04
亜湖は太田と神藤の後について走っていた。
三人の手はチーム全員の洗い上げた洗濯物で塞がっている。
あの後、木村を追いかけてすったもんだの大騒ぎの挙句に、どうでも辞めると言い張る木村の胸ぐら掴んで真理が放った一言は、
『悪い事したら、ごめんなさいって言うんだろう!!』
耳を塞ぐほどの大音声と、市橋先任曹長並み(と、云う噂の有る)のド迫力に思わず木村が、
『ごめんなさいっ!』
『よし、許す!』
確かにそれでケリは着いたのだが、亜湖もつられて謝ってしまい、真理は頭を抱え 皆には大笑いされて何とも居心地の悪い思いをする事になった。
もっと居心地の悪い筈の木村は、だが、全く何事も無かったような態度の河野に、個人教練の剣道とヘリ倶楽部を言い渡され表情を僅かに緩めていた。
真理は以前から続けていたテコンドー、歩美はマーシャルアーツに、太田は柔道、篠崎と神藤は木村と同じ剣道。
古川、西田は戦略、戦術を学ぶ為に参謀倶楽部に割り振られた。
亜湖は・・聞き覚えの無い、G倶楽部。
真理に尋ねると、たいがい明確に応えてくれる彼女には珍しく、困ったように頭を掻きながら笑った。
『キムの一件で棚上げされたけど、伍長が云いかけただろ、ある極秘プロジェクトが絡んでいるんだ。
皆が知っているけど知っててはいけない事、口に出してはいけない事ってあるだろ。だから、私からは云えない。
大丈夫だよ、伍長が説明してくれるさ。』
真理はそのまま伍長との面談に入り、亜湖たちは自分の順番が来るまで通常業務に勤しむことになった。
洗濯物を片付け、散髪に行き、やっと亜湖の番が来た。
すでに全員が個別面談を終わらせている。
「失礼します。」
声を掛けてミーティングルームに入ると、うんざりした表情の河野が座っていた。
手を振って亜湖を座らせながら、自分の前に広げていたノートや書類を片付けていく。
「お前等さぁ、急に手の平返すなよ。 晩飯までは普通に喋ってたのに、たかが伍長なんぞに敬語なんか使う必要はないだろう。」
ふざけた口調に隠した何かを亜湖は感じ取っていたが、今の亜湖にはそれを表す事はできなかった。
困ったように黙り込んだ幼い顔を、河野は彼なりに苦々しく見ていた。 産まれてからたった18年しか生きていない娘、その18年の大半を必死に生き抜いて来た娘。そんな哀れな子供に自分達は何をさせようとしているのか。
「亜湖・・・お前には拒否権が有る。」
それは軍人には許されない台詞だった。
「外の社会で普通に生きて、幸せな人生を送る道程も有るし、一般の女性軍人のように事務系を選ぶ事も出来る。」
僅かに首を傾げて、亜湖の黒い瞳が先を促した。
「だがな、これからの俺の話を聴くなら、それは出来ない。
女性として生きる喜びや、家庭を持つ幸せ、何よりも、人間らしい生き方とはかけ離れた道程を行くしかない。
その覚悟が有るのかを、俺はまず聴かなくてはならない。」
河野の声は驚くほど深く、静かに流れた。
亜湖の眼が真っ直ぐ男を見つめ返した。
「私は軍人という職業を選びました、その中で私に望まれる事が有るなら、私が必要とされるなら全力で挑みます。」
それは彼女の本心だと解った。
落ち着いた声に、
飾る意図のない率直な言葉使いに、
高村亜湖という18歳の少女そのものに満ちた誠実さ。
その若さに不似合いな怜悧さ、冷徹さ。
小さく息を吐いて河野は伍長の顔になった。
「了解した。
では、まずはG倶楽部の説明から始める。
設立は10年前、ひとりの中佐の発案からだった。
