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ミアのクラスで騒ぎがあったことはすぐに学校側の知るところとなった。
ミアは自分が処罰されると覚悟していたのだが、実際はその逆で、ミアを根拠のない理由で彼女を罵倒し追いつめたとしてリリアナを含むクラスの数名が厳重注意を受け一週間の謹慎処分が下された。
「私が騒ぎの張本人なのに、お咎めなしなのはおかしいんじゃないかしら」
ミアは寮にある自室のソファでフランと共にお茶を飲んでいる。わずかとはいえ魔力のコントロールが乱れたので、様子見のため校長先生から一日二日休むように言われたからだ。
フランは自主休校を決め込んでミアと共に過ごしている。
「ミアちゃんは単なる被害者だよ。校長は状況を正確に把握し正しい処分をしかるべき相手に下しただけだ。ミアちゃんが気に病むことはないよ」
うーん、とミアは首を捻った。確かに思い返してもどうしてあのような騒ぎになったのか理解できない。あの時の自分の言動に、あそこまで皆に言われるほどの問題があったとは思えないのだ。
「どうしてああなってしまったのかしらね。私、子どもの頃からお友達はフランしかいなかったから、人とうまく付き合えないみたい。フランは私と居てイヤじゃない?私が・・こんなだから・・大変な役目を押し付けてごめんなさい」
「何言ってるの?俺がミアちゃんと一緒にいたいから居るんでしょ?こんなに一緒に居たのに、厭々やっていると思われていたなんて心外だな。
それにあの騒ぎは作為的なものだよ。ミアちゃんの言動に問題があったわけじゃない。きっと君が何を言ってもああなるように仕向けられただろうね」
仕向けられた?誰かが扇動して意識的にあの事態を引き起こしたということだろうか?だが何故そんな事をする必要があったのだろう。フランはあの騒ぎの事で何か知っているのだろうか。
ミアが首をかしげるとフランがこんな質問をしてきた。
「ねえ、もし人の持ってるものが欲しくなったらミアちゃんならどうする?」
突然脈絡のない質問を投げかけられミアは目を瞬かせたが、問い返すことはなく思った答えを返した。
「・・・お店で買えるものなら、お金を貯めて買うわ。でも売ってなければ諦める・・かしら?」
ミアが答えるとフランはふ、と目を細めて笑った。
「そうだね、そもそもミアちゃんは人の事にあまり興味がないからそんな経験ないだろうけど・・もし欲しくてたまらないものだったら?それでも諦められる?」
「・・・欲しくても、どうしようもないものはあるわ。諦めるしかないものなんて世の中にはたくさんあるもの」
欲しいもの、と言われてミアは思った。
ミアは笑ったり泣いたり怒ったり自由に出来る生活が欲しかった。
思いっきり大声で騒いで、心の赴くまま生きてみたいと何度思ったかしれない。ミアにとって、欲しくて欲しくてたまらないものと言えばそんな普通の生活だ。
でもそれがかなわない事は知っている。だからどこかで折り合いをつけなくてはいけない。こうして感情を抑えればそれなりに穏やかに暮らすことが出来る。このように生まれついたのだから、誰かと引き比べてわが身を憂えても詮無いことだ。
「そうだね、どうしようもない事は世の中にたくさんある。でもね、世の中にはそれを不満に思う輩もいるんだよ。自分と誰かを比べて自分より恵まれているとそれを許せないと不公平だと言って憚らない人間もたくさんいるんだ」
フランは優しい笑みを浮かべながら不穏な話をミアにする。この話は一体なんなのだろう?ミアは話の続きを待ったが、フランはミアの目を見つめるだけでそれ以上は何も言わなかった。
きっと自分で考えろという意味なのだろう。教えられるのではなく、自分で考えて気づかなくてはいけないことなのだとミアは理解した。
***
結局二日間フランと共に過ごし、校医魔術師から『問題なし』との診断を受けてようやく登校することになった。教室に入る時どのような目でみられるのか緊張したが、ドアを開けて入ると思いのほか和やかな雰囲気だった。『おはよう』とミアが小さな声であいさつすると、クラスの人々も戸惑いがちではあるが返事をかえしてくれた。
リリアナとその友人数名はまだ謹慎があけていないのでクラスには居ない。ミアは改めて教室を見渡す。あの時・・クラスの全員から怒声を浴びせられたように感じていたが、思い返してみれば、ミアを詰るのはリリアナの友人だけであとの人々は驚いてみていただけだったように思う。
あの時ちゃんと周りをみて、冷静になっていればあのような事態にならなかったのかもしれない。
これまで、全ての人に嫌われていると思いクラスの誰とも付き合わずに来てしまったが、きちんと対話すればわかってくれる人も居たのかも、とミアは今更ながら反省した。
ミアは少しだけ勇気を出してクラスの皆に向かって声をかけた。
「あ、の・・!みなさん!先日は驚かせてしまってごめんなさい・・もう二度とないように気を付けるわ」
クラスの人々は普段喋らないミアが震える声で謝罪したことにとても驚いた。
「いや・・ミアさんも大変だったね」
