第一話 さらばだ、サト……
「よかろう。ただし細かいことは後だ。今は我が妻が先である」
「はっはっは、ですから条件を……今何と?」
「アケチ殿、聞こえませんでしたかな? 陛下は条件を呑むと仰せになられたのですよ。さあ、妃殿下をお返し願おう」
トリイ閣下が間髪を入れずにアケチの動揺を煽る。彼はこれほどすんなり俺が自由貿易に同意するなどとは思ってもいなかったのだろう。こちらとしては悪徳な商い主たちの処置も終わって、次の段階に移行する算段だったので願ったり叶ったりの条件だったのだ。そうとも知らずに愚かな男である。
そしてすぐにサッちゃんとおチヨを取り返し、二人の治療が始められた。それを見届けてから俺は再びアケチと対峙する。
「すぐにでも開門してやりたいところではあるが、互いに準備もあろう」
「さ、左様でございますな」
「よって協議は十日後にこの地で、ということでどうだ?」
「その折には陛下が?」
「そちら次第だな。この件、どれほど帰国が重きを置いているかはその際の顔ぶれで判断させてもらう」
「五日後までにどなたが来られるのかお知らせ願おう。こちらはそれを元に陛下にご報告いたす。言っておくがアケチ殿が筆頭では話は進みませぬぞ」
トリイ閣下は暗にオダ皇帝の臨席を促しているように装っているが、おそらくそれは叶わないだろうということも承知しているはずである。だが噂に聞くキノシタ公爵辺りが出てこないことには、先に進めるわけにはいかないのも事実だ。
「分かりました。すぐに本国に立ち帰り、事の子細を報告して指示を仰ぐことに致します」
先ほどまでの威勢が嘘のように消えてしまったアケチは、額に汗をかきながら俺とトリイ閣下を交互に見やった。
「時にアケチ殿、一つ聞きたいことがあるのだが」
「何でございますか?」
「貴国に我が妹が立ち入っておらぬか?」
「妹君? はて……」
その時アケチの背後にウイちゃんが現れ、悪霊顔で不気味な笑みを浮かべながら大きく頷いた。ということは彼は嘘をついているということになる。
「名をウメと申す。恥を忍んで言うがその者は我が国の法を犯した罪人である。余は身内と言えども罪を犯した者を許しはしないのだ。よって貴殿が忘れているなら早々に思い出して引き渡してもらいたい」
「思い出すも何も私はそのような方は存じませんが」
「よいかアケチ殿。もし我が妹を罪人と知ってなお匿えば、自由貿易の諸条件は貴国にとって不利益なものとなることを肝に銘じておくのだ。五日後の参席者の連絡の折に改めて問おう」
そう言って俺は席を立ち、話し合いの終わりを告げた。後はトリイ閣下に任せて、俺は一刻も早くサッちゃんの許に行きたかったのだ。正直、彼女が戻った今はアケチのことなどどうでもよかったのである。トリイ閣下も、これ以上話すことはないという感じでアケチを門の向こうに追い返したようだった。
「サトの容態はどうだ?」
「はっ! 何としてでも妃殿下のお命はお救い申し上げます!」
国境に詰めている医師は俺の姿を見て一瞬驚いたようだったが、すぐに医者としての顔に戻っていた。何とも頼もしい限りである。
「頼んだぞ。見事サトを救って見せたなら褒美は思いのままだ」
「ならば陛下にお願いの儀がございます」
医者の名はスギムラ・ゲンパクという、タケダ王国でも指折りの名医だそうだ。これは後で聞いた話だが、彼はかつてハルノブ前国王が御抱えにと誘ったのを断った経歴があるとのことだった。
「何なりと申せ」
「薬と薬師が足りませぬ。何卒ご配慮を賜りたく」
薬師とは今で言う薬剤師のことではなく、医師のことである。おそらくスギムラ医師は、自分一人では手が足りないと言いたいのだろう。さらにこの辺境にあっては思うように薬が手に入らないのかも知れない。医者なら当然の要求である。断る理由などどこにもない。
「相分かった。其方の望みは必ず叶えよう」
「有り難き幸せ」
それから間もなく、別室で待っていた俺たちにサッちゃんもおチヨも一命を取り留めたとの知らせが届く。それを聞いて急いでサッちゃんの許へと向かうと、ちょうど彼女が意識を取り戻したところだった。
「サト……」
「陛下……申し訳ございません……」
俺はサッちゃんの手を握り、溢れる涙を堪えていた。生きていてくれてよかった。しかし俺は国王として、彼女に残酷な裁定を下さなければならないのである。
「ウメ姫には会えたのか?」
「いいえ……」
悲しそうな瞳でサッちゃんは首を横に振った。
「会う前に捕らえられてしまいました」
「そうか……」
俺はきれいなままのサッちゃんの頬を愛おしげに撫でる。その手に彼女が自分の手を重ねたところで、俺は言わなくてはならないことを口にした。
「サト、お前は余の命に背き国を窮地に陥れた。自覚はあるか?」
「はい……」
「その罪は重い。よって其方を反逆罪として裁かねばならぬ」
「陛下!」
「ご主人さま陛下!」
驚いたユキたんとアカネさんが声を上げる。国王への反逆罪、それはすなわち死罪である。傍らのツッチーもトリイ閣下も、目を見開いて信じられないといった表情に変わっていた。
「陛下……お心を乱してしまい申し訳ありません。短い間でしたが、陛下に愛されたこの身は幸せでした」
サッちゃんの頬を涙が伝う。
「せめてもの情けだ。この手でお前を送ってやろう」
俺は腰に差した刀の柄に手をかけた。
「さらばだ、サト……」
その場にいた皆が息を呑み、ユキたんやアカネさん、それにスズネさんも真っ青になっていた。




