02-05 堕ちた信仰
聖女を糾弾し、ダナ神殿との関係を絶つアイデアは、元々ハルの発案だ。
しかし聖女と直接話してみたナツの印象は『とてもチグハグ』であった。
ハルと言う対象があるせいか、余計に年齢に対して言動がとても幼く感じるのだ。
そして怪我人を救わなかった事に対する罪悪感も、まるで感じていないようだった。
「癒しの神を謳う教団の聖女があんな子なんて信じられないよ」
「――長い話になります。 この先は宿に戻ってからにしましょう」
ハルは立ち話を中断し、宿へ戻る事を提案する。
勿論、ナツに反対する理由は無い。
のんびりと夜の散歩を楽しみながら帰路に着く。
部屋に戻るとハルは結界を敷き、話し合いの場を整える。
ハルはベッドに腰掛け、ナツは寝転がったユッピーに体を預けた。
そして、話が再開された。
「――ナツの感想は的を射ています」
それは聖女に対する事だけではない。
教団に対する印象もだ。
『教会ではなく商会』
ハルの指摘は、ナツの言葉遊びも指していた。
「かつては神の恩寵を受けた神官達も、時を経るに従って俗世の欲に塗れていったのです」
以前にもハルは言った。
『神が人に興味を失くしたのが先なのか、人が神の教えを見失ったのが先なのか』
隆盛を誇った神殿は――否、神官は――徐々に魔法力を失っていったのだ。
かつて、神殿は神の奇跡によって神聖視されていた。
治癒魔法により病や怪我を治した神官達は、人々の尊敬を集めたのだ。
その結果、発言力が増し、民衆の後ろ押しもあって徐々に地位は向上し、権力に近付いて行った。
その結果、真摯に神に近付かんと欲する者は数を減らし、代わって増えたのは権力を求め、権謀術数に身を置く事を良しとする者達であった。
そうなると当然、奇蹟を追い求める者達は神殿を去って行く。
残されたのは欲に塗れた俗物達。
ところが、彼らを支えた治癒魔法は弱体化していく一方だ。
「神殿が発言力を持っていたのは、いざと言う時に治癒魔法での治療が行えるからです」
癒しを欲する者を癒せない。
そんな聖職者など家畜にも劣る。
為政者などの権力者は、そう考える。
魔法と言う土台を失った神殿は、いとも容易く窮地に追い込まれた。
神殿は元々が俗世に疎い者達の集まりだ。
為政者の真似事をしていただけの素人が、魔法と言う後ろ盾を失くせば堕ちるのは早かった。
それでも何とか立て直そうとするのだが、一度失墜した権威を取り戻すのは至難であった。
そんな折、甘言を以て彼らに近付く者達がいた。
商人だ。
「彼らは、その手腕を以て神殿を立て直しました」
商人はコネと金、あらゆる手段を使って神殿の地位浮上に貢献した。
神殿はそんな彼らを重宝した。
そんな背景もあり、その功績によって商人達は位階を金で買う事に成功する。
「商人達は、神殿の中に自分の居場所を確立したのです」
そして、そんな商人達が神殿を運営しはじめると以前にも増して勢力を広げた。
数を減らした奇跡の神官達は神殿に閉じ込められ、商売のタネとして扱われ始めた。
「つまり、現在神殿を運営しているのは商人なんです。 それはダナ神教に限りません、多少の差異はあれど、人の営みの中に在る全ての神殿で同じ事が起こっています」
そう言ってハルは言葉を締め括った。
偶然とはいえ、ナツのあの感想は真実を突いていたのだ。
「じゃあ、あのアデレイドって子は何だろう? そんな俗物な神殿に聖女なんて現れるのかなあ?」
「当然、彼女は聖女ではありません」
ハルは何でもない事のように答えた。
「え、でもあの人たちは彼女を聖女って言ってたよ!?」
俗物の筆頭ジョナサン大司祭だけでなく、仮にも魔法を使えるバーバラ司祭までもが彼女を指して聖女と言ったのだ。
「聖人、聖女とは“奇蹟を成した者”だけを指します。 彼女は信仰心の強さから高い魔法力を持ちますが、そんな神官は過去にいくらでもいました。 ですが、聖人と呼ばれた偉人は、ごく一握りです」
「なら、何であの人達は彼女を聖女なんて呼んだのかな」
やはり、そこが腑に落ちないのか、ナツは疑問をぶつける。