「なんか、止められなくてコッチこそごめんね」
クラスの人々も戸惑いながらミアを励ます言葉を口にした。今までミアに対し近寄りがたいものを感じ遠巻きにしてきたが、ミアが真摯な態度で謝る姿を見て、これまでの彼女の印象が変わったようだった。
「い、いえ・・ありがとう」
一言、二言交わしただけではあるが、ずっと遠くに感じていた級友たちが急に身近に感じられてミアは嬉しくなった。それはクラスの人々も同じだったようで、この日からミアは皆に話しかけられる機会が増え、いままであった壁がなくなったように感じた。
その日から、朝登校すれば『ミアさんおはよう』と級友のほうから気さくに声をかけられるようになった。ミアは相変わらず無表情だがクラスの人々も、彼女は怒っているわけでもなくそういうものなんだと認識したらしく、あまり気にせず普通に接してくれるようになった。
怪我の功名とでもいうべきか、先日の騒ぎのおかげでミアはクラスの人達と多少打ち解けるようになった。コントロールに失敗したことは恥ずべきことだが、少しだけ失敗して良かったかもしれないなとミアは思った。
***
あれから数日が経ち、これまでの余所余所しさが嘘のようにミアはクラスの人々と会話をするようになっていた。
ミアが授業の事についてクラスの子に話しかけられていた時、教室のドアが開いて謹慎が開けたリリアナとその友人たちが入って来た。皆一瞬静まり返りリリアナ達をみたが、気まずそうに目を逸らした。
リリアナはクラスを見渡して、誰かと話をしているミアを見て一瞬目つきを鋭くしたが、すぐにいつもの明るい彼女に戻り走ってミアの元に来た。
「もう!ミアちゃん!私たちミアちゃんのせいで一週間も外出禁止だったんだよ!なんでミアちゃんだけ学校きて楽しそうにしてるの!ミアちゃんが原因なのにぃ!ずるいよ!」
いつものようにずるいと叫ぶリリアナに、ここ数日にみんなと打ち解けてきたミアは、また以前のように孤立するのだろうかと内心ため息をついた。友人も多く皆に慕われているリリアナがミアを非難すれば、他の人達も賛同してしまうだろうと思った。
「やめなよリリアナちゃん、あんな風によってたかって責められたら誰だって取り乱すよ。それにこの間のことはどう考えてもミアちゃん悪くないでしょ」
ミアと話していた子が二人の間に入ってミアをかばった。かばってもらえたことに驚いていると、クラスの人々がさらにミアを守るように集まってきた。
「そうだよ、なんでもミアさんのせいにすんの止めろよ。リリアナは何かミアさんに恨みでもあんの?」
「全然ミアちゃん悪くないじゃん、リリアナが勝手にペン持っていくの俺みたよ?なのに彼女を責めるのは筋違いでしょ」
皆に言い返されてリリアナも言葉に詰まっていた。今までは誰かがミアをかばうなんて有りえないことだったので驚いて対応できずにいるようだった。当の本人のミアも思ってもみなかった事態にただ驚くしかなかった。
これまではミアの印象があまり良くなかったせいもあり多少はミアにも問題があるかと思われていたが、ここ数日でクラスの人々はミアに対する認識を改めていた。それにより、先日の騒ぎは理不尽にミアを責めることで引き起こしたリリアナ達に対して不信感が生まれていた。
「ひっ・・ひどいぃ~ミアちゃんがみんなに私の悪口を言ったの?なんで私が悪く言われてるのよう!有りえないんだけど!」
もうヤダ!と叫んで泣きながらリリアナは教室を飛び出して行ってしまった。彼女の友人達が慌てて追いかける。教室の皆は苦笑しながら『ミアちゃん悪くないでしょ』とフォローしてくれた。だがミアはリリアナの先ほどの様子に嫌なもの感じて胃が痛くなる思いがした。
その後、授業が始まってもリリアナ達が戻ってくることはなかった。
***
昼休み、ミアは独り中庭で昼食を食べていた。フランは今日生徒会の会議を兼ねた昼食会に参加している。個室の使用についてリリアナに『ずるい』と言われた日からミアは自主的に利用を控えている。結局何が問題なのかはっきりさせるまでは使わないほうがいいだろうと考えたからだ。
天気がいい日は中庭のベンチに座ってサンドイッチを齧る。
今日の朝の出来事を思い返してミアはくすぐったいような温かい気持ちになった。あんな風にミアをかばってくれるひとはいままでフランしかいなかった。でもこれまでミアが皆に歩み寄る努力を怠っていたから距離があっただけで、ああして分かってくれるひともたくさん居たのだ。
私がお昼に誘ったら、一緒に食べてくれるかしら・・・。
いつまでもフランに甘えていてはいられない。これを機に少し自立して、ちゃんとクラスの人達と友達になれるよう努力しようとミアは決意した。
よし、と気合を入れ直しベンチから立ち上がったその瞬間。
足元にぽっかりと黒い穴が開いた。
ミアは声をあげる暇もなく、ヒュッと足元から黒い穴に音も無く落ちていった。
ミアを飲み込むと穴はその口を閉じ、後には何の痕跡も残らない。
一瞬の出来事だったので中庭で食事を摂っている他の生徒たちが異変に気づくことはなかった。
ベンチにはミアの手作りのランチクロスだけが残された。
***