フラン7
ぱた、ぱた、と暖かい雨が降り注ぐような感覚がして、フランの意識はゆっくりと浮上してきた。
瞼を開くと、大粒の涙を流すミアがフランを覗き込んでいた。
(俺は・・生きているのか?)
臓腑が内側から破壊されていく感触をはっきりと感じたのに、どうして・・・?
その時、フランの身体にぽたり、とミアの涙が落ちた。涙はしゅわっとはじけるように光ってフランの身体に浸透していった。
ぽたり・・・しゅわっ・・。
ぽたり・・・しゅわっ・・。
ぽたり、ぽたりと涙が落ちるたびに身体が治癒魔法をかけられたように癒されていく感覚がする。
これは一体―――?
フランがミアに問いかけようと口を開いたが、血を吐きだすばかりで声を出すことが出来ない。
「ああ・・こんなに血を吐いたらしんじゃう・・ふらん、ふらん、ふらん・・死なないで・・ごめんなさい・・」
ミアが治癒魔法をかけているのだろうか?だが治癒が可能な傷ではなかったはずだ。内臓が突き破られる感触が今でもはっきり残っている。それともこれは死の微睡が見せる幻なのだろうか。
ボロボロととめどなく涙を流すミアに声をかけてやりたかったが、喉に血がからんで言葉にならない。
見るとミアの腕からもおびただしい血が流れていた。肉がえぐれて酷い状態だった。
(口元に血が・・自分で噛み千切ったのだろうか・・?)
フランの目線で気が付いたのか、ミアは自分の腕とフランを交互に見て言った。
「ふっ・・フランが・・ちをはいて・・なんとかしなきゃっておもったのに・・魔力がとまらなくって・・じぶんでうでをかんだの。いたみは、ぼうそうを止めるのにゆうこうだってフェラーさまがいっていたから・・」
大丈夫、という風にミアは何度もフランに頷いてみせる。
細い腕からはとめどなく血が流れている。
自分の意識を取り戻すために、こんなになるまで噛んだのか。小さな子どもが耐えられるような痛みではないだろうに、フランが心配しないように気遣い、彼のために涙を流している。
その様子が痛ましくて、愛おしくて、フランは震える手でミアの腕を取った。
痛々しいその傷に口付けて、舌を這わせる。もう治癒魔法をかけるだけの力は残っていないが、流れるままの血をどうにか止めてやりたかった。何度も何度も、舌で血を拭う。
ミアの血の味が口に広がる。鉄の味がすると思ったが、不思議と花の蜜を舐めているような甘さを感じた。
死を前にして、味覚もおかしくなっているのだろうか?こんな幻なら死ぬのも悪くない。
そんな事を思いながら、口内に溜まった血をゴクリ、と飲み下すと不思議な事が起こった。
(え?光ってる・・?)
フランの身体が白い光を放ち始めた。さっきのミアと同じような白い輝きをうっすらと放っている。
(ミアちゃんの、魔力だ・・・)
魔力譲渡をし合った時に感じたような心地よさが駆け巡る。身体の隅々にまで、ミアの魔力が浸透していくのが感じられ、次の瞬間、快感が雷のように全身を突き抜けた。
「ああっ・・・ああああああっ・・うわあ!」
パァーン!と身体から光が弾けて、驚きと衝撃でフランが叫んで飛び起きた。
「は・・?あ、あれ?なんだこれ?」
起きあがることが出来るような状態ではなかったはずだったのに、気が付けば吐血は治まり痛みは消えていた。
ミアが何かしたのかと思い彼女を見ると、ミアも驚いたように目を丸くしていた。
「これ・・ミアちゃんの魔法?こんなの聞いたこと無い・・」
「わ、わたしなにもしていないよ・・・ちゆまほうはできないし・・」
思えば、即死してもおかしくない状態だったはずなのに意識が戻ったのも奇跡に近い。
(そうだ、ミアちゃんの涙が俺の身体に落ちるたび、魔力がしみ込んで痛みを和らげてくれた。そしてミアちゃんの傷を舐めた後、急に体が光って―――
じゃあ俺の傷が治ったのは・・・)
「・・・ミアちゃんの血を飲んだから?」
そんな事があるわけない。人の血が傷を癒すなんて聞いたこともない。だが、ミアなら有りえるのかもしれない。ミアはこの世で唯一のドラゴンになる稀血を持っている。エリックが持っていたミアに関する報告書にもこのことは書いていなかった。まだ魔術師達には知られていない事実なのかもしれない。
色々な事が頭を駆け巡るが、今はそんな事どうでも良かった。フランは生きていて、ミアは竜化することなく暴走は収まった。ということは、これからも二人は一緒に居られるということだ。
「ミアちゃん・・良かった・・ごめん、俺が馬鹿で、考えが足りなかったばっかりに、ミアちゃんを傷つけた・・」
フランはミアを抱きしめながら涙を流す。ミアも泣きながらフランを抱き返した。
「ふらん・・ふらん・・生きていてよかった・・」