軍創立8年が経ったその時点でも、入隊者の大半が世間で云うカス、クズの類。 今、初年兵をクズ共と呼ぶのはその名残でもある。
窃盗、暴行、レイプ、リンチ、果ては殺人にまで至った。
中佐は初年兵をチーム分けし、先任兵を伏兵として潜らせ管理、統括し査定まで下す今の形を整えた。
全初年兵に順位をつけ、上位10人を公表し、それを元に配属を決定した。
G倶楽部は、華の9期生と呼ばれる9年前の初年兵によって作られた。 その年度は心技体と揃った傑物が多く、彼等の大半はその中佐の管轄下に置かれ、以後その力量を認められた者だけが入る事を許される。
G倶楽部に正式に入部した者は、配属先の任務よりG倶楽部を優先し、ファミリーチームよりもG倶楽部を優先する。
G倶楽部は関東師団長の命令にのみ従い、合法、非合法を問わず行動するが、表の軍隊を動かせない場合においては極秘裏の活動となる。結果 今現在の5年生以上の兵士の生存率は50%、全体でも60%に過ぎない。
高村亜湖。
貴官は18期生の第一順位者として、G倶楽部より仮入部の招聘を受けた。
明日1430時に、届けられた作業着を着用の上待機しろ。
私が同行する 以上だ。」
「はいっ、有難うございます。」
その夜の河野は眠れなかった。
入隊以来 唯の一度も不眠に悩んだことなど無かったのに、今夜だけは酒が欲しいと切実に思った。
いくらG倶楽部で欲しても、本人が受けても、担当伍長としての河野個人が撥ね付ければ済んだ筈だった。
酷い事をした。そればかりが頭に浮かんで来た。
亜湖は・・・そんな河野の心情など全く知らず、健やかな眠りの中に引き込まれて行った。
亜湖の配属先は立川連隊 第一大隊第二中隊内緊急救命部隊第三班であった。
自衛隊時代を引き継いだ部署ではあるが、警察や消防が幅広くカバーしている為、余程の事態でない限り出番は無い。
「但し、だ。 要請があった場合はとてつもない大事で、二次三次災害の恐れの有る現場だ。 でもまぁ安心しな、お嬢ちゃんは毛布の番ぐらいしかさせないから。」
40代前半の伍長は、若い亜湖を眺め廻して肩を竦めた。
「何で又、若いお嬢ちゃんがこんなとこに来たんだ?
ここにいるって事は、初年兵訓練で生き残ったって事だろうが、大変だぞぅ。
うちの中隊長はおっかないぞぅ。
部隊長は穏やかなお人柄だけど、まぁ頑張って着任報告してこようぜ。」
同じ伍長でも河野とこの悠木伍長では受ける印象がずいぶん違う。
着任の挨拶もそこそこに亜湖を連れて救命部隊長室のドアを叩いた。 伍長の後について入ると、そこは狭いながらも軍人特有の几帳面に片付いた個室であった。
「久野隊長。」
悠木伍長に並んで敬礼する亜湖に、久野は柔らかい眼差しと答礼を返す。
「本日付で第二中隊緊急救命部隊、第三班に配属された、高村亜湖です。着任の報告に参りました。」
「了解した。 休みたまえ。」
少尉の階級章を着けた久野は、悠木伍長を退るとデスク越しにまじまじと亜湖を見つめている。
「若いな、18歳だとは聞いていたが・・確かに子供だな。」
返事を求められている訳では無い。もっとも返事の仕様もないのだが・・・
「三班の者には後で悠木から紹介させるが、中隊長の雪代大尉には今から私と一緒に行って貰う。」
すっと立った久野少尉は細身で長身、ゴツイ軍人のイメージからはかけ離れて、中性的。少し長めの茶髪によく似合う優しげで綺麗な表情だった。
隣の棟にある中隊本部の三階へと向かいながら久野が話しかけた。
「第一順位とは見事な事だな、伊達軍曹も驚いただろう。」
「・・はい。」
「チームの仲間も全員残ったそうだね。」
「はい。」
