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    03

宿舎に戻ったのは、驚いた事にまだ陽のある時間であった。


「何だか久しぶりねぇ、起きたままシャワーを浴びるの」

「本当だ、たいがい居眠りしながらだったね。」

歩美に答えたのは亜湖だった。

最初の頃の、戸惑ったような居場所の無い迷子のような娘の姿はなく、会話も続くようになっている。

元々が口数の多い性格ではないようで、相手が話さなければ黙ったままでいるが、そこには相手と向き合う落ち着きが出来たし、なによりも表情が豊かになっていた。


そして歩美と真理にも変化があった。

歩美の華やかな印象はどれほどボロボロになっても変わらなかったが、艶やかなショートボブをざっくり切り真理と代わらぬベリーショートにした事で精悍さが増し、言動にも慎重さが加わった。

真理は・・・いよいよ男らしくなっていた。口の悪い太田に『ゴムマリ』と評される程の弾けっぷりはチームの男達からは一目置かれ、他チームの男達には恐れられている。彼女の怒号には伊達軍曹さえも一歩退がると云う噂さえ、単なる噂には思えない貫禄があった。


「あぁ、さっぱりしたぁ。後は喰って寝るだけかぁ、なんだかスゴイ幸せを感じるなぁ。」

濡れた髪をザシザシと男らしく拭きながらの真理の言葉に、亜湖が笑う。

「喰って、ミーティング。その後、個人教練の発表、班長と個別のミーティング、その間に洗濯物を取りに行って、散髪して歯を磨いて明日の準備して寝る。」

「喰って、寝るまで・・・なんて長いんだ・・」

げんなりした真理に歩美が腹を抱えて笑いころげた。


それでも三人の顔は明るかった。

Aチームは全員が生き残っている、他チームでは相当数の脱落者が出てチームとしての形さえ組めないと聞いた。

三人の内では、Aチームを束ねている河野の力量以外に、ここまでの好成績は有り得ないとの認識だった。


「でもぅ、今日の御幸ちゃん カッコ良かったね。古川をがっちり守って、男らしぃって。」

「そうかぁ? 篠もいかったよ、あいつは眼が良い。

なかなか使える奴だ。男にして置くのはもったいない。」

歩美と真理の会話を、にこにこ笑いながら聞いている亜湖に歩美が尋ねた。

「亜湖の、今日の一番は誰?」

それはここ最近の三人が行っている毎日の総括であった。

亜湖は軽く首を傾げる。

「圭さん・・かな?」

西田圭佑と言う、亜湖の意表を突いた応えに、二人は黙ってその顔を見つめた。

「今日の作戦は圭さんでしょ、見事だったな。

私にはあんなに深く、裏を突く手は思いつかない。」

歩美は肩をすくめ、真理は大きく息を吐いた。

「・・・さて、時間だ。綺麗になった美女軍団は男共を悩殺しに行くぞ。」


夕食の場はいたって穏やかで、どちらかと云えばAチームのテーブルは静かだった。

集まって来た生き残りの初年兵は、ざっと見た限りで50人前後、ひとチームまるまる残ったのはAチームのみ。

「よう、お疲れ。」

隣の部屋と云うことも有り、比較的仲の良いBチームのひとり、森 春樹がぐったりした顔で足を止めた。

「やっと終わったな、うちは2落ちだ。」

「そこで踏みとどまったなら良い方だろ、大概が一抜けの後なし崩しになるぜ。」

篠崎の言葉に森も笑いながら頷いた。

「全くだな、DやHほど崩れずに済んで良かったよ。」

Hチームの生き残りは3人、Dに至ってはふたりのみで、チームとしては壊滅状態である。

「それでもさ、良かったんじゃないの。去年は全落ちが出たって聞いたよ。」

真理の声はさすがに低かったが、森の表情は僅かに緩んだ。

「うん、そうだな・・」

「まぁな・・明日からが本番だし、頑張ろうぜ。」

太田の精一杯の気遣いを森も理解していた。


そのどちらかと言えば気遣わしい夕食の後、彼等は日頃は使わないミーティングルームに集まっていた。

