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        02

「ではG倶楽部総出となるか、止む終えんな。」


師団長の言葉がもともと狭い執務室に詰め込まれた男たちの耳に低く響いた。

依頼元が依頼元なために師団長から連隊長間でが出張って来た為、オヤジ率は半端ない。

主のジ-ンでさえ壁際に立つ羽目になっていたが、それに応えたのはジ-ンでは無くキッドだった。

「いいえ、実働は一人でバックアップだけで結構です。どれほど掛かるか判らない以上多くは割けません。」

「確かに漠然としすぎるな。」

コオの言葉にジ-ンも頷いた。

「一度訪れた砂漠を再訪するには時間が詰まり過ぎだ。半年しか経っていない。旅行が好きなら他にも行きたい処は在る筈だがな、二十歳の女性なら。」

「どんな性格だ?」

キリ-の問いにキッドが答えた。

「表向きは従順、淑やか、まさに深窓の姫宮様。実際は意思が強く芯が通った女性。子供の頃からその性格を御前は可愛がられていたそうです。」

「そんな事を聴きだしたのか、お前は。」

呆れた様なキリ-に、

「知らないままでは済まされませんよ、此方も身体を張って行くんですから。もう一つの情報として、最近縁談が持ち上がってますね。あまり乗り気じゃ無かったそうですが。相談を受けても親が決めた事だから何も出来なかったと仰ってました。」

「・・・お友達か。」

師団長、連隊長ともに聞こえなかった振りをしていた。

其処に木島がやって来た。

「遅くなって済まない。」


席を譲ろうとした両長をキッドが留める。

「若い者は立てばいいんです。で、どうなった?」

ジ-ンとキリ-、コオは苦笑を隠したが二人の年寄りは顔を見合わせる。

「今手を廻しているが出発までには間に合わないかもしれん、情報として送る手配はして置いた。此方の手としてはウルムチに二人、キルギスのビシュケクとカザフスタンのアルマティに一人ずつ配した。君は馬やラクダには乗れるか?」

