第十四話 すっかり国王が板についたようで
絶体絶命だった。マツ姫は自分が処刑されると思って俺に襲いかかってきたのだろう。そんなことをしたら本当にこの場で殺されてしまうのに。だが今はそれどころではない。俺が殺されてしまったら、今回の計画も水泡に帰するのである。道連れにされてたまるもんか。しかしこの至近距離では迫りくる刃を避けることは難しかった。俺の胸に懐剣が突き刺さるまであとわずか、そう思って覚悟を決めた時だった。
「ヒコザ様」
「ウイ?」
突然俺の前にウイちゃんが現れ、その胸にマツ姫の懐剣を受けていたのである。よかった、ウイちゃんなら刺されても大丈夫なはずだ。
「ババ殿、マツ姫を!」
「はっ!」
マツダイラ閣下の声に、ババさんがマツ姫を羽交い締めにして取り押さえる。彼女はいきなり現れたウイちゃんと、俺を討ち損ねたことで茫然自失となっていた。ババさんはそんなマツ姫をすぐさま俺たちから引き離し、手荒く床に投げ飛ばす。その胸に、マツダイラ閣下が容赦なく刀を突き立てていた。
「マツ……マツ!」
胸を突かれたマツ姫は即死だった。横たわって動かなくなった彼女に、キク姫が駈け寄って泣き叫んでいる。それはまあ仕方ないとして、俺を庇ったウイちゃんの様子がおかしい。
「ウイ、どうした?」
「ヒコザ様……お別れのようです」
「お別れ……って、幽霊だから刺されても平気なんじゃ……?」
「はい。ですがヒコザ様をお救けしたことで、どうやら私は成仏してしまうようです」
そう言うとウイちゃんはぐったりして俺に体を預けてきた。いや待て、成仏ってどういうことよ。
「最初にお逢いした時に、私の成仏を願われていたではありませんか。その時がきたのです」
いやいや、ちょっと待ってってば。急にそんなこと言われても理解が追いつかないから。
「じょ、成仏してもまた会えるんだよね?」
「死人にとって成仏とはこの上なく幸せなことなんですよ。どうやら私の未練は生前、誰の役にも立っていなかったことのようです。それが今、大好きなヒコザ様のためにこの身を投げ出すことが出来ました。私は満たされています。だからとっても幸せです」
ウイちゃんのきれいな瞳から、一筋の涙が流れていた。ウソだ、満たされているなんてウソに決まっている。
「出来ればヒコザ様に生娘をもらって頂きたかったのですけど……」
「そ、そうだよ、俺だってウイのことを抱きたいと……」
「まあ、嬉しいですわ。でも申し訳ございません。それは叶いそうにありません」
「こ、国王として命じる。ウイ、逝くな!」
「うふふ、幽霊の私に逝くななんて。それに成仏する死人を引き留めては、ヒコザ様の業になってしまいますわよ」
構うものか。業だろうが何だろうが、ウイちゃんと会えなくなるより辛いことはない。だが、ウイちゃんの姿はもう、向こう側が完全に透けて見えるほど薄くなっていた。
「今殺されたそこの姫様も、ヒコザ様の考えていたことを知って後悔されておいでです。本当にお優しい。ヒコザ様、私のこと、お忘れにならないで下さいね」
「ウイ……ウイ!」
間もなく、ウイちゃんの姿は俺の目に見えなくなってしまっていた。ウソだろ、あんなに傍若無人で、図々しいとさえ言えるウイちゃんがこんな形でいなくなるなんて。見えないのは俺だけで、ユキたんやアカネさんには見えてるよね。そう思って彼女たちに目を向けたが、皆顔を伏せるばかりだった。
「すまぬウイ、妾は最初、そなたを怖がってしまった」
姫殿下、お願いですからウイちゃんがいなくなってしまったことを決定付けないで下さい。
「ウイ、どこにいるのだウイ、返事をせよ!」
俺の悲痛な叫びは、ただ雨に打たれるテントの中で虚空に響くだけだった。
キク姫の処遇はとりあえず処刑することとなっているが、まずはウメ姫を捕らえるのが優先事項だった。ウメ姫はキク姫とマツ姫が任務に失敗したことを知って、城から姿を消してしまっていたのである。
「陛下、どうかお気を落とされませんように」
ユキたんが俺の頭を抱いて優しく語りかけてくれている。タケダの城に着いて数日、だがあれ以来ウイちゃんが姿を見せることはなかった。いつもならその辺りにゆらゆらと浮いているウイちゃん、それがいなくなってしまったのだ。しかも原因は俺を庇ったせいである。成仏することが死人の幸せというのは分からないでもない。しかし、そのことは俺の心に大きな穴を開けてしまったのである。
「そうだな、いつまでも哀しんではいられないな」
「そうですよ。ウイ姫様は成仏されたんですから、喜んで差し上げないと」
ユキたんの言う通りだ。それに俺にはやるべきことが山積している。
ウメ姫がいなくなったことで城内は一時騒然となったが、国王として俺が戻ったお陰で平静を取り戻しつつあった。オオノさんもあと一歩で城を追われるところだったが、立場が逆転した今は元気に不忠者を取り締まっているところだ。
「それに今日はオオクボ王国との同盟調印の儀も執り行われます。私たちがこのお城に入った翌日には、オオクボ国王陛下の代理人としてガモウ・ノリヒデ殿がこちらに旅立たれたそうです」
「そうか、ガモウ殿が……」
「申し上げます!」
ここは国王の執務室、その扉の向こうで衛士の声が聞こえた。
「何だ?」
「はっ! オオクボ王国よりの使者と申す者が四名、国王陛下への謁見を願い出ております」
あれ、使者ってガモウ閣下じゃないのかな。でもガモウ閣下なら黙っていてもマツダイラ閣下が通してくれるはずである。
「使者? その者の名は?」
「モモチ・タンバ、それからヤシチ、サナ、リツと申しております」
モモチという人は知らないが、ヤシチさんにサナとリツの二人か。なら安心だ。
「謁見の間に通しておけ。すぐに参る」
懐かしい顔ぶれだ。サナもリツも元気にやっていただろうか。あの二人には本当に幸せに暮らしてほしいと思う。
「陛下、大丈夫ですか?」
「ユキたん、ありがとう。ウイのことは忘れられないが、今は彼女の冥福を祈るとしよう。それに余にはやらねばならぬことがたくさんあるからな」
「陛下……すっかり国王が板についたようで」
そう言って微笑んだユキたんを抱き寄せ、俺は彼女に唇を重ねた。




