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    08

悠木伍長は蒼褪めていた。

初年兵が小娘ながらも白帯(G倶楽部見習い)なのは知っていた。だからこそ雪代大尉の当番兵になった事も。

内心では、こんな小娘に何が出来るものかと、G倶楽部のペットだろうと、たかを括っていた。

だが、その小娘の言動はなんだ。

その小娘の為に久野少尉が、日頃はあれほど穏やかで理性的な久野少尉が声を荒げているし、地獄の使者のような雪代大尉は、穴の真上で仁王立ちになって自らの腕で小娘を引き上げ、今も揺れを最小に抑えるべくロープを握っている。

悠木の眼が雪代大尉の手元に行き、皮手袋を見た。

とっさに動いていた。

「大尉、これを。」

自分の手袋を差し出すと実に恐ろしい事に魔王が微笑んだ。

「ありがたい。」

悠木の手袋を当て布がわりにしながらも、握ったロープは一瞬たりとも離さない。

全神経をその手に込めて・・・


「出るぞ。」


雪代大尉の手がようやっと出てきた亜湖の足首を掴み、引きずり出した。

沸きあがった歓声は、驚愕の中に消えた。

それはあまりに無残な姿だった。

おそらく意識はないのだろう。

ぐったりと伸びた身体。

蒼白な顔。

頭に巻いたタオルが溢れた鼻血で赤く染まっている。


「横向きにしろ、気管に入るとまずい。」

「ハーネスを外せ!」

「モモちゃんを届けろ、悠木。」

「酸素はどこだ!」

緊急救命部隊、第3班の男達がいっせいに動き出した。

それを見ながら雪代大尉は唇の端でわずかに笑う。


第一順位が小娘である事は、予想以上に重い事実だった。

本人も初年兵もさらには仕官、下士官を含めた大方の兵士達(ジーン以外のG倶楽部でさえも)は知りようも無いが、一部の関係者は軍設立18年にして初めての、未成年の女性の第一順位を回避するべく動いていた。

そしてことごとく失敗に終わったのだ。

本人の器なのか、担当伍長の手腕なのかは解らない。


(こうなった以上、俺も腹を括るか。)

