02-08 自由
「さあ、全員治したし帰ろうか」
負傷者の治療を一通り終えるとナツはアデレイドに声を掛けた。
「な、ナツ様はお元気ですね、さすがですわ…」
はあはあと肩で息をしながらアデレイドは返事をする。
「あ、ごめんね? まだ休んでていいからね」
アデレイドは魔力切れを起こしかけていた。
ナツは自分の魔力を使わないので忘れていたのだ。
明らかに配慮を怠っていた。
ぽりぽりと頭を掻きながらアデレイドの隣に腰掛ける。
アデレイドは少し恥ずかしそうにしながらも嬉しそうだ。
「ね、アデレイド」
「は、はい。 何でしょうか」
「この後、良かったら僕の所に来ない?」
「な、ナツ様…」
アデレイドは夢見る乙女の顔だ。
背後に、ぽわ~んと言う擬音と共にハートマークが見えるようである。
ナツとしては、このまま神殿に帰ってもアデレイドのためにならないと思っての提案だったのだが、完全に思い人に告白された少女になっていた。
「このまま神殿にいたら君はダメになってしまうと思うんだ」
「……(ぽわ~ん)」←まるで耳に入っていない
「僕と君は境遇が似てる、きっと君の力になれると思うんだ」
図らずも遠回しのプロポーズのようなセリフを吐いてしまう。
そして、得てしてそんなセリフだけは相手の耳に入ってしまうものなのだ。
「どこまでもナツ様に付いて行きますわ…」
「そ、そう? よかったよ」
「はい…(ぽわ~ん)」
そんなやり取りが終わるとアデレイドも回復し、二人と一匹は宿屋へ戻る事にする。
彼らを見送る複数の人影があった事に気付かぬままに。
ナツとアデレイドが遠く離れたのを確認し、人影はジーザイア司祭の屋敷に侵入した。
その数は四人。
迷う素振りも見せず、地下のホールへと歩を進める。
「おいおい、全員伸びてんじゃねえか。 ガキ二人に虎一匹だったか? 情けねぇなあ」
剣を片手に抜き放ち、そんな嘲りを口にする革鎧にコート姿の少年。
頭からフードを被っているので人相は判らない。
「無駄口叩いてないで、さっさと済ませろ。 楽が出来てよかったな」
そんな少年を諫めたのは、黒い鎧に黒い外套を羽織った騎士だった。
年の頃は三十台半ばと言ったところか。
「はいはい。 アンタはホント真面目だねえ」
黒騎士におちゃらけた返事を返した少年は、倒れた神殿騎士達の首を切り裂いていった。
黒騎士も少年を諫めた後で、同様に神殿騎士達に止めを刺していく。
「確かに手応えのある奴がいないのは、つまらないがな」
体を動かしながら、独り言のように呟いた。
壇上には、先程の少年より一回り小柄な人物――頭からローブを被っている――がジョナサン大司祭とジーザイア司祭の首を短剣で切り裂いていた。
もう一人、黒騎士と比べると少々劣るが、体格のいい男性が黙って他の三人を眺めていた。
ダナ神教とは違う装飾の、黒い法衣を着ている。
頭髪には白いものが混じり始め、身に纏う雰囲気には貫禄がある。
「ふむ、肝心の人物がおらぬな」
どうやら、この男には目的の相手がいるようだ。
「神殿におらず、ここにもいないとなると…外に出ておったかな」
「そうだな。 残る司祭はあと一人。 神殿騎士も最高の使い手が未だ健在の筈だ」
法衣を着た男性に相槌を打ちながら黒騎士が答える。
「あの怪しげな武器と化け物を警戒して、出来損ないの聖女を逃がしたが、失敗だったか」
ナツの拳銃とユッピーを指しているのだろう。
彼らは先程の出来事を見ていたようだ。
「そうでもないだろう。 早ければ今日にでもここへ戻ってくるさ。 それも全員でな」
黒騎士が軽く答える。
「奴らを仕留める自信があるのかね?」
黒い法衣の男は黒騎士を咎めるように尋ねた。
「それは無理だ。 甲冑に身を包んだ騎士の腕や足を離れた場所から引き千切る子供と、これだけの騎士を一瞬で戦闘不能に追い込む虎だぞ」
黒騎士はお手上げと両手を上に上げた。
だが、その答えに納得する者は中々いないだろう。
法衣の男も同様に苛立ちを隠さず黒騎士を追求する。
「ならばどうするのかね」
「ああ言う手合いは相手にしないに限る。 見たところダナ神教関係者ではなさそうだ。 その舌と頭を上手く使って立ち回れ」
そこへ仕事を終えた少年と、ローブを着た人物が合流して来た。
「戒律で自分を縛る連中の行動を誘導するなんざ簡単だよ。 欲と情と自尊心を少し擽ってやればいい。 権力派も権威派も同じだ、自分達もあの名ばかりの聖女と変わらないって事に気付いてねぇ」
