リリアナ2
そして親を失い行き場をなくしたリリアナを娼館の主人は国外から来た商人に売り飛ばした。結局薬代のツケは払いきれないままだったので、それを全て清算してもらう代わりにリリアナは自身の身売りを了承した。
人身売買は国で禁止されているため、商人の男は孤児となった彼女を養子として引き取ったという体を取った形だが、どうせ禄でもない使い道をされるであろうことは子どものリリアナにも予想がついた。
商人が経営する商会には二つの顔があり、表向きは輸入品を扱うまっとうな店だが、非合法の物を秘密裏に国内外に売りさばく裏の顔を持っていた。
商人の屋敷に連れてこられたリリアナはこの商会の相談役となっている一人の男の元へ連れて行かれた。この男は、以前は魔法師団に所属していた貴族だったが、他国の間諜と通じていて機密情報を漏えいさせたとして、身分剥奪の上魔力を封じられて国外追放となっていた人物だった。
男は師団に居た頃の知識を生かして、憲兵団の目を誤魔化して違法品を流通させる仕事を担っており、リリアナもまたその商品のひとつとして彼に引き渡された。
男は下男に命じ彼女を裸にすると品物のように体中を点検した。
「がりがりだが見た目は悪くない。少女趣味の貴族から見目の良い子はいないかと問い合わせが来ている。もう少し太らせたら売れるだろう」
商人の男とリリアナの販売先を相談している声をリリアナはぼんやりと聞いていた。恐らくどこかの変態にでも売られていくのだろう。世の中には大人の女性でなく小さな子どもに劣情を抱く変態が少なからず存在するんだと以前娼館の姐さんに教えてもらった事がある。
お金のある奴は、こんな人の道に外れた欲望でも思い通りに出来るんだよね・・・。
アバラの浮いた自分の身体を見下ろし、床に落ちている自分の脱がされた服を見る。
あの服もあちこちつぎはぎだらけで、自分と同じくとてもみすぼらしくて汚らしい。でも母がリリアナの服はできるだけ綺麗な柄のハギレで繕ってくれた。
新しいのをかってやれなくてごめんね、と母が言うたびリリアナは『そんなことないよ!この柄のパッチワークとっても可愛いもん!おかあさんが繕ってくれた服、リリは大好きだよ!』と言ったが、母はそれを聞くたび悲しそうな顔をしていた。
町で見るような可愛い服をいつか買ってやりたいと言って必死に働いていたが、それが叶うことはなかった。
死ぬほど働いて働いて働いて・・・それでも一度底辺に落ちてしまえばどれだけ努力しても這い上がる事ができない世の中。
善良に真面目に一生懸命生きたところで、所詮は無駄。
美しく、優しく、善良であった母。
だが何も報われなかった、幸運も訪れなかった。
まっとうに生きたところで、幸せになんてなれない。
だったら私は母と真逆の人間になってやる。
貴族の男が、世間が、運命が、母から不当に奪っていったもの全てを、私は必ずこの手で取り返してやる。
そう決意すると腹の底から湧き上がってくる怒りとともに、今まで潜んでいたリリアナの魔力が怒りと共に体外にあふれ出してきて彼女の身体から陽炎のように立ち上った。
リリアナが生まれて初めて魔力を発現させた瞬間だった。
身体を包んだ魔力は、リリアナを押さえていた下男の手を焼き、男は叫び声をあげ慌てて手を離した。
商人と下男は何が起きたか分からず呆然としていたが、師団員崩れの男だけが何が起きたかに気がついた。
「お前・・魔力持ちか・・?信じられん、貴族の隠し子か?まさか魔力持ちの孤児が手に入るとは・・とんでもない幸運だ。おい、コイツは俺が買う。異論は認めんぞ、どっちにしろ魔力持ちなんて普通の人間には手に負えないだろうしな」
やった、やったぞ、と興奮を隠せない様子の男を見てどうやら思ってもみなかった事態になっているとリリアナは気づいた。この国の住民ならば魔力の存在はもちろん知っているが、平民であるリリアナには縁のない話で魔法をその目で見た事もなく、魔術師に会ったことすらない。
突然自分が魔力持ちと言われ混乱したが、すぐにこれはとんでもない運をつかんだのだと理解した。
