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    06

その少し前、亜湖はやっと使い方の解ったベンチプレスで汗をかいていた。

仰向けの状態でダンベルを上げるのはなかなか難しく、集中しなくては危険だった。

G倶楽部の面々と河野伍長の話が長いことも、最初こそ気になったが今では意識から消え去っている。

「頑張るじゃねぇか。」

不意に掛けられた唸り声と落ちてきた影にバランスが崩れ、あっ、と思う間もなく傾いたダンベルを掬い取られる。

「気をつけろ、オモチャじゃぁねえんだ。」

そう云った言葉とは裏腹に、まるで玩具のように片腕に持ったダンベルをフックに戻すと男は真上から亜湖を見下ろした。


「お前が第一順位か。」

慌てて身を起こそうとした亜湖の頭を、指一本で止めると迫力のある笑顔を浮かべた。

「ウルフだ、2週間俺が面倒見てやるぜぃ。」

昆虫標本のようにベンチに留められたままで亜湖は名乗るしかなかった。

「高村亜湖です、宜しくご指導ください。」

「おうっ。」

指が離され、今度は起き上がりかけた胸座を掴まれ持ち上げられる。

丸太のような右腕一本で、何の雑作もなく亜湖をぶら下げて子猫を捕まえた程度のすました表情の巨漢に、

「どうすればそんなに強くなれますか?」

真顔で尋ねられた男は亜湖を吹き飛ばす勢いで笑い出した。

飛ばなかったのは掴み上げられていたからだろう。


「ウルフ! 離せ!」

久野少尉・エラーの鋭い声に振り返ると、黒服連と河野伍長が駆けつけるところ。

いきなりだった。

ウルフの腕が振られ亜湖は真横に放り出された。

バランスを取って辛うじて立ったところに、ウルフの大声が響く。

「キリー! 久しぶりじゃねえか!」 

亜湖の眼にはヒグマが河野伍長を襲っているようにしか見えなかった。が・・両手で今にも抱きつかんばかりに、

「逢いたかったぜ! 初年兵訓練は終わったのか?

二個もサバ読んで、伍長に格下げされて気の毒になぁ!」

「馬鹿!ウルフ黙れ!」

エラーの制止など嬉々とした男の耳には入らない。

「うるせぇ、 なぁ キリー戻れるんだろ? 第一順位を選べばお前の仕事も終わるん・・・あ・・?」

エラーはこめかみを押さえ、ジ-ンは溜息を吐いた。

河野伍長は・・・無表情で亜湖を見つめていた。


(ウルフ、この馬鹿が、奴はまだ部外者だぞ! キリーの仕事を邪魔する気か。)

