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まとわりつく黒い闇は、かつてミアが落ちたドロ沼を思い起こさせ恐怖がせり上がってくる。落ち着け落ち着け、と自分に言い聞かせ、今の状況について考えを巡らせた。
肌に感じる闇は明らかに魔力だ。ミアが落ちたこの穴は、誰かが魔法を発動させ人為的に発生させたものだろう。戦闘魔法のひとつにこのような術があったように思う。敵を捕獲するためもしくは一時的に自身を避難させるための術だが、まだ中等部ではこのような魔法を教えていない。
それに、たとえ初等部で習うような基礎の魔術だとしても先生の目が届かない学校の外で勝手に生徒が発動させることは固く禁じられている筈だ。
ミアが魔力を少し解放すればこの術を破れるかもしれない。だがこの魔法の術者の目的が知りたい。規則を破ってまでもミアを捕えた理由はなんだろう。ミアはそれを知るためにひとまず相手の出方を待つ事にした。
するとほどなく再び穴の口が開いて、ミアは穴から吐き出だれるように転がり出た。
「きゃあ!」
硬い床に落とされお尻をしたたか打つ。痛む臀部をさすりながら周りを見渡すとそこは廃墟となった古い教会のようだった。石造りのその建物はあちこち朽ちて崩れ日の光が差し込んでいる。
学校内にこのような場所はない。どうやらどこかへと拉致されてきてしまったようだ。
学校の生徒の悪戯かと思っていたけれど、学校外へ拉致するなんて普通の生徒に出来ることじゃない。なにか犯罪組織がからんでいるのだろうか?緊張感でミアの心拍数が上がる。深呼吸して落ち着かせていると、ミアのそばに黒い穴が再び開き一人の人物がゆっくりと現れた。
「リリアナ・・さん」
別の穴から現れたのは、同じクラスのリリアナ。彼女が黒い穴に手をかざすと、穴はその手のひらに吸い込まれて消えていった。
この術者はリリアナだったのかとミアは思った。彼女は確か中等部から魔法学校に入ったのでまだ魔法の授業はみんなと別に基礎から習っているはずなのに、なぜこのように複雑な魔法を使うことができるのだろう?
そんなミアの疑問が顔にでていたのか、リリアナはミアの顔を見て鼻で笑った。
「なんでこんな魔法が使えるのか?って顔しているわね。優秀なミアちゃんは自分より優れている人がいるなんて信じられないのかな?でもざーんねーん、私も魔力だったらミアちゃんに負けてないんだからね、自分だけが特別とかおもわないでくれる?」
「???・・・ええ、いつ習ったのかしらと思ったけど・・学校外で魔法を使うことは禁止のはずだけれど・・」
ミアの言葉にリリアナはイライラしたように顔を歪め舌打ちをした。教室での姿とだいぶ違う印象のリリアナにミアの混乱は深まる一方だった。
「ほんっとミアちゃんてずるいよねえ・・生まれた時から貴族なだけでもずるいのに、何もかも特別でさ?一人だけ優遇されていてさ?ミアちゃんもそれが当たり前でしょって顔しているんだもの。そんなのってずるくない?不公平でしょ?多くを持つ者は持たざる者に分け与えるべきでしょ?ミアちゃんだけが何もかも独り占めなんて許されないと思うの」
リリアナが燃えるような瞳でミアを見据える。
不公平だと、リリアナは言った。ミアはそこでようやくフランがミアに言って聞かせた言葉が頭をよぎる。
“どうしようもない事は世の中にたくさんある。でもね、世の中にはそれを不満に思う輩もいるんだよ。自分と誰かを引き比べて自分より恵まれているとそれを許せないと不公平だと言って憚らない人間もたくさんいるんだ”
あれはこういう意味だったのか。ミアに対して、不満に思っていると不公平だと感じている輩がいるとフランは警告していたのか。だが何故リリアナはミアに対してそのように思うのだろう?リリアナはミアを『多くを持つ者』だと言ったが、ミア自身はそのように感じたことはない。実家からの仕送りは最低限しかないし、余裕がないのであまり高価なものは持っていない。
しいていえば扱いきれない魔力をもっているというところくらいか。それは自分では欠点の部分なのだが。
「リリアナさんは・・私の何が不公平だと思うの?あんなペンやハンカチなら買えるでしょう?ほかに何をあげれば納得するの?」
ミアは純粋に思った事を言ったのだが、何かがリリアナの逆鱗に触れたようで彼女の魔力が禍々しく渦巻き、リリアナの怒りを表すかのように炎のように体から立ち上っている。
「・・・ホンットに何から何まで嫌味でむかつくのよね・・・うん、じゃあくれる?ミアちゃんが言ったんだからね?くれるんだよね?」
リリアナが昏い瞳でほほ笑む。
そして右手をかざし、再びその手のひらから黒い穴がしゅるしゅると現れ、ポッカリと黒い口を開けた。
そこから出てきたのはリリアナの友人達。ミアに怒りの表情を向けるものもいたが、大半はこの状況に戸惑っているようで、ミアとリリアナを交互に見て困ったような顔をしていた。
「ねーみんなぁ、学校がミアちゃんだけ贔屓して、私たちだけ処罰されるなんて納得いかなくない?それにさ、ただ揉めただけなのに一週間も謹慎とかどう考えてもおかしいでしょ。ミアちゃんが何かズルしたとしか思えないよ!学校がそういう不正をするなら、私たちでそれを正すしかなくない?」
「で、でも・・こんなの私刑じゃ・・学校にばれたら退学になっちゃうよ」
友人の一人が怯えながらもリリアナを窘めようとする。退学という言葉に他の友人達にも動揺が走る。リリアナはそんな皆ににっこりとほほ笑んで見せた。
「私刑だなんて!そんなことないよ!それを言ったら私達の謹慎だって私刑みたいなものじゃない?!
不平等を強いられた私たちに与えられた正当な権利だと思う!ここで私たちが学校の権力に屈したら、この学校の正義は失われるよ!私たちは正しいことをするんだから!」
リリアナの言葉を受けて一人の男子が前に出た。
「そうだよ!リリアナの言うとおりだよ!あの処分は不自然だった!この女が学校に何か言って俺らを悪者にしたんだろ?だったらこれは正義の鉄槌だ。俺たちが退学になるなんておかしいって!・・だからさ、この女が告げ口出来ないように痛めつけてやればいいんだ・・!」
ひとりがリリアナに同意したことで、戸惑っていた他の子達の気持ちが引きずられていく様子が見て取れた。
「それいいと思う!人に言えないくらい辱めてあげれば、さすがにミアちゃんも反省するんじゃないかな?」
リリアナが恐ろしい事をはしゃいだ声で告げた。そっか、そうだね!そうだね!と皆が同意し始め、これからとても刺激的な遊びに興じるかのような異常な興奮が場を支配していく。
ミアは自分が陥った状況が想定していた以上にまずいことに気付いた。全力で逃げるべきだと本能が告げる。
ジリ、と後ずさると背中を何かに捕まれた。
ハッと振り返ると、後ろには例の黒い穴がうねうねと形を変えてとミアの背中に広がって彼女を拘束するようにまとわりついている。振り払おうと手足を動かすが、穴に飲み込まれて身動きが取れない。
「いやっ・・なにこれ・・っ」
「うふふ。すごいでしょ、こういう魔力の使い方も私得意なの。ミアちゃんて人を馬鹿にしてるもんねー私がこんなこと出来るなんて思ってもみなかったでしょー」
リリアナが可愛らしく笑いながら右手を動かす。手足を拘束する黒い穴がぎゅっと締まりミアは『ぐうっ』と呻いた。