王都にて1
視点が変わり王都でのお話になります。
イヤ、お前誰だよって話から始まるんですがしばしお付き合いください。
煉瓦が敷き詰められ整備された道が続く大通り。
城から扇状に広い街路が伸び、通り毎に特色がありそれぞれに美しい景観を誇っている。
その通りの一つ赤レンガ通りは、その名の通り赤茶色の煉瓦で統一され、花屋やパン屋、食料雑貨店、酒屋やカフェが並んでいる。
等間隔に並ぶ街灯柱には季節の花が寄せ植えされた花篭がぶら下がっていて、煉瓦通りを彩っていた。
手入れが行き届き、完成された造形を描いているその花篭をみるだけでもこの街の豊かさが見て取れる。
風にゆれる花篭を眺めながら、一人の女がカフェのテラス席に座りティーカップを傾けていた。まだ年若いその女はシンプルな紺色のタフタのワンピースを身に着けていて、装飾もないその服は若い女が着るには少々地味すぎると評されそうだが、艶のある紺が彼女の白い肌を際立たせていて、清楚ながらも艶やかに見せている。
柔らかな巻き毛を横に流し白いうなじが覗いている。通りを歩く男性たちがチラチラと目線を送り、彼女に声をかけたそうに眺めていた。
女は誰かを待っているのだろうか。悩ましげにため息を何度もついている。
カップに入った紅茶が半分ほどになった時、彼女の元へ一人の男性が息を切らして駆け寄ってきた。
「すまないベラ!遅くなった!」
女は声をかけられた瞬間、ぱあっと花が開くように笑顔になって椅子から立ち上がった。笑うと少し幼くなるその顔をみて、男は可愛くて仕方がないといった様子女を抱き寄せ胸元に抱き込んだ。大柄なその男に対し、まるで少女のように小柄な女は彼の胸元にすっぽりと収まってしまう。
「ああ・・僕の可愛いベラ・・君を待たせているかと思うと気が狂いそうだったよ。出る直前に来客があってね、出るのが遅くなってしまった」
「いいのよジェフリー。あなたを想って待つ時間は楽しくてあっという間だわ。会えて嬉しい・・でもちょっと離れて?みんなが見ていて恥ずかしいわ」
恥じらうように俯く彼女に男は目じりを下げながらしぶしぶその手を離した。エスコートするように彼女の手をとり、わざと気障っぽく大仰に振る舞い椅子を引いて女に席を勧める。
女はエスコートされることに慣れていないのか、少しはにかみながら腰を下ろした。女の歳の頃は16、7だろうか。少女のあどけなさと女の艶めかしさが交じり合い、この年頃特有の危うい魅力を醸し出している。
その彼女の左側に座るのは、日に焼けた肌が印象的な盛年の男性。糊のきいたカッターシャツをきっちりと着こんでいるが、厚い胸板が窮屈そうにボタンを押し上げている。大柄で強面の容貌だが、少したれ目がちな目元が人懐っこい印象を与えている。
女を見つめる瞳はどこまでも甘く蕩けるようで、歳の差はあっても恋人同士なのだろうと通りをそぞろ歩く人々は二人を見て思った。
他国では歳の差のある恋人や夫婦は一般的だが、仕事に就く女性が多いこの国では女性の婚期が遅く、あまりにも年若い娘を娶るような真似をするとからかいの対象になってしまうのであまり薦められていない。
通りを歩く人々は、羨望と呆れの入り混じった目でテラスに座る男女を横目で見ながら通り過ぎて行った。そんな眼差しに気づいているのかいないのか分からないが、周りを気にする様子もなく目の前の女だけを熱のこもった瞳で見つめていた。
「ベラ、共もつけずにまた一人で来たのかい?危ないなあ。いくら治安がいいとはいえ、悪い大人はどこにでもいるんだ。お願いだから護衛の者を付けておくれ」
「あら、私はどこでもひとりで行くのよ。父も母も私に興味なんてないから人を割いてくれることもないし護衛をつけるなんてとても無理だわ。それに私家を出て自立するつもりなんだから、町中くらい一人で歩けるようにならなくっちゃ」
女がそういうと男は困ったような微笑を浮かべ、大切そうに彼女の頬を撫でた。
「君はそう言うけれど、本当に家名を捨てる気かい?市井で暮らすのは貴族の君には辛いことが多いだろう。それにご両親がそう簡単に君を手放すとも思えない」
「父と母が大切なのは跡継ぎの兄と可愛い妹だけよ。生意気な私には何の期待もしていないもの。私これでもお料理もお掃除も得意なのよ?市井でだってちゃんと暮らしていけるわ」
女は拗ねたように口をとがらせると歳よりも随分幼くみえる。
男はそれに対し何も言わなかったが、世間知らずな彼女の発言に少しだけ呆れているようにも見えた。貴族として身の回りの全てを世話されてきた娘が市井で生きていくのは容易ではない。現実が見えておらず、おままごと感覚で考えているのだろう。
それに両親が自分に興味がないと女は言うが、手入れの行き届いた艶やかな髪や上質な服を見るだけでも彼女が家の中で大切にされていることが窺える。
家名を捨てて市井で生きるなどというのは親に反発したいこの年頃特有の我儘にすぎないのだが、そう思っても男は彼女を窘めることはなかった。
「君が本気で家を出るというならば僕のところに来ればいい・・。君さえ良ければ・・僕と結婚しよう。貴族の頃のような贅沢な暮らしはさせてやれないかもしれないが、幸い仕事は軌道に乗って順調に利益をあげている。苦労はさせないよ・・」
「ジェフリー、あなたの気持ちを疑う訳ではないけれど、それはもう一度よく考えてからのほうがいいと思うの・・家名を捨てれば私は貴族ではなくなるわ。私と結婚してもあなたに何のメリットも無いのよ?
