今のベラポネにはそれしかしてやれない。
「生きて、ベラポネさん、しらたまちゃん……」
「……」
どうすればいい。誰もろくに戦える者がいないのでは、殺されるしかないではないか。
フミュルイは胸を貫かれ、心臓も傷ついているはずなのに幸か不幸かまだ息がある。傷口から蛇口を捻ったように真っ赤な血が溢れ出し、真紅のベラポネの服を眩く濡らしていく。これまでフミュルイに助けられてきたというのに、何もしてやれないというのか。
悔し涙に歯を食いしばった、その時だ。
「私の仲間に、なんてことしてくれたのよ!!」
物音に驚く鳥たちのように全員が振り向いた。
ゼゼルを追いかけていたルナがベラポネの放った閃光で気がつき、やって来たのだ。
目眩しを受けて怯むゼゼルに、身体がすっかり包み込まれるほどの巨大な電磁砲が撃ち込まれ直撃。そのまま地面を抉りながら遠くへ飛ばされていく。
ルナがすぐにフミュルイを前に抱き上げ「今のうちに逃げよう」と、電磁バリアーでベラポネとしらたまを包んだ。
4人とも光の速度でその場からできるだけ遠退き、安全地帯を求めて遺跡群の中へ。
迷路のような遺跡の中をひたすら走り、そのうち高く聳える塔の中へ到達。螺旋階段を駆け上がっていく。
ルナの必死な声が塔の中に反響する。
「絶対死なせないんだから! 私はあのときフミュルイがいなかったら死んでたんだよ! 絶対に死なせない! 上に戻ってシロちゃんのところに行けば、きっと——」
「ルナ、ごめん」
「……」
「回復ならね……、もう、ずっとやろうとしてるの」
その言葉に悪寒がした。
「そんな、治らないなんて言うの?」
「……。ルナ、もういいの。ここで、降ろして……、お願い私を、抱きしめて」
「……」
塔の天井には風化して崩落したような大穴が空いていた。太陽の光が暖かく、ルナ、ベラポネ、しらたま、フミュルイの4人を包み込んでくれている。
いつ以来かに舞い散った埃がきらきらと輝き、こんな悲劇が嘘のようだ。
ルナは立ち止まり、声を殺して息を震わせ、涙をこぼしながらフミュルイを膝に寝かせた。ベラポネもフミュルイに寄り添って下唇を噛み、静かに涙を浮かべる。
ルナの胸をフミュルイの小さな血塗れの手が、手探りでやっとすがるように掴む。どこを見ているか分からない虚ろな目を閉じて、ルナの腹に顔を埋めると落ち着いたように安らかな微笑みを浮かべた。
「私ね、みんなと、一緒だから、こわくないよ」
「フミュルイ……」
「ルナ、あのとき、ルナだけでも助けることができて、本当に……、よかったぁ。……。どうしてみんなが自分たちよりも、ルナを助けてって、言い残してたか、分かる気がする。……だって、ルナは何を犠牲にしてでも私たちのことを優先してくれる。私たちの、優しいリーダーなんだもん」
「……」
「泣かないで、みんな。一緒にいられて、幸せだったよ。……私も、寂しいよ。もう二度と……、もう……、話すことも、できなくなるけど——」
あのよく泣いていたフミュルイが涙をこらえ、それでもか細くなる声を我慢して、言う。
「みんな、大好きだよ。きっと、明日も……、一緒にいようね——」
ルナの胸を掴んでいた右手が離れ、くたりと落ちた。
まるで眠ったかのようだ。ぼんやりとした暖かい金色の日差しの中。良い夢でも見ているような、何の悔いも無いかのような、そんな微笑みで愛した仲間たちに囲まれて最期を迎えた。
フミュルイが死んだ。
ドレイクが命と引き換えに守り、モナとベラポネの治療に尽力したフミュルイが。
もうあの仔猫のような愛らしい声を聞くことはできない。もうあの優しい円らな瞳は誰も見つめてはくれない。
ベラポネも肩を震わせて泣き、ルナは耐え切れずフミュルイの亡骸を胸に抱いて、天を仰いで気が狂ったように泣き叫んだ。
だが、本当の悲劇はこれからだ。
フミュルイの亡骸は青白く光を発しはじめ、無数の小さな光の粒へと崩れるようにして空へ浮かんでいく。
「……行かないで、行かないで!! フミュルイ!! フミュルイ!!」
何度呼んでも何も変わるはずがない。それでもルナは目の前で起きている現象を受け入れられなかった。
無数の光の粒になったフミュルイの身体はやがて一筋の線になって塔を抜け、どこかへと飛んでいく。この色、つい最近見た色に似ていた。
ゼゼルの太刀だ。