王都にて2
馬車に揺られ王都の街を離れて随分と経つ。男の馬車は重厚な造りで乗り心地は良いのだが機密性の高い箱型で窓がなく外が見えない仕様になっている。
男の大きな手に抱かれ女はうっとりと揺れる馬車の中で男にしなだれがかっていた。
ようやく馬車が停まり外から御者が扉を開けてくれた時には外はすっかり暗くなっていた。男の屋敷は森に囲まれた大きな邸宅で、王都からは随分離れた場所にあるのか周りには明かりもなくひっそりと静まり返っていた。
「さあ、ベラ。着いたよ。まずは部屋を案内するよ」
男は女の手を引いて屋敷の中へといざなう。だが女は戸惑った様子で男の手を押さえる。
「ま、待って。だから私着替えも何もないのよ。買いに行くなら早くしないとお店が閉まってしまうわ。今は何時なの?」
「大丈夫だよ、僕が全部用意すると言ったじゃないか。さあベラの部屋はここだよ。入って・・ホラ入れって!」
「きゃあ!」
男は先ほどまでの穏やかな様子から一変し乱暴に女を部屋に押し込む。そこは一見綺麗に整えられた客室のようだったが、不思議な事に窓枠に鉄格子が嵌っていて外の様子も見えないようになっていて閉塞感がある居心地の悪い部屋だった。
「なにをするのジェフリー!あなたがこんな乱暴な事するなんて・・」
後ろから押されて絨毯の上に転んだ女は涙目で男を見上げる。その様子を見ていた男は嬉しさを堪えきれないと言った顔で女を見ていた。
「そんなこと無い。君の事は大事に大事に扱うよ・・俺の特別な人だからね。
ミイラ取りがミイラになったってヤツだな、商品に手を出したとボスに怒られてしまうよ・・」
「なに・・?何を言っているの?ねえジェフリー?商品てなんなの?!」
「君は俺が声をかける前からよく王都の街で独りフラフラ歩き回っていただろう?その時から目を付けられていたんだよ。
当たり前だ、仕立ての良い服を着た美しい娘が共もつけずにいるのだから、遅かれ早かれ悪い輩に目を付けられて拐かされていただろうね。
俺が一緒に居たから今日まで無事だったんだよ?それを分かっているかな?ベラは」
女は何を言われているのか分からないといった様子で震えながら男を見つめている。
「君を連れて来いと指示されて近づいたんだがね、何度も会ううちに・・情けない事に君に本気になってしまったんだ。世間知らずの生意気ぶったお嬢さんだと思ったのにな・・
すました美人が俺の前では恥ずかしそうに笑ったり、はにかんだりする無邪気な姿にいつの間にかやられてしまったみたいだ。本当に・・どんな女でも上手い事オトして攫ってきた俺が、こんな若い子に入れ込むなんて、仲間にばれたらなんて言われるか」
「あ・・あなたは私の他にも、女性を誑かして誘拐していたの・・?
最初から私も、誘拐して、売るつもりで近づいたの・・?」
女は信じられないものをみるように目を見開き、その大きな瞳からはぽろぽろと涙が流れている。そんな女の姿を男は愛おしそうに眺めていた。
「そうだよ。本当は君を早くボスの元へ連れてこいと言われていたんだ。君は家出をすると言って憚らなかったからね、自警団も君を探したりはしないだろうからそれほど時間をかけなくていいだろうと言って急かされていたんだ。だけど君とのデートが楽しくてつい引き伸ばしてしまった。
君のような美しくてすれていない上流階級の娘は高く売れるんだ。貴族の娘は攫うのが難しいからね、供給が少ない分引く手あまたなんだ。
ああ、そんなに怯えなくても大丈夫、君の事は商品にしない。俺が君を守る。もう外に出してやる訳にはいかないが、俺の屋敷で一緒に暮らそう。だから安心して?」
男は大きな手で女の頬を撫でる。先ほどまでとは違い、情欲に満ちた顔で感触を楽しむように女の唇を親指でねっとりと撫でまわした。
「ねえ、ジェフリー・・あなたの仕事は・・人身売買なの?そんな悪い組織がこの国にあるなんて・・」
「悪い組織ねえ・・・世の中には綺麗なものばかりじゃないんだ、必要悪ってやつさ。俺たちは内側からこの国を壊し改革していく。大いなる目標のための布石なんだ。
そんな事はいいんだ、ベラは世間知らずのまま可愛らしく笑っていればいい。
はあ・・ようやく君に触れられる。紳士の振りをしているのは辛かったよ。ああ・・君はベッドでどんなふうに鳴くのかな・・?」
恐怖に震える女の首すじの感触を味わうようにゆっくりと撫でる。
男が笑みを深めて服のボタンに手をかけた時、その手を女が思いがけない強い力で掴んだ。
か細い腕からは考えられないほどの握力でギリギリと握りしめる。
「証言は取ったから、芝居はもう終わりでいいわよね・・?
