100 ルナとフミュルイ
2年前のこと——
ルナは冒険者としてギルドへの参加が可能となる17歳を迎え、昼間の地方の東端、鋼の国マーキュラムの東方へ遠征に来ていた。
ルナは夜中の地方にあるレイトラという国の出身だが、レイトラ人の母親は出産直後に死亡し、フォイ人である父親に男手一つで育てられていた。
昼間の地方では太陽光によって作物が実るが、夜中の地方では植物が月の光でも成長するよう進化を遂げてはいるもののエネルギー量が圧倒的に劣るために限界があり、電力による光での栽培を余儀なくされ、古くから昼間の地方との衝突が度々勃発している。特に雷の属性者は発電機関が不要であるために、そして植物の属性者は直接的に作物を生成できるために、重宝されるばかりか奴隷化していた。
フォイ人の父親は幼少期に拉致されてきた植物の属性者だ。雷の属性者だった母親とは奴隷同士として出会い、ルナはその間に生まれたのだった。
劣悪な環境でも無理を言って子を望んだ母親は皮肉にもルナの産声を聞いて間も無くこの世を去り、ルナは父親と二人共々奴隷としての日々を過ごした。
ルナが10歳になった頃、彼女たち親子がいたレイトラでは、昼間の地方の鋼の国マーキュラムとの戦争が勃発。切れ者だった父親が混乱に乗じて自分はフォイ人の外見であることを利用し、幼いルナは人種がばれないよう髪を墨で染めてローブを被せ、正体を隠しながらマーキュラム側の人質救助に紛れてレイトラから昼間の地方へと帰還したのだった。
今回ルナがマーキュラムへ来ていたのは他でもない、当時から続いていたレイトラとの戦争にマーキュラム陣営として加勢するためだったのである。
冒険者とはいえものは謂わゆる傭兵だ。奴隷として過酷な労働を強いられて育ったせいかギルドと契約した日には既にレベル950を超えており、上位冒険者に区分される素質があった。
レイトラ人がレイトラに牙を剥くとは世も末である。ギルドには多人種多種族が参加しているが、レイトラと敵対しているマーキュラムの兵士たちからは一線を引かれるのも当然だった。
それでもルナはマーキュラムの兵士と共に再びレイトラの土を踏み、戦場を駆け回った。レイトラの心臓とも呼べる発電機関を次々に破壊し、敵兵たちも追い込み、約半年もの間憎き祖国へ一矢報いる善戦を続けていた。
銃の扱いも剣の技術も父親が生活費を切り詰めて通わせてくれたフォイの訓練施設で基礎を叩き込まれていたが、この戦争での実践でさらに技術に磨きをかけ、最終的に剣術に落ち着き大半の敵はただの拾い物の剣で下していた。
この半年に渡る戦闘に明け暮れる日々の中でルナのレベルは上がり続け、いつからか統率を失ったマーキュラム兵たちを束ねるように。
しかし、いつ何が起こるか分からないのが戦場というもの。覚えているのは白い髪をした、黒く鋭い角が左の額から生えた小柄な正体不明の少年の、その異様な姿。武装もしていなければ見覚えのあるぼろ布の奴隷の服に身を包み、まるで今の今まで手足を拘束されていたかのように、無理矢理に鎖を引きちぎられた黒い金属の枷が手足に残っていた。そんないかにも不利な素手素足の格好でありながら、ルナが率いていた部隊に真っ向から襲いかかってきた。
異常なスピード。兵士が扱う銃から放たれるエネルギー弾などかすりもせず、素足で石の壁を蹴破り、建物内にいた兵士を次々に殺し回った。
顔を覚える暇さえない。出くわしてものの数秒で武器も使わず体術のみでルナの部隊は壊滅した。辛うじて記憶に残ったのは白髪に黒い片角の少年だったということくらいだ。ルナ自身もあまりのスピードに目で追うこともできず次の瞬間には身体が宙を舞っていた。
それからどれくらいの時間が経ったのか。ルナの意識は暗闇の中にあった。
「——て……さい。……だけでも」
女の子らしい柔らかな声がした。
朝、誰かに起こされるようなぼんやりした感覚ながらルナが少しずつ目を開けると誰かが覗き込んできていた。
段々と視界がはっきりしてくる。心配そうに覗き込んできていたのは銀髪に茶色の円らな瞳をした少女だった。
「よかった、気がついたんですね!」
「……こ、こ……は」
どうやらこの少女が助けてくれたらしい。
ルナはまだ身体が動かせず、仰向けに寝かされたまま左右を見渡す。顔まで毛布が被された遺体が何体も並んで寝かされている船の上だった。
