キッド 永別 01
ウイルの仕込みはG倶楽部のそれより遥かにきつくキッドは最初の週で音をあげそうになっていた。
こうしてみるとキリ-はかなり甘い師匠としか言いようがない。
( でも、優しい人なのは最初から知ってたか・・)
入隊してひと月の間に際立つ何人かに眼が行った時、キリ-もその中の一人だった。
同じAチームに振り分けられたキリ-を見て確かに知った顔、溶け込めずにいた自分をさり気にカバーしてくれた顔である事に気付いていた。
そして班長として常に後ろに控えていてくれる安心感は何ものにも代えがたい。
G倶楽部でもそれは何も変わらなかった。
厳しく叱られても、平然と叩きのめされても、どれほど無愛想な物言いでも、キリ-の根本がどれほど優しいか知っていたから身も心も委ねる事が出来た。
ウイルの訓練が激しさを増せば増すほどキリ-を思い出す。
(これは・・・ホームシックだな。)
迂闊な事にキリ-以外を全く思い出さないのには気づかないキッドであった。
(心配してるかな。それとも・・・切り捨てられたか。)
通常ならまずはG倶楽部を護る為に一兵士は切り捨てられる。
たかが二年兵ひとりなど歯牙にもかけないだろうが、時折見せる優しい眼は何故だか変わらない様な気がする。
「なんだろ・・・やけに顔が見たい。」
呟いてから浮かんだ仏頂面に小さく吹き出した。
「あっ・・・おぉ!」
不謹慎な声が思わず上がる。
一か月が過ぎ、二か月目も半ばに入った頃初めてウイルにヒットさせることが出来たから。
急に身体が自由に動き出し、脚も手も思い通りに反応すると展開が見えてくる。
最後の週には今までの憂さ晴らしの様に攻撃がかけられた。
「・・・キッド、八つ当たりか?」
面白い事にウイルの表情がかなり豊かになって、口数も増えていた。
「馬鹿を云うな、一段昇っただけだ。」
呆れたようにウイルは肩を竦めた。
「一段? それこそ馬鹿を云うな、二段は昇っている。
私は戦闘インストラクターに向いているようだ。」
「良かったな、次に生まれたら仕事には困らないだろう。」
圧倒的な攻撃を仕掛けながらのキッドに、男は平然と躱しながらの会話であった。
日中の訓練は激しかったが、夜は二人とも屋敷内に部屋を与えられアルバート皇子と過ごすのが日課となっていた。
キッドのロシア語はお世辞にも上手いとは言えない為、アルバートから習い、ついでの様にウイルにポーランド語も教えられた。
「キッドは凄く早く覚えるね。」
「耳が良いのですよ、資質もあるがおそらくは最初の教師が良かったのだろう。」
ウイルの言葉に薄情にも久しぶりに緑灰色の瞳を思い出した。
「まあな。」
長い冬の夜はロシア語とポーランド語と英語が入り交ざり、更にはヨーロッパの細かな地理まで頭の中に刻み込まれて過ぎて行く。
アルバートは素直であったが子供らしからぬ思慮深さも持っていて、実に聡明な少年であった。
それでも時折見せる年相応の悪戯にウイルはよく掛かっていた。
「何故だ、私ばかりが引っ掛かる、君はよく回避出来るな。」
キッドは鼻で笑った。
「私には弟がいる、あんなモノは経験済みだ。」
それでもキッドは安心していた。出来過ぎの皇子が単なるガキである事に。
明るく笑える少年である事に。
綜の子供の頃が思い出されて(しばしばブチ切れて爆発したが)懐かしい。
真冬でも穏やかなアドリア海の小島の時間は奇妙なほど平和に過ぎていった。
「まったく参るな、君の戦闘兵士としての才能か、君の師匠の腕かは判らんが・・・」
ため息混じりにウィルが呟いたのは、その日の模造ナイフを使った訓練の後。
最初の師匠ローワンが見抜いたようにキッドは徒手よりも得物が得意であった。
さすがのウイルでもそこまでの調べは着かなかったのか、対した瞬間からかなり真剣な対応を余儀なくさせられた挙句、まともに一本取られたのだった。
「ナイフ以外では何が得意だ?」
「当てて見ろ。」
素っ気ない言葉にはキリ-に仕込まれたナイフと棍に対する自信が込められていた。
