リリアナ1
リリアナ視点のお話です。
彼女の苦しい半生のお話で、かなり辛い内容になっています。
いちおう、観覧注意でお願いします。
世の中は不公平だ。
娼館の下女として働く母の背中を見ながら、幼いリリアナは世界を呪った。
以前は町の食堂で給仕として働いていた母だったが、たちの悪い病にかかり長く寝付いてしまって辞めざるを得なくなってしまった。半年ほどでようやく寛解したが、美しかった母の顔には酷い痕が残り、二目と見られない姿になってしまった。
病気もちだと言われ、まともな職場では軒並み門前払いにされる。なんとか娼館の下女として雇ってもらえる事が出来たが、給金は少なく生活は常に困窮していた。
リリアナも小遣い稼ぎに娼館で小間使いのような仕事を貰い、生活の足しにしていた。
娼館というところは、女の地獄だろう。最下層に放り込まれた哀れな女を上位の男達が金でむさぼっていく。リリアナの母はその地獄の更に下でもがいているような最下層の人間だ。
きらびやかな娼館の表側と汚れた裏側を見てリリアナは子ども時代を過ごした。
***
リリアナの母はとある地方の農家の娘だった。美しく心優しい娘であった彼女は、村の誰からも愛され、いずれ村の誰かと結婚し平凡ながらも幸せな家庭を築いていくのだろうと誰もが思っていた。
だがある時、その土地の領主である貴族が領地に訪れた際リリアナの母の美貌に目を奪われ、嫌がる彼女を無理やり手籠めにした。
貴族からすれば領地視察に来たついでの単なるお遊びだったのかもしれないが、狭い村では噂はすぐに駆け巡る。村で結婚など到底不可能になり、領主のお手付きだとして村中の人間から謗られることになった。
母の両親は、娘を恥知らずだと罵り家から出ていくように言った。たとえ娘に非がなくとも男尊女卑の意識が強いこの村では、婚姻もせず男に体を許したと女が責められる風潮があった。
わずかなお金と荷物だけ持ちリリアナの母は故郷を追い出されたが、村を出てすぐ母は自分が身籠っている事に気が付く。
勝手に膨れていく腹を抱え、彼女は町を転々とし、月が満ちるとたった独りで赤子を産み落とした。
産まれた赤子は色白の可愛い女の子で、母は彼女をリリアナ(百合)と名付けた。
自分を犯した憎い男の子供ではあるにも関わらず、母は産まれてきたリリアナを慈しみ愛情を持って育てた。
赤子の彼女を背負いながら食堂で働きリリアナを育てた。美しく働き者の母は食堂に通う男達に口説かれることも多かったが『リリアナと二人で暮らしていきたいの』と言い決して誘いに乗ることはなかった。
振られた男達は諦めきれない様子だったが、仲の良い母子の間には入れないと、みんな温かく見守っていた。
リリアナは美しく優しい母が大好きだった。いつも働き詰めでリリアナとゆっくり遊ぶ時間などとれなかったが、食堂で楽しそうに働く母を見ているだけで楽しかった。食堂の隅で賄いを食べさせてもらいながら母を見ていると、しょっちゅうリリアナのほうを振り返って小さく手を振ってくれる。その瞬間の母のいたずらっぽい笑顔を見るのが、なによりも好きだった。
頼る者もなく、母一人子一人の生活。生活は決して楽ではなかったが、リリアナの母は『愛する娘が居て、元気に働ける丈夫な体があって、毎日食べていける。それだけで十分幸せなのよ』と言っていつも幸せそうに微笑んでいた。
働き者の母はどんな仕事でも骨惜しみなく働き、女手ひとつで必死にリリアナを育ててきた。
だが、その努力が報われることはなかった。
ある日仕事から帰った母が、突然嘔吐して倒れこみそのまま生死の境を彷徨った。医者に診てもらっても病の原因は分からず、リリアナはどうする事も出来ずにただ苦しむ母のそばについているしかできなかった。
わずかながらに貯めてあったお金は、病で寝込んでいる間に費えた。生きていくだけで精一杯のような日々が続き、リリアナは食堂の残り物を貰って食いつなぎ、近所の人達の助けも借りて必死に母の看病をした。
二月ほどで母はようやく起き上がれるようになったが、病の後遺症なのか、美しかった母の顔は醜く爛れ、右足には軽い麻痺が残った。
そんな母の姿を見てリリアナは泣きじゃくったが、母は笑ってこう言った。
『命が助かっただけでも有難いわ。ホラ、こうしてまたリリアナを抱きしめる事が出来るんですもの・・』
幸せよ、と言いながら母はリリアナを抱きしめた。
動けるようになると母はすぐ仕事を探しに出たが、母の爛れた顔を見るだけで門前払いにされてしまう。以前の伝手を頼って仕事を紹介してもらおうとしたが、仲の良かった人たちも母の容姿を見ると、病気がうつると困るからと言って皆そそくさと逃げて行ってしまった。
やっと見つかった仕事は娼館での下女の仕事。それも娼館の主人のお情けで雇ってもらったようなもので、給金は最低限にしかもらえなかった。
生活は日に日に困窮し、リリアナも雑用をこなし小遣いをもらって生活を助けたが、寝付いていた頃の薬代のツケなどが重くのしかかり働いても働いても生活は楽にならないままだった。
母は決して弱音を吐かなかったが、同じ年の頃の子のように可愛い服を買ってやる事も、甘い菓子を食べさせてやる事も出来ない自分の不甲斐なさを嘆いて、時々リリアナを抱きしめながら『ごめんね』と言って泣いた。
貧困から抜け出したいと、リリアナに人並みの生活をさせてやりたいと言い、母は必死に努力し続けたが、長年の無理が祟ったのか、母はリリアナが7歳の時に擦り切れるようにして亡くなった。
まともな葬式を出す余裕もなく、墓標をつくることも出来ず、土を盛っただけの母の墓の前でリリアナはたったひとりで泣いた。
世の中は、なんと不公平なのだろうと。
己を犯した貴族を、蔑んだ村の人々を、家を追い出した親を恨むこともなく、自分の不運を嘆くこともなく、どこまでも善良に真面目にただひたすら一生懸命に働き生きてきた母。
だが結局なにひとつ報われることなく誰に顧みられることなく命をすり減らして死んでいった。
誰にも惜しまれることなく、弔いに訪れる者もいない。母が残したものと言えば自分をこの地獄に突き落とすきっかけを作った男の子供であるリリアナだけだ。
「いっそ、私を憎んで罵って、捨ててくれたら良かったのに・・・」
私がいなければもっと楽に生きられたはずだ。美しかった母を見初める人もたくさんいた。リリアナが居なければ、あの中の誰かと幸せな結婚をしていたかもしれない。
何故母は私を愛したのだろうか?産まなければ、こんな私など捨ててしまえば、母一人であればこれほどまでに苦しい人生じゃなかったはすだ。
幸せを奪われ続けた母が、生きた意味とはなんだったのだろうか。
リリアナは土饅頭にすがりながらただひらすら、泣いた。