第五話 くれぐれもその歳でよそ様の娘さんを孕ませるんじゃないよ
「え? 男爵様が?」
「はい、父上がヒコザ先輩に興味を持たれたみたいで、夕食に招待したいと」
いつもの昼休みではなく今は放課後で、俺はちょうど帰り支度をしていたところだった。そこにユキさんがやってきたので話を聞くと、どうやらタノクラ男爵閣下、つまり彼女のお父さんが俺を夕食に誘ってくれたというのだ。
「えっと、興味ってつまり……」
「私も昨夜突然言われたので詳しいことは分かりません。ただ懐剣を見たいと言われてましたので、多分姫殿下が何か申されたのだと思いますけど」
なるほど懐剣か。姫殿下からの賜り物なので鞘に飾られた宝石も当然本物だろうし、売ったら一生遊んで暮らせるくらいの金になるんじゃないかと思う。いやいや、もちろん売るなんてとんでもないことだけど。
「それで、いつ?」
「出来れば今夜にでも、と」
「こ、今夜?」
困ったことになったぞ。貴族様の邸にお呼ばれするなんて生まれて初めてのことだ。礼儀や作法も分からないし、そもそも手土産だって用意していない。
「いかがですか?」
「いや、しかし……」
「姫殿下から賜った懐剣を忘れずにお持ち下さればいいですよ。それ以外はお気遣い無用です」
もちろん姫殿下から懐剣は肌身離さずと言われて渡されたのだから、持っていくつもりではいる。
「今夜は何か予定がおありですか?」
「ユキさん」
「はい?」
「俺、首刎ねられたりしないよね?」
「え? どうしてですか?」
「いや、だってほら、俺ユキさんに付きまとっているようなものだし」
「ご自覚があるんですね」
「ゆ、ユキさん?」
「ふふ、冗談ですよ」
俺の気も知らないでユキさんは楽しそうだ。もっともこうして一緒にいるのは姫殿下の命令ということが校内に知れ渡って以来、打ち解けてきてくれているのはいいことなんだが。
「それで今夜はいかがですか?」
「う、うん、とりあえず予定とかはないけど」
「では一刻ほどしたらお城の東の公園まで来て下さい。そこまでお迎えに行きますので」
一刻とはだいたい二時間くらいのことである。よかった、一度帰れるのか。
「そうそう、何か食べたいものはありますか? お肉でもお魚でも何でもいいですよ」
「食べたいものか。俺は好き嫌いはあまりない方だけど、そうだな、せっかくご馳走になるなら肉がいいかな」
「お肉ですね。分かりました」
あれ、待てよ。もしかしてお肉ったって、俺たち平民がいつも口にしているようなものとは大違いの高級品なんじゃないか。
「ではまた後ほど!」
「あ、ユキさん、ちょっと」
やっぱりお肉じゃなくて軽食で、と言おうとしたのだが、彼女には俺の声が聞こえなかったらしい。急ぎ足で駆けていってしまった。
どうするんだよ俺。粗相とかやらかしたら本当に首と胴が別々に帰ることになるかも知れないぞ。父ちゃん、母ちゃん、親不孝な息子でごめん。
それから俺は一度家に帰り、せめて身ぎれいにしておこうと風呂に入って下着も新品のものに着替えた。心配させるといけないので母ちゃんにはタノクラ男爵様の屋敷に行くとは言わず、友達と晩飯を食ってくるだけだと伝えた。そうしたら母ちゃんは父ちゃんには内緒だよって言いながら、大銀貨を一枚持たせてくれたよ。
大銀貨は十六歳の俺には相当に大きな金額だ。何てったって一ヶ月分の小遣いと同額だからね。友達といて恥をかくことがないようにとの親心なのだろう。泣けるよ、母ちゃん。
「あんた、くれぐれもその歳でよそ様の娘さんを孕ませるんじゃないよ」
「は?」
ちょっと待った母ちゃん、前言撤回だ。何を勘違いしたのか母ちゃんは大銀貨と一緒に避妊具、いわゆる男のアレに被せるヤツを渡してきたからである。しかも五、六個まとめてだ。俺は呆れながらも大銀貨と一緒にズボンのポケットにそれをねじ込み、懐剣を落とさないように懐にしまってから家を後にした。
ところ変わってこちらは隣国のタケダ王国。国王はタケダ・ハルノブといい、若い頃は荒い気性と天賦の才により、文武に誉れ高き人物であった。だがその猛王もすでに齢七十を超え、晩年は安寧に満ちた生活を送っていたのである。
そんな折、後継に指名されていた第一王子であるヒコタロウが病で急逝してしまう。結果、第二王子トラノスケを擁するトラ派と、第三王子イチノジョウを擁するイチ派との間で争いが勃発。通例であれば順当に第二王子が後継に指名されるのだが、トラノスケの母親である第七夫人は実は貴族の出ではなかった。そのため、公家出身の第十一夫人の子であるイチノジョウを後継に推す派閥との間で争いが巻き起こったというわけだ。
それからもう一つ、トラ派には元々ハルノブを殺して王国の乗っ取りを企てているという噂が流れていた。
「陛下、いかがなされるご所存ですか?」
執務室で揺り椅子に腰かけ、楽しげに口ひげをいじる王に向かって話しかけているのはタケダ家重臣の一人、ツチヤ・マサツグ伯爵であった。ツチヤ伯爵は全部で六人いる側近の中でも、最も王に近いとされる人物である。
「マサツグよ、トラ派の動きはどうじゃ?」
「はい、かねてよりの調べ通り、やはりオーガライトを大量にため込んでおります」
「あれを使って何をしようというのかのう」
「それも目下探索中ではございますが、なかなか尻尾を掴ませてはくれないようで」
「送り込んだ密偵も例のくノ一に籠絡されたと申しておったな」
「トラノスケ王子殿下は国で一、二位を争うほどの見目麗しき女を何人もくノ一に仕立て上げております。そのくノ一は男を惑わせる術まで使うとか。となれば、いくら修練を積んだ密偵でも抗いようがないでしょう」
「ほっほっほっ、余もそのような女子に籠絡されてみたいものじゃ」
「陛下! ご冗談はおやめ下さい! 今ここで陛下がお命を落とされてはトラ派の思う壺となりますぞ」
「ところで密使はすでに旅立ったか?」
「はい、陛下からの密書を携えて。数日のうちにはあちらに着くものと思われます」
「まずは向こうの出方を窺うとしようじゃないか。焦ることはないじゃろう」
そう言って口元に笑みを浮かべる国王はかつて猛王と呼ばれた時のように、まるで戦いを楽しみにしているかのような表情を浮かべていた。