「・・・・ずいぶん・・無口なんだね、緊張してる?」
優しげに笑いかけられて、亜湖は頷いた。
「市橋曹長以上の階級の方と話した事が有りません、失礼な口を利かないように気を付けてます。」
笑いを堪える久野を見て亜湖は内心で溜息をついた。
何か可笑しな事を言ったらしい。
真理や歩美、ときおり河野もこんな風に笑う。
やがて久野はひとつのドアの前に立った。
ノックに返された低い声に、亜湖はピクリと反応する。
威嚇ではない、恫喝でもない、それに対して恐怖を感じるのではなく、どちらかと言えば緊張・・
さっきまでの久野に対して持っていた緊張を千倍にし、それを更にぎゅっと凝縮させたようなものを感じさせる。
そんな亜湖を横目で見ながら久野は唇の端で笑った。
「失礼します、本日着任の初年兵を連れて参りました。」
「第二中隊緊急救命部隊第三班に配属されました、高村亜湖です、着任の報告に参りました。」
精一杯の亜湖の敬礼に、中隊長の大尉はいかにも面倒臭げに横着な礼を返した。
「ガキだな。」
実に率直な言葉を告げて椅子から立った男は巨大だった。
190センチは優にある上背に、通常軍服の上からでも解る発達した筋肉。
猫科の大型肉食獣がそこにいた。
「安心しろ、取って喰いはしない。」
亜湖の頭の中を見透かしたように呟き、ニヤリと笑う。
「久野、そいつは俺の当番兵にする。手配しておけ。」
久野部隊長の応答は僅かに遅れた。
「・・・はっ、高村初年兵を本日付で当番兵とします。」
そのまま久野はさっさと出て行き、亜湖は唯ひとり猛獣の檻に残された。
(・・・当番兵、確か仕官のお世話係だと思うけど・・)
旧日本陸軍では常設されていたが、今の軍では将官クラスに対してのみ軍曹クラスが就くはずだった。
初年兵では当然そんな知識など無い。
一生懸命 思い出そうとする亜湖を、男は太い腕を組んだまま見下ろしていた。
暫くして亜湖から出された言葉は、
「・・・雪代大尉、私は何をすれば宜しいでしょうか。」
どう頑張っても知らない事は思い出せず、亜湖は怒鳴られるのを覚悟で訊ねるしかなかった。
が、男の答えは意外な事に、
「俺も知らん。今までそんな者を付けた覚えも無い。」
思わず男の顔を見返すと、右眉が見事に跳ね上がる。
「とりあえず室内を片付けて、茶でも飲むか。」
「・・はい。」
初年兵は走る事と同時に整理整頓を叩き込まれる。
配給物も私物も全てがきちんと在るべき所に有る様に仕込まれる・・・筈なのだが。雪代大尉はどうやら大らかな性格の様で、あまり細かい事は気にしないらしい。
中隊長室は広く20畳は有り、6畳の前室が附いている。
前室の横にトイレと給湯室、これは前室に入る秘書官の為の設備で、中隊長室には別にトイレ、シャワー、仮眠の為の小部屋が有り、ベッドも用意されて至れり尽くせりだったが、その何処もが使われた形跡がなく埃に覆われていた。
亜湖が前室のロッカーから掃除道具をみつけ、給湯室からゴミ袋をみつけ(雪代大尉に聞いても知らなかった)、ハタキをかけ、掃除機を使い、新品の雑巾で吹き上げる間、雪代大尉は大型デスクで書類の整・・・煙草をふかしていた。
デスク周りを残して小部屋に入る。
同じ様に磨き上げ、ベッドのカバー類を剥ぎ戸棚の新しいリネンでベッドメイクを済ませ、トイレとシャワールームに取り掛かった。
埃こそ多いものの、使われていない様な設備は瞬く間に綺麗になる。終わった拍子に声が掛かった。
「高村、お茶。」
「はい。」
出ていって驚いた。 応接セットのテーブルの上にコーヒーカップがふたつ、湯気を立てている。