少年が辛辣な言葉でダナ神教を揶揄する。
「どっちも考えが自分中心なところは同じだしねえ。 あ、それはあたし達も一緒か~あははっ」
その言葉に小柄なローブ姿の人物が答える。
その声は若い女性のものだ。
この人物は少女らしい。
「自分の思う通りに生きよ、か。 確かに崇める神が違っても、結局は自分の思う通りに生きるよな」
少年が少女の言葉に賛同する。
「ふん、我らが神、真の自由を掲げるラディスラス様の教えと一緒にするな。 我らは常に自由だ。だが、奴らは抑え付けられ、鬱屈し、それに耐えかねた魂が救いを求めた結果、己の欲望に忠実である事こそが真理であると気付いた愚か者よ。 実に下らぬ。 ――行くぞ」
法衣を着た男性が不機嫌そうに吐き捨て身を翻すと、残る三人もそれに倣った。
「承知」
「あいよ」
「は~い」
そして大勢の死体をそのままに、四人はその場を立ち去った。
「キュ」
ハルはルナを先頭にバーバラとアンガスを引き連れてナツとの合流を目指す。
途中、バーバラ達は神殿で待っていてもよかったのではないかと気付いたが――
「いえ、我々もこのままご一緒します」
「そうだな、それがいいだろう」
と言う二人の言葉を尊重し、全員で一緒に行動していた。
バーバラ達神殿組――と言うかバーバラ一人が、ハラハラ、そわそわしていたが、ルナが特に急いでいない事もあり、ハルは大した事態にはなっていないと判断していた。
そんな風に、のんびりと散歩を楽しんでいると――バーバラが聞いたら怒りそうだ――急にルナが反応した。
「キュ」
何となく、ルナが何を言いたいのか分かったハルは足を止める。
「どうやら、帰ってきたようです」
ハルの目には、砂煙を上げながら走って来るユッピーが見える。
その背にはナツとアデレイドの姿もあった。
「私には何も見えませんが…」
「俺もだ」
目のいいハルだからこその視認だったようである。
(一人足りませんね…)
ヴェロニカと言ったか、アデレイドの世話係の姿が見えない。
いかにユッピーが普通の虎とは違うとは言え、その背に三人も乗せるのは無理があろう。
彼女は初めから二人を追わなかったと見るのが無難か。
ハルはユッピーが駆けてくるのを待つ事にした。
程なく、ナツとアデレイドを乗せたユッピーがやってきた。
無事合流である。
もっとも、アデレイドの服が切り裂かれているのを見たバーバラは錯乱していたが。
攫われてからの顛末を語ったところでナツの無罪は証明され、むしろバーバラは落ち込んだ。
「――そうですか、大司祭様が…」
まあ、自分の所属する神殿の上司が聖女を襲ったと聞かされては、普通ではいられないのだろう。
何せ、襲われた本人が言うのである。
間違いの筈がない。
何よりアデレイドはナツを信頼しているようだ。
先程からナツの手を握って離そうとしない。
「歪な方法で権威を取り戻すよりも、先に教団内の膿を取り除く方が先だったな」
腕を組み瞼を閉じた、いつものポーズで黙って話を聞いていたアンガスが呟いた。
「…そうですね」
疲れた顔と声でバーバラが同意した。
「その事なんですけど、暫くアデレイドを僕達に預けて貰えませんか?」
話題的にいいタイミングだと判断し、ナツがバーバラに相談を持ち掛ける。
「彼女には、もっと普通の生活が必要だと思うんです」
バーバラとアンガスは、そう言ったナツを見て、次いでアデレイドを見た。
アデレイドは必死な顔でうんうんと頷いている。
「そうだな、そうするか」
まずアンガスが折れた。
「…そうですね、ナツ様の元でなら貴重な経験をさせて頂けるかもしれませんし」
バーバラも教育の一環と言う体ではあるが、同意してくれた。
「ナツ様!」
アデレイドは晴れやかな顔で喜びを表現している。
勿論、抱き付くのも忘れてはいない。
「あはは、よかったね」
ナツは冷や汗を掻きながらハルの様子を伺っている。
そのハルは無言無表情だ。
だが、ナツには判る。
あれは不機嫌な時のハルだ。
宿に戻ったら覚悟しなければならないかもしれない。
だが大騒ぎになった割には、取り立てて問題らしい問題も無く――ナツ達の目から見てではあるが――事態は収拾に向かいそうな事は幸いであると言えた。
「では、我らは先に神殿に戻るとしよう。 やらなければならない事が多過ぎて頭が痛いがな」
