G倶楽部 戦乱
「納得できない?」
キリ-が出た後キッドはカイルとアリス、ラウルに捉まっていた。
事態の大きさから考えてもキリ-一人ではきつい筈だと言い張るカイルに、キッドは改めて説明を始めた。
「戦闘兵士は本来単独で動くものだ。今までのカイロシティやソマリア、南アはお前達の練習の為に大勢での行動になったに過ぎない。あの程度なら確実に成功するのは解かって居るからな。だが、今回ほどになると複数で動く訳にはいかない。ジ-ンを空手には出来ない事もあるが、キリ-の邪魔になり兼ねない。誰かをカバーしながらでは思うように動けないんだ。」
「何か有った時にはどうします?」
カイルの心配は尤もだったが、キッドは笑って答えた。
「もう既にジ-ンがバックアップを用意して居る筈だし、拙い事態になれば私が出る。連絡が途切れたならな。」
ラウルの不安そうな顔を見てキッドが続けた。
「キリ-に付いて行ける脚を持たなければ何時までたっても留守番だぞ。最大戦速と持久力を上げて置け。」
モクに頼んでスナイパーとの連携を教えながらも、キッドはしばしばジ-ンの元に足を運んだ。エラ-も食い入る様にマークを追い、逐一報告を上げる。
クアラルンプールからカズマがタイランドに、G倶楽部からはコオとシュリが中国との国境沿いに張り付き定期的な連絡を取り続け、三日が過ぎた。
「時間が掛かり過ぎだ。」
ジ-ンの呟きにエラ-も唸った。
「ミャンマーは統一性が無いからやり難いんでしょう、個別に潰すのは厄介だ。」
四日目にカズマから一報が入った。
『キリ-からカイル投入の要請が入りました。』
ジ-ンの顔色が変わった。当然だろう。キリ-ほどG倶楽部の戦闘兵士を知る者は居ない。そのキリ-が第三戦闘兵士のカイルを必要とする事態になったと云うならこれは大事となる。
即行でカイルがチェンマイからミャンマーに入り込んだが、片付いたのはその直後。そして二日後、エラ-がジ-ンを呼んだ。
「キリ-です。」
クアラルンプールの基地からキリ-の顔が送られてきた。
『終了した、頭を叩くのにカイルの手を借りたが、良い動きだったぞ。南米ツアーも役に立つようだ。』
思わず笑ったジ-ンに続ける。
『政府軍が表に立った事でインドは手を引いた。日本も出る必要は無さそうだな、国連が出張ったから任せて置ける。』
「反政府軍の動向は?」
『主だった者は潰したから後は雑魚だけだ。問題にはなるまい。昨日の時点で収束に向かっていた。』
「了解した、帰還しろ。」
『承知。』
ジ-ンからキッドに、そしてアリスとラウルに伝わった。
「つまり、キリ-一人で一国を潰せると云う事ですか?」
ラウルの言葉にキッドは頷いた。
「まあ・・・そうとも云うな。相手にも依るが。」
「貴方はキリ-の後を継げと俺達に云うけど、どうやったらそんな事が出来ますか。俺達では国ひとつなんて動かしようも無い。」
呆れた様なアリスにキッドは笑った。
「今は無理だし、キリ-だって最初から此処までの腕では無かった。キリ-が凄いのは腕だけじゃない、言語、地理から国際情勢まで総て頭に入っている。お前達もジ-ンの講義はサボらずに受けろよ。そうすればキリ-や私が連れて出て経験を積ませてやる。」
「じゃあカイルもそれで呼ばれたんですか?」
「当然だろう、ジ-ンは慌てていたが本当に危険ならカイルは呼ばない筈だ。」
ブロッコリーにカニ肉と卵白の餡を掛けた一皿は絶品だし、干しエビを刻み込んで卵黄をまぶした炒飯は実に深いコクが有る。得意の甘辛味の野菜炒めは何種類もの野菜が見る限り同じ長さ、同じ太さに切り揃えられて、添えられた辛椒醤を混ぜるとピリリと味が引き締まり幾らでも食べられそうだった。
