魔法学校にて 10
本の世界に入り込んでいると、施錠したはずの扉がそっと開く気配がしてミアはガバッと顔を上げた。
「……アッシュさん、鍵をしているのに何故、どうやって入ってくるんですか?」
「いやあ、だってミアさん泣いているのかなって思って慰めにきたんだけど。あ、魔力満タンの時は泣けないんだっけ?まあでもフラン君は遅かれ早かれ制御役の任務を解かれていただろうから、それが早まっただけだよ。そんなに嘆きなさんな。
彼は君の竜化を止められる貴重な人材かもしれないけど、ミアさんをただ囲い込んで情報を遮断する彼のやり方では君を守れないからね」
アッシュはそう言いながら勝手にベッドの縁に腰掛ける。ミアはアッシュの言う言葉の意味がよく分からず首をかしげる。
「ほらね?そういうとこ。君は自分がどういう存在か正しく理解していないだろ?せいぜい『危険で厄介なドラゴン』くらいな認識でしょ?まあそういう側面もあるけど、君の力は国家をひっくり返すくらいの力があるんだぜ?王家が君を王族に迎え入れるかって論議されているのも知らないだろう?フラン君はずっと本人を蚊帳の外にしていたからね」
アッシュの言葉を聞いてミアは驚きを隠せなかった。王族になんてそんな話はエリックからも一度も聞いたことがない。
それにしてもアッシュは何故だんだん近づいてくるんだろう?ミアは何と言ったらいいか分からずただ黙ってアッシュを見つめる。
「逆に、君の力が本当かについてもフラン君から正しく報告されていないと疑われているよ?ミアさんは何か隠していることない?フラン君に口止めされていることとか?」
「そんなの……あるわけ……」
口止めと言われミアは口ごもった。死にかけたフランを恐らくミアの血で蘇生させたことは絶対に秘密にするよう言われていたからだ。
言いよどむミアにアッシュは探るように顔を寄せ、瞳を覗き込んでくる。
アッシュのダークブラウンの瞳が、見つめていると漆黒に染まっていくような錯覚を覚えた。
「……?」
じっと黒い瞳でミアを見つめるアッシュが、突然ミアに掴みかかりベッドに押し付けた。そして驚くミアに覆いかぶさり無理やり口づけた。
「んむっ!」
ミアは力で押し返そうとするが男性相手ではビクともしない。無理やり唇をこじ開け口内に侵入しようとしてきた。
合わせた唇からアッシュが魔力を流し込んでくる。その途端猛烈な吐き気と嫌悪感がせり上がってきて、ミアはそれを押し返すように自身の魔力をアッシュに流し込んだ。
「!!がっは!……げほっ!ぐえっ!」
ミアの魔力を体内に受け入れたアッシュは弾かれたようにミアから飛び退り、苦しげに床を転げまわった。
突然のことだったのでミアは魔術を使えたわけではない。ただ純粋に魔力を相手に流し込んだだけだったが、アッシュは炎でも飲み込んだかのようにもだえ苦しんでいる。
「げはっ……はあ……はあ、すげえ魔力だねミアさん。これと合う属性の人とかいんの?溶けた鉛を流し込まれたみたいだったよ……」
「あ……ごめんなさい、でも突然あんなことするから」
「ああ、確認したいことがあったからね。まず、最初に、俺は君に魅了の魔術をかけようとした。だがやっぱりミアさんは内面に作用する術はかからないね。なんでだろうなー物理的な拘束魔法とかは有効なのにね。これ自分で知っていた?」
アッシュに指摘されてミアは驚いた。
「知りませんでした。でもそんな事フランだって知らなかったと思います。だからなんだっていうんですか?こんな不意を打つような真似する必要があったんですか?」
「ある。ミアさんを護衛するうえで非常に重要な情報だ。君が術を認識していて、かからないように解除しているのか、それとも術にかからない体質なのか知りたかった。そして君は後者のほうだね。
内包する魔力が桁違いだから格下の魔法は跳ね返されるのかな?だったらおいそれとは攫われたりしないだろうしね。物理的に拘束されても、いざとなれば魔力解放して竜化すればいいわけだし、まあひとまず安心かな」
独り言のようにブツブツと呟くアッシュ。
「攫う?以前級友に拉致された件のことですか?」
「いや違う。まだ分からないが、とある犯罪組織のアジトを捜索した時に君の事が書かれた書類がいくつか見つかったらしいんだ。断片的な内容で竜化の件などには触れていないが、今はただの学生でしかないミアさんの情報をなぜか犯罪組織が持っているなんて不自然だ。
ドラゴンを拉致しようなんて命知らずが居るとはおもえないけどね、念のため君の警護を強化すべきか検討しているところだったんだよ。
でもねー術で魅了する事も眠らせることも出来ない、薬も効かない相手を拉致するなんて不可能だろうね。あ、あらゆる薬が効かないのも実証済み。
ハミングが食事に睡眠薬やしびれ薬を少しずつミアさんに摂取させたけど、どれも全く効果が出ない。不思議だねードラゴンの血はやっぱり未知数だね」
「は……?食事に……?ハミングさんが?」
衝撃的な言葉をさらっと言われてミアはすぐに反応を返せない。
ハミングが作ってくれた食事に?薬?睡眠薬?しびれ薬?それらをいつの間にか食べていたということか?