「はい。 ですが、頑張ってやり切らなければなりません。 こんな歪な在り方を、ダナ神も望んではいないでしょう」
バーバラとアンガスはダナ神教の改革にやる気を見せている。
彼ら権威派――主に魔法を使える神官で構成されている、かつての権威を取り戻したい派閥――は、数は少ないが実力、気概、共に溢れており、結構精力的に活動しているそうだ。
最も、大司祭を始めとした権力派の勢力が大き過ぎて、表立って動けないのが現状らしい。
先を急ぐと言う二人を送り出し、ナツ達はのんびりと帰路に就く。
ルナは定位置――ユッピーの頭の上――に落ち着き、そのユッピーはナツの傍らをゆっくり歩いている。
ナツを挟んだユッピーの逆サイド、つまりナツの左手にはアデレイドが位置し、相変わらず手を繋いだままである。
ナツの背後にはハルが控えている。
(く、空気が重い…)
何とも居た堪れない居心地の悪さを禁じ得ないナツであった。
しかし、酷い目に遭ったばかりで気落ちしているであろう少女の手を振りほどく事も出来ない。
(宿に着くまでに何か良い手が思い付けばいいなあ)
現実逃避気味に遠い目をするナツに、そのアデレイドから声が掛かった。
「ナツ様、私に色々な事を教えて下さいませ。 どんな事でも致しますわ。 ナツ様に相応しい女性になれるよう、精一杯頑張ります」
「あ、ああ…そう…」
「…………」
ハルは変わらず無言だ。
だが怖くて振り向く事が出来ない。
宿に着くまで、この空気に耐えなければいけないのだろうか。
しかし、宿に着いてからが本番と考えると、帰りたくない気にもなってくる。
自分の気持ちをナツに伝えた事で気分が上向いてきたのだろうか、機嫌のいい人物が一名。
反対に気落ちし始めた人物一名。
不機嫌さを空気に乗せて重圧を与えて来る人物一名。
無関心二匹。
そんな三名と二匹の、宿に戻るまでと言う短い道中であったが、アデレイドにとっては生涯の宝物と言える思い出になるのだった。
「これは…どうした事だ…」
神殿に戻ったアンガスが見た光景は、戦場跡であった。
若い頃、領主に仕えていた頃に経験した紛争。
その際の大規模な戦闘直後の光景。
今目の前にあるのは、まさにそれと同じものだ。
死屍累々。
屍と怪我人――重傷、軽傷問わず――の山だ。
「アンガス殿! 呆っとしていないで、息のある者を助けましょう!」
いつもと違い、バーバラがアンガスに進言した。
「あ、ああ…そうだな、その通りだ」
我を取り戻したアンガスがバーバラに続き、敷地へと入って行く。
敷地内では、少ないながらも権威派の神官達が怪我人を癒していた。
自らも傷を負いながら最低限の癒しに留め、他者の癒しに魔力を注いでいるのだ。
魔法の使えない者は軽傷者を集め、手当てを施していた。
処置はすぐに済んだ。
何故なら重傷者を救える程の魔法力を持つ者がおらず、彼らはすぐに息を引き取ったからだ。
それでも魔法使いが懸命に治療を施し、命を拾った者達が僅かだが、確かにいた。
だが、現実は無常だ。
そんな懸命な努力も実らず、ダナ神教の本山はほぼ全滅と言っていい有様となっていた。
「一体何があった、何故こんな事になっているのだ!」
アンガスが怒りを抑え込みながら、この場に居た者に問うた。
「…襲撃を受けたのです」
「相手は二人でした。 異教の神官です。 真っ黒な法衣で、司祭のようでした」
「もう一人も、真っ黒な鎧と外套の騎士でした」
問われた者達が、辛そうにそう言った。
疲労のためか、それとも思い出したくないのか。
皆、口は重かった。
「たった二人に、ここまでいいようにやられたと言うのか! 神殿騎士団は何をしていた!」
とうとう抑え切れなくなったのか、アンガスが怒りを露にして叫ぶように言った。
「それが…大司祭様の命で、神殿騎士達は皆外へと出向いてしまいました」
「何だと!? いったい何のためにだ!」
疑問を口にしながらも、アンガスには思い当たる節があった。
先程ナツが言っていたではないか。
恐らくジーザイア司祭の別邸と思われる屋敷に、大勢の神殿騎士がいたと。
「欲に目が眩んで、あまつさえ私事のために神殿騎士団を使用して、その上その隙を突かれて襲われたと言うのか…」
余りにも情けない事実による教団の滅びに、全身から力が抜け落ちてしまった。
崩れるようにアンガスが地面に膝を付く。