ザーサイの細切りスープは繊細な塩味で微かなごま油が香ばしい。
キリ-は久しぶりのキッドの料理に舌鼓を打って呟いた。
「不思議だな、どうして俺の好みの味になるんだ?」
向かいに座るキッドの箸が止った。
如何にも怪訝そうな表情でキリ-を見ると何も言わずにまた食べ始めた。おかしな事を云ったのだろうか。
その訳は翌日に判った。
「キリ-、お前しっかりしろよ。」
情報室に引っ張り込んだエラ-が何とも情けない表情でキリ-に向かった。
「キッドが朝飯を作るのはお前の為だ、お前の好みぐらいは見てれば判るだろう。昨日今日造り始めた訳じゃ無いんだから。イヴが呆れていたぞ、勿論俺もだ。」
「キッドが何か言ったのか?」
吐息をひとつ吐いて、
「ああ、何も言わないから好みなんて無いと思って居たらしい、お前の口が下手なのは知ってるが美味ければ美味いぐらいは云えよ。馬鹿が。ジ-ンまでとは云わないが黙って喰うな。せっかく早起きして作ってるのに。」
「云ってる積りだったが、聞こえなかったかな。」
「馬鹿野郎! 腹の中で云っても聞こえるか!」
堪りかねて怒鳴ったエラ-にキリ-は海より深く反省して情報室を出ると、モクのテリトリー、野外射撃場へと足を運んだ。
最近、キッドが中心となってモクを頼んでの連携訓練は午後の大半を占めている。
お蔭で葉巻をふかす間もないとモクはぼやいていたが、見る限りではガキ共を相手に今日も元気に怒鳴っていた。
「そこで動け! アリス、おせーぞ!」
「弾より早く走らんと俺が打ち殺すぞ!!」
「馬鹿野郎! とろとろするな!!」
モクはまだ良かった。那智も多少の手心を加えている。
だが、キッドは全く容赦なくシルバーチップと呼ばれる擬似弾を撃ち込む。
小銃にスコープを着けただけだが、キッドの精密な狙撃はアリスとラウルのケツを真面に狙って、このところ二人とも蒙古斑の様な青痣が絶えなかった。
「キッド、休憩だ。」
キリ-を見とめたモクが声を掛けると身軽に来たのはカイルと那智、アリスとラウルを蹴飛ばしながらキッドがやって来た。へたり込む二人にキッドは厳しい視線を向ける。
「脚が遅い訳じゃ無いのに何であれほど動けない? それほど嫌なら止めてしまえ。」
「キッド、私が教えておきますから。」
カイルの言葉にやっとキリ-に向き直った。
「何か有りましたか?」
「大したことじゃない、何時までやるんだ?」
モクが顔を上げた。
「用が有るなら抜けて良いぞ、此奴らは俺達で仕込んでおくから。」
見るとノートに何やら書き込みながらカイルが教えて、那智も覗き込んで補足している。
「それじゃ、お願いします。」
シャワーを浴び、私服に着替えた二人は車に乗り込んだ。
「で、何処に行くんですか?」
「買い物。」
「へっ?」
「へ、じゃない。昨日は悪かったな、さっきエラ-にえらい勢いで怒鳴られた。」
いきなりキッドが笑い出した。
「笑うな、お前の飯は俺の数少ない楽しみなんだ。食堂は飽きたし、お前ほどのバリエーションも無いし。」
「それで買い物に行けってエラ-に云われたんですか。」
くすくすと笑いの名残を残してキッドが尋ねるとキリ-は肩を竦めた。
「云われた訳じゃ無いが、購買程度の材料であそこまで作れるのが不思議だ。ロクなものが無いだろう?」
「そうでも無いですよ、肉も魚も野菜も有るし。何より調味料が揃っているから。」
「バイト先で覚えたと云っていたな。」
「ええ・・・キリ-、今がそんな場合じゃないのは判ってるけど、来週半日休みが欲しいんですが。」
「大丈夫だろう。珍しいな、何処か行くのか?」
僅かに躊躇ってキッドは頷いた。
「新宿です。綜から聞いたんですが、お世話になったお店の親方が引退するそうで挨拶をして置きたくて。」