「単純な理由です。 それが彼らの希望だからでしょう」
「希望?」
「バーバラ司祭とやらが言っていたでしょう、自分が育てたと」
「うん…?」
「彼女は魔法を使える司祭です、俗物では無いのでしょう。つまり彼女が欲したのは権力ではなく、かつての権威です」
「神殿の権威を取り戻したくて聖女を育てたの?」
「育てた弟子が聖女になって欲しいと願ったのでしょう」
「なるほど~」
漸く繋がった。
しかし、まだ分からない事がある。
ナツは更なる疑問をハルに投げ掛けた。
「でもさ、それと聖女――じゃないんだね、アデレイドって言ったっけ、あの子のチグハグさが分からないんだけど」
「答えは簡単です。 彼女は養殖されたのです」
「養殖って、人間を!?」
ナツが驚くのも無理はない。
この世界には、まだ養殖と言う概念が無い。
ナツが理解出来るのは、ハルに教え込まれた知識があるからだ。
なのにハルは、あのダナ神教は家畜を飛ばして人間を養殖したと言ったのだ。
「人間と言うよりは神官ですね。 高い魔法力を持った神官を、です」
「それはそれでびっくりだけど、そんな事出来ちゃうの?」
「出来ます。 何故なら、その答えは純粋なる信仰心。 必要なのは、それだけだからです」
「どう言う事?」
「俗世に塗れたから信仰を失った、故に魔法力も消えた。 ならば俗世から切り離し、信仰だけに染まらせてしまえばいい、とでも考えたのでしょう。 ある種の純粋培養ですね」
「それで成功しちゃうものなの?」
そんな簡単でいいのかな? ナツは不思議でならない。
「神の欲するモノがそこに在るのなら、成功するでしょう」
対するハルの答えは簡潔だ。
「ただ、それは非常に危ういバランスの上に成り立っています。 純粋培養された信仰心は一見堅固に見えますが、それは世間を知らないが故です」
滔々と語るハルに、何故か戦慄を覚えるナツ。
「その信仰は文字通り、砂上の楼閣です。 いつ崩れてもおかしくはないのです」
ナツは大きく息を吐き、肩を落とした。
「僕が彼女にチグハグさを感じていたのは、そこだったんだね」
「はい。 恐らく自分と言うものを持っていないのでしょう」
アデレイドにあるのは、他人に押し付けられたモノだけだ。
他人から与えられたモノだけが彼女の世界を占めている。
「知識だけで経験が伴わないから、人としての深みが無いのです」
ハルのその言葉で、ナツは先程戦慄を覚えた理由に気付いた。
「僕も、あの子と同じだね…」
ハルと出会ってからの五年間。
様々な方法で知識と技術を学んできた。
文字通り、詰め込めるだけ詰め込んだ。
ナツは非常にアンバランスだ。
子供の言葉と態度の裏で、大人顔負けの考え方をする。
だがその根本は、やはり十歳児なのだ。
アンバランスさのツケは自身に帰って来る。
子供なら気にしないで良い事に気を病み、周囲の顔色を窺う。
そしてナツ自身、己の不自然さに自覚があった。
「いいえ、違います。 ナツはあの少女とは違います」
だが、ハルはハッキリ違うと言った。
「このまま何もせずにおくのなら同じでしょう。 しかし、この旅で結果は全く違うモノになります」
「――そうなの?」
「はい。 今の、この旅こそが、ナツが経験を積むためのものだからです」
「ハルお姉ちゃんが前に言った、知識や技術は使って経験して初めて自分の物になるって言う、あれの事?」
「よく覚えていましたね、その通りです。 この旅は、ナツを一回りも二回りも大きく成長させるでしょう」
「ほんと!?」
「はい」
ハルがキッパリと言い切った事で安心するナツ。
ハルに抱き付き、ハルもまたナツを抱き締める。
だが、その後に紡がれた言葉に不安を覚えない訳にはいかなかった。
「ですが、あの少女はそうはならないでしょう。 キャラバンを助ける時でさえ外に出して貰えない彼女が経験を積むなど、夢のまた夢ですから」
ナツはすでにアデレイドを他人とは思えなくなっていた。
余りに似た境遇に置かれた彼女を助けたいと感じ始めていたのだ。
(どうにかしてあげられないかな…)




