05
「明日からは、今日支給される作業着で来い、。」
手を煩わせた事を謝るか、コーヒーのお礼を言うべきか迷う亜湖に、雪代大尉はさらりと告げた。
「・・はい。」
「座って飲め、他の当番兵が何をするのかは俺は知らんが、
きっと久野が知っているだろう、後で聞いておけ。」
「はい。」
当番兵がソファーに座り込んで呑気にお茶をして良いのかはともかく。
熱いコーヒーでやっと落ち着いてきた亜湖は、眼を上げた。
目の前に座る雪代大尉の顔立ちが日本人離れした、整ったものであることにやっと気づく。瞳の色の緑灰色が宝石のように綺麗で、頭髪ももう少し長ければ柔らかなウェーブを描くのだろう。
ハーフかクォーターか、いずれにしろ欧米の血が入っているようで、体格の良さも頷ける。
「俺の顔は気に入ったか?」
「はい、綺麗な眼です。」
大尉は煙草に火を点けながら、ふっと笑った。
「俺は嫌いだ、特にこの眼はガキの頃えぐり出したいほど嫌いだった。日本人なら黒髪、黒い瞳が一番良い。」
子供がどれ程残酷かは亜湖も解っていた。
皆と違う者、合わせようとしない者は弾き出される。
傷つける事を言ってしまった。
「ごめんなさい。」
思わず出た言葉に、雪代大尉は一泊置いて吹き出した。
(悪い事したら、ごめんなさいって言うんだろう!)
腹を抱えて笑う大尉を見ながら、真理の刷り込みを恨めしく思う亜湖だった。
「驚いた、部屋を間違えたかと思った。」
久野少尉の一声に雪代大尉はむっつりと顔を上げた。
「何しに来た。」
唸るように地を這う低い声にも何の反応も見せず、久野は室内を見て歩きながら感心している。
「貴方には当番兵が必要だと、私が先から言っていた通りでしょう。いくら使わない部屋でもあれは酷かった。」
書類が散乱していたデスクも、今は灰皿ひとつが置いてあるだけで、その表面さえも顔が映るほどピカピカになっている。
「で、優秀な当番兵を何処に隠したんです?」
付き合いの長さから何もかも読み取る男の言葉に、雪代大尉は嫌そうな顔で応える。
「隠すか、ゴミ出しだ。」
「担当伍長が来てますよ。」
雪代大尉の表情が、ふと真顔になる。
それを見ながら久野少尉は笑いをこぼした。
「ちゃんと通達したんですけどね、当番兵の件は。どうやら心配で迎えに来たようですが、どうします?」
「馬鹿野郎が。奴は心配性のお母ちゃんか。2時には返すと言っておけ。」
「了解。」
亜湖が戻ると雪代大尉は立ち上がった。
「昼飯だ。」
そこは仕官食堂で、当然ながら全員が尉官、佐官である。
入る前に雪代大尉に注意されたのは、
「いちいち敬礼はいらんぞ、お前なんぞ手を降ろす間もないし、見てる俺が面倒くさい。」
確かにそうだ。大体が初年兵の入る場所ではない。
だが不思議な事に、雪代大尉の後ろを歩いていても、誰一人気にもしないようであった。
「好きなだけ喰え、遠慮は要らん。初年兵の飯はろくなもんじゃないからな。」
此処もバイキング形式であったが、初年兵と同じなのはそれだけで、内容は比べ物にならない。
肉も、魚も、野菜からデザートに至るまで多種多様、白いコック服の男女が好みのものを取り分けてくれる。
席に着いた亜湖の皿を見て大尉は何とも云えない顔をした。
大の男の自分と変わらない量が乗っている。
厚切りのローストビーフ、白身魚の香草焼き、夏野菜のグリル、トマトの冷製スープと・・・プリン。
雪代大尉のゆっくりしたペースに合わせて、黙々と食べ、最後のプリンまで本当に美味しそうに食べ切った。
男はこみ上げる笑いを隠そうともせず、二人分のトレイを下げに行った背中を見送った。
(これで俺の当番兵のお披露目は済んだな。)
18期生 第一順位 高村亜湖の名はこの立川連隊に知らぬ者は居ない。そこに一行加わる事になる。
〈大喰らいでプリン好き。〉
亜湖は知らなかったが、普段は此処を使わない将官クラスまで、入れ替わり立ち代わり彼女を見に来ていた。