高村亜湖を潰しても誰も文句は言わないが、活かして使うならG倶楽部にその矛先が向けられるだろう。

受けて立つ心算なら・・・


「大尉、意識が戻りました。」

振り返ると止める手を押さえて立ち上がる所だった。

大股に近づき前に立った男に、よろめきながらも直立不動を保とうとしている。

「しっかり立て! お前は兵隊だろう!」

その叱咤に亜湖のみならず全員が背筋を伸ばした。

「久野少尉、報告。」

「はっ、緊急救命部隊第3班、2231時、任務完了しました。」

ビシッっと触れば切れそうな敬礼に応えてから、さらに鋭い視線を亜湖に向けた。

「G倶楽部だ。」

「はい。」

「帰投する。」


帰りの車中は空気が重かった。

誰もいっさい口に出される事は無かったが、雪代大尉がG倶楽部の頭目なのを知らない者は居ない。

冷徹、冷厳、冷酷との噂も周知の事実とされている。

たとえ自分の当番兵であっても・・・いや、だからこそ怒りの大きさは並大抵では済まない筈だ。

明日、亜湖の姿が消えていても何の不思議もない。


悠木伍長は迷っていた。

省みた我が身は養う家族はない、いま以上に階級が上がる事もない。

四十を過ぎても未だに伍長の己に出来ることは・・・

斜め向かいに座る小娘はくたびれ切っているくせに、平静な表情を崩さない。

自分と小娘の差を見たように思った。


「久野少尉、自分は雪代大尉に進言が有ります。」

車を降りてすぐ少尉に申し出ると、ちょっと驚きながらも後ろに止った雪代大尉の車まで同行してくれる。


「何だ、伍長。」

これ以上ない威圧感に竦みそうになる背中を無理やり伸ばした。

「高村初年兵の寛恕をお願いします。」

なけなしの勇気が底をつかない内にと、口早に続けた。

「め、命令に反したのは・・な、な、生意気ですが、自分達が今後はしっかり躾けます。どっ、ど、どうか今回だけは許してやって下さい。

も、もー・・・ゴホッ・・も、もし必要なら、じ・・・自分の首で良ければ・・高村初年兵の上官として自分が処罰を受けます。」

ちっともカッコ良くない。

早口で、つっかえて、ドモッて・・・

緊張しまくりの強張った顔に、滝のような汗を流しながら訴える悠木伍長を見て、雪代大尉は内心の爆笑を押し隠した。

へたな筋トレより腹が痛い。


( いかん、吹き出しそうだ・・)と、思った時、

「伍長、僭越だ。」

久野少尉の冷ややかな声に救われた。

「・・・悠木、伍長と言ったか。 貴官の手袋ひと組ぶんは考えよう、今日はご苦労だった。」

踵を返す魔王を見送って悠木伍長は腰が砕けた。

 



河野伍長にその一報を入れたのは嵐のように飛び込んで来た伊達軍曹だった。

「卓!! あのガキがやっちまった! 命令無視のうえシンクロしたインカムでジーンを呼びやがった!!」

下士官から仕官への口調では無い。

軍歴12年の古参下士官が慌てふためく様はこんな場合でなければ見ものだったが、河野伍長はそんなものに眼もくれず飛び出した。


血相が変わるのが解る。

(此処まで来て・・くそっ!)

初年兵宿舎からG倶楽部まで一気に走りぬけノックもしないで駆け込んだ先には・・・

ジーンを筆頭に集まったG倶楽部の面々。

対峙する亜湖を見た瞬間、戦闘速度となった。

振り返った亜湖を物も言わず左手の甲で張り倒した。

床に叩き付けられ、転がった身体を更に追う河野をやっと男達が止めにはいった。


「よせ、キリー、殺す気か・」

「は、はっえー、一瞬だったぜ。」

カズマの呟きにローワンが笑った。

「馬鹿云うな、奴の最大戦速はこんなもんじゃ無い。」

げっ、と呻くカズマから男は離れた。


「落ち着け、キリー。」

ガッチリとウルフに腕を掴まれたキリーが顔を上げた。

「・・・済まない。」

複雑な想いが詰まった言葉だった。

ベンチプレスに座り一部始終を見ていたジーンが片眉を上げて立ち上がった。

倒れた亜湖にゆっくりと近づく。

「俺の当番兵を壊すな。やれやれ、明日は使い物にならんな。」

煙草に火をつけて、大きく煙をはきだした。

「医療室に連れていけ、飯も喰わず2時間逆さに吊るされた挙句、褒美がお前のビンタじゃいくらなんでも気の毒だ。明日は15時に此処に連れて来い。」




「2時間の逆さ刷りですって? この子はマゾなの?」

医療区画にある外来医務室のDr佐和が顔をしかめた。

「身長からして体重が少な過ぎるわね、兵士の体格ではないわ。もっと喰わせなさい。」

脳波に心電図、血圧や体脂肪率まで調べ上げた結果、異常のない事を知ったのは24時近かった。


「安心して、一通りの処置はしたから。

明日は14時に起こしてG倶楽部に送り込むのね。」

今まで留めていた様な息をはいた河野に彼女は笑った。

「ふ~ん、G倶楽部の、虎の子キリーの良い娘なの?」

「馬鹿を云うな、第一順位のお宝だ。」

そっけない応えにDr佐和は呆れたように肩を竦める。

「あら、貴方の好みだと思っただけよ。

それにしても、貴方のスパンク喰らって良く死ななかったものだわ。見なさい、手の跡どころか顔の左側全部が腫上がってるじゃないの。

可愛そうに、いくら兵士でも女の子はもう少し優しく扱いなさい、嫌われるわよ。」

「解ったよ、とにかく頼んだぞ。」

そそくさと逃げ出す男を見てDr佐和は溜息をついた。

 