あなたは大人の男性で・・とても魅力的だわ。もっとほかにいい人がいるんじゃないかしら」
「ベラ・・それは違うよ。むしろこんなおじさんが君のような若く美しい女性をたぶらかしていると世間には思われているよ。君は自分がどれだけ魅力的か自覚していないようだね?僕は君と出会ってからずっと君に夢中なんだ。君に嫌われたくなくて・・いい歳して恥ずかしいのだが君の前では僕は臆病で情けないただの男になりさがってしまう」
「ジェフリー・・」
男は彼女の細く白い指をそっと手に取り口づける。女は真っ赤になって恥ずかしそうに俯いた。
「君さえ良ければ今すぐにでも僕の元に来てほしい。その身ひとつで来てくれればそれでいいんだ。家を捨てるなら何も持ってくる必要はないだろう?」
女は逡巡するように目線を彷徨わせた。家を出る、自立すると口にしたものの、実際それが現実になろうとするとさすがに躊躇いを覚えたようだった。女の迷いを見て男がたたみかけるように話かける。
「会えない時間が不安なんだ・・ご両親はきっと家名を捨てることも僕との結婚もお許しにはならないよ。僕らの事が知れたらご両親はベラをもう二度と僕に会わせないようにするだろう。そして、君を然るべき相手と早々に結婚させてしまうだろうね。
悲観的な考えだと笑うかい?だけどね、僕は平民で貴族相手に商売をしているから貴族の人々がどれだけ選民意識が強いかを嫌と言うほど経験している。
断言してもいいが、こんな平民の商人とベラが恋人どうしだとご両親が知ったら、君の人生の汚点になるから別れるように圧力をかけてくるだろう。そして君が平民と付き合っていた事が社交界で広まらないように手を尽くすはずだ。
今日、既にご両親に知られているかもしれない。そうしたらもう君はそのまま軟禁されてしまうかもしれないね・・だから僕はもう君を家に帰したくないんだ」
女の手を握りながら真剣なまなざしで男は言う。女は迷うように瞳が揺れていたが、男に見つめられ心を決めたのか自分の答えを待つ男に向き直った。
「・・・分かったわ。いつかは家を出るつもりだったんだもの、それが今日になるだけだわ。でも本当に今日は何の準備も無いの。すぐに荷造りをしてくるからほんの少しだけ・・」
「ああ!ベラ!嬉しいよ!準備なんて何も要らないさ、妻のものを揃えるのは夫の役目さ。さあ、まずは僕の家に案内するよ。そのあと必要なものを買いに行こう」
嬉しさが抑えきれないといった風に男は立ち上がり、急かすように女の手を取る。テーブルに乱雑にお金を置いて戸惑う女の細い腰を抱きながら赤レンガの道を歩いて行ってしまった。
二人の話が少し聞こえてしまったカフェの女給は、カップを片づけながらどうにも嫌なものを感じていた。まだ成人もしていなそうな女に家を出るように急かす年上の男が誠実だとはどうしても思えない。
最近若い婦女子が突然行方不明になる事件が起きていると同僚が噂していたな、と嫌な考えが浮かんで落ち着かない気持ちになるが、客の話を聞きかじっただけの女給に何が出来るんだと思ってその女給は先ほどの二人の事を頭の隅に追いやり、その日のうちに忘れてしまった。
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