「さすがに毒は効き目の弱いものがほんの少量しか許可が出なかったらしいけどね。でも大丈夫だよ、どうやら毒も君には効かないようだから。だから警護の人数を増やす件は見送るよ。仰々しい護衛を付けたらまたミアさんが悪目立ちするからね。だけど自分の身辺にはミアさん自身でも気を付けるようにしてね」
事もなげにアッシュは言う。ミアはもう聞いていられず、いけないと分かっているのに思わず声を荒げた。
「ど、毒って!何故そんなものを!なぜ私に何も言ってくれないんですか!いつの間にか薬を飲まされていたなんて酷いです!ハミングさんも!どうして……」
「どうしてってさあ、逆にミアさんは我々をなんだと思ってたの?フラン君のように愛情をもって献身的にお世話してもらえるとでも思っていた?我々は任務で君の元にいるんだ。ミアさんは国から管理され監視される対象だって事だよ。そのへんもフラン君がちゃんと言わないからずっと知らないままだったでしょ?」
なんだと思っていた、と問い返され、返す言葉が無かった。
ずっとフランと一緒にいて、ミアを尊重してくれて、大切にしてもらっていたから、いつの間にか思い上がっていたのかもしれない。
ハミングもそういう依頼を受けてここにきているのだから、私にそれを告げる必要も理由もないのだ。
ミアは、急に足元から泥沼に沈んでいくような錯覚に陥った。すがるようにベッドの縁をぎゅっと掴む。
そんなミアを面白そうにアッシュは眺めている。
青い顔をするミアの頬にそっと手を当てながらアッシュは内緒話をするようにミアに囁いた。
「任務として護衛をする立場では、距離を取るのも不必要な情報を明かさないのも当然だよ。
でもね……俺ミアさんのこと気にいっちゃったんだよねー。ね、俺をさ、ミアさんの特別な人にしてくれるなら、もう隠し事はしないよ?任務に関する事もぜーんぶ教えてあげる。秘密はナシ♪」
「特別な、ひと?」
グラグラする頭のままミアは反射的に問い返す。
「ミアさんの恋人ってことだよ。恋人同士に秘密を持っちゃダメでしょ?任務なら自分の不利益になることなんてしないけど、恋人なら話は別だよ。自分を犠牲にしても君を守るし、大切にするよ?俺もう出世は諦めているから、一生ミアさんの護衛役として生きることも出来るしさ。どう?かなりおススメなんだけど」
思ってもみなかった提案に、ミアは返事が出来ない。
だが、恋人というのはそんな打算的な理由でなってはいけないのではないかと思う。
断ろう、と口を開きかけた瞬間アッシュに優しく手で口をふさがれた。
「まあしばらく時間をかけてゆっくり考えてみて。悪い話じゃないとおもうけどねえ。じゃあオヤスミ」
頬に軽く口づけをしてアッシュは出て行く。
独りになったミアは今言われたことをベッドに寝転がりながら考える。
アッシュは何故、恋人だなんて提案をしてきたのだろう?
彼にとってメリットのある話とは思えない。それにアッシュには最初から好かれていないように感じていたのに、違ったのだろうか?
短時間に今まで知らなかった衝撃的な話をいくつも聞いて、考えがまとまらない。
フランの事。
ハミングの事。
自分の立場。
アッシュの提案。
何も知らず、これまで自分の事だけ考えて、のうのうと普通の学生のような生活を送ってきてしまった。
自分の事だけで精一杯で、稀血を持って生まれたことを嘆くだけで、自分の存在がどういうものなのか、フランやエリックにどれだけ守られてきたのか知ることもなく今まで生きてきてしまった。
それに気づいた時にはもう何もかも手遅れだった。
―――フランは、もうミアの元には戻ってこないのだ。もう、相談することも出来ない。