第一順位の白帯が医療室送りになった噂はあっと言う間に広がったが、おかしな事にAチームとG倶楽部だけはまるで台風の目の中にあるように静けさを保っていた。

G倶楽部はともかくAチームの初年兵達がざわつきもしない事実に連隊上層部は刮目した。

Aチームでも驚かなかった訳ではない。実際、亜湖は居ないし飛び出して行った河野も帰ってきたのは夜中だった。

だが、実質は朝になって河野の説明を聞いた事で納得したに過ぎない。


初めての任務は初年兵にとり大きなプレッシャーで、それを完遂、成功させたのだから、善しである。

「生きているなら良い、G倶楽部じゃなくても亜湖は亜湖。」

きっぱり言い切った真理の言葉に全員が頷いた。



腫れ上がっていた亜湖の頬はDr佐和が一晩冷やしてくれたお陰でかなり良くなっていたし、若いせいかダメージも残ってはいない様だった。

「済まなかったな、殴って。」

シャワーを浴びて、食事を済ませG倶楽部へと向かいながら河野が詫び、亜湖は困ったように少し笑う。

「・・・脚が、速いんですね。」

G倶楽部のスペースはけして狭くは無い。

ドアの開く音に振り返った亜湖が、自分の担当伍長だと気づいた時には河野の顔が間近に迫り、瞳の中に閃く炎さえ見えた。


「ご心配かけて済みません、G倶楽部はクビですね。」

「それだけの覚悟はあったのか?」

「・・はい、軍だけのインカムならともかく、他の組織に繫がった中での事ですから。」

「そうか。」

男は何も云えなかった。


15時ちょうど、G倶楽部のドアを開くと全員が待ち構えていた。

ウルフやローワン等を従えたジーンは腕を組んだまま、まさに魔王のごとく亜湖を迎えた。

後ろに控えた河野には眼もくれない。

森閑と静まり返った中に冷厳な声が響く。


「高村初年兵、緊急救命部隊長 久野少尉への命令不服従、ならびに第一級守秘義務違反により、30日間G倶楽部内のシャワー室及びトイレ掃除を命ずる。以上。」

一瞬、閉じた眼が開き礼をとる。

「・・了解しました。」

大きく息をはいた河野の眼とジーンの眼が合った。


「本日付で高村は正式にG倶楽部員となる。ウルフ、名前は用意してあるか?」

「おうよっ! キッドだ。」

小娘がガキになっただけじゃないか、と全員が思ったが亜湖は飛び込むようにウルフの首に抱きついた。

「ありがとう!ウルフ!」

「おおっ、良かったなぁ、これからも俺が鍛えてやるからな、頑張れよ。」

「うん!」

半べその亜湖をブンブン振り回すウルフを見て、ジーンがエラーに呟いた。

「おい・・良いのか?あれで。」

「・・・・・良いんでしょう、あれで。なんです?抱きついて欲しかったんですか?」

「・・・・・・」

(・・欲しかったんだ・・)


呆れたような表情でエラーはその場を離れ、何とも云い様のない様子で立つ男にジーンが声を掛けた。

「キリー、奴の腕章を外してやれ。」

「本当に良いのか、G倶楽部には厳しいこと・・」

「おい、俺を見くびるなよ。」

僅かに肩を竦めて亜湖に近づく男の軽い足取りにジーンは笑った。他のメンバーさえ知らない事実に気付いたのはさすがなものだ。初年兵訓練も馬鹿には出来ない。


キリーを育てたのはジーンだったが、自信が有った訳ではない。屈折した自分が赤の他人を、それもあのキリーを一人前に出来るとは考えてもいなかったし、実際に悪い所ばかりが似てしまっている。

人を切り捨てる強さは有っても、慈しむ感情がどこか欠けている。エラーにしても同じだった。表面上の言動は見え透いた仮面に過ぎないが、エラー本人が承知しているだけまだマシだ。

キリーは自分が腕の立つ殺戮者以外の何物でもないと思い込んでいる。


あれほど嫌がった担当伍長の仕事は、いずれキリーにとってどんな+-で顕れるのだろうか。

みんなに頭をグリグリされていた亜湖がエラーに何か言われてジーンを振り返った。

凍りついた表情に内容が解る。

(・・・・やれやれだ。)