戦闘訓練でどれほど痛い目にあっても実戦で勝てなくては意味が無い、弱い徒手を徹底的に叩き込んだからこそ得物がより生きる。
今頃になって初めて気づいた。
ローワンもキリ-もそれを見越した上での訓練を着けてくれていたのだと。感謝以外の言葉が無い。
ひどく真摯な表情になったキッドに男の眼が向けられた。
こんな時、キッドの瞳に今が映っていない事を男は知っていた。
焼けつく様に自分の胸がざわめく事も初めて知った感覚・・・強制的に共有した時間を相手は望んではいない。
それでも、ドバイのカジノで見たキッドの輝くばかりの美しさに惹かれた時から、魔法が解けない。
「ナイフには問題は無い、私が教えられるのは・・・もう無いかもしれないな。」
それは来週で丸三か月を迎える日だった。
「ウイル、欲しいものがある、出る前に用意してくれ。」
「何だ?」
キッドがにんまりと笑った。
「棍。」
男は溜息をついた。あれほど美しくなれるのにこの女性は何処までも戦闘員だった。
それが悪いとは言わない、実際此処までの腕とは思わなかったし、教えるのが楽しいのも事実だったから。
「そうか、解かった。来てくれ。」
男の後を着いて行くと最初に住んでいた離れだった。
ウイルの部屋のクロゼットを開くと地下への階段が降りていて、その先はあらゆる武器が収められた武器庫であった。
「・・・これは、大した物だ。」
全てが携帯武器、グレネードランチャーから小銃、手榴弾に大型サバイバルナイフ、ボウガン・・・そして、棍。
「驚いたな、趣味で集めたのか?」
「まさか。商売道具だ。」
一般的とは言い難い棍まで並んだ棚の中にキッドは入っていった。手を伸ばして掴んだ棍の長さ、重さ、握りを確かめる姿は戦闘兵士以外の何者でもない。
「好きなものを好きなだけ取ればいい、君に進呈できるのはこんな物だけだ。」
「敵の動きは?」
不意打ちだった。
詰まった男の顔を冷ややかに眺める表情はこの数か月見せなかった彼女本来の顔、軍人としてのもの。
「・・・今の処、動きは無い、ただ・・・」
「そうだな、お前が動き出せばいずれは此処も知れる。
万が一の逃走ルートと合流地点、連絡方法を打ち合わせておこう。」
「キッド、有難いがそれは君の仕事では無い。アルバート皇子の傍付とは決めてあ・・」
男の声をひどく怜悧なそれが遮った。
「ほう、私が請け負ったのはお前が帰るまでアルバートを護る事だ。お前の手に生きたアルバートを渡す事だ。
お前が帰る前に攻撃された時、素人の指示を受けて動けと云うのか、この私に。それとも私が信用できないか?」
キッドは容赦が無かった。
「出来ないのならたった今、此処から出して貰おう。
私は自分の命を粗末にする気は無い。あの傍付のウラノフなど私からすれば素人以外の何者でもない。
そんな者に身を委ねる訳には行かないのはお前が誰よりも良く解かって居る筈だ。」
ウイルの表情が変わった。
「・・・確かに、君の云うとおりだ、が・・・ウラノフは皇子付の第一臣下だ。彼を飛び越す訳には行かない。」
「前から思っていたが、お前の頭は固いな。上手くいけばウラノフとの取り決めだけで済むだろう。
私は万が一の場合の事を言っている、黙っていれば済む事だ。言っておくが万が一も一つでは足りないぞ、幾つか用意して置く方が安心できる。誰よりもお前がな。」
突き付けられた指先を男は見つめて大きく息をついた。
アルバート皇子も、皇子付の側近も、暗殺者の自分も知らない世界に生きるキッドのこれが本当の姿だった。
日本陸軍と云う強大なバックを持ち、その中の最精鋭と称されるClubGの戦闘兵士。ただ単に眼の前の敵と戦うだけの兵士では無い、ありとあらゆる事態に対応する為に、ありとあらゆる布石を打つことを惜しまない軍人がそこに居た。黒い瞳に閃く焔さえ見せて・・・そこにはカジノで見た貴婦人の影の片鱗さえなかった。
ウイルがアルバインに出立したのは4月の二日、キッドの手元に幾つかの道具と武器、そして万が一の事態に対しての取り決めとアルバート皇子を残しての事だった。
