第十一話 貴族のお姉さんが二人も!
「へ……へい……」
俺とスズネさんがおマサの隣に住んでいるコミネの家を訪れた時である。扉を開けたコミネは、俺たちの姿を見てその場で固まってしまっていた。おそらく彼女は俺が関わっていることも何となく予想はしていただろう。しかしいざ俺を目の前にしたら、それまで頭の中で用意していた言葉が全て吹っ飛んでしまった、そんなところではないだろうか。それで動転した彼女は思わず陛下と口走りそうになったのである。そんな彼女をスズネさんが口に人差し指を立てて黙らせたので、俺は苦笑いするしかなかったというわけだ。
「おマサちゃん、私を呼んでいると聞いて急いできましたよ。何があったのですか?」
「貴族のお姉さん!」
「俺も来たぞ」
「貴族様!」
おマサが必死に声のした方へ手探りで歩み寄ろうとしていたところを、スズネさんが慌てて抱きとめていた。その二人を見た俺は、コミネの肩を突いて扉の外に連れ出す。
「へ、陛下!」
「あまり大きな声を出すな。おマサに気付かれる」
「はっ、も、申し訳ございません」
言いながらコミネはまるで高速水飲み鳥のように、何度も腰を九十度くらい曲げて謝っていた。
「よいか、おマサの前では余はヒコザという名の貴族である。其方もあの子の前では余をヒコザと呼べよ」
「は、はい! 命に代えましても!」
命に代えてもって、どんな重要任務だよ。
「だから声が大きい」
「も、申し訳ございません!」
「それで、おマサはシンサクがどうしたと申しておるのだ?」
「はい、それが……」
コミネによると数日前からシンサクの畑の作物がどんどん枯れ始め、青々としていた収穫前のそれらは今では見る影もないとのことだった。農業を営む者たちは一年分の収入を、収穫した作物を売って稼ぐ。それが全滅してしまったとしたら、彼らは生きる糧を失ってしまうことになるのだ。
「全滅したのはシンサクの家の畑だけなのか?」
「はい。おマサちゃんがシンサクという人から聞いたところではそのようです」
「他の畑が何ともないというのは解せんな」
「あの陛下、よろしいでしょうか」
「何だ? 構わんから申せ」
そこでコミネは居住まいを正して俺の顔を見た。
「私も生まれが農家なので分かるのですが、もしかしたらそのシンサクという人の家の畑に何者かが塩を撒いたのではないかと……」
「塩? 塩を撒くとどうなるのだ?」
「作物に限らず植物は、それがたとえ雑草であっても枯れてしまいます」
「何だと! しかし塩を撒かれたのであればすぐに気付くのではないか?」
「おそらくは塩水を撒いたのではないかと」
なるほど、単に塩を撒いただけならすぐに異変に気付くことは出来るだろうが、水に溶かれてしまっていては簡単には分からないかも知れない。これは単なる不幸な偶然ではなく、何者かによる人為的な行為と見なさざるを得ないだろう。
「それと恐れながら陛下」
「何だ、まだあるのか?」
「その畑はもう、使い物になりません」
「どういうことだ?」
「塩は土に留まるため、そこにはもう二度と作物は育たないと思います」
「誠か!」
何ということだ。するとシンサクの家は、他に土地を探す以外に農家を続けることが出来ないというわけか。
「陛下」
そこへスズネさんが部屋から出てきた。代わりにコミネを部屋に戻す。
「お話しは……?」
「聞いた。で、おマサの方は?」
「シンサクさんのところに連れていってほしいと」
「そうか。シンサクの家までおマサは案内出来るのかな」
「それは問題ないと申しておりました」
「そう。俺は公務があるけどどうしよう」
「ヒコザさん、私一人で大丈夫ですよ」
何かあってもスズネさんなら心配はいらないというのは分かっている。しかしあからさまに畑に塩水を撒くなどという大胆な行為を仕掛けてくる相手だ。今のところ目的も分からないし、どんな危険が待ち受けているのかも想像がつかない。だとすると彼女一人に任せるわけにはいかないだろう。
「ひとまず俺は城に戻ってツッチーに公務の処理を頼んでくる。スズネさんはおマサを連れて城の前で待っててくれるかな」
「ヒコザさんも来て下さるのですか?」
「おマサは貴族様と貴族のお姉さんって言ってたんでしょ。なら俺も行かなきゃ」
それから一旦城に戻った俺は、渋るツッチーを宥めすかせてからスズネさんたちと合流した。その一行にウイちゃんも加わっていたのは、彼女が話を立ち聞きしていたからである。
「貴族のお姉さんが二人も!」
そう言って驚くおマサを連れて、俺たちはシンサクの家に向かった。
「親父、おふくろ……」
シンサクの家で、彼は途方に暮れたようにへなへなと尻もちをついていた。彼の視線の先には、梁に縄をかけそれにぶら下がって微かに揺れている、二つの遺体があった。
それからしばらくすると彼も梁に縄をかけ、転がっていた足台に乗って輪っかを作る。
「親父、おふくろ、俺もいくよ」
小さな声でそう呟くと、彼は輪っかに自らの頭を通していた。