満面の笑みを取り澄ました表情に押し隠し、ことさら真面目くさった声音でエラーが言った。

「命令不服従は一度だけだ、行けっ、キッド!」

顔を強張らせたまま近づいた亜湖は意を決したように、

「失礼します。」

両手を広げて抱きついた。・・・だが、身長193㎝のジーンでは160㎝そこそこの亜湖は電柱にとまったセミのようなものだった。

黒服の猛者どもが腹を抱えて爆笑していた。

「キッド、いい度胸だが・・10年早い。」

右腕一本で亜湖の襟首を掴み上げる。

「さっさと便所掃除に行け。」

「はい。」

顔を真っ赤にして走り出す小娘を見送って溜息が漏れた。

(俺もたいした悪党だな。)

子飼いの部下の成長の為に餌にされた小娘の命は、この先どれだけ持つのだろうか。G倶楽部存続の危機が、その兆候が顕れたなら真っ先に切り捨てられるだけの存在。

その時俺は痛みを感じるのだろうか。


「エラー、俺は出かける、いつも通りだ。キリー、来い。」

ドアを出て歩き出した。

「キッドは俺が見る、お前は向こうのガキ供に集中しろ。」

「・・・承知。」

遅れた応えにジーンの片頬が笑った。

「不服か? 第一順位が抜ければ楽になるだろうと言う親心なんだが。」

「・・・了解。」

「今年はいつに無い大漁だ、根こそぎにしてやれ。それまで帰ってくるなよ。」

ムッとしたキリーが車に乗り込んだジーンを覗き込んだ。

「行ってらっしゃい、パパ。」

「ちっとも可愛くねえ。」

走り出した車を見送って、やっと河野卓は胸のそこから大きく深呼吸をした。




亜湖・キッドは忙殺されていた。

ジーンの講義は今では語学に移っていた。

キッドは学歴こそないものの、IQは並み以上のレベルであったからジーンの解りやすい指導で驚くほどの成果を上げていた。その国の歴史、文化、宗教に風習までをジーンは網羅していたうえ、いま現在の事細かな情報までキッドの頭に叩き込んでいく。記憶力と理解力、認識力を擦り切れるまで酷使した後は、G倶楽部で体力と反射神経、そしてボロ雑巾のようになるまでの格闘。

トレーニングマシンはウルフ、ボールを使う反射トレーニングは機敏なカズマ、格闘は暗殺者の異名を取るローワンだった。

毎日が叩きのめされる日々、意識を無くす事等日常茶飯事。

キッドの為の簡易ベッドが用意され、訓練が終わると放り込まれた。

傷も痣も脱臼も絶え間なく続く。

それは果てしなく長かった初年兵訓練よりも尚、永く過酷で悔しさに泣く事しか出来ない。



『キッド、ローワンに勝つつもりか?』

その日ジーンが訊ねた。

『奴の後ろは俺でも取れん、躱せれば良しだな。』

自分の当番兵が日毎にボロボロになるのを見かねたのか、初めての助言がはいった。

躱すだけを考えれば動きが見えた。見えれば余裕が出る。

本能と感に頼っていた動きが、一歩先を、次の手を読む。

ローワンの手足に身体がついて行く。

打たれる恐怖に強張っていた身体にしなやかさが戻る。

瞳が真っ直ぐローワンを見返す。



「良し、いいだろう。」

激しく息をついていたが、まだ戦う余裕を残してその日の練習が終わった。初めての言葉と共に。

「今日は自分のベッドで休めよ。」

気が付けば正式な部員となって2週間、初年兵宿舎に帰っていなかった。


「それで、奴は使えそうか? 」

格闘訓練が終わった後、まともに歩く姿を久しぶりに見送りながらジーンが訊ねると、ローワンは珍しく言いよどんだ。ジーンが煙草に火をつけ、ゆっくりと吸い終る頃になってやっと口を開いた。

「・・・参ったぜ。」

「・・おい、ロゥ。」

G倶楽部で誰よりも冷血と自負している男が、目頭を押さえ低く呟く。

「眼は良い、反射も感も上だ。力は確かに男には劣るが、このまま育てばキリータイプだ・・と思う。」

ジーンの片眉が上がった。

「俺がこのまま教えて、本当に良いのか?」

黙ったジーンをローワンが問いただす。

「お前の返事ひとつだ、俺は半端なことは出来ない。

やる以上は奴をキリーと互角に張る腕にしてみせる。」

「・・・化ける可能性は?」

「90以上。」

「・・・・・・・では・・・任せる。」

「・・・了解。」


キッドが一人前になれば生き残る確立は高くなるが、ローワンの本気の訓練は、俗に死んだ方がマシとも云われている。しかも当然ながら生き残ると云うことはそれだけ任務をこなす事。