「何とかなるだろう、お前よりも運動神経は良い筈だ。」

「そうだな、他に必要なものがあれば何時でも云ってくれ、速攻で送らせる。今回は月龍は無しか?」

「無しだ、間違っても九龍島には云うなよ。ウィグル自治区は中国政府のツボだ、眼の上のたんこぶ李家は関わらない方が良い。馬鹿兄弟がちょっかいを出すと後々面倒だ。」

木島とキッドが塞いで居る為部屋を出るに出られないキリ-がたまりかねて吹き出し、コオとジ-ンも腹を抑えて堪えている。両長は唯眼を白黒させているだけだった。


「それで君は何人連れて行く?」

「私だけだが。」

木島の眼が真剣みを帯びた。

「馬鹿な、向こうの現状を知らな・・・」

「タリム盆地、タクラマカン砂漠を拠点とする砂漠の民が複数、陣地争いをしているな。

平和な事だ、このご時世に。

そんなのどかな諍いに人を割けるほどG倶楽部は暇じゃない、まして戦闘兵士を出そうと云うなら一人が良い処だろう、ご指名の私が出るんだ、感謝して敬え。」

詰まった木島に、

「おひい様の写真は手に入ったか? 今回は完全に捜査員として動く積りだから拉致誘拐なら身代金も用意して置け。出来る限り穏便に素早く片付けたい。」

「ああ、これが写真だ。金の手配は出来ている。君の身元は調整室に用意した。身分証とパスポート、これは資金だ。ちなみに君は・・・まともな服は有るのか?」

ニヤリと笑って、

「シュリが用意してくれる。出立時間は?」

「2130時発の便だ、時間が無くて済まないが。私は何時でも出れるから君は支度を急ぎたまえ。」

「お前も行くのか?」

「ウルムチで待機の予定だが、無論必要なら君と動く積りで来た。」

「・・・驚いた、調整室もなかなか身体を張ってるな。」

「当然だ、君を使う以上は私も覚悟を決めている。」

「なるほどな、では少し待って貰おう。」


ジ-ンからの連絡でシュリは既に荷を用意していたがキリ-が待ったをかけた。

「キッド、武器制作部に頼んでおいたダガーが出来た。まだ試作品だが使ってみろ。」

それは硬質プラスチックの一体成形型のダガーだった。金属探知機にも掛からず持ち運べる物だ。

「ああ、良かった。他の物は現地調達で良いけどこれは諦めていたから。有り難うキリ-。」

ダガーの他に銀線の代わりとして極細のグラスファイバー製のそれもある。


「試して見たほうが良い。」

人型ジ-ン君に向かうキッドに全員が集まった。

「良いのかな、こんなにギャラリーが居る中で・・・」

キッドの呟きにキリ-は肩を竦めた。

「今更仕方が無い、見るなとも云えん。」

「はい、では行きます。」

僅かに右手が動き途端にジ-ン君にダガーが突き立った。

左も同様、初めて見る両長と木島は何がどうなったのかさえ判らなかった。

銀線に至っては両手をはらっただけでジ-ン君の首が落ちてしまった。

「ああっ、ジ-ン君の首がもげた。」

ハクのどこか楽しげな声にジ-ンの悲しげな声が被さる。

「止めろ、俺の首をもぐな。」

慌てるジ-ンを全く無視してキッドが満足気に笑った。

「これは銀線よりも良いですね、ダガーはもう少し重さが欲しいけど・・・」

「同じ重さの筈だが質の違いかな、帰るまでに直して置こう。」

「有り難う御座います。これで落ち着いた。」


キリ-の眼がキッドを見下ろした。

「気を付けて行って来い。オマケも護れよ。」

「はい。」

キッドを放す恐怖は常に在る。これほどの腕なら心配はないと判って居ても、たった一発の銃弾で人は簡単に死んでしまうのだ。自分が行く方が余程気楽で良い。

「キリ-、今朝は済みませんでした。」

「・・・いや。」

「貴方に押し付けて楽をしようとしました。私が自分で考えたようにカイルも自分で決める事ですね。」

「・・・早く帰れよ、お前の飯は美味い。」

見上げて見せた笑顔は何度見ても男の胸をざわめかせる。

見ていたいのか、見るのが辛いのか、解かって居るのは唯一つ。自分の命よりも重い存在だと云う事だった。


それはジ-ンにとっても同じ思いだろう。

滅多に無い事に羽田まで送りに出たのはジ-ンとキリ-、柔らかいグレーのパンツスーツのキッドは木島次官補と共に飛び立っていった。

「奴を送り出すのは嫌なものだ、特に一人で出すのは。」

ジ-ンの言葉にキリ-も頷いた。

「調整室主体で動くとなると此方は手は出せないか?

別の形でバックアップが出来れば良いんだが。これはキッドに限らず誰にでも言える事だろう。」

「そうだな、今回は九龍島には頼れないし・・・計ってみるか。」

後は二人むっつりと黙り込んだまま帰路に着いた。




「初めてだな、ビジネスクラスに乗るのは。エコノミーとはだいぶ違う。」

笑顔を向けられて木島は何とも居心地の悪い表情を浮かべた。

制服姿も黒の作業着も迫力満点のあでやかなドレス姿も見慣れたし、まさに裏町の小僧然とした擦り切れたGパン姿も知っている。だが今回の様なスーツまで馴染んだように着こなすとは思いもしなかった。

この姿なら調整室調査官の職を与えても不思議では無い。一つだけ文句を着けるとするなら、目立ちすぎる美貌だろう。乗り合わせた乗客(男女ともに)はおろか、客室乗務員の眼まで奪いそこだけがスポットライトを当てた様に燦然と輝いている。

しかも自分では全く気付く様子は無い。

(G倶楽部員が苦労する訳だ。)


