第一話 悪い人とは思えませんでしたけど
「陛下! 成果が上がり始めましたぞ!」
ツッチーの作戦を始めてから十日あまりが経過した頃、オダからの移住希望者が少しずつ増えているとの報告があった。怨霊の恐怖とオダ方貴族の領民に対するケア不足が功を奏した結果である。ツッチーはまだ午前中の早い時間にも関わらず、執務室にやってきてそのことを俺に告げた。
「そうか。オダが本腰を入れて調査を始めるまでにはまだ時間がかかるだろうな」
「父も満足げでしたわよ」
今日の癒し役であるウイちゃんは、俺のすぐ横に立ったままでツッチーに微笑んでいた。今この執務室には俺とウイちゃん、それにツッチーの三人だけである。
「ではそろそろ次の計画に移るとするか」
「すでに人選は整ってございます」
次の計画、それはオダに祈祷師を送り込むことだった。この祈祷師一行の働き如何によっては、キノシタ公爵やマエダに煮え湯を飲ませることも可能である。俺は彼らの無事と計画の成功を心から祈っていた。
一方、いつものように城門の脇にある店を開けたおマサの許に、一人の紳士が訪れていた。彼女はその気配を感じ、客として迎えるために男の方に体を向ける。
「いらっしゃいませ」
「ああ、靴を磨いてもらいたいのだが」
「かしこまりました。そちらにお座り下さい」
「分かった」
靴磨きのために用意した椅子に男が座った気配で、おマサはその足元に膝立ちして靴の形や材質を手で触って確かめた。目が見えない彼女は、こうして靴を磨くための布や薬を選定するのである。
「店先に書いてあった、目が見えないというのは本当のようだね」
「はい、ご不快でしたら申し訳ありません」
「いやいや、そういう意味で言ったのではないから安心してくれたまえ」
男の声や口調からは今のところ害意は感じられないが、あまり抑揚がないため何を考えているのかも掴みどころがなかった。しかし相手は客である。ちゃんと仕事をして満足してもらわなければならない。おマサは手慣れた手つきで靴を磨き始めた。
「君はいくつかね?」
「はい、九つです」
「何と! ご両親はどうしたのかな?」
「両親は……おりません……」
「そうか、悪いことを聞いてしまったね」
「いえ……」
それから黙々と彼女は紳士の靴を磨いた。空気を重くしてしまったことに後ろめたさを感じたのか、男の方もそれ以上話しかけようとはしない。程なくして両方の靴を磨き終えた彼女は、最後にもう一度靴を触って仕上がりを確かめる。汚れが残っていれば、その指先に感じることが出来るのだ。
「お待たせ致しました」
自分の仕事に満足したおマサは、立ち上がって客の男に深く頭を下げる。
「うん、ありがとう。きれいになった」
「ありがとうございます。代金は……」
「取っておきなさい」
紳士はそう言うと彼女の手を取り、大銀貨一枚を握らせた。
「あ、今お釣りを……」
「釣りはいらないよ」
「で、でも、これでは頂き過ぎです!」
「いいからいいから。それよりまた来るから、その時には君ともっと話がしたいな」
「話……ですか?」
「なに、他愛ない世間話の相手をしてくれればいいだけさ。実はこの私にも君と同じ歳くらいの娘がいたんだがね」
おマサは彼の声が少し沈んだのを感じた。
「一年ほど前に流行病で亡くなってしまったんだよ」
「そうでしたか……」
「だから君を見ていると、何だか娘が帰ってきてくれたように感じてしまってね」
「私でよければいつでもお話ししに来て下さい」
おマサは娘を亡くしたという目の前の紳士が何だかとても哀れに思えた。だから自分が話し相手になることで少しでも彼の悲しみが癒えるのなら、その願いを叶えてもいいと思ったのである。
「ありがとう。君は優しい子だ。名前を聞いてもいいかな?」
「おマサといいます」
「おマサちゃんか。私はナリミツ、イシダ・ナリミツだ」
「イシダ様ですね。覚えました」
「それじゃあまた。仕事がんばるんだよ」
「はい! ありがとうございます!」
おマサがもう一度深く頭を下げると、イシダと名乗った紳士は店を出ていった。
「そう、そんなことが……」
「何か目的があるのだろうか」
スズネさんと一緒におマサの様子を見に来た俺は、彼女の話を聞いても素直に共感は出来なかった。イシダという男に悪意はないのかも知れないが、とにかく今は真意が分からないのである。本当に亡くした娘におマサを重ねて偲んでいるだけならいいが、良からぬ目的を持って彼女に近づいた可能性もある。しばらくは衛兵に警戒させた方がいいだろう。
「悪い人とは思えませんでしたけど」
「そうね。最初から人を疑うのはよくありませんものね」
「まあここにいる限りは何か問題があっても衛兵もいるし、送り迎えはシンサクもコミネもいるからな。心配はないだろう」
それからしばらく俺とスズネさんはおマサと会話を楽しみ、仕事を終えたシンサクが迎えに来たので城に戻ることにした。ただ、その様子を遠くから窺っていた者がいたのには気づくことが出来なかった。