敵を倒す事に加え、第三者を巻き込む恐れも有る。

身体より先に心を、精神を打ち砕かれる者もいる。

仕込むなら迅速に、そして徹底的に。


「取り合えず目鼻をつけてくれ、場数を踏ませる。」

「承知。」




「なんだぁ、ボロボロだな。」

「おぉ、生きてたか。」

「亜湖・・・大丈夫か?」

久しぶりの初年兵宿舎の食堂に入った亜湖を仲間達が迎えてくれた。

河野伍長もそこに居たが、神藤と木村が居ない。

G倶楽部の話こそ出来ないが、お互いの近況報告の中で聞くと全員揃う事が少なくなっているらしい。


「当然だ、チームはあくまでベースだからな。

年内は配属も個教練も適正を見るためで、変わる可能性もあるんだぞ。」

落ち着き払って云ったのは西田だった。

元々冷静な性格だったが、作戦司令部に入っているせいか磨きが掛かったように見える。

「まぁ、亜湖は変わらないだろうが、俺も含めて多少は動くだろうな。」


亜湖が見る限り河野伍長の表情に何一つ変化は無かった。

それは肯定と呼べる。

夕食の後、河野に眼顔で呼ばれた。

「どうだ、キツイだろう。」

笑いを含んだ声に、亜湖の満面の笑顔が返された。

「なんだ、どうした?」

「きついです、でも今日初めて格闘訓練で『良し。』を貰いました。だから帰って来られたんです。」

河野の表情が緩んだ。

「この間まで毎日ダウンしてたけど、やっと見えて来て、でも躱せるのは半分・・かな?」

よほど嬉しかったのか、いつになく言葉数が多い。

「手も足もどこから出るんだか、ジーンがヒントをくれたから少し見える様になりました。」

「・・・トレーナーは誰だ?」

「ローワンです、凄い身体能力ですね。」

黙り込んだ河野にも気付かず亜湖は続けた。

「最初にコテンパンにやられて身体に逃げ癖が付いたのかな。相当手加減してくれてるのに、未だに躱すのが精一杯なんです。もっと頑張らないと。」

「・・そうだな、頑張れよ、でも無理は禁物だからな。」

「はい。」


居室に向かう亜湖の背を見送って、河野はテラスに出た。

(ローワン・・だと? 何を考えているジーン。)

暗殺者、殺戮鬼としてのローワンの強さ、恐ろしさは誰よりもキリーが知っている。G倶楽部に入ったばかりのキリーの格闘訓練のトレーナーだった男。それまで負けた事の無いキリーを完膚無きまでに叩きのめし、未だに勝てる気にもならない男。

男でも女でも、例え幼い子供でも、必要なら躊躇なくその手にかける、自ら冷血を名乗りさえする。

キリーの後は誰もローワンの訓練は受けていなかった。

ジーンが言ったのだ。

『少ない兵隊を身内に殺させる訳には行かないからな。』

では、亜湖は・・・亜湖の言葉は、亜湖はなんと云った?

『見えるようになった。 躱せるようになった・・』

ローワンは手加減はしない。したくても出来ない。

身体も脳も細胞の総てが相手を倒す為だけに有る。

そのローワンを相手に躱すと云うのか、あの亜湖が・・


ジーンはキッドを見ると云った。キッドはローワンもウルフも、ジーンさえその名で呼んでいる。

高村亜湖が河野卓の手を離れ、G倶楽部のキッドとなったのなら、亜湖を亜湖と呼ぶ限り河野には歩き始めたキッドに関わる術はない。

( そう言う事だな・・・)


「河野伍長? 直人が探してたよ。」

「ああ、帰ったか。」

真理を振り返った河野は担当伍長の顔になっていた。

亜湖の事はいずれG倶楽部に帰った時に考えれば良い。

今の河野卓はこの未熟で拙い子供たちをスタートラインに立たせる為に動くだけだった。


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