人身売買だなんて鬼畜な真似よくできるわね。触らないでよ気持ち悪い。アンタなんか死ねばいいのに」
「はっ?!べ、ベラ?!いてえっ!離せこの・・!」
男は握られた腕を振り払おうと、掴まれていないほうの拳を振り上げ女を殴ろうとした。その瞬間『ボウッ!』という音と共に男が壁際に吹き飛ばされた。
壁に身体を打ち付けられ男は痛みに呻いた。自分の身に何が起きたのか分からず目を白黒させている。女は冷めた目で男を見ながらゆっくりとそちらに近づいて行った。
「い・・今のは魔術?まさか・・いや、そんな訳・・っおい!お前何者だ?!ただの下位貴族の娘じゃないな?まさか・・うわ!なんだこれ?!」
気が付くと男の周りに光る糸がまとわりついて身体を拘束していた。男は身をよじるがきつく締まるばかりで、いつの間にかミノムシのように縛り上げられてしまっていた。
「はあ、やっと終わった。任務とはいえホント気持ち悪くて最悪だったわ。
あのさー、こーんな若くて可愛い女子があんたみたいなオッサンにホレるわけないでしょーが。キモいのよマジで。まあでもようやくアンタが人買いの一味だって確証も得たわけだしこれで晴れてお役御免だわ。アンタをこれから王都まで連れて行く。そこで洗いざらい喋ってもらうからね、手足が惜しいなら素直に話した方が賢明よ」
「貴様、やはり潜入捜査官か?!クソッ!やられた!まさかこんな子どもが・・っおい!誰か来い!誰か!コイツを捕えろ!・・おい誰も居ないのか!」
男が閉じられたドアに向かって声を上げる。だが屋敷にいる筈の用心棒はおろか使用人すら駆け付ける気配がない。男は考えうる最悪の可能性に気が付いて青ざめながら女を振り返る。
「馬鹿ね、もうこの屋敷は制圧したわよ。当たり前じゃない・・あ、大魔王が来た」
女の言葉を聞いて男が首を巡らすといつの間にかフードを被った男が部屋の真ん中に立っていた。
「だっ・・誰だ!」
「遅いのよ上官サマは」
「うるさい、駒が余計な口をきくな。
この屋敷には他の被害者は居なかった。こいつが出入りしていたアジトは今小隊が抑えているからこちらの作戦は終了だ、撤退するぞ。容疑者を連れていけ」
フードの男がそう言うと、ドアから黒装束の者が数名入ってきて縛り上げられた男を気絶させ、あっという間に担いで出て行った。部屋に残されたフードの男は、嫌そうに紺色のワンピースを着た女を見る。
「・・・化粧臭いな。そんな派手な顔にする必要があったのか?あまり目立たないようにと指示したはずだが?」
「仕方がないでしょ。顔を変えて実年齢よりも少し上にしなきゃいけなかったんだから。ねえあからさまに殺気を向けてくるのやめてくれません?仕事なんだから割り切ってくださいよフラン先輩。エリック様にもそう言われたでしょー?」
「うるさい、俺は貴様のしたことを許すつもりはないからな。割り切っているから仕方なく行動を共にしているんだろうが。作戦に関わること以上に俺に話しかけるな。お前は名前の無い駒なんだという事を忘れるなよリリアナ」
はいはい、と適当な返事を返すリリアナにフランは苛立ちを隠せず小さく舌打ちをした。