「…待って下さい。 敵の狙いが我らの滅び、ダナ神教その物であるのなら、その標的は――」
バーバラが何かに気付いたように口を挟む。
その言葉にアンガスが我を取り戻し、考えを纏めるように呟き出した。
「――運営者、役職者、つまり大司祭、司祭に…聖女」
ハッとしてバーバラとアンガスが顔を見合わせる。
「アデレイド!」
言うが早いか、バーバラはすぐに駆け出した。
「待て、バーバラ! お前も標的になっている可能性が高い!」
慌ててバーバラを引き留めるアンガス。
「俺も一緒に行こう。 ここはセリーヌ、お前に任せる。 ここまで手酷くやられたのだ、奴らがもう一度来ることも無かろう」
「畏まりました。 無事のお帰りをお待ちしております」
アンガスは生き残った女性神官に後を任せると、バーバラと共にこの場を去っていった。
ナツは宿屋に戻ると、まずアデレイドの服を着替えさせる事から始めた。
これはハルの服を着せる事で済んだ。
もっともナツは、ハルがメイド服以外の服を持っていた事に驚きを隠せなかった。
「ハルお姉ちゃ…ハルもそんな服持ってたんだ。 なら、たまにはそんな服を着てるところを僕に見せて欲しいな」
「――っ!?」
その一言に息を呑んだような微かな音と、珍しく目を見開いて無表情ではなくなったハルの顔が見れた。
(あ、珍しい)
ナツの感想はそんな暢気なものだったが、まさにこの一言が自らを窮地から救った事に彼は気が付いていない。
何故かその後は機嫌のよくなったハルに首を傾げながらも、ほっと息を吐くナツであった。
「おや、ナツ殿。 どこかへお出かけになっていたのですか? 姿が見えませんでしたが…そちらのお嬢さんは?」
アデレイドにベニーを紹介しようと部屋を出たらアーロンがいた。
「えーと、この人は――」
「初めまして、私、アデレイドと申します。 ナツ様のお嫁さんですわ」
「ちょ!?」
余りの事態に、止める間も無く言い切られてしまった。
「ほほう、これはご丁寧に。 私はアーロンと申す者です。 しがないキャラバンのオーナーをしております。 ナツ殿には先日たいへん助けられました」
「まあ、さすがナツ様ですわ。 教義に忠実なのですね」
「奥方殿も是非よしなに」
「はい、承知いたしました。 ナツ様共々よろしくお願いいたしますわ」
(えええぇ…)
ナツを置いて勝手に話が弾む二人。
「それはそうと、ナツ殿。 ナツ殿はこれと言った目的も無く、先を急がない旅路だとか」
漸くアーロンがナツへと話題を振ってくれた。
「え、ええ、そうなんです。 その目的を探すのも、旅の一環なんです」
「なるほどなるほど。 そこで相談なのですが、もし宜しければこの先も我らと共にご一緒しませんか?」
「え?」
「この先ずっと、とは申しません。 その旅の目的が見つかるまででも、どうでしょうか」
有難い話ではある。
キャラバンと一緒の方が、人との関りが多くなる分、目的も見つけやすいかもしれない。
何よりベニーと一緒にいられる時間が増えるのは嬉しい。
反面、アーロンの目的も透けて見える。
ナツと言う強力な治癒魔法の使い手が一緒にいれば、旅の安全は格段に上がるのだから。
とは言え、それは当たり前の事とも言えた。
元々が他人同士の集まりなのだ。
お互いに利点がなければ集まる意味がない。
「ありがとうございます。 ハルとも相談してからお答えしたいと思います」
「おお、もちろんですとも。 是非いいご返事をお待ちしております」
アーロンはそう言ってにこやかに自室へと戻っていった。
「ナツ様」
アデレイドが不安そうな顔をしてナツを呼んだ。
「どうしたの、アデレイド?」
「ナツ様は、この街を出て行ってしまわれるのですか?」
そこで気付いた。
アデレイドには、この街こそが世界の全てなのだ。
街の外は何もかもが未知のもので、不安しか感じないのだろう。
いや、自分がこの街を出ていく事すら考えられないのかもしれない。
「いつかね。 いつか出ていく事になると思う」
だからと言って、嘘を吐く事も躊躇われた。
彼女とは真摯に向き合わなければならないと考えているからだ。
「そうですか…」
更に寂しそうな顔をして黙り込んでしまうアデレイドに、申し訳ない気持ちで一杯になってしまった。
バーバラは一見ポンコツに見えますが、魔法使いとしては教団一の実力者です。
※黒騎士の言葉遣いを一部手直し。
(修正漏れ)




