第八話 すべて陛下のお陰です
「ヒコザさま、ヒコザさま!」
「うん? ウイちゃん、どうしたの? 今日はウイちゃんとする日じゃないよ」
「そうではありません! 起きて下さい。ゲンスケ長屋が火事です!」
「ゲンスケ長屋が火事? 何言って……な、何だって!」
真夜中だったが、俺はウイちゃんの言葉で一気に目が覚めた。ゲンスケ長屋が火事って、それ冗談なら頂けないぞ。
「ウイちゃん、悪い冗談だよね?」
「北の窓からご覧下さい!」
言われた俺は部屋の北側に備えられた窓の方に行って外を眺めた。そちらの方角には街明かりは皆無なはずなのに、一点だけ赤く浮かび上がっているところがあった。確かあの辺りは夕方訪れたゲンスケ長屋の一帯のはずだ。
「ウイちゃん、ユキたんとアカネさんを起こしてきて! それから騎兵隊に召集を!」
「心得ました」
「誰か! 誰かツッチーを呼べ!」
「私めはこちらに」
ツッチーはだいたい俺の寝室の隣にある控え室にいることが多い。しかし夜もその部屋で休んでいるとは思わなかった。
「ツッチー、すぐに支度だ。ゲンスケ長屋に向かう」
「なりませんぞ、陛下。こんな刻限から……」
「黙れ! いいから支度せよ! 王としての命令だ!」
彼は一歩も引く気がない俺の心情を察してくれたようだ。やれやれという顔をしながら俺の身支度を整え、ついでに自分も外出の準備を済ませたようだった。
「ウイ妃殿下はおいででございますか?」
「はい、私でしたらここに」
「妃殿下はお心が読めるとお聞きしましたが」
「時と場合によりますわね」
あれ、珍しくウイちゃんが素直に認めたよ。
「それではご同道願えますでしょうか」
「はい、喜んで。ヒコザさま、よろしいですわよね?」
ツッチーがわざわざ苦手な幽霊のウイちゃんに同行を頼んだということは、何か訳があるに違いない。それに俺にはそれを拒む理由もなかった。
「もちろん、一緒にきてくれると助かるよ」
そうして俺はユキたんにアカネさん、ウイちゃんとツッチーを伴ってゲンスケ長屋へ向かったのだが……
「建物が朽ちていたために火の回りが早く……」
いち早く消火に駆け付けていた火消しの者たちも口惜しい表情を隠せないようだった。焼け出された多くの長屋の住人は煤けたまま戸板に乗せられているが、その多くがすでに物言わぬ死体と化していた。
「おタエは、おタエは無事か!」
「息のある者はこちらに。ただ……」
俺は助け出された者たちが集められたテントに案内された。だが、そこにいる者たちも助かったとは言い難い状況であった。
「その声は……コムロ・ヒコザさま……」
見るとそこには確かにおタエが横たわっていた。しかし全身のあちこちが酷い火傷に覆われている。さらに火に巻かれたせいか女の子なのに顔にまで火傷を負い、すでに両目も開けられない様子だった。俺はそっと彼女を抱き起こす。
「お前はおタエだな?」
「はい」
「生きていてくれてよかった」
「なぜコムロ様……いえ、国王陛下がここに?」
やはり彼女は俺が国王であると気付いていたようだ。
「長屋が火事と聞いて駆け付けたのだ」
「嬉しいです陛下。私のような下賎の者にまでお心を配って頂けるとは……」
「お前は決して下賎などではないぞ」
「お声が近い……もしかして私は陛下に抱かれているのですか?」
「そうだ、お前は今余の腕の中にいる」
どうやら火傷のせいで、彼女は痛みはおろか感覚さえも失ってしまっているらしい。それを覚ったのか、ユキたんもアカネさんも声を殺して泣き始めた。夕方来たときにはあんなに元気だったのに、今のおタエにはその姿が見る影もない。
「陛下、あの後私と母は生まれて初めて、お刺身というものを頂きました。本当に美味しかった。あの味は一生忘れられません。すべて陛下のお陰です」
おタエはそう言って力なく微笑んだ。だが、その一生は間もなく俺の腕の中で終わろうとしている。俺はウイちゃんに何とかならないかという視線を送ったが、彼女は悲しげに首を横に振るばかりだった。
「何を言うおタエ、これからも何度も食えばいいではないか」
「お優しい陛下、でももう私は……」
「おタエ!」
「出来ることならもう一度、陛下のご尊顔を拝させて頂きたかったです」
「おタエ、しっかりしろ、おタエ!」
とうとう我慢出来なくなったのか、ユキたんとアカネさんのすすり泣く声が聞こえてきた。
「ウイちゃん、お願いだ! この娘を、おタエを何とか救ってやってはくれないか!」
「かしこまりました」
「ほ、本当か!」
俺は希望に満ちた笑顔をウイちゃんに向けた。しかし何故か彼女は悲しげな瞳のままである。それを不思議に思っていると、さらにウイちゃんは言葉を続けた。
「私にはその娘のこの世での命を繋ぐことは出来ません。ですがアザイの徳を分け与えましょう」
「え? それって……」
「生まれ変わった時には今よりも幸せに暮らせるでしょう」
一瞬、おタエの体が光に包まれたように見えた。
「暖かい……」
「おタエ! おタエ?」
腕の中のおタエが心地よさそうな表情のまま、ビクッと体を震わせた。
「陛下、どうやらお別れのようです。本当に、本当にありが……とうござ……いま……」
おタエの頭がガクンと落ち、俺の腕に彼女の全体重がのしかかってきた。
「おタエ! おタエ! 逝ってはならぬ、おタエ!」
おタエの亡骸を抱きしめて泣き叫ぶ俺の肩を、ユキたんとアカネさんがそっと抱きしめてくれた。




