第十一話 奥方様を取り戻してご覧に入れます
「遅いですな」
ババさんがイライラを隠そうともせずに呟いた。ユキたん、アカネさん、スズネさんが出ていってからすでに小半刻、三十分くらいは経過していると思う。三人にもしものことがあったら、いやそれはないだろう。スズネさんは武闘派忍者の当主の娘、アカネさんは他国にまで名を轟かせた大剣豪ミヤモト・ヤマトの娘にしてその奥義を継ぎし者。そしてユキたんはそんなアカネさんと共に日夜剣術の鍛錬を欠かさぬ使い手である。加えて彼女たちにはババさんが貸し与えてくれたスノーウルフも付いている。万に一つが百万に一つとなっても、敵に後れを取るようなことはないはずだ。だが――
「もしかして人質を取られて闘えないとすれば……」
「陛下、それは……」
「抜かった、馬引けぃ!」
マツダイラ閣下が立ち上がって大声を上げると、ババさんも同様に叫んでいた。そこで俺は見てしまった。アカネさんのあの鞘が太い仕込み刀がそこに置かれていたのを。
「アカネ、まさか普通の刀だけで……」
俺は思わずその刀を手に取った。彼女がやたらに奥義を見せつけないことは百も承知だ。それに今は二刀流は必要ないと踏んでいたのだろう。しかし、敵はここで俺の命を奪うために全力を差し向けてきた可能性だって考えられる。まだ完全に敵襲だと断定出来たわけではないが、こうなってしまっては悠長なことは言っていられない。
「申し上げます!」
その時再び馬車の外からババさん配下の兵士の声が聞こえた。
「何だ!」
「旅芸人一座の遣いと申す者が、ぐはっ!」
「どうした?」
ただならぬ気配にババさんが扉を開けると、背後から胸を剣で刺され痙攣している兵士の姿があった。そしてその兵士を後ろから蹴り飛ばして剣を抜き、地面に突っ伏した彼の陰から姿を現したのは、旅芸人の姿をした見知らぬ男だった。
「陛下! 下がって!」
「貴様、何者か!」
「お初にお目にかかります。私の名はハットリ・ハンクロウ、しがない旅芸人でございます」
男は口元に半笑いを浮かべて頭を下げる。とは言っても視線は用心深くこちらに向けたままだ。
「戯れ言を。オダの忍者か!」
「ババ殿、忍者が己の素性を明かすことはありますまい。分かっているのは此奴が敵であるということだけです」
「これはまたとんだお勘違いを。私はただ遣いを頼まれただけですよ」
「ならば何故その者を殺した!」
「おや、この方だけではございませんが」
「な、何だと! おい、誰か、誰かおらぬか!」
ババさんの声に応える者、それは激しい雨が打ちつける音だけだった。手勢はそれほど多くなかったとは言え、ババさんの部隊は洗練された騎士たちばかりのはず。それをこのハットリと名乗った男はたった一人で片付けたと言うのか。
「さて、それでは伝言です。そちらに御座すお方が国王陛下ですな。確かに凛々しいお姿だ。あのような醜女共を妃に迎えたとは俄には信じられませんが……」
「お、おい! ユキたちをどうした!」
「ご無事ですよ。先に参られた兵士たちもね。彼らを人質として見せたら大人しくして下さいましたので」
やはりそうだったか。ユキたんたちが人質を見捨ててまで非情になれるわけがないのだ。俺の考えが甘かった。しかし無事と聞いてホッとしたよ。
「高貴な身分の女性を無理矢理、というのが私の趣味ではありますが、さすがにあの見た目では。ですから何もしておりません」
それにしてもハットリというのは失礼な奴だ。確かに彼女たちはこっちの世界では美人とは言えないのだろうが、仮にも俺の妻だ。言っていいことと悪いことがある。コイツは無礼討ち確定だな。
「陛下、お付きの方々も、全員私に付いてきて下さい。雨除けがなく申し訳ないのですが、馬車は降りてきていただきます」
そう言うとハットリは一歩下がって道をあけた。
「そうそう、腰の物は置いていって下さい」
「何だと!」
「貴様、陛下も丸腰にする気か!」
マツダイラ閣下は俺が手にしていたアカネさんの剣を見て勘づいてくれたようだ。
「ふむ、確かにそうですね。では陛下だけは一振りお持ち下さい」
その言葉に俺は自分の魔法刀を置き、アカネさんの仕込み刀を腰に差した。
「陛下、くれぐれも申し上げますが、背後から私を斬ろうなどとはお考えにならないことです。私が戻らねば人質は全員殺されますので。もっとも陛下の腕では私は斬れないでしょうけど」
やっぱりコイツは無礼討ちしかない。ユキたんたちを助け出して必ず成敗してやるから覚悟しておけ。ところが彼はさらに俺の気持ちを逆撫でするようなことを口にした。
「そちらにおられるのはオオクボのアヤカ殿下ですな。噂に違わず美しいお方だ。それにまだお若い。後ほどじっくりと私が男というものを教えて差し上げましょう」
ククク、と笑いながらハットリは姫殿下にいやらしい目を向けている。俺は不用心に背を向けるハットリに対し、今すぐ斬り殺したい衝動に駆られた。
「陛下、不肖、このツチミカドが命に代えましても奥方様を取り戻してご覧に入れます。ですからどうかお心を鎮められますよう」
俺の怒りを察したツチミカドさんが肩に手を掛けて囁いた。お陰で少し落ち着くことが出来たのだが、それと同時に俺は大切なことを思い出した。ウイちゃんの姿がどこにも見当たらなかったのである。敵対するハットリに存在が気付かれなかったのはいいとして、彼女だけあのまま馬車に残ったのだろうか。いや、最後にキャビンの中を見回した時にもウイちゃんはいなかったように思う。まさか雷に打たれてしまったとか、ということもないだろう。
俺は気がかりを残したまま、いけ好かないハットリの後に続いた。




