第九話 ユキ妃殿下が……ユキ妃殿下が!
「ご心配なのは分かりますが、私たちにまかせて陛下は一度お戻り下さい」
代々タケダの王家に仕える側医師のクスモト・ミネは、そう言って俺をユキたんの部屋から追い出しにかかった。女医としての腕は確かなようだが、そんなことを言われても心配なものはどうしようもない。
「しかしだな……」
「陛下がお部屋にいらっしゃいますと、妃殿下には大変な辱めになることと存じます。ですからどうか……」
辱めってなに。あ、そうか、要するに下着や何かを脱がせたりするわけか。それなら出て行けというのも道理が通る。
「相分かった。ならば致し方あるまい。余は執務室におる故、何かあったらすぐに知らせるのだぞ」
「御意に」
「私がお嬢様についてましょうか?」
アカネさんがやはり心配そうな表情で尋ねてきたが、俺は彼女も一緒に執務室に来るように命じた。同性でも裸を見られるのは恥ずかしいかも知れないと考えたからである。
「しかしあの様子では今夜の宴に参席は無理だろうな」
執務室に戻った俺とアカネさんは、二人で今後のことを考えなければならなかった。元々は第一王妃、つまりユキたんと第二王妃のアカネさんが、俺の護衛も兼ねて歓待の宴に参加する予定だったのだ。そのユキたんの代役となればスズネさんを置いて他にはいないだろう。
「ツッチー、いるか?」
「はい、こちらに」
控え室の扉が開いて、流れるような動作で彼は俺とアカネさんの前に立った。ところでこの人、いつの間に控え室に入ったんだろう。もしかして隠し通路とかがあるのかな。それなら俺も知りたいぞ。
「すまないがスズネに、今夜の宴に出る準備を整えておくようにと伝えてくれるか?」
「かしこまりました」
「お嬢様、大丈夫なんでしょうか」
「それからユキの様子で変わったことがあったら、併せて聞いてきてくれ」
「御意」
「心配だけど俺たちにはどうすることも出来ないからね。あの女医のクスモトだっけ、信用出来るんでしょ?」
ツッチーが部屋から出ていったところで、俺はアカネさんを慰める言葉で自分を納得させようとしていた。今は医師を信頼して任せるしかないのだ。
「はい。それは大丈夫だと思います」
「なら一日も早く回復するように祈ってようね」
「ご主人さま陛下……?」
「うん?」
「やっぱり、ご主人さま陛下はお優しいです!」
アカネさんが成人してタノクラ家に奉公に上がってからこれまで、二人はほぼ同じ時を過ごしてきたのだ。年数にすればわずか三年か四年、しかし互いに剣を交えて切磋琢磨してきた間柄であれば、想いは相当に強いということだろう。
俺はそんなアカネさんを抱き寄せると共に、ユキたんへの想いも抱きしめていた。
「オダ帝国よりのご使者、タケナカ辺境伯閣下のご入場にございます!」
衛士が高らかに声を上げると、大広間の巨大な観音開きの扉が重々しく開かれた。左右には城内でも美人として評判のメイドさんが付き、タケナカ辺境伯一行を俺の許に誘うように案内している。俺の両隣にはアカネさんと、ユキたんの代理でスズネさんが控えていた。
宴には主に城下の貴族たちも招かれ、異国の貴族であるタケナカ辺境伯の姿を一目見ようと、着飾った者たちの目も一際輝いているようだった。しかし、そうした客たちはユキたんが倒れたことを知らない。だから一通りの挨拶の後、辺境伯が発したこの言葉で場内がざわめいたのは言うまでもないだろう。
「その後、第一王妃殿下のご容態はいかがにございますか?」
「今は側医師の許にて治療中とのこと。タケナカ辺境伯閣下にはご心配を頂き、殿下もさぞやお喜びのことと存じます」
ツッチーが俺に変わって応える。顔色一つ変えないどころか、口元に微笑みさえ浮かべながらの対応はさすが家令だった。
「ならばよろしいのですが、急ぎ本国にも伝え、見舞いの品を届けさせましょう」
タケナカ辺境伯の意図はどこにあるのかと考えてみた。彼はモモチさんの報告によればかなりの策士だということだ。だとすればこの場でユキたんのことを持ち出したのも、何か裏があるのかも知れない。何故ならこのような折に王妃に何かあったことを公にすれば、混乱が生じるのは目に見えて明らかだからである。
それに普通に考えれば時と場所を弁えていないように見えるが、彼はユキたんが倒れたその場に居合わせたのだから、心配のあまりという動議付けも可能だろう。また、自らを無能と演出する効果さえ期待出来る。いかにこれを収めるか、俺の能力も推し量ろうとしているのかも知れない。ならば――
「皆の者、聞くがよい」
俺の言葉でざわめきが途絶え、皆の視線が興味と共に注がれてきているのが感じられた。
「タケナカ殿にまでご心配をかけておるが、確かに我が妻、第一王妃のユキは現在自室で療養中の身である。しかしこれにはタケダが誇る名医、クスモトが付いておる」
そこで、皆が安堵したようなため息を漏らした。
「必ずや近いうちに、ユキは皆の前に健勝な姿を見せるであろう」
会場は拍手に包まれ、中には激励の言葉を投げかけてくる者もあった。ところがその時、壇上の俺の許にユキたんの侍女が駈け寄ってきたのである。その表情はひどく慌てた様子で、辺りはばからずに大声でこう叫んだ。
「陛下、ユキ妃殿下が……ユキ妃殿下が!」
そしてそのまま許しも得ずに俺に耳打ちをしてきたのである。
「何だと!」
それを聞いた俺は驚きを隠せず、尋常ならざる空気に再び会場は静まり返ったのだった。