「ジ-ンに話してやろう。それと、今日は俺が払うから好きな物を好きなだけ買い込めよ。」
宿舎の冷蔵庫はそこそこの大きさが有るから、キッドは遠慮なく買い込んだ。嬉しそうな表情を見て満足したのは当然ながらキリ-だった。
「そのお店と大将たちが助けて呉れなければ私と綜は飢え死にしてましたよ。」
重い内容を軽い声でキッドは告げた。
聞いていたジ-ンとキリ-、エラ-にモクは一瞬黙りこむ。
キッドが大げさな言葉を使わない事はみんな知って居たから正真正銘の事実だと耳を澄ませた。
「そのお店に頼み込んで働かせて貰ったのは私が十四の時でした。勿論年齢が年齢だから表には一切出ずに、裏方の厨房の下働きでした。大将も他の板前さんも最初は怖くて、中でも一人とびきりに怖い板前さんが居て毎日怒鳴られて怒られて、手が遅いと笊とかが飛んで来るんです。」
「酷い奴だな。」
「いいえ、お蔭で仕事を早く覚えました。手が空くと次の仕事を教えて貰って、いろいろやらせて貰ったから料理も覚えたんです。『お前は良く働くし気がつく。』そう云って可愛がってもらいましたが、二年後仲居さんからお客さんに話が伝わって子供を使ってると大騒ぎになったんです。
青少年人権保護団体の人でした。迷惑は掛けたくなかったから其処を辞めて、洋食屋に移りました。でも丁度不景気な時期で半年で潰れてしまって。その後は何処も雇って呉れなくて・・・二週間ぐらいかな、満足に食べれない日が続いたのは。これはもう和食屋さんの常連のママさんに頼むしかないと覚悟を決めて出かけたんです。」
「最初から其処に行けば良かったのに。」
エラ-の言葉にキッドは首を傾げた。
「風俗のお店をたくさん経営してるママです。」
エラ-とジ-ンが蒼褪めた。
「お前の親父は何をやっていたんだ。」
モクの言葉にキッドは笑った。
「その時は留置所に入ってました、万引きした近所の子供を庇ってお巡りさんと揉めたんです。」
「変わった親父だな、自分の子供が腹を減らしているのに。」
いささか冷ややかなジ-ンの言葉は何度か会って知って居たからだろう。
「父は優しかったんですよ、そうは見えないでしょうけど。
権力が嫌いで、警官や軍人は大嫌いで・・・私が軍人になると決めた時口を利いてくれなかった。母が生きている時は一生懸命働いて、母も私達も大事にしてくれたんです。
父は母を心から愛していたから・・・母に死なれても私達を可愛がってくれました。十五の時にヤクザの偉い人が私を差し出せと云った時も、泣いて嫌がった私の為に半殺しにされて・・綜と探しに行ったら溝にはまったままで、もう大丈夫だと笑って呉れたんです。」
「・・・それで風俗店はどうなった?」
キリ-の低い声が尋ねた。
「断られました。今なら判るんですがガリガリに痩せた汚いガキを雇ってはくれませんよね。諦めて歩いていたら和食屋の一番怖かった板さんと会ったんです。途端に、いつものキリ-みたいに襟首を掴んで物も云わずに引きずられて、お店の裏口から放り込まれて・・・」
「何をされた!」
ジ-ンが怒鳴った。
「いえ、隅に座る様に云うと大将を呼んだんです。すぐに大将が来て私を探していたと云われました。洋食屋が潰れたのを知って・・・きっと困っているだろうと心配して呉れたそうで。
板さんは私に大きなおにぎりと熱いお味噌汁を呉れました。弟にも持たせてやるからこれはお前が喰え、そう云って・・・私は・・・泣きながら食べました。」
ずずっと鼻をすすったのはエラ-。
「そして大将は私が働けるお店を紹介してくれたんです。