エラーの低い早口の叱責に、ウルフも顔色が変わった。

くるりと振り返ると亜湖に怒鳴る。

「初年兵! いま何か聴こえたか!」

ぴしっ、と姿勢を正した亜湖は、

「申し訳有りません! 聞き逃しました!」

「よしっ。」

「何がよしなんだ。」

「いいだろう、聞き逃したんだから。」

「情報漏洩は軍法会議ものだぞ、この馬鹿。」

「聞いてないんだから大丈夫だ、なぁジーン。」

男達のやり取りに耳も貸さず河野は亜湖の前に立った。


「初心者はダンベルフライが良い、デイクランは身体が出来てからだ。」

「はい。」

「俺は先に帰・・」

「ウルフ!なんでパンツもシャツも散らかし・・キリー!」

童顔の男の声にさすがの河野も天を仰いだ。



河野伍長が伍長として帰って行った後、亜湖は正式にその場の全員に引き合わされた。

ジーン、エラー、ウルフ、角ばった顔のローワン、どこか心配そうなドン、驚くほど綺麗な顔立ちのボニ、童顔のカズマ・・国内外に派遣されている6名と、潜伏伍長1名。

G倶楽部は僅か14名に見習いがひとり加わった。


公にはされていないが、軍関係者なら大半の者が耳にする程度の簡単な説明をして、エラーは何故だかそわそわしているウルフとカズマに亜湖を引き渡した。


「大丈夫かな、奴等 壊さなけりゃ良いんだが・・」

室内を案内しに行った背中を見送って呟いたエラーをジーンは面白そうに見やった。

「お前、キリーを取られると思ったのか、それともキリーに取られると思ったのか。」

「・・・・・・何です、それは。」

いかにも胡乱気に訊ねたエラーに男は笑った。

「外面の良いお前の真剣な顔は、なかなか見応えがある。」


心底嫌そうにその場を離れたエラーに代わって、ローワンが横に座った。

「奴の心配は判らんでもない、今回は連隊どころか師団長まで注目しているからな。 テストケースにしても俺達の分は悪い。」

ゆったりと煙草に火を点けて煙を吐き出した。

「早めに潰すならそれでも良いぜ。お前が手を下すまでも無い、俺が引き受ける。」

まるで明日の天気の話をするように気軽に続ける。

「小娘が憎い訳じゃないが、俺達にすればキリーの方が可愛いからな。」


初年兵からの付き合いは目配せひとつで済む。ジーンが望むならこのローワンはすぐに行動に移すだろう。

たとえエラーやキリーが立ちはだかったとしても。

殺戮者の異名をとるローワンに対抗できる者はトップのジーンしか居ない。 

しかも完全な力量のみならジ-ンでさえも負けるだろう。

だが、ジーンは僅かに微笑んだ。

「キリーに免じて2週間は見よう。」




自分の明暗が2週間先に延びた事も知らずに、亜湖はウルフとカズマの話を聞いていた。


「だからさ、俺なんて沢口一郎なのに何の関係も無いカズマになってたんだぜ、いつの間にか。」

文句なのか自慢なのか聞く限りでは判らない。

それに応えたのは亜湖では無く唸るようなウルフの声だった。

「つまらん本名なんざいらねえだろ、カズマの方がかっちょいい。それよりカズマ、此処に仕切りをつけろ。

いくらガキでもシャワールームが俺等と一緒じゃまずい。」

「承知。」

「ロッカーもだ。お前は先輩なんだから面倒みてやれよ。」

「了解。」

「あ、あの・・ウルフ。」

最初に『さんも君もつけるな』と言われて困った亜湖が、精一杯の丁寧さで呼ぶたびにウルフの表情が緩む。

「あぁ、解ってる。 お前にもかっちょいい名前をつけてやるからな。」

「待ってな、ウルフはこう見えて名付けの天才なんだ。

エラーなんて・・うぷぷっ、最高だ。」

意味の解らない亜湖にウルフはニヤリと笑う。

「あのみてくれは女かオカマだろ、しなしなしやがって。そのくせ中身はとんでもねえ鉄火野郎でな、この俺やジ-ン相手でも一歩も引かねぇ。中も外もエラー、間違えて生まれてきやがったのさ。」