(これは確かに奴も心配だろう。)
優秀な人材はどの部署でも欲しがるが、潰される危険度は並みの兵隊よりも遥かに高い。
嫉妬心などの負の感情もだが、何より多いのが育成に失敗する事だった。
担当伍長の目利きと力量が物を言う初年兵訓練で生き残っても、配属先に寄っては伍長達の苦労も泡と消えかねない。
ましてや高村亜湖である。
ここは軍である。軍である以上、抱え込んで守る訳にはいかないし、鍵付きロッカーに仕舞って置く事も出来ない。
今頃はさぞかし気を揉んでいるだろう、と思うと笑えて来る。
「高村、今日はもう良いぞ。明日からは9時から14時まで、当分は俺の当番兵だ。」
「はい、至りませんが宜しくお願いします。」
お手本のような敬礼に、思いがけずきちんとした答礼が返されて亜湖の配属一日目が終わった。
初年兵宿舎に帰った亜湖を最初に捕まえたのは、当然だが河野伍長だった。
「汗を流して来い、作業着はロッカーだ。」
支給された黒の作業着は亜湖に誂えたようにぴったりで、左袖に白の腕章が仮留めしてあった。
「G倶楽部で2週間保てばそれは外され、正式の部員となる。体力、知力、そして何より気力が必要になる。
そしてこれだけは言っておく。
G倶楽部での一切は部外者に漏らしてはならない、例え俺が銃を突きつけて聞いても言うな。
その為に死ななくてはならないのなら、黙って死ね。」
河野の表情はいつに無く硬かった。
敷地の端にある初年兵宿舎からG倶楽部までは、一般兵宿舎、下士官宿舎、そして仕官宿舎を抜けて行く。
一般兵と下士官は無遠慮に亜湖を眺め廻したが、士官、将官は食堂と同様であった。
上官にいちいち会釈する河野に付いて、同じように会釈した亜湖に河野は厳しい眼を向けた。
「お前はしなくて良い、その作業着を着ている限り佐官クラスでも必要は無い。」
「・・はい・・」
では雪代大尉や久野少尉に遭ったらどうしたらいいのだろう。河野に聞きたくても、今の彼は亜湖の質問など受け付けない厳しさに覆われていた。
「ここだ。」
そこは何の変哲も無い建物だった。
小ぶりの体育館程度で、ドアにプレートが付いていた。
『G倶楽部』
河野の後に続いて入れば、そこは半分がジム、半分が広く空けられたスペース。そして男達が待ち構えていた。
「失礼します、18期生 第一順位 高村亜湖初年兵を連れて参りました。」
亜湖は驚きを隠して河野と同様の礼を取った。
身じろぎひとつしない直立不動の亜湖に答礼を返したのは、
黒の作業着、緑灰色の瞳、端正な顔立ちの・・雪代大尉。
「了解した、高村初年兵を預かる。」
冷たいほど低い声、それは確かにさっきまで聴いていた声だった。
「エラー、そいつに教えてやれ。」
「あぁ。」
受けて一歩出たのは・・久野少尉。
「おいで。」
昼間とおなじような柔らかな声が亜湖を呼び、トレーニング・マシーンの端に移動した。
「驚いただろうね。」
黒の作業着を着た久野少尉は、中性的で良く似合っていた。
「此処の由来は聞いたと思うけど、私達の存在は表舞台に立つことは無い、全く日陰の身なんだ。
国家の為だけに有り、その為だけに生命を施す。
ある種の僧兵だね。
納得が行かないなら担当伍長に言いなさい。
別に此処だけが軍隊ではない、君の軍歴に傷が付く訳ではないよ。」
黙って聴いている亜湖に彼は尋ねた。
「何か、聴きたいことは?」
「・・エラー、って呼び名ですか?」
くすっ、思わずこぼれた笑顔に亜湖の気持ちも和らいだ。
「そう、此処では階級は無い。教えてあげるよ。」
男はしなやかな指で示した。
「君が当番兵に就いた雪代大尉は此処ではジーンと呼ばれている、G倶楽部の今現在のトップだ。
私はエラー、他にはウルフ、ローワン、ボニ、ドン、カズマ・・・今は出張中のメンバーが7名ほど。