中国料理のお店でした。中国人しか来ないお店だし、中国の人は子供でも気にしないんですね。言葉が判らなくて良く怒鳴られたけど、軍に入るまでそこで働かせて貰いました。入隊する時に挨拶はしたけど、来週で引退だともう会うチャンスは無いから、大将と板前さんたちにきちんとお礼を云って置きたくて。」
「よし、良く解かった。半日の休暇は取らせてやる。ただ店の名を教えて置け。」
「はい、料亭『桂木』です。有り難うジ-ン。」
「お前がそこまでハードな人生を送っていたとは知らなかった。良く此処に辿り着いたな。」
鶏の照り焼き、みぞれポン酢味と白米は良く合う。里芋は綺麗な白なのにしっかり味が入っていたし、アスパラと茄子の揚げ浸しの甘辛味は隠しの七味が効いてキリ-を唸らせる出来だった。牛蒡と油揚げを一度炒めてから作った味噌汁は相変わらず絶妙の味。
「これも全部習ったのか?」
「下処理と調味料の使い方とで決まると云うのは習いました。お客さんに出す物は作らなかったけど、賄は作りましたよ。楽しいから料理人も良かったんだけど、軍は潰れる危険が無いですからね。」
「まぁ確かにな。ミャンマーではお前の飯が恋しかった。入隊して呉れて良かったよ。」
「それはどうも。エラ-の言葉には素直になるんですね。」
「何を云ってる、俺は何時だって素直この上ない。」
黙って居ると近づき難いほどの仏頂面での発言にキッドは笑った。
「予約を取って有る。今日は『桂木』で晩飯だ。」
「へっ?」
「へ、じゃない、第一級軍礼装で行くぞ。お礼は形から極めなくては意味が無い。」
「ジ-ン・・・」
「喰い終わったら裏に回って挨拶をすれば良い。他にも寄るから1500時に出る、支度をしておけ。」
驚いた事にジ-ン以下、キリ-、コオ、ハク、シュリ、モクとエラ-まで加わった顔触れが礼装に身を包んで待ち構えていた。
「ウルフは泣きそうだから留守番するそうだ。」
キリ-の言葉にキッドが珍しくぼやいた。
「何の任務です? これは。」
キリ-の眼が緩んでキッドを見下ろした。どんな形でも綺麗だが、礼装のキッドは特別凛々しく見える。手にした白と緑の花束さえ霞んでしまうようだった。
黒塗りの軍の公用車二台に乗り込んで走り出すと、キッドが尋ねる。
「大丈夫ですか、これは思いっ切り私用なんだけど。」
いやに堂々と答えたのはジ-ンだった。
「師団長と連隊長の許可を取って有る。お前の為ならと財布まで出したが、それは俺が断った。」
額を抑えたキッドにハンドルを取りながらエラ-が笑う。
「なあキッド、これで判っただろう。頭を抱えるしかない状況って奴が。」
「・・・はい・・・まったく。」
最初に立ち寄ったのはキッドの知らない場所だった。
古いが掃除の行き届いた建物は集合住宅のようで複数の人間が出入りしている。
ジ-ンがキッドに紙袋を渡して告げた。
「綜から預かった。下着だそうだ、親父さんに届けてやれ。」
声を失ったキッドをキリ-が促す。
「病院の清掃をしているそうだな、此処はその寮だ。早く行け、ジ-ン一人じゃ意味が無い。」
玄関に入って行く二人を見ながらエラ-が呟いた。
「聞いてみないと判らんものだな、まさか子供二人を取り上げられて初めて眼が覚めるとは。」
「ああ、キッドも綜も自分の事はあまり言わないから。」
煙草に火を点けてキリ-が笑った。
「また泣くな、ジ-ンはハンカチを持って行ったのかな。」
「当然だろう。それでお前はどうなんだ、ちゃんと言葉で伝えてるのか? たまには喜びそうな物を買ってやれよ。」
今回は実に堂々とキリ-は答えた。
「云ってるさ、ミャンマーではお前の飯が恋しかったと云っったら嬉しそうだったし、スーパーで山ほど食料品を買ってやったら喜んでいたぞ。」
運転席のエラ-が助手席のキリ-に身体ごと向き直った。
「・・・・・キリ-、お前・・・馬鹿だろう。」
