生きる
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そして、ミアに隷属魔法をかけようとした罪で捕縛されていたアッシュだったが、王太子が関わっていることと、王家の秘術が使われたという、王家の機密事項に関わる事件だったため、通常の裁判にかけることもできず処分保留のまま、長い時間拘束されたままだった。
だが、母を人質に取られていて選択の余地が無く、逆らうことなどできようはずもない状況で精神的に追い詰められていて、罪があるのならそれは王太子である息子のほうだ、と最終的に王がアッシュを無罪とすると決定を下した。
ただ、隷属魔法の方法を知ってしまったアッシュを、このまま放逐するわけにはいかず、師団の監視下で生きるか、もしくは魔力を封じるしかないと言われ、アッシュは魔力を封じるほうを選択した。
そして、これから平民として生きていくアッシュに今後どうしていきたいか、と話し合いを重ねていたところ、アッシュの後見人になりたいと申し出てきた人物がいた。
それは一緒にミアの制御役を務めたランスだった。
ランスはもう定年で職を辞することが決まっていて、故郷に帰ってのんびり暮らすつもりだから、畑を耕してくれる男手が欲しいし、よければ一緒に来ないかとアッシュを誘ったのだ。
故郷は安定した気候で過ごしやすく、病人の療養にも向いているから、アッシュの母親も一緒に連れてきたらいいと言って、アッシュを説得した。
アッシュはその言葉を受け入れ、ランスの退職後に皆で一緒に彼の故郷へと旅立っていった。
その話をミアは、捜査の進捗を報告に来てくれたエリックから教えてもらった。
エリックは、捜査の進捗や取り調べの内容を、定期的にミアに報告に来てくれていた。
エリックは、アッシュがどうして全てを捨ててミアを隷属して逃げようとしたのか、と取り調べのなかで訊ねたという。
それに対しアッシュは、『どうせ使い捨てられて殺されるのだと思うと何もかも嫌になって逃げたくなった』と証言したが、本当に逃げたいのなら、独りで出奔することもできたのだ。
ミアを連れて行けば必ず追っ手がかかるし、国は決して諦めないだろうと分かっているはずなのに、それでもミアを隷属させようとしたのは何故なのか。
ドラゴンの力を欲して暗躍していた隣国ではなく、また別の第三国に売り込むつもりだったのか、と取り調べで問い詰められたが、本人はそれに関しては完全に黙秘を貫き、決して理由を語ろうとしなかった。
自白魔法を使って喋らせるべきだという意見も出たが、アッシュの身辺をどれだけ調査しても犯罪組織や他国とのつながりが出てこなかったので、無理に自白させる必要はないと判断し、その理由はわからないまま捜査を終了した、とエリックは教えてくれた。
その話を聞いて、ミアはアッシュが『君のそばに居させてほしい、俺を選んでくれないか?』とミアに言った時のことを思いだしていた。
アッシュは孤独だった。生き辛さを抱えて苦しんでいた。人と同じように生きられないミアに、自分と同じものを感じて、本当にミアを、今の状況から救いだすつもりであのような行為に及んだのではないだろうか。
自分と同じ、どうにもならない辛さを分かち合って生きていけると思ったのだろうか。
ミアは、あの時のアッシュの言葉全てが、隷属させるためについた嘘だったとは思えないのだ。
ずっと孤独に苛まれてきたミアには、アッシュがどうしようもない孤独を抱えていることが痛いほど伝わってきた。あの時の言葉は、アッシュの魂の叫びだったとミアは思っている。
エリックは、アッシュからの謝罪の場を設けるか、と提案してきたが、ミアはその必要は無いと会うのを拒んだ。それをエリックは、隷属魔法をかけられそうになった恐怖からかと思ったようだったが、ミアの思いは違った。
だまし討ちのような形で隷属魔法をかけたアッシュに対する怒りはもちろんあるが、それよりも、そんな形で孤独から逃れようとしたアッシュの気持ちが、嫌と言うほど理解できるのだ。
だが、やはり自分を隷属しようしたアッシュの孤独に寄り添ってやることはできないし、それならば同情も共感もしてはならない。
何もしてやれることがないのなら、アッシュにはもう会うべきではないと思ったからだった。
しがらみから解放されたアッシュは、遠く離れた地で、今までとは違う環境で新しく生き直すことができるだろうか。彼の心を埋めてくれるなにかを見つけられるだろうか。
思えば、ミアと関わった人々は皆、表側の顔ではわからない複雑な事情を抱えていた。リリアナも、最初は明るく天真爛漫な普通の女の子のように見えていたが、その裏には想像もつかないくらい壮絶な過去があった。
アッシュも最初は派手な見た目で軽薄な喋りをしていたから、彼があんな苦しみの中にいるなんて気づきもしなかった。
サラとブリジットにも、色々な過去があって、それゆえにこじれて、結局ブリジットは道を間違えてしまった。
今になってようやくミアはそのことに気が付いた。人と関わることを恐れ避けていたままでは決して気付けなかった、みんなの苦しさや悲しさ。
きっと、誰でも表面だけでは分からない色々な内側があるのだ。生きていれば過去がある。苦しくても辛くても、みんなそれを抱えたまま一生懸命生きているのだ。
ミアは今、幸せだ。
無事に生きて救出されて、離れるしかないと思っていたフランと結ばれることができた。
でも生きていればまた辛いことも悲しいことも起きるだろう。
幸せだと思っていたことが形を変えてしまうこともある。ずっと続く永遠の幸せなんてない。
でも、生きるというのはそういうことなのだ。それでも人は生きるのだ。
「だから、私も、一生懸命生きよう」
誰に訊かせるわけでもない決意をミアは独りで呟く。
でも言葉にしてみるとやけに陳腐に聞こえて、独りでなにを喋っているんだと少し恥ずかしくなったミアは、誰も居ない部屋で、赤くなった顔を手で覆って身悶えていた。
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