驚いたことに、そこには伊達一等軍曹が初年兵達よりも先に居座っており、その姿はまるで悪夢のような灰色の塊の影を落としていた。


「では、Aチームのこの三ヶ月の総括を行う。」

これも驚いた事に、当然のように口火を切ったのは伊達軍曹ではなく河野卓であった。

「伊達一等軍曹にはオブザーバーとして参加してもらうが、

萎縮せず各々意見を出すように。」

それはいつもの河野とは別の男に見えた。

穏やかで力強く仲間を支えながらも、仮の班長の域を外さない年長者の顔は消えていた。

そこに有るのは上官のそれ。

歩美の、太田の、チームの半数の視線が揺れる様を、河野は落ち着き払って見返した。彼の変化を当然とする者は思った以上に多かった。



「私から言おう。」

伊達軍曹が口を開いた。

「本来なら明日の配属発表時に合わせての公表となるのだが、ひとりの脱落者も出さずに乗り越えたのは、この十年、絶えて無い快挙である。河野伍長、見事だった。

諸君、改めて河野卓伍長を紹介しよう、諸君らの担当伍長だ。」

思わず席を立ったのは亜湖と真理、神藤 続いて全員が立ち、真理の声がためらい無く響く。

「河野伍長に、敬礼!」

礼を受けながらも河野は無表情を返した。

「有難う、今回に限り礼は受けるが、私の第一の指導として言っておく。他チームの伍長には必要だが、今後の私に対しての敬礼は一切不要である。私は諸君らと同様Aチームの一員であり、一兵士に過ぎない。明日のチーム編制でどうなるかは判らんが、私の個人的な希望としては、諸君らと又おなじチームになることを望んでいる。」

伊達軍曹の鋭い眼差しは、河野の話を聞く全員を捕らえていた。そこには伊達の良く知る3種類の色が浮かび、感情を隠す術を知らない幼さが顕になる。


「では、改めてこの三ヶ月の問題点を話し合おう。」

「はい。」

手を上げたのは真理であった。

「問題が全く無かったとは言えませんが、基礎訓練から模擬演習までおおむね及第だと思います。」

西田圭佑が続いた。

「古川とはよく話し合ったのだが、個人的に自分達の体力面での遅れでかなり皆に迷惑を掛けたから、今後は少しずつでも努力をして行きたい。」

「大した事じゃない、俺達はチームだ。」

大居張りで胸を張った太田に歩美が笑った。

「御幸ちゃん、座学が控えてるもんねぇ。」

ぐっ、と詰まった太田に、古川が珍しく力強く言った。

「理数系は任せて下さい、きっと役に立てると思います。」

「そうだな。このチームは結構良いチームだと思う。」

篠崎が続けた。

「個性の強い者が多いのに、上手くまとまっているし、班・・失礼、河野伍長の言う・・仰る通りにまた組めれば嬉しいです。」

それまで表情を消していた河野が思わず吹き出した。

「篠、その気持ちの悪い敬語は頼むから止めてくれ。」

そしてその眼を亜湖に向けた。

「亜湖、お前の意見、感想は? 問題点が有るなら聞いて置きたい。 あぁ、皆も喜んでくれ、亜湖がエースの座を守り抜いたぞ。暫定では無い、正真正銘の立川連隊 第18期生、第一順位だ。」


・・・ぅわあっっっっっ!!!

歓声と拍手が沸きあがり、亜湖の前に握手を求める手が次々と差し出された。

「やったねぇ!おめでとう亜湖!」

「たいしたもんだぜ、偉いぞ。」

「亜湖、良くやったなぁ!」

食堂では他チームの手前も有り、抑えていた感情が一気に噴出したような喜びかただった。

河野は落ち着くのを待って更に告げる。

「お前には明日、黒の作業着が支給される、白の腕章が外されるかはお前の頑張りひとつだ。」

さっきまでの大騒ぎが消え、ぴりっとした空気に替わった。

「あぁ、は・・伍長、亜湖は知らないと思いますが・・・」

真理の言葉に河野がついさっきまでの班長の顔に戻った。

実際、亜湖の表情は以前の頼りない子供になっている。


「そうだな、では説明しよう。 だがこの事案は極秘プロジェクトに抵触す・・」

ばん!