眼を真っ赤に泣きはらしたキッドと、旨くハンカチを渡せて満足気なジ-ンが戻って来た時は二人の盛大な罵り合いの最中だった。半分降ろした窓から怒鳴り合う声が聞え、後ろの車のコオ達が笑い倒している。呆然と立ち尽くしたキッドが我に返ってドアを開けると、一瞬で声が止った。
モクが指先でジ-ンを呼ぶ。
「いったいどうしたんだ。」
「後で教えてやるよ、今は黙って行け。」
キッドが聴いても二人は黙りこくったままで新宿まで何とも云えない空気を運んだが、路地裏の狭い通りはキッドの顔を輝かせた。そこは軍に入るまで働いていた中華料理店『桃苑』。日本軍人が大勢で入ると迷惑が掛かるだろうと此処でもジ-ンはキッドと二人で挨拶に出向いた。
魂消た様な顔の店主も、キッドを見るとやっと笑顔を見せる。思わず出た早口の広東語にキッドが答えると、
「言葉を覚えたか、それならまた使ってやる。何時でも帰って来い。」
笑いながらジ-ンに向かった。
「この子は働き者だ。日本人なのが惜しいぐらいだ。どうか大事にして遣ってくれ。」
世話になった礼を言いに行ったのに、反対に何度もキッドの事を頼み込まれてジ-ンは感動して図らずも涙ぐんでしまう。それを見て店主もまた涙を拭った。
「良い店だな。みんな優しいし。」
「はい。」
素直で可愛いキッドだからこそ大事にして貰える。それは昔から、そしてこの先も繋がって行くだろう。
料亭『桂木』に入ったのは午後八時、美々しい礼装の軍人が八人も入るとさすがに店主が座敷まで挨拶に来た。
「ようこそお越し下さいました。」
深々と下げた頭を上げて、
「今日はどういったお集まりでしょう?」
「ああ、御気になさらず。少々個人的な祝いです。酒もたしなむ程度ですので、騒ぐことも有りませんしご迷惑も掛けない様に致します。」
上官らしき士官の穏やかな声と、良く見れば女性士官もいる。
しかも花束を揃えた膝の横に置いて在るのを見て、店主は独り納得した。おそらくは退官の、それも結婚のお祝いの一席なのだろう。綺麗な顔立ちに何処か見覚えが在ったが、軍人に知り合いは居ない。そつの無い受け答えをして下がると担当の仲居にそれを告げた。心配しなくても良い様だと言葉を添えて。
会食が始まるとジ-ンが横のキッドに酒を勧めた。
「良い店だ、落ち着いてるし。酒も良い。」
「おい、あまりキッドに飲ますなよ。」
コオの言葉にジ-ンは鼻で笑った。
「こいつはウワバミだ、九龍島では俺より飲んだ。」
ゲッと唸ったコオやハクに笑ってキリ-は箸を伸ばした。
確かに美味い料理だし何処かキッドのそれと似た処が有るが、自分の口にはキッドの料理の方が絶対に合う。確認するように幾つか食べて思わずふふっと笑ってしまった。
正面でそれを見たエラ-が呆れたように横を向くが、幸いな事にキリ-は気付きはしなかった。
仲居が下がるとモクが聴いた。
「キッド、此処の飯は喰った事が有るのか?」
「有りませんよ、こんな高級な料理は。私が食べたのは賄です。それでも美味しかったけど。」
「じゃあ美味いだろ、足りなければ俺のも喰って良いぞ。」
「そんなに大食いに見えますか?」
笑うキッドの可愛さと、ほんのりと桜色に染めた頬が何とも初々しい。
ジ-ンとコオが眼を細めてそれをみる。
「たまには良いな、こういう店も。」
ハクの呟きにシュリが返したのは、
「次はお前が運転しろよ。俺も良い酒を飲みたいからな。」
キッドの父親の話から中国料理店の話が和やかに流れて行く。
それを聞きながら男達はゆっくりと杯を酌み交わす。
職場から離れた空間は滅多になく実に穏やかに過ぎて行った。
「御馳走様でした。」
大声を出す訳でも無く、潰れるほど飲む訳でも無い。
