ジ-ン 独白 番外
彼は物心がついた時から異邦人であった。
幼い時期はさほどでは無かったが小学校に上がるとすぐにイジメの対象となった。
学校は決して猥雑な下町とは異なる。
山の手の育ちの良い子女が通う私立の学校であったが、白皙の肌、薄い色の柔らかな頭髪と何より眼を引く緑灰色の瞳は彼を完全な日本人とは同級生の誰もが認識しなかったのだ。
子供は残酷だった。浴びせられる暴言は拙いゆえに尚更ストレートに彼の心を傷つけた。
外国人、よそ者、日本人じゃ無い・・・何より堪えたのは『合いの子』の蔑称だった。
何一つとっても彼の責任では在り得ない。
ゆえに彼は黙って耐え忍ぶことを自分自身に許さなかった。
毎日毎日を彼は戦った。
殴り合い、罵り、傷だらけになって小学校生活を送る。
当然学校からの連絡が家に入ったが家族が訪れて詫びる事も、相談する事も、何より他の子供を非難する事さえ無かった。
彼は家の中でも孤立していたのだ。
雪代家はそれなりの家格を持つ、それなりの財閥であった。
五代目の跡取りは雪代知嗣。彼の父親であったが完全に育児放棄をしていた。
母親は実の子の彼ですら父親がEUへ遊学していたころ知り合った女性としか知りようも無いが、家の使用人の噂ではドイツ人らしい。しかし、生きているのか死んだのかさえ判らない。
もっとも密かに椿姫と呼ばれる顔も名前も知らない母親など彼は欠片も気にしなかった。
祖父母は同じ家の中で暮らしながらも彼とは顔を合わせない生活を続け、明らかに一人しか居ない内孫を拒否し続ける。
彼の衣食住の一切は使用人の手によって賄われていた。
やがて彼の父親は雪代家に相応しいとされる嫁を迎え、異母弟と異母妹が産まれた。
雪代家は彼を放り出す事は無かったが家族としては切り離したまま平和な家族として過ごし始める。
だが、彼の実生活はそれ処では無かった。
世間では単にワンパクと呼ばれる少年は誰も護って呉れない事実を認識したうえで、自らを護る為に戦い続けたのだ。
毎日を戦い抜いて生きていた彼はやがて中学に進む。
雪代博嗣少年は青春期のスタートラインに立っていた。
小学校のクラスの連中は大半が中学受験をしてばらけてしまったが、彼はそのまま持ち上がりで中学に進んだ。
同じ敷地内で在る為に彼の噂は当然鳴り響いている。
だからだろうか。
それとも周囲が慣れたのか。
小学校時とは異なり面と向かって彼を罵倒する声は聴かれなくなった。そうなれば落ち着いてくる。周囲に対して張り詰めていた意識が緩んでくる。
敵対者に対して構えていた姿勢が消えると勉強やクラブ活動に集中できた。
元より整理された頭脳を持っていた彼が丸六年間を掛けて先手を読む生活を強いられたことで、回転の速い先を見るに長けた実に有能な個性が造られたのだ。
彼が父親から受け継いだのは酷薄とも言える怜悧な頭脳と性格。
そして見知らぬ母親から受け継いだのは緑灰色の眼だけでは無かった。
欧米人の骨格は今はまだ育ちきって居ないが豊かな長身と長い手足。スラリとした体形に、笑うと人の眼を引き付ける流麗な顔立ちだった。そろそろ色気づいた女子達には格好の的となる。
彼からすれば自分の外観などコンプレックスの塊であったがそれを逆手に取る小賢しさも十分に育っていた。
女子等少し笑えば思うように転がせる。
それは新たな認識だった。
だから中学の三年に上がった新しいクラスで、初めて顔を合わせた転校生の女生徒に素っ気なく流された時には思わず険悪な表情となっていた。
「何だ、お前男嫌いか。」
彼のほとんど喧嘩腰の言葉にその女生徒は苦笑した。
「君の気に入る態度を取らないからと云って男嫌いにしないでよ。」
こんな対応をされたのも初めてだった。
結城笙子はアイウエオ順で決められた席で彼の隣に座っていたが普段はさして会話もしなかった。
敬遠されている訳では無いし、彼女が無口と云う訳でも無い。話しかければ応えるし思わぬ程の変わった意見も聞ける。
だが、どうでも良い話題には鼻も引っ掛けないうえ女子同士の恋話やドラマの話題など完全に無視しする態度は却って潔い。休み時間は大概の場合一人で分厚い本を読んでいる。だから当然クラス内で浮いた存在となった。
「結城、お前浮いてるぞ。」
それは六月に入ったばかりの頃。スラリと伸びた背中に声を掛けると本から眼を上げる。
「うん? そうだね。」
自分の存在を認めようとしないかつてのクラスメイト相手に全力で戦ってきた彼には驚くほど淡白な応え。
「良いのか、仲間外れにされても。」
重ねて聞いた彼に彼女は僅かに笑って答えた。
