第八話 イヌカイが戻ったか
「シノブの意識が戻っただと!」
さすがに俺とアカネさんはシノブの病室で眠りこけるわけにもいかなかったので、用意された診療所の一室で休んでいた。そこへ騎兵隊の一人が慌てふためいて知らせに来たのである。
「それは誠ですか?」
アカネさんもすぐさまその声に気付いて目を覚ます。そして俺たちはシノブの病室へと向かったのだった。
「シノブが目を覚ましたというのは誠か?」
「シノブさん!」
「陛下……」
そこで俺が見たのは、確かに目を開いて半身を起こしているシノブの姿であった。しかしその瞳は焦点が定まっておらず、彼女を取り囲む両親も騎兵隊の面々も何故か浮かない表情をしている。シノブは突然病室に駆け込んできた俺とアカネさんにゆっくりと顔を向けたが、そのまままたうつむき加減に視点を正面に戻してしまった。
「サネヤス、これは一体?」
「昏睡状態から目覚めたための一時的な記憶の喪失か、大量の出血が原因で脳の機能に障害を来したのかは今のところ……」
「一時的な記憶喪失の場合は戻るまでどれほどかかるのですか?」
アカネさんの質問に、その場の全員がホンダ医師に目を向けた。しかし医師は難しい顔をしたままで言葉を押し出すように答える。
「すぐに戻る場合もありますが、今の我々の医術では推し測るまでには至りません」
「つまりはシノブ次第ということか。しかし命の危機は去ったのだな?」
「予断は許しませんがひとまずは。ただこれから検査を致しませんと何とも」
ホンダの話では今回は奇跡的に目覚めたものの、生命維持に関する脳の機能に支障が出ている可能性もあるということだった。最悪の場合は、早ければ数日で再び昏睡状態から死に至ることもあるという。
「シノブさんは全ての記憶を失っているのですか?」
「両親の顔も名前も分からないようです」
「そんな……!」
「陛下、妃殿下」
シノブの父が俺とアカネさんに声をかけてきた。
「ここはいったんご公務にお戻り下さい。騎兵隊の皆様も、いつまでもお城を空けておくわけにも参りますまい」
「ですが……」
「いやアカネ、余もその方がいいと思う。これだけ多くの者に囲まれていては、何よりシノブが落ち着くことが出来ぬのではないか?」
「はい……」
アカネさんにしてみれば責任を感じている以上、この場にずっと留まりたいという気持ちが強いのは致し方ないことだろう。しかし何と言っても相手は病人である。加えて怪我による体力の消耗も否めないところなのだ。まずは一日も早い回復を優先とし、静かに療養してもらうのが一番ではないかと思う。
「サネヤス、何か変化があればすぐに知らせるのだ。城門の衛兵には診療所の遣いは無条件に通すように命じておく」
「御意に」
こうして俺たちは騎兵隊を引き連れて、城に戻ったのだった。
「その者たちを雇った人物について何か分かったか?」
それから数日間はシノブの状態に変化はなく、相変わらず虚ろな様子で寝たり起きたりを繰り返しているとのことだった。無論記憶も戻らないままである。そんな中俺は玉座の間で、モモチさんに調査の進展を尋ねた。
「いえ、何分二人ともあの場で殺されておりましたので、背後関係は依然掴めておりません。ただ……」
「うん? 何か引っかかることでもあるのか?」
「はい、実は……」
そこで俺は当時のアカネさんたちと男たちの間で交わされた会話を聞くこととなる。
「アカネを攫ってシノブには余に言付けをさせようとしていた?」
「はい。私が思いますには元々の奴らの狙いは、実は陛下だったのではないかと」
「何だと!」
「目的は分かりませんが陛下のお命を狙っていたのか、あるいは何かを要求しようとしていたのか……」
モモチさん曰く、アカネさんが剣術に秀でていることは城下はもとより、城内でも知っているのは一部の者だけである。つまり最初から彼女を狙うつもりなら、あのような暗殺のプロを差し向けてくることはないだろうと言うのだ。
「もし実際とは異なり王妃殿下に武術や剣術の心得がなかったとして、拐かしにそのような者を使えば、こちらの対処もそれに見合うものとなりましょう。そうなれば敵の負う危険も大きくなります」
「だが余を狙おうと思えば、どこに伏兵が潜んでいるかも分からないから、ということか」
「御意にございます」
モモチさんの言うことは的を射ていると思う。その辺りも考慮に入れておかなければならないということだ。
「相分かった。引き続き調査を頼む」
「かしこまりました」
モモチさんがそう言って下がろうとした時、扉の向こう側から衛士の声が響く。
「イヌカイ男爵様のお着きにございます!」
「おお! イヌカイが戻ったか」
「陛下、私はこれにて」
「いや待て、モモチもイヌカイに会っていくがよかろう」
俺は立ち去ろうとするモモチさんを引き留めて、イヌカイ男爵を玉座の間に招き入れたのだった。




