第四話 ふわっと甘い香りが俺の鼻をくすぐった
「ご主人さまぁ」
来客の主はアカネさんだった。ちょうどいい、あまり秘め事は吹聴しないようにここで言い聞かせておこう。そう思ったのだが、彼女によるとすでにそのことでユキたんから拳骨をもらってしまったようだ。それで俺に慰めてほしくて訪ねてきたということだった。
「なでなでして下さい〜」
「アカネさん……」
仕方がないので抱きしめて頭を撫でると、心地よさそうに俺の手に頭を押し付けてくる。可愛いなあ、もう。これがあの最強と謳われた二刀流の剣術使いとはまるで思えないよ。
「でもアカネさん、ユキたんに怒られた理由は分かってる?」
「う〜、私は皆がご主人さまにどんなことをしてもらったのか知りたくて、それならこちらもきちんとお知らせした方がいいかなって思ったんですけど」
「そうかそうか。でもね、それは俺と皆のヒミツなんだから、知りたくてもがまんしなきゃ」
「はい……」
いつもの元気なアカネさんもいいが、ちょっとシュンとしている彼女もなかなか可愛い。しかしこうしているとまたしたくなってきてしまうから俺の性欲も困ったものだ。このままアカネさんを抱きしめていたら我慢できなくなりそうなので、ひとまず俺は彼女から体を離した。
「あん、ご主人さまぁ、もっとなでなで〜」
「だめ。これ以上はお預け。それよりたまには城下を散歩してみない?」
「お散歩……ですか?」
ツッチーに知られたら大目玉を食らいそうだが、気分転換に少しくらいなら問題ないだろう。念のためにアカネさんには帯刀してもらっておけば安心だし。
「うん、夕食までの間だからちょっとだけだけどね」
「わあ! 行きたいです! ご主人さまとお散歩」
「じゃあ身分バレしないように普段着に着替えて出ようか」
「はい!」
「話は聞かせてもらいました」
その時突然扉の向こうから声が聞こえた。と同時に扉が開き、ちょっと怒った感じのユキたんが部屋に入ってくる。
「ゆ、ユキたん?」
「お嬢様!」
彼女の姿を見るなりアカネさんが俺の後ろに隠れてしまう。
「アカネさんのことだからきっとヒコたんのところだろうと思いましたけど、やっぱりそうでしたか」
「あ、あはは……」
「でもお散歩というのはいいですね。ヒコたん、私もご一緒していいですか?」
ユキたんが敬語を使っているのがちょっと怖い気もするけど、側に衛兵もいることだしこればかりはやむを得ないかも知れない。それに散歩に行くだけでやましいところは何もないのだから、あまり気にしすぎるのもよくないだろう。
「もちろん。じゃ、ユキたんもアカネさんも着替えてまたここに来てくれる? あと一応刀は持って出ようね」
「分かりました。さ、アカネさん、着替えに戻りますよ」
「ふぇーん、ご主人さまぁ」
「大丈夫だって。ユキたん、もうアカネさんを殴らないであげてね」
「分かりました。ヒコたんに免じて今日のところは許してあげます」
ユキたんがそう言うとアカネさんも少しほっとしたのか、大人しく彼女に付いて部屋を出ていった。それにしてもお忍びで城下の散歩か。ちょっと楽しみだな。俺は早々に普段着に着替えて、二人が戻ってくるのを待つことにした。
城門を通ると否が応でも衛兵に見つかってしまうので、俺たち三人は通用門から通いの職員を装って外に出ることにした。通用門の見張りは入る時は厳重でも、出る時はほとんどいないに等しいからである。その代わりスノーウルフが一頭繋がれているが、彼とは顔見知りなので吠えられることも唸り声を上げられることもなかった。
「意外とあっさり外に出られたね」
ユキたんの口調がいつものタメ口に戻っている。やはりさっきの敬語は衛兵対策だったようだ。それにしても白のニットに濃いグレーのチェック柄ミニが似合ってて可愛いすぎる。対するアカネさんはネイビーのミニワンピに七分丈の白いカーディガンを羽織った出で立ちだ。
ちなみに俺は白のシャツに黒いスラックス、そこに黒のベストといった装いである。これなら顔さえ知られていなければ、国王と気取られることもないだろう。そんなことを話していたら、ユキたんが一生懸命背伸びをしながら俺にツバの大きなキャップを被せようとする。
「ヒコたんはカッコいいんだからただでさえ目立つのよ。これで顔を隠すようにしないと」
それでもなかなかうまく届かない様子だったので軽く屈むと、ふわっと甘い香りが俺の鼻をくすぐった。これはたまらない。思わず抱きしめそうになったが、アカネさんもいることだし血の滲むような思いで何とか我慢したよ。
「さて、どこに行こうか」
「せっかくだし、普段私たちが見られないようなところに行ってみない?」
「普段見られないようなところ?」
「分かりました、お嬢様! 庶民が住んでいるようなところですね?」
「そう。特に貧しい人たちがいるところ」
貴族の暮らしとは無縁の、しかし事実上国を支えている大多数の領民が住むところか。彼らの暮らしぶりを見て、今後の政策に取り入れるべきものがないかを探るのも立派な視察である。始めは単なる散歩としか考えていなかったが、これは非常にいい機会と言うべきだろう。
「よし、じゃ行ってみるか」
そう言うと俺は二人を従えて、貧しい民が住むと聞いた北の方へと歩みを進めるのだった。




