第四話 勉強で分からないところがあるんです
「名前はコムロ・ヒコザ、現在十六歳で準貴族です」
タケダ王国王城の玉座の間で、ヤシチは命じられた任務の報告を行っていた。そこに王の姿はなく、代わりにタケダ・イチノジョウとツチヤ・マサツグが彼の話を興味深げに聞いている。
「準貴族? 騎士か?」
「つい最近名誉叙勲を受けたらしく、オオクボ国王直属の騎士とのことでございます。実家はオーガライトを豊富に産出する国内でも随一の山持ちのようです」
「ほう、それはまた興味深いな。しかし攫うには少々しがらみも多いか」
「殿下、それでは堂々と招待してはいかがでしょう。私によき考えがございます」
「申してみよ」
「ササ殿下……トラノスケ殿下の所業を詫びるということでよいかと。本来ならばこちらから出向くべきところ、殿下は戴冠式を控えた大事な身ゆえ国外に出ることは叶わず。かと言って詫びねばならぬのはこちらですからあちらの高官を呼びつけるわけにはまいりますまい。またいくら山主とは言え一介の平民をこの城に招くのは少々問題がございます。であれば、準貴族となったその山持ちの倅を招くのが極めて妥当であり、且つあちらも断る理由はないのではないかと存じます」
「うむ、招いてしまえばこちらのものか。よし、すぐに親書をしたためるとしよう。伝令は任せたぞ、ヤシチ」
「はっ!」
それからほどなくしてイチノジョウの親書を携えたヤシチは、三度オオクボ王国へ向けて旅立っていった。
「オダ帝国の動きがおかしい、ですか?」
俺はタノクラ男爵閣下に呼ばれて、お城の食堂で夕餉の席にいた。位置関係は長テーブルの長辺の近い場所で向かい合わせである。以前のように短辺同士の、いわゆる上下関係をはっきりと意識させるような距離感はない。そして閣下の隣には奥方のチカコさん、俺の隣にはユキさんが同席している。それを取り囲むようにアカネさんやカシワバラさん、それにサトさんも加えたメイドさんたち全員が控えているという感じだ。
「うむ。目下のところタケダはオダとの国境を封鎖しているということだ。我が国とは相変わらず友好な関係を保っているようだが、どうやらこれは表向きの動きと睨んでいるらしい」
「睨んでいるらしい? 誰がですか?」
「陛下だよ。詳細はお話しにならなかったが、陛下はタケダに何かあったとお考えのようだ」
「何か、とは?」
「そこまでは私にも分からん。だが陛下は確信を持たれているようでな」
タノクラ家の食事はいつもながら本当に美味いと思う。最初に呼ばれた時には色々と失態をやらかしてしまったが、今では味を楽しみながら閣下と普通に会話する余裕すら生まれている。さすがにチカコさんとはまだまともに目を合わせることは出来ないが、おそらく向こうは何も気にしていないのだろう。俺と閣下の会話をにこやかな表情で楽しんでいる雰囲気さえ窺えるからだ。もちろん、酒はあれ以来固辞している。
「あんまり穏やかではなさそうですね」
「国境の封鎖は事実上の戦争状態と変わらんからな。自国の民でさえオダ方からの入国は禁止されているようだ」
「でもそれなら迂回すれば済むことでは?」
「君は国外へ出たことはないのか。知らないのも無理はないが迂回しての帰国は不可能だ」
「何故です?」
「国外へ出る時には出国手形が必要でな。そこに行き先が記載されているから、迂回しても出国時にオダ方へ向かったことが分かってしまうんだよ」
「なるほど」
「それでも戻ろうとすれば手形を偽造するか改ざんするしかないのだが、発覚すれば間者と見なされたり王国への反逆罪として最悪の場合は処刑されることもある」
「き、厳しいですね」
「当然その前に恐ろしい拷問もあるからな。絶対にやろうとするなよ」
「拷問……や、やりませんよ、そんなこと」
国外へ出たり国外から戻ったりするのも大変なんだな、と俺は呑気にその程度にしか考えていなかった。しばらくしてこの俺が国外に出ることになろうとは、それこそ夢にも思っていなかったからである。
「ところで山の方の警戒は厳重なままなのか?」
「はい、例のオーガライトが盗まれた一件以降はずっと警備の人が増員されたままです」
「そうか、一度山の見学に行ってみたいと思っていたが、今はやめた方がよさそうだな」
「閣下、それ以前に閣下がお見えになるとうちの母ちゃ……母が腰を抜かすので出来ればおやめ下さい」
俺の言葉にユキさんとアカネさんが笑いを堪えていた。二人は母ちゃんと面識があるもんね。特にユキさんは母ちゃんのことをよく分かってると思うし。
「おお、ユキから聞いているぞ。愉快な母君らしいな」
「ユキさん……」
俺がユキさんをジト目で睨むと、ユキさんはふいっとそっぽを向いてしまった。これはまた何かお仕置きを考えておこう。多分その後で手痛いしっぺ返しを食らうんだろうけど。
「そ、そうですヒコザ先輩、この後ちょっとお時間いただけますか? 勉強で分からないところがあるんです」
「ん? 構わないけど」
さっそくお仕置きのチャンス到来だ。ユキさんのことだから分からないというのは多分数学じゃないかと思う。俺は心の中でほくそ笑んで、食事を終えてからユキさんに連れられ彼女の部屋に向かった。