商人の男はしばらくごねていたが、外国から来た魔力に縁のない商人に使いこなせるわけがないと師団崩れの男に説得されていた。
男はリリアナの手を掴むとこう言った。
「孤児だったお前はどうせ禄でもない目に遭ってきたんだろう?魔術が使えるようになればお前を捨てた貴族にも復讐してやれるぞ?力が手に入ればお前を虐げてきた奴らみんなを跪かせる事だって出来るんだ。
俺に従え、そうすれば魔力の使い方をお前に教えてやる」
リリアナに否やはなかった。禄でもない運命に抗う力が手に入るなんて思ってもみなかった。人買いをするような腐った男だが、力をくれるならばなんでもすると彼女は誓った。
魔法師団にいた男は戦闘で使えるような攻撃魔法に長けていたが、男の教え方はとても指導と呼べるようなものではなかった。
術式を覚えきれなかったり間違えたりすればリリアナが気を失うまで殴り続けた。
複雑な術は一朝一夕に会得できるものではなかったが、出来るようにならなければキツイ仕置きが待っている。それになにより使える人間にならなければ未来はないと自分で分かっていたリリアナは、血を吐くような思いで鍛錬に励んだ。
男はリリアナを魔力持ちとして大事にしている一方、自分が封じられた魔力を持つ彼女に嫉妬のような憎しみを向けることが度々あった。
男は国外追放される前に、その魔力持ちの血を国外に流出させないように去勢されているため女とまぐわうことが出来ない。にもかかわらず男はリリアナを性的にいたぶる事を好んだ。
人間の尊厳をぐりぐりと踏みにじられるようなその行為は、男とリリアナの上下関係を絶対的なものにするのに非常に有効だったと言わざるを得ない。
リリアナは精神的にも肉体的にも男に絶対服従を叩きこまれ、男の道具として仕立てられていった。
リリアナが魔法を使えるようになると男は自分の仕事を手伝うように言ってきた。違法な品を運ぶのにも魔法を使えば格段に仕事は楽になる。検問や取締りをする憲兵は魔力のない普通の人間なので、見破られることはない。
扱う商品はだんだん違法性が高いものとなり、検閲の厳しい違法薬物などもリリアナの魔法で簡単に運ぶことができるようになったため、かろうじて体裁を整えておこなっていた人身売買も大胆になりこれまで身寄りのない人だけだったが顧客の要望に応じ見合った人を誘拐するようになっていた。
誘拐されて泣きじゃくる女性達を見ていると罪悪感で押しつぶされそうだったが、そんなものはすぐに慣れた。
リリアナの母とて何の落ち度もないのに犯され奪われそして死んでいった。目を付けられた女性達も所詮は運がなかったのだ。
リリアナは自分が今まで奪われる側であったのに、いまでは奪う側にいるのだと、彼女達を見て安心する自分に気づき吐き気がした。それでも自分が上の立場に居る事に喜びを覚えた。
だがあまりにも手を広げ過ぎた商会は憲兵団から目を付けられることになり、ある日前触れもなく家宅捜索に踏み込まれた。
すぐに人身売買と違法薬物の取り扱いの証拠を押さえられ、商人の男が憲兵団に拘束された。
師団崩れの男と共に屋敷にいたリリアナの元にも憲兵団が検挙に現れ、慌てた男は隣国に逃亡すると言い、リリアナだけを連れて逃げ出した。
荷物も逃亡資金もほとんど持たないまま、国境を超えるため男とリリアナは森へと逃げ込んだ。
「ほかの国は、この国の魔法の力を欲しがっているんだ。魔力持ちのお前がいればどこへだって亡命できる!子をたくさん産めばまた魔力持ちが産まれるかもしれない。数を増やせばいつかこの国に一矢報いてやる事だって出来るんだ!」
リリアナの手を引きながら男は、自分を破滅させたこの国に復讐をしたいが為に舞い戻ったのだと言った。リリアナを武器にこの国を崩壊させたいと、だからリリアナに子をたくさん産めと熱っぽく語った。
魔力持ちの子が産まれれば更に戦力は倍になる、10人も産めば一人くらい当たりが出るだろうと。
子ども?私が産む?
自分を身売りすることには同意したが、いつか産むであろう子までを売ると約束した覚えはない。当たりとはなんだ?じゃあもし魔力持ちでなければその子は要らないと捨てるのか?
