第六話 キク姫の命が危ない!
「アヤカはどうしたんだ?」
「陛下がお一人で話を進めたので拗ねているんですよ」
ツンとそっぽを向いたアヤカ姫は、どうやら俺と口を利いてくれなくなってしまったようだ。それを不思議に思ってユキたんに尋ねると、そんな応えが返ってきたというわけである。確かに自由貿易の件はアヤカ姫の発案だったのだから無理もないかも知れない。これは何かの形でご機嫌取りをする必要があるだろう。
あれから二日後、アケチ伯爵は俺が言った通りウメ姫を差し出し、こちらはキノシタ公爵を返して人質交換は無事に終了した。ただ残念なことに捕らえている間もキノシタ公爵は雑談にしか応じず、オダ帝国の内情を探ることは終ぞ叶わなかったのである。もっともそれほど期待していたわけではなかったけどね。
「アヤカ、機嫌を直せ」
「陛下は妾など必要ないのじゃろう? 放っておいてもらいたい」
「ユキ、それに他の者たちも、少しの間アヤカと二人だけにしてくれ」
その場にはユキたんの他、アカネさんもスズネさんもツッチーも、それから数人の衛兵もいたが、俺は皆に席を外してもらうことにした。アヤカ姫をなだめるなら二人きりの方が都合がいいからである。
「分かりました。皆さん、ここは陛下にお任せしましょう」
ユキたんは心得たとばかりに皆を引き連れて部屋の外に出ていく。この辺りは察しがよくて助かるよ。
「アヤカ姫、これで俺と二人きりになりましたよ。放っておかれると俺が寂しいので、少し相手をしてもらえませんか?」
「お主はずるいのぅ」
言いながらも彼女は半分ニヤけている。いや、それを気付かれまいとしているせいで、ちょっと引きつった面白い顔になっていた。そんな彼女の細い体を俺はそっと抱きしめる。
「話を勝手に進めたのは謝ります。でもアヤカ姫が必要ないなんて思ってませんから」
「知れたことよ。ちょっとばかりお主をからかっただけじゃ」
腕の中の彼女の髪を撫でていると、心地よさそうな表情で目を閉じている。妻と言うよりは普通の年下の女の子のような気もするが、この歳で早く俺の子を宿したいというから驚くよね。そんなことをふと考えていたら、俺の体の一部分が膨張を始めてしまった。
「何じゃヒコザ、妾に欲情しておるのか?」
「あ、あはは。でもさすがにここで子作りするわけにはいきませんから」
今日は順番でいけばアヤカ姫と過ごす日ではあるが、城に帰る日でもある。つまり慌ただしい今夜よりも明日にした方が、より長く一緒に過ごせるのだ。そう伝えて一日先延ばしにしたのだが……
「やはり今夜、妾の許にくるか?」
「この後は城に帰ってからも色々とやらなければならないこともありますし、行きたいのは山々ですが明日の晩の方がよろしいかと」
「左様か。それはそうとウメ姫はどうするつもりなんじゃ?」
またえらく話が飛ぶなあ。ウメ姫は現在、マツダイラ閣下が取り調べ中である。殺すにしても生かすにしても、オダで何を喋ったのかは問い質さなければならないからだ。
「オダに先王のことを漏らしていなければ、ひとまずは牢に閉じ込めておこうかと」
「女子は殺さぬ、か」
「そういうわけではありませんが……」
「のうヒコザ、おかしいとは思わぬか?」
「はい? 何がです?」
「ウメ姫の動きじゃよ。あの時我らはマツ姫を討ってキク姫を捕らえた。それからすぐに城に入ったが、その時すでにウメ姫は逃げた後じゃった」
確かに言われてみれば、ウメ姫はてっきり城にいるものとばかり思っていたのに、姿を眩ましたのが早過ぎた気がする。
「妾は同じ王族の姫だから分かる。あの動きは姫が一人で出来るものではない。必ず手引きした者がいるはずじゃ」
「それならヤシチ殿に探してもらってますが……」
「いや、その者は城下にはおらんじゃろう。あるいはすでにこの世にも……」
「え?」
難しい顔をし始めたアヤカ姫が押し黙ってしまったので、俺はどうすることも出来ずに彼女の次の言葉を待った。ところがそれは意外な相手に対するものだったのである。
「タンバ、タンバはおるか?」
「こちらに」
「うわっ!」
呼ばれてモモチさんが突然目の前に姿を現した。この人、ウイちゃん張りに神出鬼没だよ。
「急ぎ城に戻り、オダの間者を洗い出すのじゃ」
「それならばすでに突き止めております」
「え?」
お城に間者がいるなんて聞いてないぞ。
「ではその者を即刻捕らえよ。キク姫の命が危ない!」
「御意」
そう言って姿を消したモモチさんのいた場所を呆然と眺めながら、俺は自分の頭の中を整理するのがやっとだった。