全員がビクッ、と振り返った先に、木村英嗣の憤怒の形相があった。

テーブルに叩きつけられた両手は固く握り締められブルブルと震えていた。

「何だ、木村・・」

「ふざけるな! こんな出来レースが通用する訳が無い!」

「木村・・?」

太田の言葉を遮って木村は河野に向かいまくし立てた。

「あんたには伍長どころか班長の資格すら無い!

最初からお気に入りの亜湖を引き倒して、考査を甘くしていたんだ、あんたの眼がいつだって亜湖を追っていたことを俺らが知らないと思っているのか!

大体、今日の模擬戦だって俺が取れたんだ。

俺らを囮に使ったんだ。解ってるのか、亜湖、真理!

俺らを先行させて、自分たちはコソコソ裏から回り込んで、でなきゃ古川なんかが取れる訳が無い!古川なんかに! そうだろう、真理! こいつは自分の成績の為なら部下だって平気で見殺しにする奴なんだ!十年振りの快挙だと? ふざけるな!」


「いい加減にしなよ木村。」

冷ややかな声は真理から飛んだ。

「知らないと思ってたのか? あんたがエースの亜湖にプレッシャーをかけて、引きずり落とそうとしてのを。

私はそれに気づいてからずっとあんたを見ていたんだ。

最初の最初からね。」

常に豊かな感情を表す真理の顔は全くその表情を消していたが、唯一その眼だけが内心を映して暗く輝く。

「あんたはさ、女に負けたのが悔しかっただけのガキなんだよ、は・・伍長うんぬんは八つ当たりに過ぎないのさ。」

「何を言ってる、班長は俺達を囮に使ったんだぞ!」

「おまえだってしただろう。」

篠崎の声は突き刺さるようだった。

「最後の最後だ、亜湖と直人を突っ込ませて自分だけ遅れて出たのは何の為だ。御幸を撃とうとして亜湖に止められたあの時、俺は自分の眼を疑ったぞ。」

一瞬、その場の空気が凍りついた。


「出来れば言いたくはなかった、俺が黙っていればチームとして上手く行くと、そう思いたかった。

お前の本心なんか俺は聴きたく無かった!」


ふたりは仲が良かった。

年齢も近く、外に対しての発信力も同等だった。

明るく豪快だが単純な太田、気弱で体力的な引け目から常におとなしい古川、怜悧で落ち着き払った西田に、寡黙を通り越して無口で解りにくい神藤と、反りが合わないとまでは言わないものの、同レベルの会話がし難いタイプが多い中、木村と篠崎はウマが合った。

その木村を告発のような形で責めなくてはならない事は遣りきれなかった。

篠崎の日頃は明るく人好きのする笑顔はそこには無く、苦痛に耐えるように唇を噛み締めた様は、誰もが始めて見るものだった。


「ち・・違う・・篠、そうじゃない、班長が・・俺が班長を、すぐに伍長だと見破ったから目障りだったんだ、気づいたのは俺と亜湖だけだった。俺を罠に嵌めて・・・」

「自分も判りました。」

低く静かな声に全員の視線が集まった。そこに居たのは・・

「な、直人?」

滅多に言葉を発することの無い神藤直人が、強い光を帯びた印象的な眼差しで木村を見つめていた。

「若年の自分ですが、河野さんが初年兵とは思えませんでしたし、混合編成部隊に有りがちな事故やトラブルの予防措置を、軍が怠るとも思いません。各チームに最年長者を配置し統括するのは当然だし、性格や感情面の考査の為にはそれを伏せるのも然るべき事です。

