第六話 俺、時間に遅れたりとかしてないよね?
ユキさんの家、タノクラ男爵邸は門の左右の壁が霞むほど広い敷地に建っていた。門扉の一画には守衛室があり、帯刀した守衛さんが数人詰めている。その人たちに見送られて中に入ると、雑木林の奥に王城よりわずかに小さめの、中世の城を思わせる建物がそびえ立っていた。
「あれがユキさんの家?」
「はい。狭いので恥ずかしいですけど」
いやいや、その感覚はおかしいって。あれで狭いなんて言われたら、我が家には虫しか住めなくなるから。でもきっと彼女のことだから、本気でそう思ってるんだろうな。
「ユキさんはやっぱり結婚して住むなら、このお城より大きい家じゃないと嫌?」
「え? そんなことないですよ。私はこう見えて結構寂しがりやなので、いつも旦那様がすぐ近くにいてくれるような小さな家の方がいいです」
それを聞いて少し安心したよ。もっともその小さなという基準については一抹の不安が残るけど。そんな話をしながら歩いているうちに、俺たちはお城の入り口に到着した。
「お帰りなさい、お嬢様。ようこそお越し下さいました、コムロ様」
タイミングよく開いた大きな扉の向こう側では、ざっと十人ほどのメイドさんたちが深く頭を下げて挨拶してくれた。皆お揃いの水色のメイド服を着ており、どのメイドさんも可愛い顔をしている。ということは、言わずと知れたこちらの世界でのブサイク女子さんたちだ。
「コムロ・ヒコザ様、ようこそおいで下さいました」
その中の一人、扉のすぐ脇に立っていたメイドさんが俺に和やかに挨拶してくれた。ユキさんほどではないがこの人もかなり俺好みである。ちょっとドキドキしちゃったよ。
「ど、どうも、初めまして」
「ヒコザ先輩、顔が赤いようですけど大丈夫ですか?」
「あ、うん、こんなに可愛いメイドさんばかりだとちょっと照れちゃうっていうか……」
あはは、などと照れ笑いしながら頭をかく俺だったが、瞬間場の気温が何度か上がったような熱気を感じた。見るときれいに整列したメイドさんたち全員の顔が真っ赤になっている。
ところでユキさんはというと、メイドさんたちと同じように少々赤くなっていたが、こちらはちょっとむくれ顔だ。あれ、俺何か失礼なこと言ったのかな。
「ヒコザ先輩、私も後でお話ししたいことがあります。よろしいですね?」
な、何でユキさん怒ってるの。てか、よろしいですかという疑問形ではなく、よろしいですねって強制なのね。俺としては身の危険しか感じなかったのでよろしくないです、と応えたかったのだが――
「よ、よろしいです」
彼女の視線だけで首が飛びそうだったので、思わずそう応えちゃったよ。
「では参りましょう」
ユキさんはそう言うと、早足に城の奥へと向かって歩きだした。慌てて俺もその後を追う。
「ユキさん、ユキさん」
「何ですか?」
「何か怒ってない?」
「別に怒ってなどおりません!」
「やっぱ怒ってるじゃん」
「……」
「ユキさんてば……」
「もう! ヒコザ先輩は私の気も知らないで!」
「ゆ、ユキさんの気持ち?」
「もういいです。それより着きました。この部屋に父上がお待ちです」
「だ、男爵閣下が……お待ち?」
俺、もしかして時間間違えたのか? 平民の俺が貴族様を待たせるなんて、それだけで不敬を咎められても文句は言えない。
「父上はヒコザ先輩が貴族ではないことをご存じなので、変に改まらなくても大丈夫です。それより父上の質問には明瞭かつ簡潔にお答え下さい」
「わ、分かった……あの、ところでさ」
「何です?」
「俺、時間に遅れたりとかしてないよね?」
「はい、先輩はちゃんと約束通りの時間に……父上を待たせていることを気になさっているのですか?」
「う、うん……」
「ご心配なく。父上は一番に食堂に入りたがる人なんです」
そうなんだ、よかった。でもそのこだわりは覚えておかないとマズいよね。この先もしまたここに招かれることがあったとしたら、絶対に男爵閣下より前に食堂に入ってはいけないということだ。
「父上、コムロヒコザ先輩をお連れしました」
「入れ」
扉の向こうから低く落ち着いた声が聞こえ、それと共に俺たちの後に続いていたメイドさんが一礼して扉を開ける。ここでいよいよ俺はユキさんの父親、タノクラ男爵閣下に対面することとなった。