「何だ、君はビジネスクラスは初めてだったのか。あれほどあちこち動き回っているくせに。」

内心を隠して尋ねると、

「制服で動く事は無いからな。私の年恰好からすればエコノミーがジャストだろう。

ただ、チャーター機とかプライベートジェットには乗ったが。」

この落差の激しさはキッド本人と良く似ている。

思わず笑ってしまった。

「では次の機会にはファーストクラスで招待しようか。」

「御免だな、調整室の仕事ばかりじゃ身体が鈍りそうだ。どれに乗っても寝てしまえば同じだし。」

夜間のフライトの為、照明が落とされ乗客は眠りに入った。

薄闇の中で木島はキッドの言葉を思い返していた。


『おひい様が砂漠を好きならタクラマカン以外にも行く筈だ。

周囲にも山ほどあるのに何故、そこに固執するのか。

今回はそれを知れば解決すると思う、単に見つけて連れ戻して済とは思えない。』

キッドの言葉は的を得ていた。

『ましてお供を撒いての単独行動だ、自分の立場を知らない訳では無い。

その中で育ってきた自覚も有ろうに・・・』


木島とて宮内庁とはアルバイン国王の親書で初めて関わったに過ぎず、実情は計りかねる。貰った情報はとても十分とは言えなかったが、キッドが畏れ多くも直接に聞き出した個人の性格や近況で多少の輪郭は見えてきた。

(それにしても何と大胆な事だ。)

傍で聞いていてもハラハラしどうしだったが、救われたのはあちらが嫌な顔もせず率直に応えて呉れた事と、キッドの軍人らしい言葉使いと態度、丁寧で歯切れの良いそれは好感が持てる物だった。日頃の態度、物腰を知っているだけに心底ホッとしたのは事実だった。


此処まで見てくれと異なる女性は居ない。少なくとも木島の周囲には居なかったが、恐ろしい物で慣れるとまた見たくなる。おそらくは九龍島の兄弟も似たような物だろう。

北京で乗り換えてウルムチに着いたのが現地時間で昼だった。



その街自体は一応自治区の首都の体裁を整えていたが、天山山脈の端ジュンガル盆地の南に位置している高地のオアシス都市は、四月のこの時期にも関わらず昼は真夏の暑さ、夜は厳しい冷え込みに震えが走るほどの気温差が有った。観光客相手のホテルは思ったより多い。

シルクロードの旅、キャラバンツアーを謳って自治区なりの発展を遂げている。

ホテルの一室には先乗りした木島の部下、高任調査官が今回のターゲットのお付きの女性、林貴和子と待ち構えていたが、挨拶から座るまでまじまじとキッドを見つめるには当然の理由があった。

調整室の依頼でパリ社交界を席巻した月龍姫の実物などそう簡単にお眼に掛かれるものでは無い。だが、


「次官補、うざいぞ。」

キッドの一言で鬼より怖い木島が高任に目配せをする。

「失礼しました。」

そんな高任に微かな笑みを見せてから、キッドは林貴和子に向かった。

「何度も同じ話ばかりさせて済まないが、もう一度だけお願いしたい。思い出した事が有れば付け加えて貰えると有難いのだが。」

キッドも経験が有った。合う人ごとに同じ話を繰り返すのはなかなか大変なのだが、不意に思い出す事実も出無い事では無い。林貴和子は蒼褪めた顔で頷いて話しはじめた。


「お嬢様の名は京極亜哉子様、今年の7月で21歳になります。

大学のゼミで研究されているシルクロードを視察の為に昨年の9月、ゼミのお仲間3人と初めて此方に参りました。帰国されてからも砂漠のお話を良くされていましたが、特に変わった様子では有りませんでした。

とても楽しかったと、砂漠の民と仲良くなった、夕陽が素晴らしかったとご両親にも私にも同じように云っておられました。年が明けて・・・ご縁談が持ち上がりその頃から少しご様子が変わって参りました。

