第八話 私に似ていたら私じゃなくてもよかったってことですか!?
ユキさんの部屋である。例によって絨毯に直座り、などと甘いことが許されるわけがなかった。俺は絨毯が切れた硬い石床の上に正座させられていたのである。もっとも今回は俺一人というわけではない。同じように男爵閣下も石床に正座させられている。さらに絨毯の上ではあったがユキさんの母君、チカコさんも正座させられていた。
「父上と母上、それにヒコザ先輩も、どうして正座させられているかお分かりですね?」
ユキさんは俺たちを見下ろすような形で腕を組んで鬼の形相だった。怖い。ってか俺はある意味被害者だよね。お願い助けてアカネさん。だがいつもはなにかと味方してくれるアカネさんも、今回ばかりはそっぽを向いて膨れっ面だった。
「まずはヒコザ先輩、何か言うことがあるなら聞いてあげます。納得いく説明はありますか?」
「い、いや、だからその……」
口ごもって閣下の方を見ると、何も言うなとばかりに首を小さく左右に振っている。しかし、それがユキさんの目に留まらないはずはない。
「父上! 何をされているのです? ヒコザ先輩、いいから言いたいことがあるなら正直に言って下さい。そうしたら絨毯の上に座らせてあげなくもないです」
う、それは何というかものすごく魅力的だ。この石床に正座はとにかく冷たいし痛い。
「ユキ、コムロ様は悪くないのよ。さっきだってちょっと悪ノリした私をたしなめようとしていただけなのだから。ね?」
チカコさんはそう言いながら俺にウインクした。でもそれだとチカコさんが全部悪いことになってしまうじゃないか。あの時俺はチカコさんを拒絶することが出来なかったばかりか、もう少しユキさんが来るのが遅かったら完全に思いを遂げていたはずである。ユキさんの母君であり閣下の奥方でもあると知っていれば自制出来たかも知れないが、少なくともあの時はブレーキがかからなかったのだ。それにそもそもの発端は邪心をもってムラマタで斬りつけた俺の仕業である。チカコさんの言に乗ってこの窮地を脱することは、俺の男としてのプライドが許さない。
「いえ、あの、そうではなく……」
「ヒコザ先輩、ちょっとこちらに来て下さい。父上と母上はそのままで」
俺が自分の思っていたことを正直に打ち明けようと口を開きかけた時、ユキさんが部屋の扉を開けて付いてくるように言った。何が何だかよく分からないが、ここは素直に従った方がよさそうだ。何より正座の苦痛から一瞬でも解放されるのがありがたい。たとえこれから口汚く罵られようとも、である。
ところが俺が部屋の外に出て付いてきたアカネさんが扉を閉めると、ユキさんは大きくため息をついて俺をジト目で睨んだ。
「ヒコザ先輩、まさかあそこで本当に母上をどうにかしようとしてたって白状するつもりだったんですか?」
「え? あ……ごめん……」
「それはいいです。母上の手にかかれば若いヒコザ先輩なんてすぐに堕とされてしまうでしょうし。それに母上がヒコザ先輩に好きにされるようなことはありませんから」
「は……はい?」
「母上はああ見えて組手の達人なんです。最初は母上に抱きつかれて動けなかったんじゃありませんか?」
なるほど、道理で体に力が入らなかったわけだ。それにしてもユキさん、まるで見ていたようだよ。
「それじゃあ……」
「父上があのいかがわしい剣をアカネさんに使おうとしたことは知っておりました。だから父上を懲らしめるために母上はあんな格好をしていたんです。それなのによりにもよってヒコザ先輩があれを使うなんて……」
「いや、それはその……面目ない……」
「それでもヒコザ先輩には母上を拒絶してほしかったです。どうして我慢出来なかったんですか?」
「えっと……あの……」
「どうして我慢できなかったのかと聞いているんです。それとも目に付いた女性なら誰でもよかったってことですか?」
「そんな! そんなことは断じてありません!」
それは酷いよユキさん、いくら俺だって誰でもいいなんてことがあるわけないですから。
「では我慢できなかった理由を言って下さい」
「あ、えっと……」
そう聞かれると言いにくいというか照れくさいというか。
「やっぱり、誰でもよかったんじゃないですか?」
「違います! 分かりました、正直に話します。お母上からユキさんと同じ香りがして……」
もうこの際仕方ないよね。変に隠し立てするより正直に思ったことを伝えた方がよさそうな気がするし。
「は……はい?」
「ですから! ユキさんと同じ香りがして、見た目もユキさんに似ていたから……我慢出来なくなってしまったんです!」
「なっ! わ、私に似ていたら私じゃなくてもよかったってことですか!?」
あれ、ユキさん、言葉は怒っているけど内容の方向が何か違ってきてるような気がするよ。
「確かに奥様とお嬢様はよく似てらっしゃいますからね」
「アカネさんは余計なこと言わないで下さい!」
「失礼いたしました」
「ま、まあ、理由は分かりました」
お、何かこれ、許してもらえそうな雰囲気になってきたぞ。顔は赤くなっているけど、怒りで高揚しているというわけでもなさそうだし。
「それはいいとしてヒコザ先輩、あそこでそんなことを白状したら死罪ですよ。分かってますか? 無礼討ちではなく罪人として処刑されるんです。そうなったら私も庇いきれませんから」
「え? し、死罪?」
「不義密通です。たとえ未遂でも死罪ですよ。知らないはずはありませんよね?」
「あ……」
そうだった。夫のある女性と性的関係を持つ、または持とうとした場合は否応なく死罪となるのだ。
「あ、ではありません! だから母上はあのように申されたのです。知らなかったで済む問題でもありませんから! 死にたくなかったら母上のお言葉に乗って下さい」
「わ、分かりました」
「それともう一つ!」
「え? まだ何か……?」
「ヒコザ先輩、私に言わなければならないことがあるんじゃないですか?」
「言わなければならないこと……?」
はて、何だろう。ユキさんに言わなければいけないことでまだ言ってないことなんてあったかな。すぐに思いつくようなことはないけど、強いて言えばアカネさんを第二夫人に迎えるって約束したことくらいだ。ただあれはまだ先の話だしなあ。そう思ってアカネさんの方を見ると、何故か彼女は気まずそうに視線を逸らした。え、まさかもうユキさんに話しちゃったの?
「も、もしかしてそれは……アカネさんのこと……ですか?」
「ヒコザ先輩、石床の方に戻りましょうか」
結局俺はその後また、あの冷たくて硬い石床に正座させられたのだった。