正しい返事は出来そうもない。

「・・はぁ・・・・・あの、キリーは?」

「キリーク。千の手を持つ観世音菩薩。

あいつはなぁ、此処に来たときは研ぎ上げた刃のようだった。近づくだけでピリピリしたもんだ。アッサンかと思ったが、ジーンが見る内に良くなって来た。」

「ジーンは遺伝子?」

「おぉ、お前賢いな。だが気を付けろよ、眼の話はタブーだ。初年兵の頃 殺されかけた奴がいる。」

思わず笑われて終わりで良かったと思った。


「明日からはきっちりトレーニングを着けてやる。

その作業着じゃあ駄目だな、ジャージだ。ちゃんと着替えも持って来い。俺のように強くなるには俺とタメ張れる身体を造らないとな。」

「はい。」

素直に頷いた亜湖を見ながらカズマは賢明にも発言を控えた。

見学を済ませ、他の男達とのディスカッションを終わらせ(ジーンは加わらず見ていた)その日は終了した。




初年兵宿舎に帰り着いたのは6時を回っていた。

3時間しか過ぎていない時計を見て溜息が漏れた。

G倶楽部の男達は恐ろしく慎重に亜湖を扱い、そのくせ亜湖の内側を遠慮なく探り出そうとしているようで、身体より精神的に疲れが残る。

シャワーを浴びてもそれは拭えなかった。

通路でばったり木村英嗣と顔を合わせた。

「よう、お疲れ・・お前、大丈夫か?」

昨日の大騒ぎから24時間もたっていない事で、どこかぎこちない態度が亜湖の表情を見て一変した。

「大変・・だろうな。 今日からの座学出れるか?」

「うん、大丈夫。初日からコケられないから。」

20時から2時間の教育教練は必須で欧米、アジア、アフリカ等、主要国の言語、歴史、宗教まで網羅し、更に数学、物理学、航空力学にまで至る。

「私、学歴ないからついていけるかな。」

頼りなさそうな声に木村は笑った。

「お前より御幸の方が心配だよ、座りの悪い奴だから。」

何かを脱ぎ捨てたような木村は亜湖に暖かい。

何も知らないままで三ヶ月、90日を戦い抜いた仲間が持つ心安さは、他の何にも替え難かった。

肉体的にも、精神的にも、ぎりぎりの中で助け合ったチームの誰ひとり、自分の身と同様にかけがえの無い存在なのだと気づいた時、亜湖はふと疑問を持つ。


だが木村の言葉でそれは押し流されていった。

「亜湖、今日はチーム分けが有る、出来れば俺はまたお前達と組みたい・・・。」

初めて聴く、木村の深い真摯な声に見上げれば、少し照れた眼差しが亜湖を見つめていた。

「俺は身勝手で狭了で、人を妬んでばかりいた。自分の努力は差し置いて、他人を落とす事ばかり考えてきた。

お前にも皆にも嫌な思いをさせて・・上手く言えないけど・・何というか・・・あぁ・・これから先も・・」

「亜湖が大好きだ。それだけだろ、言いたいのは。」

振り返るとすぐ後ろに真理と歩美。

「男は面倒ねぇ、一言で済むのにねぇ。」

「馬鹿なんだよ。」

疲れて荒れた神経に、笑い声が水のように沁み込む。

これがチーム、これがファミリー。

「さあ、飯だ。 喰って勉強して、歯みがいて寝るぞ!」




ギョッと立ち竦んだ亜湖の表情は仲間の爆笑を誘った。呆然と見開いた眼の前で壁が動いている。

河野の指示で男達が押した壁がパーティーションだと初めて知った亜湖に、真理がわさわさと騒ぎ立てた。

「亜湖! 荷物まとめろっ、引越しだぞ!」

慌てて自分のベッドに飛び上がり私物をかき集めた。

てんぱった真理に逆らう勇気は誰にも無い。さして無い身の周りの物を持って飛び降りると、真理の後に続いてドアから走り出た。当然 歩美も続く。


走りこんだのは、隣の部屋、待っていたのはひとりの女性。

「こんばんは、今日からAチームに入れて頂く安曇ノエです、Eチームから来ました、宜しくお願いします。」

Aチームは14人+担当伍長と人数が増えた。

初年兵訓練を終えた時点で81名から46名に減り、9チームはシャッフルされて3チームに組み代わっていた。

Aチームに関しては、河野卓担当伍長以下9名は変わらず、

Eチームの4名とDチームのひとりが加わった。


「あぁ、こちらこそ宜しく。皆、知ってるだろ?」

三ヶ月間、最初こそ周囲を見る余裕も無かった初年兵でも、櫛の歯が抜けるように脱落して行く中で、残った顔ぶれを確認しながら安堵するようになっていたし、大体が学校のひとクラス分の人数しか残っていないのだから、たとえ違うチームでも顔と名前ぐらいは知っている。

「Eチームの担当伍長はどうなったの?」

歩美の言葉に一瞬、ノエは怪訝な表情を浮かべた。

「あ・あぁ、班長ね、山田班長は・・居なくなったわ。

多分、自分のチームに戻ったんじゃないかな。」

それを考えないようにしていたのは、亜湖だけでは無かった様だ。河野伍長にも彼本来のファミリーチームが在るのは当然だし、理解もしていたのだが・・・

「伍長はいつまでAチームに居てくれるんだろ。」

亜湖の呟きにノエが笑った。

「へぇ、Aチームの担当伍長はずいぶん好かれてるんだ。

確かに一落ちもさせなかった上に、第一順位のエースまでキープした腕利きだって評判だけど。」

「あのねぇノエ、貴方もすぐに判るけど、腕だけで好かれてる訳じゃぁないのよ。」

歩美の言葉にノエは肩を竦めてみせた。

「それは楽しみだわ。」

チームの人数が増えた事で居室が男女別になり、亜湖たちは贅沢にもふたつの2段ベッドで眠れるようになったが、寝るまでにはまだ仕事が残っていた。 


全初年兵46名は、やはりパーティーションを広げたミーティングルームを教室として、2時間の座学に入った。

国内に在る日本陸軍、海軍、空軍の基地、規模、活動内容をガッツリ叩き込まれる。30分でもそもそし始めたのは、やはり太田であった。

「今日はここまで、明日はアジア圏に入る。太田、解らない事はいつでも聞きに来い。毎週末のテストで80点以下は、遠慮なく落とすぞ。」

伊達軍曹の声に太田は頭を抱えた。

居室に帰るとベッドの上に携帯電話らしきものが置かれていた。モニターにメッセージが入っている。

『軍専用の端末である。紛失は懲罰、壊すなよ。河野。』

続いてライトが閃いた。

『今日はお疲れ様、G倶楽部は厳しい処だが、お前に合っていると思う。頑張ってくれ。PS・ジーンの世話を頼む。』

長い一日だった。 緊張して驚いて、頭も身体もくたくたになったが、河野のメールひとつで何故だか疲れさえほどけて行く様であった。




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