「ミアちゃんが助けてくれたんだよ。ホラ、俺の中からミアちゃんの魔力が感じる・・俺の壊れた身体をミアちゃんが再生してくれたんだ。俺の細胞の隅々にまでミアちゃんの血が浸透したんだ。ねえホラ、俺の身体から自分を感じるでしょ・・」
ミアとフランはそうやって抱き合いながらお互いの魔力を交換する。何度も、無事を確認するように二人の魔力を混ぜあう。何度も何度も。
日が暮れて、帰ってこない二人を心配したエリックが迎えに来るまで、二人はずっとそうして抱き合っていた。
***
森で起きた事をフランは洗いざらいエリックに喋るはめになった。
服はぼろぼろだし、二人とも泣き腫らした目をして抱き合っていたのだから何か起きたのは一目瞭然だっただろう。
口を閉ざしてもどうせ魔術で自白させられるだろうから、黙っていても無駄だろうと諦めて素直にエリックに全てを話した。
致死傷のフランをミアの血が癒したという内容には最初エリックは懐疑的だった。フランが混乱していただけで、傷はたいしたことはなく、ミアが無意識に治癒魔法を使ったのでないかとエリックは言った。
「じゃあ父さん、俺の魔力を感じてみてください。もう以前のものと違うはず、俺の中にミアちゃんが混ざっているから」
そう言われたエリックがフランの魔力を診ると、確かにフランの中からミアの気配がする。相手の血肉を摂取したとてその魔力を得ることなど有りえない。魔力譲渡をしたとしてもこのように身体に交じり合うことなど前例がない。
「まさかそんなことが・・ドラゴンの稀血が出来る奇跡なのか?」
「体感した俺が言うんだから本当です。ミアちゃんは致死の怪我をも癒せる奇跡の存在です。
前任の魔術師達に危険な生き物だと言われて酷い扱いを受けていましたが、この事実を王家に報告すれば、こんな重要な事実にも気づかずにずっとミアちゃんを虐待してきた彼らは必ずその責を問われるでしょう?
父さん、早く報告をまとめてください。この事実だけでミアちゃんの待遇を変えることが出来るでしょう?」
フランは勢い込んでエリックに迫る。魔力の制御法の確立などと時間のかかる方法を取らなくともこの事実だけで十分だろう。だが興奮するフランとは違い、エリックは難しい顔をして何か考え込んでいた。やがてゆっくりと口を開くと、フランの肩を掴んで厳しい目をしながらこう言った。
「フラン、この件に関しては私に全て預けてくれ。私が検証してから王家に報告する内容も私が決める。私の指示があるまでこの件は絶対に口外しないでくれ。お前が勝手にミア君を竜化させようとしたことも含めてな」
そんな悠長なとフランは思ったが、父の言葉を無視して勝手にミアの魔力を解放させミアを危険にさらした負い目があるので強く反論することが出来ない。しぶしぶ頷くと、エリックが『絶対だ』と念を押してきた。
フランは、ミアとの接触を禁止されなかったものの、もう二人きりになることはいけないとエリックに厳命された。完全に信用を失ってしまったがこの程度で済ませてくれた父に素直に感謝した。
そこにフランの母に手当を受けていたミアが二人の居る部屋に入って来た。腕にあったはずの怪我はもう跡形もなく治っている。治癒魔法によるものかと母を見たが、母はゆるゆると首を振った。
「わたしが診たときには傷はほとんど治っていましたよ。一応治癒魔法をかけましたが、わたしの魔力は彼女と相性が合わないようで・・」
結局魔法は効かなかったのだが、せめて包帯でもと準備をしている間に傷は綺麗に治ってしまったそうだ。エリックが驚いてミアの腕を取る。
「み、ミア君。君の治癒能力はいつもこれほど高いのかい?」
「はい、エリックさま。いつもどんなケガをしてもこれぐらいのはやさでなおります。だから・・フェラーさまはやっぱりおまえはヒトじゃないっておっしゃって・・」
「えっ?彼は知っている事なのか?だが報告書には・・・・・イヤそれより、君はこれまでどれほど怪我を負ってきたんだ?さきほどの傷も、私が最初に見た時は肉がえぐれて酷い状態だったが君はほとんど頓着していなかったね。ひょっとしてあれくらいの怪我は君にとって日常茶飯事だったりするのかい?」
「はい、せいぎょがうまくいかなかったときの罰はあれよりもいたいので、あれくらいはどうってことありません。どうせすぐなおりますし・・」
ミアが事もなげにそう答えるのを聞いてエリックは頭を抱えた。そばで聞いていたフランも改めて前任の魔術師達に怒りがわいた。ミアに体罰が加えられていることは報告書を読んで知っていたが、せいぜい拘束具が使われたり教鞭で叩いたりとその程度の記述しかない。竜化して危険な場合においてのみ止むを得ずミアが気を失うように攻撃したとあったが、それはミアの発言と矛盾する。
ミアの治癒能力が報告書では全く言及されていないこともおかしい。
「フェラー氏が意図的に隠しているということですか?」