興奮気味に自身の野望を語る男を見てリリアナは鳥肌が立った。これまで男に逆らおうと思ったことなどなかったが、男に対し急激に嫌悪感が湧きあがり、気が付けばその手を振り払っていた。
「・・・嫌」
「なんだ?追い付かれるだろうが、早くしろ」
男がイライラしたようにリリアナの手を取る。腕を掴まれたままリリアナは魔力を解放して叫んだ。
「―――嫌だって言ってんのよ!!!」
リリアナは習った攻撃魔法で男を吹き飛ばす。男は地面に倒れこんだが、すぐに立ち上り逃げようとしたリリアナの首を掴んだ。
「貴様ぁ!俺に逆らえると思っているのか!俺が見出してやらなきゃお前なんぞ今頃奴隷以下の生活をしていたはずだぞ!恩をわすれて裏切るなら殺してやる!」
従順だった道具が攻撃してきたことに男は激昂してリリアナの首をギリギリと締め上げた。反撃しなければとリリアナはもがいたが、苦しさで思考がまとまらず術を出すことができない。ああ、死んでしまう、と思ったその時、先ほどの攻撃魔法の音で追っ手の憲兵が駆け付けてきた。
男は憲兵の姿が見えると『チッ』と舌打ちをしてリリアナを蹴り飛ばして逃げて行った。
リリアナはぜいぜいと喘いでいると、憲兵の一人が助け起こしてくれた。
「先ほどの・・あれは魔法じゃないのか?あれは君がやったのか?」
問いただされたが、リリアナは恐怖で口がきけないふりをして何も語らなかった。しかし憲兵に保護されすぐに魔術師団のもとへ連れて行かれ魔力鑑定をされて魔力持ちであるとバレてしまった。
犯罪者の元で飼われていた子どもに魔力があると分かって直ちに魔法師団および宮廷魔術師のトップまでも呼び出され大騒ぎになった。
平民に魔力持ちが現れることはない話ではないが、それは魔力持ちの血筋である貴族の落とし子であるという事に他ならない。だが孤児で人身売買された子どもが魔力持ち、というかつてない出来事に王族から貴族まですべての魔力持ちの人間に聞き取り調査が行われた。
リリアナは多くを語らなかったが、どうやって聞き込んだのか母の出身地がすぐに特定され、その領主である貴族が事情を聞かれるためリリアナの居る憲兵団の詰所に連れてこられた。
最初、何も知らされずその貴族の元へ連れて行かれたが、一目みて『ああ、これが父親か』とすぐに分かった。
リリアナの母は美しい金色の髪をしていた。キラキラと光りに透けて輝く母の髪を見るたび、幼いリリアナは、どうして私は母に似なかったのだろうと悔しく思ったものだ。
目の前に佇む貴族の男は、悔しいくらいリリアナに似ていた。茶色で柔らかいクセ毛も、気の強そうな大きな瞳も、薄い唇も何もかもがそっくりだった。男もすぐにそれに気が付いたらしくリリアナの顔をみて目を見開いていた。
何か恨み言のひとつでも言ってやらなくちゃ、と思うが口がカラカラに乾いて言葉が出てこない。男は彼女を見つめると涙を浮かべ目線を合わせるようにしゃがんだ。
「今まですまなかった・・君という子どもが産まれていたなんて知らなかったんだ。君にも、君のお母さんにも苦労をさせてしまって・・お母さんは亡くなったんだってね、謝って済むことではないが、これから少しでも償いをさせて欲しい。だから・・君を娘と呼ぶ許可を私にくれないか?」
青黒い母の死に顔が瞼の裏に浮かぶ。この男の手を取ったら母を裏切る事になる。憎まなくてはいけない、母を死に追いやった男を許してはいけないと、頭の中で誰かが叫ぶ。
だが、憎んでいた恨んでいたお前のせいだと言ってやろうと開いた口からは、嗚咽しか出なかった。この世で一番憎い男のはずなのに、確かな血のつながりを見て、父に抱きしめられたいと思ってしまう。愛してもらいたいと思ってしまう。役に立つ道具としてではなく、家族として無条件に母のように愛してくれる人が欲しかった。
泣きじゃくるリリアナを父はそっと抱き寄せた。
その腕を拒むことは出来なかった。