01-02 奇跡の神官
ナツとハルは、まだ街にいた。
何せ行先が決まっていないのだ。
むしろ、この街で当面の目標と目的地を決めるつもりでいた。
と言う訳で、宿を決めると適当に街をぷらつく二人である。
「情報収集は基本です。 適当にうろつきましょう」
「適当にうろつく事を情報収集とは言わないと思うんだ」
「中々言いますね、ナツ。 反抗期ですか?」
「違うよっ」
そんな会話が繰り広げられるが、事ある毎に抱き締めようとするハルと、恥ずかしがって逃れようとするナツは、いちゃついているようにしか見えない。
とは言え、今後の目的を見つけるための情報収集なのだ。
ただうろついているだけでも、それなりの話は耳に入って来ていた。
「――また“魔物の暴走”だってよ」
「またか。 今度は幾つの村が消えたんだろうな」
「最近多いよな。 昔は無かったって言うぜ、何が原因なんだか」
もっぱら話は“魔物の暴走”ばかりである。
本人は覚えていなくとも、ナツも“魔物の暴走”の被害者だ。
今のところナツが気にするそぶりは見えないが、何が切欠でご主人様に影響を及ぼすか判らない。
ハルの心境としては、気が気では無かった。
(だからと言って、今更情報収集を止めて宿に帰るとは言えません)
むしろ、一度きっちり立ち向かってしまった方がいいのかもしれないと思い始めた頃――ナツが口を開いた。
「何か、ずっと話題になっているけど、ハルお姉ちゃんは“魔物の暴走”の原因って何だか知ってる?」
これもまたピンポイントな話題であった。
少しだけ悩み、しかしハッキリと答える事にしたハル。
「――知っています」
「わ! 凄い! 街の人達は原因不明って言ってたよ」
「そうですね、普通は知り得ません」
ならなぜ知っているのか。
普通なら当然起こる疑問も、ナツには起こらない。
全面的に信頼する姉に対し、“凄い”と言う感情しか湧かないからだ。
そんなナツから“教えてオーラ”が発され始めたのに気付くと、ハルは優しくナツを抱き締めながらそっと耳元で囁く。
「ここでは誰が聞いているか分かりません、宿に戻りましょう」
「わ、分かった」
どぎまぎしながらも、大人しく言う事を聞くナツである。
宿に戻ると、ハルは防諜の結界を敷き、解説を始めた。
「簡単に言うと、“魔物の暴走”とは迷宮による魔物の解放です」
簡潔過ぎて、ナツにはまるで解らない。
とりあえず解った部分だけを抜き出してみる。
「迷宮が“魔物の暴走”を起こしているの?」
「はい、その通りです」
この世界に置ける迷宮とは、“生きた迷宮”を指す。
生きた迷宮は、突如として発生し、成長を続ける。
その内部は文字通り迷宮であり、多くの場合そこに魔物が棲んでいる。
中には特殊な例もあるようだが、大部分はそうであった。
過去には探索者――迷宮に特化した冒険者を探索者と言う――によって倒されてきた経緯がある。
だが近年、迷宮を倒せる探索者がめっきりと減ってしまっていた。
それにより放置される迷宮が増え、放置された迷宮はどんどんと成長し、更に手に負えなくなると言う悪循環が起きた。
これにより、迷宮が成長し切る事態にまで発展する。
成長し切った迷宮はどうなるか。
結果から言うと、どうもならなかった。
消えてしまうのだ。
そこは迷宮が現れる前と同じ、ただの土地となる。
だがそれで、めでたし、めでたし、とはならない。
迷宮は消滅する前に、囲っていた魔物を解放したからだ。
解放された魔物は、解放された喜びからか、または新天地を求めてか、その迷宮から集団で暴走して去っていくのだ。
これが“魔物の暴走”の正体である。
「“魔物の暴走”には三段階あります。 まず表層。 比較的弱い魔物、ですが数が多くやっかいな相手です。 それらが解放されます」
「うん」
「凡そ、その十日後に中層。 表層よりも強力な魔物が解放されます。 表層より数は少ないですが、何の気休めにもなりません」
「う、うん」
「さらに十日ほど経つと、最後に深層の魔物が解放されます。 ここまでくると、一体一体がすでに災害と呼べるほどの魔物になると言われています」
