第九話 すぐに衛生班を向かわせてやれ!
「今宵は野営ですが……」
「よりにもよってこんな時に……」
マツダイラ閣下とババさんが、俺たちの乗る馬車に乗り込んでぼやいている。そのすぐ横にスケサブロウ君たちが乗っている大旦那様専用の馬車と、さらに向こうには一番大きな荷馬車が並んで停められていた。位置関係としては敵の目を欺くために、大旦那様専用馬車を二台の間に挟むような形である。
タケダ王国に入って二日目、予定では明日中には目的地である王城に到着することになっているが、その夜は雷雨となっていた。激しく打ちつける雨粒と辺りを劈く雷鳴は、我々人間はもとよりスノーウルフの鋭敏な聴覚や嗅覚も鈍らせてしまう。条件は味方も敵も同じとはいえ、この状況は護る側にとって不利と言わざるを得ないだろう。
「スケサブロウ君たちは大丈夫かな」
「ツチミカドがおるから問題ないじゃろ。あれは何があっても動じない男じゃからな」
でも初めてウイちゃんを見た時にはさすがに少し動揺してたみたいだけどね。
「それはいいとして陛下、奥方たちと睦まじくされるのは結構ですが、我々の目の前では少々お控え願えませんか?」
「どう見ても俺……余のせいではないだろう」
ユキたんを始めとした女の子全員が、雨と雷の音に怯えて俺にしがみついているのである。それをマツダイラ閣下が呆れ顔で見ているのだが、すでに身動きすら出来ないほどに雁字搦め状態なのだ。俺にどうこうする余裕など全くないのだから、そんなことを言われてもどうしようもないよ。
「スケサブロウ殿の馬車にはスノーウルフを一頭忍ばせておきました」
「え! あの猛獣を?」
いくらちゃんと躾けられているとはいえ、考えただけでも恐ろしいよ。
「おナミ殿はもふもふだ、と大喜びで戯れておられましたぞ。スケサブロウ殿は青ざめて隅っこの方で縮こまっておりましたが」
「ツッチーはどうであった?」
「ツッチー?」
マツダイラ閣下とババさんが揃って変な声を出した。
「いや、ツチミカドがそう呼べと……」
「あ、ああ、なるほど、ツチミカド殿も心なしか距離を取っているように見えましたな」
「それにしても陛下は言葉遣いが板についてきたようですな」
そりゃそうだろう。移動中は別として休憩で馬車を停めた時は、ツッチーから王としての言葉遣いやら何やらをみっちり仕込まれるのだ。だから最初は身分を気にしたり気恥ずかしかったりしていたが、今はもう口だけならそこそこは国王らしくなったんじゃないかと思う。
「偉そうにしていれば何とかなると言われたしな」
「どこにオダの間者が紛れているか分かりませんからな。くれぐれもボロを出さぬよう、お願い致しますぞ」
「申し上げます!」
その時、馬車の外から兵士の声が聞こえてきた。
「何事か!」
「旅芸人一座、総勢十五名の座長と申す者が助けを求めて参りました」
「助け?」
「この雨で荷馬車がぬかるみにはまり、崩れた荷の下敷きになって座員が負傷したとのこと」
これはさすがに俺もおかしいと思った。仮に座員の負傷が本当だとしても、旅芸人一座ならそのような時の対処も自分たちで出来るはずだからである。
「ウイ、様子を見てきてくれないか」
「ヒコザ様、私もそうさせて頂きたいのですが……」
「どうした、何か問題でもあるのか?」
珍しくウイちゃんが俺に浮かない表情を向けてきた。今までこんなことは一度もなかったので驚きだが、まさか幽霊なのに雨に濡れるのが嫌だとでも言うのだろうか。
「実を言いますと私、雷には弱いのです」
なるほど、雷が怖いということか。しかしよくよく聞いてみると、ウイちゃんの場合は怖いとかそんなレベルではなかったのである。
「私は雷に打たれやすく、また打たれた際にはこの身が消滅してしまうのです」
「しょ、消滅?」
ウイちゃんによると消滅するのは見えたり実体化出来たりする体だけで、幽霊としての存在がなくなるわけではないらしい。ただし体がなくなると今のようにウイちゃんと会話することはもちろん、認識すら出来なくなるということだった。それは可哀想だし、こっちとしても悲し過ぎる。
「そういうことなら致し方ないな」
「申し訳ございません」
「いや、気にするな」
しかしウイちゃんが無理だとなると、助けを求めてきた旅芸人一座の正体を見極めるのも難しいと言わざるを得ない。本当に困っているなら助けることはやぶさかではないが、罠だったら取り返しのつかないことになりかねないからである。
「負傷したということは治療を求めているということだな?」
「そのようにございます!」
今度はババさんが外の兵士に声をかけた。
「どのような状況か聞いておるか?」
「足が折れて骨が飛び出してしまっているとか」
「なんと!」
いわゆる開放骨折というらしい。これは通常の骨折とはわけが違い、早急な応急処置とさらに適切な治療が必要となる。旅慣れしている旅芸人一座でも、確かに助けを求めてきてもおかしくない状況だった。だからと言って胡散臭さが完全に拭えたわけではない。
「この雨で感染症の危険も高くなっている。すぐに衛生班を向かわせてやれ!」
「ははっ!」
だが、ババさんは症状を聞いてすぐに決断したようだ。この判断が吉と出るか凶と出るか、さらに激しくなる雨音に俺たちはただ祈るしかなかった。




