103 光より速いもの
どうしてララがルナを庇うことができたのか。
ゼゼルにはまるで理解ができなかった。
ララはアステリアに拘束させたはず。まさかアステリアがララの側についたのか。いや、それならそもそもララを拘束する前に反旗を翻すはずだ。ならばどうやってここに、しかも光の速度で振り下ろされる太刀の前に割って入ってどうして受け流すことができる。
光より速いものは存在しない。仮にララも光の速度で動けたとしても何億分の1秒という隙に間に合うわけがないのだ。動きを先読みしても相当に厳しいはずの芸当。
だがしかし、今ゼゼルの目の前には可能となった不可能が立ちはだかっていた。そう、こんなものこそ”卑怯”に違いない。
ゼゼルは下に向いた刃を上に返して即座に斬り上げた。
「なんだと!?」
目を丸くする。
ゼゼルの太刀はララにまた弾かれるどころか空を切った。ゼゼルが一瞬のうちに後方へ移動させられていたのである。
周りを見渡した。こんなことができるのは黒羽の他人を瞬間移動させる技だけだ。が、黒羽の気配は遙か上空にある。紛れもなくララがやったことだった。
「!!」
ゼゼルは自分の右腕が太刀を握ったまま宙を舞う光景を目にした。そして腹部に焼けるような激痛が。
「!!」
「……」
ララの双剣の片方がゼゼルの腹を貫いていた。もう片方は彼の右腕を肩から斬り飛ばし、刃先が向かってくるのが見えた。
寸前のところで上体を反らして鼻先が薄く切り取られる。危うく首が刎ねられるところ。
さらに大きく退いて腹を貫いていた剣から脱出。たまらずバリアーを張るが申し訳程度の性能。その中で腹の回復と同時に、今にもララに破壊されそうになっていた太刀を液状化させ地中を通らせて回収。右腕は間に合わず既に木っ端微塵だ。腹の傷はもう癒えたが、失った腕を生やすのは時間がかかる。
ゼゼルは何が起きたか分からない間には戦いを挑むべきではないと判断したのだろう。すぐさまその場から煙の如く立ち去ってしまった。
あれだけルナを追い詰めたゼゼルをわずか3秒足らずで撃退。ララは撃退に成功した途端に息を切らし、それでもそのままルナの元へ駆け寄ってしゃがむ。話しかけようとするが先にルナに抱きしめられてしまった。
「ありがとう。……本当に、死ぬと思った」
「……」
震えていた。そんなルナを容赦なく突き飛ばし、頬を平手で打つ。
「しっかりするさ! ゼゼルはベラポネさんたちのとこに行ったに違いないけぇ、早く追いかけなきゃ!」
一息に言ってまた肩で息をしはじめた。
「……そ、そうだね。でも今のは一体何をしたの?」
「いや、普通にいつも通り、風圧を使ったつもりだったんじゃけんど、なんか違ってた。……はぁ、ふぅ……。レビが潜在能力を解放してくれたおかげかも」
本人も訳も分からないうちに修得したものだった。
ララは単純に風圧でゼゼルを吹き飛ばしたつもりだったのだが、風は出ず、代わりに瞬間移動させたかのような形に。間髪入れず懐へ飛び込もうと踏み出したときには何故かもうゼゼルの懐に飛び込んでおり、まるで時間が止まったかのように見えていた。右腕をあっさり斬り飛ばし、腹を貫いて、剣を変形させ拘束するつもりだったのだが先に退かれてしまい、その算段は失敗。ゼゼルの太刀は斬り上げて空を切ったときに悲鳴のようなものが聞こえたのでただものではないと察し、先に破壊を試みたが回収されてしまい、腕だけを鎌鼬で修復不可能なまでに粉々にするにとどまったのだった。
それにしても度重なる大爆発で遮蔽物が無くなったこんな場所から消えるように姿を消すとは。もう今頃ベラポネたちを見つけていてもおかしくはない。二人は遠くの林の中へ手分けしてゼゼルを探すことにした。
ララのスピードが速すぎたあまりに出遅れた、鬼ヶ島に来てくれたコウモリたちも察してくれたのか、彼女の後を空に黒い竜を描くように追いかけていく。
〇〇〇〇
ララは休む間もなくゼゼルを追って林に入った。ここはやけに密度の高い林だ。
道はうねりうねっている獣道。木々の間をくぐりながら進んでいく。
暗い。
高い葉に日が隠されて視界が悪く、足も薄く見える程度。けれどベラポネたちからすれば隠れるには最適な場所でもある。それならゼゼルも近くにいる可能性が高いのではなかろうか。
すん。
何か細いものが目の前を駆け抜けていったのが分かり立ち止まる。目を凝らすと枝だった。
枝が急に刺すようにして伸びてきたのだ。こんな現象が起こせるのは知る限りたった一人である。
「……」
「!」
背後からの殺気で気づくもララの身体は弧を描いて空中へかち上げられてしまった。
アステリアの氷のハンマーだ。
しまったと思った時には既に術中なのだからたちが悪い。空から見てやっと分かった。ここはソルマール島の内部に更に作り出されたもう一つの鬼ヶ島だったのである。
いかにもベラポネたちが隠れやすそうな環境を作ることで仲間を誘き出し、暗がりで背後から不意を突く。鋭敏に殺気を読む者でなければ即死もあり得た。
ララの怒りが頂点に達する。
