第十一話 貰っておこうか
俺たちの眼前には朽ちかけた木製のテーブルと、いつ崩れてもおかしくないような廃墟とも言うべき壁があるだけだった。先ほどまで煌々と揺れる炎をたたえていたキャンドルスタンドも、無造作に倒れて錆びに覆われている。そして豪華な食事も酒も跡形もなく消えており、使用人たちはおろか姫君もカイホウさんすらも姿が見えなくなっていた。当然のことながら酔いも吹っ飛んでしまったよ。
「せ……先輩……」
かろうじてユキさんが一言漏らして俺に腕を絡めてくると、反対側のアカネさんも同様にしがみついてきた。それに倣うようにサトさんとカシワバラさんはそれぞれユキさん、アカネさんに身を寄せている。無論四人ともガタガタと小刻みに震えているのが分かった。
「ん? これは……?」
ふと俺は目の前に置かれた、古めかしい建物や調度品とは明らかに似つかわしくない真新しい封筒に目をとめた。そしてユキさんとアカネさんに任せていた腕を何とかほどき、その封筒から便せんを取り出す。
「先輩、それ何ですか?」
怪しいのは分かっていながら聞いてくるユキさんの表情は、もはや完全に血の気を失っていた。それでも俺はこの便せんに書かれた内容を読まなければならないと思ったのだ。
『親愛なるタノクラ家の皆様』
便せんの最初の行には、見事な筆の文字でこのように書かれていた。血文字じゃなくてほっとしたよ。
『驚かせてしまって申し訳なく思っております。私共は決して皆様を怖がらせようと意図したわけではございません。どうか最後までこの書をお読み下さい』
手紙はカイホウさんによるものだった。彼はアザイ家に仕える魔法使いで、そのアザイ家は今から三十年以上前にオダによって滅ぼされたということだった。そうだ、思い出したよ。かつてオダ帝国に反旗を翻し滅ぼされた国の王族、それがアザイ家だ。外国の情勢に疎い俺でも、あの強大な帝国に刃向かった国があったという話だけは耳にしていたのである。
俺が喉元まで出かかっていたのに思い出せなかったのはこのことだ。確かに知っていた事実なのに忘れてしまっていたように感じたのも、その他諸々の違和感も実はカイホウさんの魔法が原因だったらしい。カイホウさんはそのことについても謝罪の文字を残していた。
姫君はオダ勢が攻め込んできた時に城下に落ち延びようとしたのだが、運悪く敵の忍者部隊に捕まってしまったそうだ。そしてしばらくはあの海蝕洞に幽閉されていたが、ある嵐の日に見張りの忍者もろとも溺死したという内容が書かれていた。
「それで手応えがあったはずの苦無が……」
幽霊相手では効かなかったということだ。カシワバラさんもようやく得心出来たようである。
「で、でもだったら何故家宝の水晶を……?」
ユキさんを始め、他の三人も怯えながら俺に続きを読めと催促しているように見える。怖いくせに気になるのだろう。
「えっと何々、家宝は本当に姫君を返す交換条件だったらしいよ」
ただし姫君を攫った忍者共もすでにこの世にはいない。ところが志半ばで海の藻屑と化した彼らは、あの海蝕洞に縛られてしまったのだそうだ。
「それはつまり……」
「地縛霊になったってことだろうね」
そして地縛霊となったのは忍者共だけではなかった。姫君もまた、あそこに縛られてしまったのである。
「なるほど、だから水晶を渡して姫様を救い出す必要があったというわけなんですね」
「もし水晶を渡さずに姫君だけを救けてたら、俺たちが忍者共の亡霊に取り憑かれるところだったんだって」
もっとも聖職者ではない俺たちが、家宝を渡さずに忍者の亡霊から姫君の霊を救出する手立てはない。つまり望みを叶えて縛られた地から解放する以外に方法はなかったのだ。そのためにカイホウさんは初めから家宝の青色水晶を相手に渡すつもりだったようだ。だからあの時俺たちに本物の家宝を持たせたのだろう。
「でもそれならカイホウさん、ちょっと酷いと思いませんか?」
そこで不満を口にしたのはアカネさんである。ひとまず落ち着いたのか、相変わらず俺にくっついてはいたが体の震えは収まったみたいだ。
「何が?」
「だって私たち、もしかしたらその忍者の亡霊に殺されていたかも知れないんですよ」
「確かに……いや、それについても書いてあるよ」
俺たちが忍者に殺されなかったのは、俺とユキさんが持っていた魔法刀のお陰らしい。生者ならまだしも亡霊が狙いを外すことなどあり得ないが、忍者の投げた手裏剣を躱せたのはこの腰に魔法刀があったからだそうだ。
「どうやら魔法刀が何らかの結界になっていたみたいだね。カイホウさんはそれが分かってたから俺たちに姫君救出を依頼したらしいよ」
ついでに言うとカイホウさんも含めた死者たちを認識出来たのも、出された食事を食べることが出来たのも全ては魔法刀のなせるワザということだった。用心のために持ち歩いていたのが、幸か不幸か滅亡したアザイ家の人たちとの繋がりを築いたと言える。
「コムロさま、最後に何かお礼のことが書かれてますよ」
横から手紙を覗き込んでいたサトさんが、目を輝かせて俺の方を見た。さっきまで震えてたくせに。そう思うと何だか微笑ましい。
「えっと、お礼は姫君が強く望んだんだって。それからこれは私からの……? カイホウさんと姫君が別々にお礼くれるってことかな。テーブルの上を見ろって書いてあ……る……」
そんなもの、最初はなかった。俺はそう断言する。女の子たち四人もきっと同じ気持ちのはずだ。改めてテーブルに目をやった俺たちは、ゴルフボールほどの大きさの青色水晶が五つ置かれているのを見て息を呑んだ。
「さ、最高品質の水晶で呪いも念もこもっていないから安心して持っていってくれだって」
「生活に困ったら売ってもいいって書いてありますね」
カシワバラさんが手紙の続きを読んで言った。
「や、やっぱりお礼ですし、頂いた方がいいですよね」
サトさんが若干噛み気味に言ったのは怖がっているからではなく、高価な水晶を前に嬉しさを隠しきれないからである。その証拠に彼女は言い終わらないうちに、すでにお礼を手に取っていた。
「ま、まあカイホウさんがせっかく用意してくれたんだし、貰っておこうか」
逆に貰わなかったら祟られるということもないだろうけど、ちょっとは躊躇しないのかな。俺は楽しそうに水晶を手に持つ未来の嫁たちに苦笑いする他なかった。
それにしても姫君からのお礼って何だろう。少しばかり気にはなったが、俺も美しい青色水晶に見とれていつの間にか消えていた手紙にさえ驚きもしなかった。
些細なこととして。




