第十一話 痛くて死んでしまいそうですから
戴冠式はお城の前に広がる広大な草原とも言える場所に、祭壇を組んで執り行われることになっていた。祭壇の周囲に仕切はなく、四方どこからでも見られるようになっている。ただし、そこを中心に半径約三十メートルの位置に護衛兵が配され、来賓も含めて集まった見物人は半径約五十メートル以内に立ち入ることを禁じられていた。これはツチヤさんが言っていた通りである。
壇上には先に神官様が立っており、準備が整ったところで俺たち四人が進んで行く。先頭は姫殿下、続いて俺、左右にユキさんとアカネさん、その後ろにガモウ閣下が付き従うという形だ。今の時点では壇上にも周囲を取り囲む衛兵にも、妙な動きは見られない。また、見物人の中に紛れ込んでいるヤシチさんも目立った動きはしていないようである。このまま何事もなく式典が無事に済めば言うことなしだ。
「姫殿下、何も起こりそうにないですね」
「油断は禁物じゃ」
「それはそうだと思いますが」
祭壇までは距離にすれば大したことはないのだが、この時間が異常に長く感じられるのは俺が緊張しているせいだろう。見物人の集団も騒ぐことなく、じっと大人しく事の成り行きを見守っている。新たな国王の誕生は、タケダ国民にとっては一大事だ。浮ついた気持ちはないのだと思う。
そんなことを考えているうちに、ようやく俺たちは祭壇に辿り着いた。そこで前を歩いていた姫殿下がすっと脇に寄り、俺に道を譲って自らは一歩後退する。そして予定通り俺が壇上に上がり、神官様の前に跪いた時だった。
「これより、タケダ・イチノジョウ王子殿下が我らが王となる証として、戴冠の儀を執り行う」
ツチヤさんの口上である。それと共に周囲を取り囲んでいた衛兵のうち、俺の後ろにいた二人が剣を頭上高く掲げて歩み寄ってきていた。ただし、その様子は俺には見えていない。俺がそれに気づいたのは、彼らが祭壇まで十メートルほどの所まで近づいた時の鎧の擦れる音によってだった。
「止まれ!」
衛兵二人の予定外の行動に、ガモウ閣下が声を上げた。そのあまりの大きな声に、それまで静かに戴冠式を眺めていた観客たちの間からざわめきが走る。
「貴様たち、何をするつもりだ?」
「我らは国王陛下に忠誠と剣を捧げる役目にございます」
「そのようなこと、聞いてはおらぬぞ!」
「ガモウ殿、これは我が国古来よりの習わし故、その者たちをお通し下され」
割って入ったのはツチヤさんだった。もっとも彼は壇上の神官様の後ろに立ったままなので、これは言葉だけである。だが、この事態に驚いて俺が目を上げた時、神官様の信じられない様子が飛び込んできた。
「姫殿下! 危ない!」
神官様はあろうことか持っていた王冠の下から苦無のようなものを取り出し、俺ではなく姫殿下に襲いかかったのである。俺は咄嗟に神官様に体当たりして、何とか姫殿下の身を護ることが出来た。ただし、その直後に背中に激しい痛みを感じて、呼吸もままならない状態に陥ってしまった。神官様、いや神官様を装った刺客は間髪を入れずに俺の背中に苦無を突き立てていたのである。
「先輩!」
「ご主人さま!」
そこでユキさんとアカネさんが異変に気づいて抜刀し斬りかかったお陰で、俺は刺客からとどめを刺されずに済んだ。それにしても彼女たちの斬撃を易々と躱すとは、この刺客は相当の手練れだと思われる。
「先輩! しっかり!」
背後ではガモウ閣下が不振な動きをした衛兵と斬り合っている。ユキさんは倒れた俺を抱きかかえ、姫殿下も心配そうに身代わりになった俺の顔を覗き込んでいた。
「ユキさん、わ……私より姫殿下を……」
「よくも私の大切な未来の夫を……!」
「ヒコザ、しっかりするのじゃ! 妾はこの通り、そちのお陰で無事じゃぞ!」
「コムロ殿、殿下亡き後は貴方に傀儡としてしばらくこの国の王を担ってもらってもよいと考えていたのですよ」
そこへ歩み出てきたのは、口元に薄笑いを浮かべたツチヤさんだった。
「しかしこうなってはもう国民への示しも付きません。アヤカ王女殿下共々死んで頂くとしましょう」
「お主、何が狙いじゃ?」
「ハチスカ殿、冥土の土産に教えてやってもよろしいかな?」
ツチヤさんからハチスカと呼ばれたのは俺を刺した刺客、つまり神官の衣装を纏った男だった。彼は面倒そうに目深に被ったフードをめくると、ゴツゴツした傷だらけの顔に怒りとも笑いともとれない皺を寄せる。
「時間が惜しい。手短にな」
「それでは簡単に。王女殿下、よくお聞き下さい。これがこの世の最期ですから」
ツチヤさんは大仰に両手を広げ、勝ち誇った口調でこの事態の説明を始めた。
ところでユキさん、もう少し俺を抱きかかえる力を緩めて下さい。幸せではあるんですけど、痛くて死んでしまいそうですから。