大伯父様に・・・あの方ですが、ご相談されたようですが・・・云っても好いのでしょうか、

助けては下さらないと・・・。ひどく気鬱なご様子で。

卒業したらすぐにご結婚と、日取りまで決まりその頃からあまりお話もしなくなられて。」

「マリッジブルーと云う奴かな?」

キッドの軽い問いに、だが林は笑う事無く答えた。

「亜哉子様は芯の強い方です、ご自分が納得されたなら何も迷いはしない筈、例えどんな状況でも躊躇う事はなされないでしょう。」

「では、ご本人は納得されて居ない?」

それには直接の返事をしなかった。

「私に云われたのは、『嫁げば自儘にはならない、その前にあの砂漠をもう一度だけ見たい。』と。お母様は反対されたのですが、お父様がお許しになって。」、

「貴方はずっとともに居たのではないのか?」

木島の言葉に彼女はうなだれた。

「このウルムチで案内人を雇う事になっていましたが、私が手配する間に一人で出てしまわれて・・・」


「まとめてみよう、二人でウルムチに着いたのが六日前、翌日に亜哉子さんは消えて、その三日後楼蘭から電話が実家に入った。たった一人で三日と云う時間でその距離を踏破するには車しかないが、レンタルも該当者は無く当然だが盗難も今の処届け出は無い。」

まとめた木島にキッドの眼が向けられた。

「実家への電話は本人か。」

「確かだ、母親父親ともに確認済みだ。何よりお供の林さんを責めないようにと繰り返していたそうだ。」

それを聞き林貴和子は顔を覆って泣き出した。

「泣くな!生きて連れ帰るまで泣いても意味は無い。」

思わぬほど強いキッドの声に高任調査官までビクリと背を伸ばす。

「携帯端末は最新機種の衛星対応機だな、今回の為に購入したものか?」

「は、はい。何処からでもつながる様にと半月ほど前に。」

「私は電子機器には弱いので教えて貰いたい。それは通常の物にもつながるんだな。」

「つながるな、反対は無理だが。」

木島の応えにキッドは僅かに考えて、

「なるほど・・・高任、おひい様の番号が国際電話、この地域にどれほどかけたか調べろ。」

「はい。」

思わず返事をして高任調査官は木島次官補の顔を見返したが、すぐに席を立った。

と同時に林貴和子の顔が上がる。

「・・・電話をして居らした。日本語では無いため何を話されていたのかは判りませんが、出発の五日ほど前です。私に気がつくと急いで切ってしまわれました。」

木島とキッドの視線が合った。

「一人では無いな。」

「そのようだ、相手の番号から特定させろ。乗り込むぞ。」

「承知。」



「乗り込むまでにこれほど時間が掛かるとは思わなかった。辿り着くまでに干からびるぞ。」

「参ったな、此方の人間は金さえ払えばどこの誰にでも端末を売るとは・・・お国事情もかなり異なる物だな。」

何処か呑気な台詞にキッドは相方の顔を見返した。

「良いのか、高任が蒼くなってたぞ。次代の調整室長が出張るのはまずいだろう。」

「次代の調整室長もこの首が有っての話だ。楼蘭の姫と東洋の真珠のどちらが掛けても私の首は軽く吹き飛ぶ。ならば自分で判断した方が良い。ただ待つだけでは無くな。」

「ほう、大した根性だ。」

高任調査員が用意した通訳と案内人付ジープに乗り込み既に二日、交代で運転しながらの砂漠の旅はとてもじゃないがロマンティックとは言い難かった。

京極亜哉子の電話の相手は特定こそ出来たが、ウルムチ在住の人間では無く住所も連絡先も無い。

料金引き落としの口座も届けられていた所在地に該当する人間は居なかった。

結局自宅に掛けられた電話の位置から楼蘭周辺に的を絞るしかない状態となり、キッドと木島の二人は砂漠の旅を堪能していた。

サンドベージュの長衣、フードの下には砂避けの布を巻き付けたキッドはよく光る眼で木島を見た。

「今現在のあちらの状況は良いようだな。」

ごく低いキッドの言葉に木島も同じように答えた。

「昔に消えた泉が復活して居るなら当然だが、自治区の上は気づいて居ない。こいつ等も気を付けて話している。」

「こいつ等の上はなかなか切れ者の様だな。」

通訳は片言の英語と同様の広東語を駆使して、木島も同じ程度の語学力で応じている。が、無論キッドも木島も多少の現地語は理解している。英語と広東語に至っては何の問題も無かった。わざわざ通訳を付けたのは案内人との会話から情報を得る為に過ぎない。

