第三話 こんなところにいては危険です!
タケダ・ハルノブがトラノスケの動きを知ったのは、サイカ・ナガイエにシノの成敗を許可した時からわずかの後だった。王は自らの息子たちに対し、その動向を探るために多くの密偵を放っている。殊に何かと不穏な動きを見せるトラノスケに対しては、逐一情報が入るほどに網を張り巡らせていたのだ。
「サイカ流当主が直々に出向くか」
「陛下、これはトラノスケ殿下に陛下の威信を知らしめるよい機会かと存じます」
玉座に腰かけたハルノブの傍らで、ツチヤ・マサツグはしたり顔で囁いた。
「シノとかいう娘は例のコムロ・ヒコザを籠絡するために送り込まれたのだったな」
「いかにも」
「そのシノが抜け忍か……これは面白い」
「いかがなさるおつもりで?」
「コムロ・ヒコザはオオクボ王の騎士になったと言ったな」
「はい」
「よき考えが浮かんだ。筆を用意せよ。それから……」
ハルノブはマサツグに耳打ちし、それを聞いた彼は殊更に笑みを浮かべた。
「それは妙案にございます! 直ちに準備をいたします!」
「うむ」
タケダ王国は東にオオクボ王国、南西にオダ帝国と、いずれも列強国に隣接している。北西には五千メートル級の山々が連なるアールプス連峰を従え、お陰で水源に事欠くことはない。ただし北部は冬になると身動きがとれなくなるほどの豪雪地帯でもあった。
アールプス連峰には大きいもので体長三メートルを超すスノーウルフと呼ばれる狼が棲息している。彼らは十頭から二十頭で群を組み、冬には餌を求めて人里まで降りてくるので、毎年多くの人や家畜が被害に遭っていた。
それでも非常に高い知能を持った彼らは飼いならすことも可能で、訓練次第では人の言葉もある程度なら理解させることも出来る。無論細かい指示は不可能だが例えば殺せと殺すなとか、誰々のところに行け等ということは聞き分けるのだ。そのため軍用に仕立て上げられたスノーウルフは、強力なタケダ騎馬隊と並んで周辺国にとっては驚異となっていたのである。
そんなハルノブだが、かつては小国であったオダ帝国の動向が悩みの種だった。オダ家の当主がサブロウに代替わりしてから破竹の勢いで周辺国を傘下に収め、自ら皇帝を名乗り始めたのである。そして今や帝国より西に位置する多くの国は、オダ家に牛耳られていると言っても過言ではなかった。
そのオダ帝国とタケダ王国の間には現在、不可侵条約が結ばれている。しかしその条約の期限は現王の代まで、つまりハルノブが死ねばタケダ王国は帝国の脅威に晒されることになるのだ。その備えのためにも自分が生きているうちに、何としてもオオクボ王国との同盟を実現させる必要があったというわけである。
「トラノスケ、お前にはそのための捨て石になってもらわねばならん」
周囲に誰もいないことを知っていたハルノブは、血を分けた息子を捨て駒にする決意を口に出して固めていた。
「私は……私はコムロさんを……」
そう呟いたカシワバラさんの瞳から涙が溢れでた。普通に考えればこの先の言葉はコクハクになるのだろうが、彼女は俺とユキさんに謝りたいと言っていた。だから俺たちはカシワバラさんの次の言葉を待つことにしたというわけだ。
しかし泣き出してしまった彼女はなかなか続きを口に出そうとはしなかった。俺もユキさんもカシワバラさんを慰めたり背中をさすったりしたが、泣いている理由が分からないのでどうしようもないのだ。
「カシワバラ先輩、私は先輩に謝っていただくような覚えがないんですけど……ヒコザ先輩は何かありますか?」
「え? い、いや、特に……」
しまった。つい口籠もってしまったけど、カシワバラさんの様子からすると先日の夕食お呼ばれの件は関係なさそうだ。なのに俺はそれがふと過ぎったので、思わず挙動不審になってしまった。これをユキさんが見逃すはずはない。案の定、ユキさんはジト目で俺の方を見ていた。
「ヒコザ先輩、何か覚えがあるみたいですね。素直に白状した方が身のためだと思いますよ」
「い、いや、誤解だよ」
「まさかヒコザ先輩、カシワバラ先輩に手を出したとか……」
「だ、出してない出してない! 出してないから!」
「本当ですか?」
「本当だよ、ねえ、か、カシワバラさん?」
俺とユキさんのやり取りを見て、カシワバラさんはほんの少し笑ったような気がした。絶対後で俺はユキさんに問い詰められるだろうけど、カシワバラさんが笑ってくれたことの方が大事だ。そんな想いが通じたのか、ようやくカシワバラさんは口を開いてくれた。
「タノクラさん、そんなことはありませんから安心して下さい」
「べ、別に私は心配なんかしてませ……か、カシワバラ先輩の身を案じていただけですから……」
ユキさんの言い草がちぐはぐになっている。これはちょっと面白いかも知れない。いや、でも今はカシワバラさんだって。
「カシワバラさん、謝りたいことってどんなこと? 俺もユキさんも全く見当が付かないんだけど」
「はい、実は……実は私は……」
思いも寄らない告白だった。カシワバラさんの言葉を聞いた俺とユキさんは、しばらく固まったまま身動き一つ出来なくなってしまったほどだ。だが、そこからいち早く立ち直ったのはユキさんだった。
「こんなところにいては危険です! カシワバラ先輩もヒコザ先輩も、とにかく私に付いてきて下さい!」