普通は生き残った者が優先的に救出されるものだ。それなのに遺体が乗っているということは、はじめはまだ息があったということ。打ち所が悪ければルナも死んでいるところだったのだ。
銀髪の少女がルナに覆い被さり、肩を震わせて泣き始める。
「よかった、よかった。お姉さんだけでも助けられて、よかったんです、よかったんです——」
「ま、まさか……、みんなは……?」
銀髪の少女はルナに伏せたまま首を振る。それ以上はもう泣くばかりで何も話せた状態ではなくなってしまった。
少女の背後には大柄のマーキュラムの兵士が数人乗っていた。みんな暗い顔をしている。きっと彼らが運び出してくれたに違いない。
兵士の一人が大男らしいの太い声で言う。
「我々は救出部隊だ。だが……、我々は詫びなければならない。現場が目に入ったとき、マーキュラム人から救出しようとした。だが、このフミュルイは戦闘能力の無いヒーラーでありながら真っ先に危険な状態だったあなたに駆け寄って、その場で応急処置を始めた。他の負傷したマーキュラム人兵士たちもあなたから助けてほしいと言って、死んでいった。若い者を死なせるでないと言い残した壮年の兵士、良くしてもらったからと言い残した若い兵士、何も言えずただあなたを指差して目を閉じた、顔も分からぬ兵士。皆、人種も年齢も越えてあなたを慕っていた。すまなかった。我々は、息のあった者は全員引き上げたが、あなたしか助けられなかった」
隣で寝かされていた遺体は数ヶ月も共に戦ってきた仲間たちだったのである。
ルナは身体が動くようになるとフミュルイと呼ばれた恩人を抱きしめて一緒に子どものように声を上げて泣いた。
絶対に生きてそれぞれの国へ帰ろうと交わした約束は叶わず、自分だけが生き残ってしまったのだった。
〇〇〇〇
こうしてマーキュラムに帰還したルナはフミュルイたちと共に犠牲者たちを弔うことになった。帰ってこられたのは一部だけだが、いくら大男とは言っても普通に考えればたったの数人で運び出せるような人数ではない。ルナは救出部隊には頭が上がらない思いだった。
マーキュラムでの兵士たちの葬式は広い会場で一斉に行われた。参列した遺族たちの多くはとても見ていられたものではない。だが元兵士だろうか、老いた大男がちらほら。それから厳しそうな顔の婦人も少なくなかった。彼らは失った家族を立派な最期だったと見送るかのように静かに頭を垂れて既定の席へと着席していった。
それにしても救出部隊というのは報われないものである。戦地から人命を救出するという崇高な職務のはずだが、フミュルイは広い会場の隅で声を殺して泣き続けていた。
着席した遺族たちの会話が聞こえてくる。
「あの子、初めての任務だったらしいわ」
「流石に荷が重すぎるわよね」
「まだ17になったばかりだったらしい。立ち直れるといいんだが」
「うちの甥っ子も救出部隊を目指していて、あの子は同じ学校の先輩らしいんだが、人一倍正義感が強くて優秀な目標だとよく話していたよ。まさか初任務でこんなことになるなんてなぁ」
「まぁ……。優秀さを買われて選抜されたのね、きっと。でもあんまりにも皮肉だわね」
大柄の救出部隊員たちがフミュルイを囲んで人垣で目隠しをしつつ慰めているが、それでも隙間から時々肩を振るわせているのが見えていた。
遺族たちも故人を悼みながらも同情するほど。ルナは近寄って救出部隊員の肩を叩き、振り向いた彼に会釈して通してもらった。
後ろからフミュルイをそっと抱きしめる。
「……フミュルイ、ありがとう。私のことは、あなたが助けたんだから。もう泣かないで。みんなもきっとフミュルイに感謝してるよ。助けようとしてくれただけで、もう充分だよ。フミュルイたちが来てくれなかったら、みんなも帰ってこられなかったし、私も生きていられなかったはずだよ」
フミュルイは振り向き、ルナに力強く抱きついた。細い肩を跳ねるように振るわせながら言う。
「……名前、なん、て、いうの?」
「……」
ルナはフミュルイをあやすように頭を撫で、背中をさする。
「ルナ。ルナ・ルッセンハイヤー。ルナでいいよ」
「……うん」
フミュルイがルナと呼べるようになったのは、その後すぐに救出部隊を引退してさらにしばらく経ってからのことだった。
ルナの部隊を襲った少年のことは彼女が後にギルドに報告し、その後ミルによる調査クエストが実行されたが全員が死亡。現在はさらに上位組織である国際ギルド連盟が調査にあたっている。