此処では敬語も敬礼も無し、タメ口は有り、日々の鍛錬は他の倍、黒の衣服を着用すれば大抵の事は黙認される、但し、外では口外は禁止、掟破りは裏の軍法会議で制裁が与えられる。 さて、どうする?高村亜湖。」
問われて亜湖は、
「ひとつ安心しました、将官以下には会釈も不要と言われ、
雪代大尉や久野少尉と出会ったらどうしたら良いのか、困っていましたから・・」
ぷっ、と吹き出した後 懸命に笑いを堪える久野少尉・・エラーはやがて顔をあげて幼い表情を見返した。
それは一切の感情を消した顔。
「承知、と受け取る。」
「はい、宜しくご指導下さい。」
「そこで遊んでなさい、後で呼ぶから。」
マシン類を示して、黒服の群れに戻って行った。
遠目から見ると雪代大尉の長身は格段に目立っていたが、全員がバランスの取れた機敏そうな体格である。
河野伍長も引けを取らない引き締まった身体だった。
自分の体格で何が出来るのか。
女なのは変えようが無い、年齢はすぐには解決しない。
知力はともかく、いまの亜湖の手元にある気力で体力を附けるしかない。幸いマシンも有る。
「何をしてるんだ?」
ジムマシーンを使い始めた亜湖を眺めて、雪代大尉が戻ってきた久野少尉に訊ねた。
「遊ばせておいた。」
大尉にはそっけなく応え、久野少尉は黒服に囲まれている河野伍長の前にたった。
「いくら第一順位でも限度がある、此処であのガキが務まると本気で思うのか。」
それは穏やかで、にこやかな久野少尉では無い。
声も表情も鋼のように鋭く、容赦なく河野伍長に切りつけた。
「ジーンの当番兵ぐらいなら構わん。今日もいそいそ連れ回して喜んでいたぐらいだからな。だが、G倶楽部を巻き込むな、俺達が何をしているのかお前が一番良く知っているだろう。」
黙ったままの河野に久野少尉の罵倒は続いた。
「みつきもガキ共と遊んで呆けたか、それとも小娘に誑かされたのか。こんな無様を晒すなら東南アジアにでも送っておけば良かったぜ。」
「そこまでにしておけ。」
黒服のひとりに窘められてエラーは黙り込んだが、その双眸は冷たい怒りを閃かせていた。
「あれのプロフィールを知っているから、お前の心情も解る。」
エラーを諌めたひとりが続けた。
「お前と似ているな、だから救いたかったのか?」
今までエラーの罵りにもびくともしなかった河野の表情が、初めて揺らいだ。
「・・そんな事は・・無い、あいつは俺より強い。
性別も、年齢も、関係なしに・・・だから此処に置く価値があると思っ・・」
「思い上がるなっ! どれほど強くても、あれは普通の娘だ、お前はあんな子供を殺すつもりか。」
「エラー。」
別の男が河野と久野少尉の間に割って入った。
「毎期の第一順位が送られて来るのは当然だ。ましてこの2年、該当者がない事でキリーを潜らせたのは俺達だろう。本人を見なければ書類上は立派な第一順位だ。
だからこそ伊達も市橋も最終判断をキリーに預けた。」
「その判断が間違いだ。」
「それならこいつは此処から抜ける事になる。」
その言葉に久野少尉・エラーはたじろいだ。
黙り込んだ男から河野に視線を移して、角ばった顔の男は表情を緩める。
「エラーもドンもお前を案じての事だ。勿論俺たちもお前を気に掛けている。だから一つだけ訊きたい。
キリー、あの子供がG倶楽部でやって行けると本当に思うんだな?」
キリーと呼びかけられた河野伍長は、男の眼を見返して頷いた。
「大丈夫だ。」
そこには昨夜の迷いや後悔は無かった。
Aチームの班長はおろか、担当伍長の河野卓の影は微塵も無く、有るのは唯 冷たく冴え切った双眸。
男の持つ本来の姿に黒服の何人かは感嘆の息をついた。
「どちらにしても2週間だ、その時点でケリが着く。」
それまで一言も無く、黙ったままでいた雪代大尉・ジーンが素っ気なく告げた。
「ウルフに捻り潰されるか叩き潰されるか、みものだな。」
河野伍長の視界にジーンの指の先が示したのは・・ヒグマのような男にぶら下げられた亜湖だった。