第七話 俺はユキさんの大きな瞳をじっと見つめた
「ヒコザよ、妾たちの身分はくれぐれも内密にな」
姫殿下が去り際に俺にこう耳打ちしてきた。ということはユキさんの身分も内緒ってことか。キミエさんとクミ先輩はまだいいとして、やっぱり心配なのはケイ先輩である。
ユキさんは俺にとっては超がつくほどの美少女だが、それはつまりこっちの世界では超ブサイクということだ。そんな人をあのケイ先輩がまともに扱うとは思えない。
ユキさんが貴族だということが分かればさすがにぞんざいにあしらうことはないだろうが、姫殿下から身分を明かすなと言われてしまった以上はそれも叶わない。無礼討ちになるような対応をしなければいいのだが。
「それでは妾は行くからな」
「え? まさかお一人で?」
「そんなわけなかろう。護衛は大勢おるわ」
どうやら姫殿下はユキさんと二人で行動していただけで、いわゆる私服の護衛がちゃんと付いていたらしい。そりゃそうか。姫殿下はまるで関係のない他人のような顔で、さっさとユキさんを置いて行ってしまった。
「あのヒコザ君、そちらの方は?」
倒れたままの酔っ払いを踏みつけて立ち去る、水色のミニ浴衣姿の姫殿下を不思議そうな表情で見送りつつも、キミエさんがユキさんに軽く会釈してから尋ねてきた。
当然といえば当然だがキミエさんは客商売をしているだけあって、知らない相手でも対応にそつがない。クミ先輩もわりと気さくなので、キミエさんと同じようにユキさんに会釈していた。
ところが一方のケイ先輩は案の定というか何というか、あからさまにユキさんに見下すような視線を向けている。
「えっと、こちらの方はタノク……ユキさん。実は俺を助けてくれたんだよ」
「この子が? また、ヒコザったら冗談ばっかり」
ケイ先輩は鼻で笑ってから、嫌悪感丸出しで遠慮のない視線をユキさんに向けた。だからそういうことするのやめて下さいって。下手したら全員無礼討ちですよ。
「そんなことより早くお祭りに行きましょ」
「あ、うん、えっとユキさんも一緒でいいかな」
いいも悪いも姫殿下の命令なのだから、断られたら逆に俺がキミエさんたちと別行動することになる。ま、それならそれで俺は構わないが、せっかく誘ってくれたキミエさんに悪いからな。あれ、そう言えば俺を誘おうって言ったのはケイ先輩だっけ。しかしやっぱり高飛車なケイ先輩は苦手だ。
「あの、ヒコザさん、私はやっぱり……」
ところがユキさんは、ケイ先輩に気付かれない程度の小声で同行を辞退しようと耳打ちしてきた。
「ユキ様、姫殿下のご命令ですよ」
「う……うぅ……」
「ちょっとヒコザ、何このブサイク女とコソコソ話してるのよ!」
そこへケイ先輩が割り込んできた。
「ブサイク女って……ケイ先輩、いくら何でも俺の恩人に向かってそれは失礼ですよ」
そしてあの世に最短距離でワープすることになりますから、暴言はやめて下さいってば。
俺は怒りにうち震えているであろうユキさんに目を向けたが、当のユキさんはうつむいて泣きそうになっていた。これはある意味怒っているよりマズい状況かも知れない。
「それもそうね、私のヒコザを助けてくれたことには礼を言うわ。これで文句ないでしょ。さ、私たちの邪魔だからさっさと行ってちょうだい」
「ケイ、やめなさいって。いいよ、ヒコザ君を助けてくれたんでしょ? ならご一緒しましょ」
さすがキミエさんだ。クミ先輩も頷いているので、苦虫をかみつぶしたような顔をしながらもケイ先輩は同意せざるを得ないだろう。これでどうにかユキさんも仲間に入れてもらえそうだ。
「で、でも私なんか……」
にも関わらずユキさんは下を向いたままで元気がない。ケイ先輩が思いっきりブサイク呼ばわりしてたしな。同じ女子からそんなことを言われたら、ショックなことこの上ないだろう。俺はケイ先輩を押しのけてユキさんの隣に行き、そっと声をかけて慰めることにした。
「ユキ様、あなたはブサイクなんかじゃありませんよ。少なくとも俺……私にとっては今まで会った女性の中で一番可愛いと思っています」
「ヒコザさん、ありがとう。嘘でもそう言って頂けると嬉しいです……」
「嘘だなんて、そんなことありませんから」
俺としては本心を口にしているつもりなんだけど。
「優しい方なんですね。こんなにブサイクな私を慰めてくれるなんて。でもお連れの三人は皆美しい方ばかりですし、そこに並んでしまっては私が惨めになるだけです。殿下には私からお話ししますので、ヒコザさんはお連れの方たちとお祭りを楽しんできて下さい」
「いえ、それはダメです。私はユキ様と祭りを楽しみたいんです」
「ヒコザさん……」
「ヒコザ、何コソコソ話してるのよ。ほら、行くわよ」
そこへまたケイ先輩が割り込んでくる。この先輩の傍若無人ぶりにはほとほと参るよ。
「ケイ先輩、すみません。すぐに追いかけますのでキミエさんたちと先に行っててもらえませんか?」
「え? どうして私がヒコザと離れて行かなきゃいけないのよ」
「と、とりあえずユキさんにちゃんとお礼言いたいですし」
俺はケイ先輩に分からないように、キミエさんとクミ先輩に目配せする。とにかく今の俺はユキさんを慰めることしか頭にないのだ。
「ヒコザさん、私は……」
「ヒコザ君、それじゃ会えなかったらチュウタ君のお店の近くで待ってるから来てね。ほらケイ、あんまりイジワルしてるとヒコザ君に嫌われちゃうよ」
ユキさんが申し訳なさそうにしているのを見かねたのか、キミエさんがケイ先輩を引っ張ってくれた。キミエさん、あなたは本当にいい人だ。今度豆腐を余計に買うからね。
「わ、分かったわよ。ヒコザ、早く来なさいよね!」
ケイ先輩は恨めしそうにユキさんを一瞥すると、キミエさんに引きずられるようにして立ち去って行った。やれやれ、これでやっとユキさんとゆっくり話が出来るよ。
「ユキさん……ユキ様、知らないこととは言え、先輩たちの無礼をどうかお許し下さい」
「ヒコザさん……無礼だなんてそんな……私の方こそあんなきれいな方たちとの楽しい時間を邪魔してしまってごめんなさい」
「何をおっしゃるのですか。ユキ様は私の命の恩人でもあります。それにさっき私が申し上げたこと、あれは本心ですから」
「え?」
多分ユキさんは俺の言葉を思い出したんだと思う。急に赤くなってもじもじし始めた。
「あ、あの……さっきの言葉って……」
「もう一度、申し上げた方がよろしいですか?」
「え? あ、え?」
ユキさん、本当に可愛い。耳まで赤く染めて、二重まぶたに長いまつげの大きな瞳を、ことさらに大きく見開いて焦った表情になっていた。
「も、もう! ヒコザさん、意地悪しないで下さい!」
ほらやっぱり、思い出していたんですよね。
「意地悪しているつもりはありませんよ。本当に本心なんですから」
俺は言いながら、ユキさんの大きな瞳をじっと見つめた。
そんな状況だったから、通りの向こうからこちらを見つめる視線があることに、俺もユキさんも気付くことはなかった。