自分達の誰が解っているのか河野伍長は知っていたし、自分達も知られていることを解っていた筈です。

木村さん、河野伍長が罠を掛けたのは貴方だけではないし、あの一度限りでもない・・」

「直人・・、お前、良い声だなぁ。」

真理の無理やりの方向転換に、神藤直人はその意を察したのか、微かに微笑んで口を結んだ。


「あれは河野伍長の案ではない、私だ。」

西田は木村に向き直った。

「私と古川はあの場では足手まといにしかならない、だが仲間が戦うならせめてその場に立ち、援護しなくては・・最悪仲間の弾除けにならなくてはと。

それさえ出来ずにいるなら何の為に軍に入ったのか。」

それは常に冷静な西田には似合わぬほど強い言葉であった。

「回り込むために全力を振り絞った、河野伍長の先導が無ければ無理だったろう、事実たどり着いた時の私には立つ力さえなかった。 御幸と古川には私が指示した。

『全力で行け。』と、伍長が・・それが伍長の試験だと私は知っていたから、確認も取らなかった。

皆を囮にするつもりでは無かったが、結果としてそうなってしまった、申し訳ない。」 


木村は・・・蒼褪めたまま、力が抜けたように椅子に座り込んだ。自分だけが知っていた筈だった。全部の人間が自分よりも劣っていた筈だった。見下していたから見えなかったのか、誰もが見て聴いて考えていることを。  


(俺は、何をしていたんだろう。)


呆けた様な眼を向けると前に座る亜湖がいた。

生意気な18の小娘としか認識していなかった筈の亜湖の視線は、誰よりも真っ直ぐ木村の眼の中に飛び込み、頑なな心を打ち砕いた。                          


それまで一言も発しなかった河野が口を開いた。

「木村、もう良いのか? では、俺からひとつ云っておく。

辞めたいのなら止めはしない、が続けるならAチームに残り此処で一人前の兵士になれ。」

それは決して優しいとは云えない、厳しく重い声だった。

「最初から完成している人間など居ない、デコボコで見苦しい、短所も欠点も山ほどあるのが普通だ。

それを自分の意思で一つずつ削り直し、創りあげる苦労をしろ。泥に汚れ無様に足掻いて乗り切ったこのみつきは、何の為にあったか思い出せ。ひとりでは出来ない事もチームなら可能になる。

戦場の中で、俺はお前達の誰一人として、生きることを諦めてもらいたくない。チームとはその為にある。」


河野の話の途中から深くうな垂れていった木村の、かすれた声は細い。


「いや・・やっと解った、俺にはこのチームに居る資格は無い。辞めさせてもらう。」

ゆらりと立ち上がり、続けた。

「無礼な発言を許してくれ、人を貶めて自分の位置を良くしようとしていた。俺は浅ましい男だ。済まなかった。」

深く一礼して背を向けると、振り返りもせず出て行く。


ドアが閉まるカチャリと言う音は思わぬ程大きく響き、初年兵達はビクッと身を震わせた。


パッと立ったのは亜湖。


「伍長・・あの・・」

言いよどんだ亜湖に、ひとり、又ひとりと援軍が立った。

「河野伍長、迷子の仲間の捜索行の許可を願います。」

真理の声に太田が続いた。

「腕ずくになりそうなので、自分の同行も許可願います。」

「御幸では口が廻りません、私も参ります。」

「だめよぅ、圭さんの理詰めじゃぁ ぶち切れるだけよ。」

「僕も行きたいです。」

神藤が目線だけで篠崎に尋ね・・・ただひとり座っていた篠崎が立ち上がり河野に向かった。


「河野伍長、あのろくでなし野郎の根性を叩き直すのを、伍長に頼もうとは思いません。俺がやります。」


組んだ両手の指から河野の眼が上げられた。

全員の表情を確認するように、一渡り見廻すと唯一言。


「行け。」


弾かれたように飛び出していくAチームを見送って、今までその存在を消していた伊達一等軍曹が低く笑う。

「腕を上げましたな。G倶楽部お墨付きの事だけは有る。」

「ありがとう、軍曹。」

「Aチームも、貴方も、これで見事に合格です、後は・・」

河野に向かって伊達の片眉が、くいっ、と上げられた。

その感情豊かな表現方法は、河野がどれ程真似ても未だに習得出来ない物だった。

ここまで見事に上がるのは伊達軍曹と・・・暫く会っていない顔が浮かんだ。


「明日ですね。」

「えぇ。」

「奴は?」

「もう少し。」

暗号のような会話でも、二人とも納得したようで伊達は立ちあがった。 

立とうとした河野を手で制して歩き出す。

「2週間で一本。用意して下さい。」

「そんな必要 無いでしょう。」

河野の顰めた顔に軍曹の笑い声が降りかかった。


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