空中へ飛ばされたララを、地上から氷で固定式機関銃を作り出して狙うアステリア。もちろん木の陰に隠れて上からではどこにいるか全く見えない。
「この! 裏切り者がーッ!!」
連続する激しい銃声が始まった。機関銃がララを狙って何百発もの弾丸を放つ。弾数は無限大だ。
空中で気弾を放ちその反動を利用してララは必死に避けるが機関銃による銃撃は永遠に追尾してきてきりがない。
紙一重で避けながらあのときの感覚を思い出す。ゼゼルを風を使わずに押し除けたあの感覚を。
銃弾が発射される位置へ手を伸ばし、全く同様に風圧を放つ。
機関銃の位置はしかし、風圧によって爆発するように吹き飛んだ。あのときの能力は一体何だったというのだろうか。まだ自在には操れないらしい。
けれどこれで先程までいた場所は木々が吹き飛んで拓けた、かと思った矢先だ。このソルマール島の内部に作り出された鬼ヶ島は生きているかのように、更地と化した部分を即座に木々を生やして元通りにしてしまう。
このまま鬼ヶ島の中へ落ちたらおそらく急激に伸びる枝で全身を貫かれることになるはず。まだ息も整っていないというのにこのまま気弾で飛び続けるのはかなり酷だ。
そのとき、またも機関銃の連続する発砲音が。
咄嗟に双剣で迎え打つ。構えた途端、黒鬼から渡されたこの双剣は盾に姿を変え、弾丸を全て防御。ララは驚きつつも風圧を放ち機関銃の位置を爆破した。
それでもこれでは、このままではスタミナ切れになったら終わりだ。スタミナには自信があったのにさっきのゼゼルとの戦闘で思いがけず発揮された能力で大幅に消耗してしまっている。
窮地だ。このままではまずい。
機関銃を撃ち込まれては双剣が盾に変形して防ぎ、風圧で爆破。それの繰り返しだ。風圧が風圧のままでゼゼルのときのようにならないのは、もしかしたらスタミナ切れが原因か。だとすれば完全に詰みだ。アステリアは平たく言えばバカだとの話だが戦闘経験は超一流だということ。その上、見たところ鬼ヶ島も卑怯であるというのに反動なしで何度でも使えるよう。直接の戦闘も氷で思うままに武器を作り出せる。わずかながら魔法も使えるとの話。範囲技に遠距離攻撃、近接戦に魔法、果ては無反動でダンジョン系の卑怯を何度使えるか知れず、武器を作って戦う特性上、体力の消耗も控えられるとんでもない歩く最終兵器だ。
ララはあるものを目にして困惑する。コウモリたちだ。
力を貸してくれたコウモリたちが到着しているというのに、空に塊になってただ見ているだけ。
ララは呆れを通り越して、もはや何か懐かしいものを感じる。今亡き実兄、ゴア・ロドノフとの修行の日々だ。散々こき使われたがロドノフ卿との修行がなければミルに至ることはなかっただろう。
ロドノフ卿との修行はいつも過酷だった。勝てない相手に勝てと、拷問とも呼べる日々を過ごしてその身に叩き込まれてきた。
黒羽に出会い、ロドノフ卿が死に、比較的穏やかな日々になまっていたのではないか。ふとそんな疑問がララの脳裏をよぎった。
鎌鼬が使えるようになったのもロドノフ卿との修行中に死にかけたときだった。藁にもすがる思いで、思いつくままにやったことが技になったのだ。
ミルになった今、今ならば卑怯も使えるようになるはず。卑怯を修得するには、今殺意さえ向けている相手に心から敬意を払うことが条件。唯一使えるというベラポネも自身はミルではないが所持している物質的ミルの水晶玉に力を借りて扱うことがやっとだということだった。
まだ誰も自分で修得していない卑怯を、今ここで修得しろというのか。
ララはできる気がした。今までもそうだったからだ。
全ての技は思いつきで始まる。それにどうせこのままではアステリアの餌食になるのだ。それなら一か八か賭けてみる他あるまい。
ララは銃撃から逃れながら気弾の反動で空高く駆け上がっていく。そして、真っ逆様に落下しはじめた。
風が全身を包み込む。全身で空を貫く。風と身体を一つにし、急降下しながら叫んだ。
「アステリア!! アンタは最強の! 裏切り者じゃ!」
黒い双剣の先を揃えて地へ向けた。
「しょうがないけぇな! 卑怯な手さぁ使わせてもらうけんね! 卑怯! 自然の風!!」
ララの身体を激しい風が包む。息が楽になり、スタミナがあっという間に回復。
双剣の切っ先に風を纏い、地上の鬼ヶ島全体へ向けて風圧を放った。
それは、もう風圧なんてものじゃない。鬼ヶ島は片っ端から弾け飛んで塵になり空へ打ち上げられ、地上にはぼっかりと巨大な窪みが空いてしまう。
あのときゼゼルの懐を目指したように、洗い出された丸腰のアステリアへ飛び込もうと加速した。
光の速度を超える物体は無いとされている。ただし、空間を除いて。
宇宙は針の先より小さなただの点から、1秒にも遥か遠く及ばない極短時間で急激に膨張し、その直後のビッグバンによってさらに指数関数的に急拡大したとされる。その膨張速度は光の速さの何倍という表現をするのも気が遠くなるほどの倍率となる計算だ。
光を操る程度の者など、空間を操る者には止まって見えるほど。ましてただの肉の塊など塵にすぎない。
アステリアは避けられるはずもなく、ララの双剣が腹部を容易く貫いた。