会計の他に仲居にも心附けを与え、時間もほどほどに引き上げた軍人たちに店主は好感を持って見送った。が、その一行が裏口に回った事は気付かなかった。時間から言って料理を出し終えるタイミングだった。
扉を叩くと若い見習いの小僧が顔を出し息を飲む。ジ-ンがうっそりと入ると声を掛けた。
「料理長はおいでかな?」
広い厨房の全員が顔を上げ驚いたように眼を見張る。
一番奥から鋭い眼付の年配の板前がするりとジ-ンの前に立った。
歳から言ってもこの男ではあり得ないが、板前が口を開いた。
「軍人がうちの親父に何の用だ。」
「これは失礼した。私は陸軍、立川連隊所属の少佐で雪代と云うものです。
今夜此方で会食をさせて戴いたが実に美味く、お礼をと思い伺ったのだが。」
睨み付ける板前を抑えて皺深い七十前後の男がジ-ンの前に現れた。
「私が料理長の花田です、わざわざのお越し痛み入ります。」
腰は低いが十分な貫禄を見せる男にジ-ンは微笑んだ。
「貴方と此処の皆さんにどうでもお礼を言いたい者を連れてきました。」
ジ-ンの後ろからキッドが姿を現すと花田はまじまじと見つめる。
あっと声を上げたのはさっきの板前だった。
「・・・亜湖? お前、亜湖だろう。」
「はい。高村亜湖です。」
ジ-ンの合図で広い三和土にG倶楽部員が居並んだ。
「私どもでは却ってご迷惑でしょうが、御勇退の花道に私たちの感謝と共にこの華を添えさせて戴きたい。花田料理長に礼!」
キッドを筆頭にビシッと敬礼を捧げると、唖然とする中にただ一人、花田だけは深く頭を下げた。
「・・・有り難う御座います。」
知らせを聞いた店主が駆け込んでくるが、その光景に呆然と突っ立って見入っている。花田が顔をキッドに向けた。
「そうか亜湖、大事にして貰ってるんだな。良かった。」
花束を差し出しながらキッドの眼には大粒の涙が浮かんでいた。
「大将、お疲れ様でした。」
それ以上は言葉にならないキッドに変わってジ-ンが声を掛けた。
「貴方と皆さんのお蔭で高村はこれまでになりました。
幼い高村をよくぞ守って下さった。心から感謝します。」
と、その眼を横の板前に向けた。
「貴方がおにぎりを呉れた方か。軍人は生死を分ける一瞬を知って居る、ギリギリの状態を貴方が救って下さったと思います。有り難う、私達の元に高村を届けてくれて。」
後ろの仲間を手で示すと、
「此処に居るのは一部ですが、我が隊は全員が感謝しています。本当に有り難う御座いました。これで私たちは失礼しますが、キッド、泣いてないでちゃんとお礼を云えよ。車で待って居る。」
ジ-ン以下が姿を消すと緊張が解けた。
花田が何処か気抜けした様子でキッドを見つめる。
「立派になったなあ、綺麗にもなった。ガリガリのガキだったのになあ、なぁ誠治。」
鋭い眼付を和ませた板前がキッドの頭をポンと叩いた。
「脅かしやがって、こんな御大層な形で来るから判らなかったじゃねえか。でも、よく来たなぁ。」
「大将の引退だと綜から聞いて。半日の休暇を貰うのに説明したらこんな騒ぎになったんです。ごめんなさい。」
「謝る必要は無いさ、わざわざ来てくれたんだ。お前を心配しない日は無かったぞ、飯は喰ってるのか、仕事をちゃんとやってるのかと、誠治はいつも気にしていた。」
「オヤッさんこそ、人見知りのお前が上手くやってるかと俺に聞くんだぜ。答えられるか、そんな事。」
笑った拍子に最後の涙が転がり落ちた。
「本当に有り難うございました。私は軍に入って良かったと思います。みんな大事にしてくれますし。今日は初めてお店で食べさせて貰ったけど美味しかった。でも、あの時のおにぎりを超えるものはまだ無いです。」
花田と誠治が顔を見合わせて、笑いながらキッドの肩を叩いた。