「敵対する気は無いか、度胸の良い奴だ。」

「相当の自信家なのかな、それでも君にはたまげる筈だが。」

「褒め言葉と取って置こう。」




遥か昔に楼蘭と云う都市を興した幻の湖、ロブ湖が消え楼蘭は滅び去った。

古代都市の遺跡だけが砂に埋もれて残りそれは敦煌ともども観光遺跡として名を馳せていたが、今ではそれさえも無い。だが、消えた筈のロブ湖がこの数年復活している。砂漠の民の一群がそこを拠点として生活をしている様だったが、その情報はウルムチで入手したものでは無い。通訳と案内人の会話から捉えた物だった。二人は男性である木島に対しては十分な注意をして居る様で必要以上の言葉を出す事はなく、キッドには何とも胡乱な視線を投げるだけであった。

通訳が指を指して示したのはその日の夕方、示した先には夕陽の中に浮かび上がったオアシス。

栄えた古都とは似ても似つかぬささやかな村だった。

二人を迎えたのはこの村の長だろう、200人にも足りない村人の只中に立ち真っ直ぐに木島を見つめていた。

白い長衣に褐色の長いベスト、頭には民族の帽子をかぶり腰には剣を下げている。年齢の頃は30前後、落ち着いた表情の中に不思議なきらめきを放つ双眸が印象的な男だった。


「日本の国の人か、良く来られた。歓迎しよう。」

現地語を通訳が直そうとした瞬間、木島は其れに応えた。

「楼蘭の王、私は木島嘉門と云う。お眼に掛かれて光栄だ。」

通訳と案内人が驚いたように木島の顔を見た。が、長は笑みさえ見せた。

「私はサラームと呼ばれている。一応このオアシスをまとめているが・・・王では無い。どうやら通訳は必要無いようだな。」

目線をキッドに向けて尋ねた。

「其方は・・・女性か?」

帽子の下に砂除けの絹布を撒きつけていても、男物の衣服であってもしなやかな体の線は隠しようも無い。

キッドは布を取りサラームに嫋やかな礼を取った。

「サラーム王、初めてお眼に掛かる。私はキッドと呼ばれている。」

ざわめきが漏れた。サラームの眼が初めて揺れる。

「これは・・・ようこそお越しになられた。ジープの旅ではお疲れだろう、先ずは此方へ・・・」

遮ったのはキッド。

「亜哉子姫をお迎えに上がった、お渡し願おう。」


今度の沈黙はまるで氷の様に二人に突き刺さる。が、

「拉致誘拐とは云うまい、おそらくは彼女の意思。入念に計画を立てての行動と思われる。

だがご家族を説得する義務も確かに在る筈だ。自儘な子供では無いと云われるならまずはご両親を納得させて貴方に嫁げば良い。違うかな?」

キッドの視線はサラームの後ろ、数人の男に隠された一人の人物に向けられていた。

それは確かに京極亜哉子その人だった。止める幾つもの手をそっと押して彼女がキッドの前に立つ。

キッド同様に巻きつけた布をはらい取ると人形の様な愛らしくも美しい姫宮がそこに居た。

「貴方がキッドですか、大伯父様から伺った通りの・・いいえ、より以上に綺麗な人ですね。貴方がいらしたと云う事は大伯父様からの要請ですか。」

頷くキッドに姫宮は悲しげと云って良い程の笑顔を向けた。

「両親を説得しようとは思いませんでした。何故なら私自身が気付かなかった感情でしたから。縁談が決まって初めて知りました。キッド、私は帰りません。既にサラームの妻となった身です・・両親にも大伯父様にも諦めて貰います。亜哉子は死んだと伝えて下さい。」