「それが集団で…?」
「はい」
「うわあ…」
「注意すべきポイントは、見た目が外で見る魔物と同じでも、“魔物の暴走”における魔物とでは実力に天と地ほども差があると言う事です」
迷宮における魔物の強さは、迷宮の成長度合いに比例する。
生まれたての迷宮にいる魔物よりも、成長した迷宮の魔物の方が、より強いのだ。
況してや“魔物の暴走”の魔物は、成長し切った迷宮から解放される。
最上級と言っていい強さを誇るだろう。
「でもさ、そんな大変な事が頻繁に起きてるって事は――」
「はい。 中央では見て見ぬ振りをしていると言う事です」
「え!?」
「迷宮はどれだけ成長しても、その地に害を及ぼさない」
「え、ちょっと待って、今その害が起きてるって話を――」
「“魔物の暴走”にさえ目を瞑れば」
「…………」
ナツは目を見開いたまま固まってしまった。
「探索者――冒険者もですが、彼らの質が落ちました」
驚愕するナツを置いて、ハルは淡々と事情を説明してゆく。
「追求した真理を実践しようと言う魔術師は消え、神の恩寵を受ける信者も数を減らしました。 そんな彼らのバックアップを受けられない戦士が魔物とまともに戦えるはずも無く、迷宮を討滅出来る実力を持つ探索者は減っていくばかりなのです」
極稀にそれを可能とする者達が現れても、中央の権力者たちが囲ってしまい、こんな地方まで態々やって来る事は無い。
故に、地方にとって“魔物の暴走”とは、自然災害と同じなのだ。
自分の住む場所からコースが外れるようにと祈るくらいしか出来ないのが実情だった。
「この辺りの話は、中央のある程度の権力を持つ者達ならば知っている事です」
「そうなんだ…でもさ、なんで魔術師や神官が減ったの?」
「魔術師は呪文スクロールが無ければ魔術のレパートリーが増えないからです。 そして呪文スクロールを手に入れるためには迷宮の深奥へと赴かなければなりません」
「でも、そのためには迷宮を討滅できる実力が無いと…あれ!?」
「気が付きましたか。 それが理由です」
そもそも順番が逆なのだ。
迷宮を討滅して初めて有能な魔術師になれるようでは、魔術師は育たない。
それでも討滅できる魔術師がいた頃は良い。
そんな魔術師が弟子を取り、自分のレパートリーと重複して抱え込んでいた呪文スクロールを弟子に与えれば、戦える魔術師が誕生する。
だが、その弟子が迷宮を討滅できるほどに育たなければ、そこでこの流れは止まる。
仮に育ったとしても、不慮の事故や討滅失敗で命を失えば、同じく流れは止まってしまう。
二人目以降を育てても、与えられるスクロールが残っているか怪しいものだ。
そんな事を繰り返した結果が現状なのである。
「神官も似たようなものです。 人が神に頼らなくなったのが先なのか、神が人心に興味を無くしたのが先なのか。 とにかく人は神を信仰しなくなり、そうなると神は信者を減らし、人に対する影響力を無くす。 その結果、また人は神を信仰しなくなり…」
「わわわわ…」
「現在、奇跡を起こせる神官は数えるほどだと言いますね」
要するに、今は冒険者が不遇の時代なのだ。
そこまで話した所で、ハルは漸く自分の失態に思い至る。
「――しまった。 私とした事が、ついナツらしいと流してしまっていました」
「ハルお姉ちゃん? どうしたの?」
「今言ったように、奇跡を起こせる神官は殆どいません。 神殿の外に出るなど有り得ないのです」
「うん、今聞いたよ」
「先日、ナツは暴漢達の腕を治しました」
「――あ」
「奇跡を起こせる神官と間違われても仕方ありません」
その時、宿の外で喧騒が起きている事に気が付いた。
喧騒自体はいつもの事だ。
それ自体は気にも留めていなかったのだが、その内容が自分達に関わる事となれば話は別だ。
「神官様~! 神官様~! お願いです、娘を、娘を助けて下さい!」
「そんな小娘より、こっちが先だ! 神官様! うちのお袋が危ねえんだ!」
「ふざけるな! うちの息子は、もう三日も腹痛が収まらないんだ! 神官様!」
そんな声が、すでに手遅れとなっている事を嫌でも思い知らせて来るのだった。