第九話 お嬢様もコムロ様は朴念仁だと思いますでしょ?
「え? 何で?」
「だってお母様がこれを持たせるということは、そういう前科があるのかと思って……」
「前科って……」
俺は思わず苦笑いしてしまった。
「いや、ないよ。恥ずかしながら俺は女の子とそういうことをした経験は一度もないんだ」
「そ、そうですか。ならいいです」
ユキさんは何故か赤い顔のままでほっとした表情になった。ところでアカネさんはどうしてワクワク顔をしてるんだろう。
「コムロ様、恥ずかしいことなんてありませんよ。でもお誘いは多いのではありませんか?」
「いえ、そんなことはないですよ」
そういう意味ではケイ先輩バリアが効いているのかも知れない。あの先輩が近くにいるのに俺を誘おうという強者はそうそうはいないということだろう。最近は姫殿下の命令という名目でユキさんといることが多いし、良くも悪くも俺の童貞は守られているのである。
「何でしたらこの私が……」
「アカネさん!」
俺とユキさんは同時に叫んでいた。
「ところでヒコザ先輩、今日はもう遅いのでうちに泊まっていって下さい」
「ん? いや、それは……」
「そんなにお酒臭いままで帰らせるわけにはいきません。それにそれだけ酔っていたら帰り道も危険です」
「コムロ様、お部屋ならちゃんと客間がありますのでご安心下さい。何でしたら私の部屋に泊まっていただいても……」
「アカネさん!」
また俺とユキさんがハモった。
「コホン、コムロ様のお宅には使いをやって、今夜はこちらにお泊まりになるとお伝えしておきます」
その使いの人に送ってもらえばいいんじゃないか、ということは酔った俺には思いつかなかった。
「ヒコザ先輩、ひとまずこれはお返ししておきます。明日の朝、減ってないか確認しますからしっかりとしまっておいて下さい」
「コムロ様、私なら今日は大丈夫な日ですから」
「アカネさん、大丈夫な日って何が大丈夫なんですか?」
「それはですね……」
ユキさんの問いにアカネさんがこそこそっと耳打ちで答えている。当然ではあるが、悪ノリし過ぎたアカネさんはユキさんからゲンコツを食らっていた。女の子がゲンコツするのって始めて見たよ。手加減がない分かなり痛そうだ。アカネさんも涙目になっていた。
「ヒコザ先輩、寝る前にちゃんと鍵をかけて下さいね」
「う、うん、分かった」
どうやら色んな意味で家に帰るも危険、帰らないのも危険ということみたいだ。もっとも後者の方は相手がアカネさんならちょっと期待が……いやいや、ユキさんに嫌われるくらいなら俺は血の涙を流してでも我慢するよ。
それから俺は客間に案内され、ユキさんの言いつけ通りにドアに鍵をかけてベッドに突っ伏した。酔いが回っていた体は、程なく俺を眠りへと落としたのだった。
翌朝目が覚めた俺は、激しい頭痛と胸やけに目を回しそうだった。明らかに二日酔いである。自分では大した量を飲んだ覚えはなかったが、それは日本で生きていた時の基準。今のこの世界の若い体は、飲み慣れていないのもあるだろうがどうやら酒には強くないらしい。
とりあえず水だ。口の中がカラカラに乾いて気持ち悪い。しかしこの部屋にはユキさんの部屋にあったようなピッチャーもコップも置かれていなかった。俺は仕方なしに頭を押さえながらドアへ向かう。そこでタイミングよくノックの音が聞こえ、アカネさんの声が入室の許可を求めてきた。
「あ、今鍵を開けます」
「あら、どうされました? ご気分が優れないようですが」
部屋に入って早々、アカネさんが俺の様子に気づいて心配そうに声をかけてくれる。
「あはは、二日酔いみたいです。水を飲みたいのですが」
「今お持ちいたしますね」
アカネさんが出て行ったすぐ後から、何だか不機嫌そうな表情のユキさんが部屋に入ってきた。彼女は酒を飲んでいなかったはずだから二日酔いというわけではないだろうし、俺また何かやらかしたのかな。
「ユキさん、おはよう」
「おはようございます。あんなに飲むから二日酔いになるんですよ。だいたいお酒なんかのどこが美味しいんだか」
子供舌のユキさんにはまだ酒の味は分からないんだろうな、とは思っても言えない。
「あはは、そんなに飲んだつもりはないんだけど……」
そこへ盆に乗せたピッチャーとコップを持ってアカネさんが戻ってくる。それをベッドの脇にある小さなテーブルに置くと、彼女はコップに水を注いで俺に手渡してくれた。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
乾いた口に流れ込んでくる冷たい水の心地よさを堪能しながら、アカネさんにそっと耳打ちで尋ねる。
「アカネさん、ユキさんはどうして不機嫌そうなんですかね」
「ああ、それですか」
ところが彼女はわざとユキさんに聞こえるような声で言った。
「コムロ様、意外と朴念仁なんですね」
「なっ!」
「二人で何をコソコソ話しているのですか?」
「いえ、コムロ様に何故お嬢様が不機嫌なのかと聞かれましたものですから」
「わ、私は不機嫌なんかじゃありません!」
「コムロ様、お嬢様が不機嫌なのは、昨夜お部屋の鍵をかけずにいたのに、コムロ様が行かれなかったからですよ」
「は、はい?」
「アカネさん! 違います!」
俺は自分の耳を疑い、ユキさんは真っ赤になってアカネさんの言葉を大声で否定していた。
「ちなみに私も鍵をかけておりませんでしたのに。来て下さらなかったので寂しかったです」
この人わざとなのか、時々一言多いような気がする。そのせいで朝からユキさんにゲンコツされているのだが、二人とも痛いだろうから次までにハリセンでも用意しておいてあげようと思う。
「昨夜は部屋に入ってすぐに眠ってしまったので。ユキさん、ごめん」
「な、何で謝るんですか!」
「いや、何か話したいことでもあったのかなって思って」
「あ……」
「ね、お嬢様もコムロ様は朴念仁だと思いますでしょ?」
その後も余計な一言のせいで、アカネさんは何度もユキさんにゲンコツを食らうのだった。