ゆっくりと話す言葉の端々に育ちの良さが顕れている。

こんな深窓の姫宮がこんな厳しい自然の中で生きて行けるのだろうか。

黙って聞きながら木島は砂漠を見渡した。

ロブ湖が失せればこんなオアシスなど消えるには時間など掛からない。

砂嵐のひとつで小さな村は消え失せる。何より部族間の諍いさえ多数あると云う厳しい状況下で・・・

「あや、キッドも此処では何だ。ひとまず天幕に入って話そう。お茶ぐらいはもてなしたい。」

サラームの言葉をキッドと木島は受け入れた。



「あの二人が私の配下だと何時気付いた?」

サラームの問いに応えたのは木島だった。

「日本から誰かが来るぐらい解かって居ただろう。現地の人間を雇うならそれ以外にない。」

ふとサラームが笑った。

「こんな中国の外れの自治区の人間ではそこまで読み切れない。さすがは大国の思考だな。必要も無いのに会話から聞き出す為に雇ったか。」

お茶を飲みながらの会話は男同士ではあまり弾まない。そして、今後については外で料理を作る女二人が握っている事を彼らは知って居た。


オアシスの泉から水を汲み、火を起こして捌いた肉を炙る。粉を練って窯に張り付けてパンを焼く。

それは手間も時間もことごとく掛かる調理だった。日本に居ればガスも電気も有るしレンジでチンすれば何でも食べれる様になっていて、しかも味も多種多様に選ぶことが出来る。そんな日本を捨ててもこの姫宮はサラームを選んだのかとキッドは亜哉子の顔をじっと見つめた。

「貴方が仲良くなった砂漠の民とはサラームですか。」

亜哉子は頬を染めて頷いた。

「以前来た時に案内をしてくれました。

彼は時折街中で情報を集める為にそのような仕事をしているそうです。お友達は少し怖がっていましたけど私は怖いとは思えなかった。優しくて強くて・・・帰国して離れて初めてあの眼差しを恋しく思いました。番号は聞いていたので衛星対応機を買って私からプロポーズをしたのです。」

「村の長が異国の花嫁を取るのを村の人たちは反対しなかったようですね。」

亜哉子が出ようとした時の留める手はキッドの眼に残っていた。

「サラームは慕われています。私もこの部族の人間になりたいと願い、いろいろと教えて貰っています。」

「苦労しますよ。」

引き止める言葉が無い事はない、だがキッドに云えたのは其れだけであったし、それに気づいた亜哉子は儚いほど優しく微笑んだ。

「先の苦労より、今をあの人と生きたいと願う事は我儘でしょうね。それでも考えた末の決断でした。サラームに合う事が無ければ私は両親の意のまま嫁いでいたでしょうが。」

「だが出逢ってしまった。過去は取り戻せないなら・・・それを踏まえてこの先を生きろ。そう教えてくれた人がいる。貴方の人生だ、存分にされるが良い。唯一つ、林貴和子の人生には責任を持って戴きたい。」

「貴和子さんは・・・帰ったのでは無いのですか?」

心底驚いたように亜哉子は眼を見張った。

「ウルムチに待機しています。このままでは帰れませんよ。彼女は私達とは立場が違う、下手をすればおかしな責任の取り方をしかねない。」

止った手の代わりにキッドの手が肉を返した。

「一度ウルムチまで云って貴方の口から告げてください、出来るなら御前にも電話をして頂けると私たちも助かります。」

「許して戴けるとは思えませんが・・・」

「誰に?」

キッドの眼の光に亜哉子は戸惑ったように見返す。

「誰の許しが必要です? 貴方は此処に居て私は貴方を無理やりに連れて帰ろうとは思わない。イザとなれば何とでも云える。例えば・・帰国を強いられたなら命を絶つと貴方に脅されたとか、次の迎えが来るころにはお腹に御子が居るとか・・・」

「まぁ・・・良いのでしょうか、そんな事を云っても。」

思わず笑ってしまった。

「貴方が本気でサラームと生きて行きたいと思うなら、引き離されたくないと思うなら、嘘も方便と云うでしょう。自分が一番幸せな道をお行きなさい。どうやら後悔はされていない様だ。」

亜哉子の瞳が初めて輝いた。





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