「小学校や中学校の友達付き合いが成人以降まで続く事は多くないでしょ。此処で適当に愛想を振って上っ面の友達を作るより、やりたい事の為に勉強した方が良いな、私は。」
それはあくまで自分の意見だと云いながら彼女はまた本に戻って行った。
眼が覚めるような言葉だった。
子供時代を喧嘩に明け暮れていたのは自己を他人に認めさせる為、それ以上の目的など何も無かったし今のこの状態に満足していた彼はこの先の人生など考えもしなかった。
「何をやりたいんだ。」
結城笙子の片眉が僅かに上がった。
「秘密。」
と、その眼が彼を真っ向から捉えた。
「雪代君は良い体格してるね、羨ましいな。」
今ではハーフの顔を褒められる事は少なくないし、長い手足や上背も女子の好感度の対象だった。
確かにこの処身長は伸び続け今では180を優に超えている。
だが、羨ましいと女子から言われるとは思わなかった。それはどう見ても男のセリフだろう。
興味が出て来た。無論普通の女子に対する興味では無い。
結城笙子には性別を超えた何かを覚えた。
見ていると運動神経は文句の云い様も無い。
たしか運動部では無い筈だが短距離にも長距離にも強く、反射も優れている。バネが強いし感も良いようだった。授業も理解力が半端では無い。理数系も語学も、特に歴史と地理には異常なほどの強さを見せた。
身長は彼を羨ましいと云っただけ有って160をわずかに上回る程度、体重はスラリと細めで目算で50キロほどだろう。
前期の試験では堂々の学年一位。それでもたいして嬉しそうでも無かった。
「東大でも狙ってるのか?」
うーんと首を傾げてちょっと違うと呟く。
「お前なら行けるだろう、狙えば良いじゃないか。」
やはり昔も今も東京大学は大御所だし、其処を出れば大概の希望先に就職できるはずだが、結城はフフッと笑っただけで答えなかった。
最近気づいたのはこんな笑い方をするのは興味が全く無い時だ。
案の定話が逸らされた。
「君は何処を狙うの? 東大?」
うんざりした。
前期の試験で首席を取った結城も可笑しな処で間が抜けてる。
学年で真ん中より少し上程度の彼ではどう間違っても手の届く話では無い。
だが、呆れた様な彼に彼女は初めて聞く言葉をぶつけて来た。
「雪代君は現状把握が出来てる。それが出来ないとその先が読めないでしょう。認識力が優れた人間でないと大局は掴めないんだよ。今からでも間に合うと思うな、その気が有るならだけど。」
同じ中学の三年生で片や目的を持って努力する者と、女と遊んで日々を過ごす者とでは大河を挟んだ両岸に立っている様だった。会話が噛み合わないのは当然だ。
いったいこの俺に何が出来ると云うんだ・・・
そんな内心が読めたのか結城笙子は僅かに片眉をあげた。
「別に東大だけが大学じゃないけどこの先の人生は自分だけが決める物でしょ。他人様が何を云おうと私なら気にしない、自分の人生は誰にも口を出させない。」
大きな声では無い。
だがこの上なく強い言葉が雪代博嗣の根底を揺り動かした。
将来の事など今まで全く考えて居なかった彼を。
適当にこのまま持ち上がりの高校、大学に行き、適当な会社に入ると漠然と思っていたのだが・・・そう告げると、
「君は一般的な会社員には向かなそうだけどね。」
「・・・・何が合いそうだ?」
いきなり結城笙子は真顔になった。
「軍人。」
驚いた彼にふふっと笑った。
「気にしなくて良いよ、これは私の主観だから。」
日本の自衛隊が軍組織として直されたのは僅か五.六年前の筈だったし、さすがにその当時の大騒ぎは幾ら子供であっても記憶に新しい。だが、実際にそれを職業とするのは考えても居なかった。
「お前・・・其処を狙っているのか?」
僅かに肩を竦める。
「父がね元自衛官で・・・尖閣諸島戦で亡くなったの。出来れば跡を継ぎたいから。
母が反対してるから難しいんだけど、前にも云ったと思うけど自分の人生だからやるだけやって見たいんだ。」
「軍に入るなら・・・陸海空の士官大学か。東大並みの競争率だと聞いたぞ。」
にこっと笑った顔は普段見せない花の様な綺麗な笑顔。
「落ちたら陸短っていう手も有る。」
士官が駄目なら一兵卒でも良い。
どうでも軍人になるのだと黒い瞳を煌めかせたかつての同級生が変わらぬ顔でジ-ンとなった男を見つめる。
二十年近い年月を超えて。
志半ば・・・いや、その遥か手前で病に倒れたお前の遺志を俺は継ぐ事は出来ただろうか。 「違うな。」
ジ-ンの意思は彼自身のもの。
だから彼女の意志は彼女だけのものだろう。
だけど、同じような瞳なら此処にある。
輝かしい生命力と誰にも負けない強い意志は。
・・・なぁ、笙子・・・・・お前に逢わせたかったぞ・・・・・・・・・