自分の身柄をずっと守って来たウイルが居ない事が心細いのか、アルバートはキッドを傍から離そうとはしなかったが、周りが驚くほどキッドもアルバートの面倒を見ていた。
「最初は怖い人だと思ってたけど、子供好きなのかしら。」
サーシャがアルバートと遊ぶキッドを見て笑うと、ウラノフも眼を細めてそれを見ている。
「何処の人かは知らないが彼女もまだ若い、ああしていると姉弟の様だな。」
ウイルもアルバートもそしてキッドも当然自分の素性を隠していた。
アジア人なのは隠しようも無かったが国名も年齢も勿論何のために此処にいるのかさえも告げる気は無い。
彼らはアルバートの遊び相手としか認識していなかった。
それに関してはウイルの先見の明に感謝するキッドであった。一般人の彼等にはウイルの殺し屋としての腕も、キッドの戦闘能力も感じ取れるものでは無いし、訓練自体もどれほどのレベルかは多少見た程度では理解できるものではない。
実際の話ウラノフは完全に文官で、サーシャとエリザは女官、唯一護衛役のカールはキッド同様の他国人で雇われたボディガードに過ぎない。しかもキッドが見る限り彼の認識は甘く、腕もそこそこであった。
なによりアルバートに対してのガードの甘さは致命的なほどであった。
キッドはアルバートを連れ出し小さな島を巡り歩いた。
それは驚くほど楽しい時間、キッドは弟の様にアルバートを扱いアルバートもキッドを慕っていた。
春の陽が延びると共に埃と泥に汚れていたのが水遊びに変わる。
浅い入り江で服を着たまま遊ぶ二人の姿は何人もが眼に止め微笑んで声をかけて行った。
「まあ、アルバート様、今日は何処で遊んだのですか?」
サーシャが驚くほど汚れたアルバートに尋ねると皇子はにっこりと笑った。
「水遊びも飽きたから今日は木登り、キッドは凄く上手だよ。僕もあれくらい上手くなりたいな。」
何の躊躇いも無い答えにサーシャは笑った。
「今に上手になりますよ。」
ウラノフはいつも穏やかな顔をアルバートに向けていた。
「アルバート様、ウイルからの連絡では幾つかの証拠固めが出来たそうです。直に国に帰れますぞ。」
口下手で少し抜けているカールがキッドに眼を向ける。
「キッド、アルバート様はそこらの子供では無い。あまり引っ張りまわすな。」
「済まないな、私には弟と同じ様に見えてしまう。だが確かにお前の言う通りだな、気を付けよう。」
だがキッドではなくアルバートが望む遊びは今までと何も変わりは無かった。
むくれたカールにウラノフが笑って諌めた。
「皇子は国に帰れば遊ぶことなど出来ない身だ、今だけが子供らしい時間を過ごす事が出来る。あまり気にしなくても良い。」
五月が過ぎ六月に入りやがて7月・・ウイルからの連絡が途切れた。
「おかしい、ウイルはもう帰る予定なのに。」
落ち着いたウラノフさえ気を揉み始めたのは7月の終わり、そしてキッドが呼ばれた。
「ウイルは連絡が無い場合は此処を出て次の拠点に映る様に言い残して行った。私たちは明日此処を出・・」
「ではそこまで送ろう、アルバートも心細いだろうし、私もウイルとの約束では彼が帰るまでとなっているしな。」
ウラノフ自身が心細かったのだろう、如何にもホッとした様な表情で頷いた。
「それは助かる、有難く言葉に甘えさせて貰おう。」
そしてキッドは8か月以上を過ごした島を後にする事となった。
7月に入ってすぐ、ナイトは宿舎を抜けてG倶楽部へと入って行った。固い表情が緩んで解けるほど此処は彼には居心地の良い場所となっていたが、
「何だ、また泣き事か。キリ-の苦労が解かっただろう。」
ウルフの笑いを含んだ声が大きく響く。
其処にいたのはウルフとハク、エラ-に五月に帰国したイヴだった。
二月の時点では厳しい立場に立たされていたG倶楽部だが、周りの援護や幾つかの任務を完璧にこなした事で風当たりもかなり緩んでいた。ベテラン部員に先導されて任務をこなしたのはカズマ、ナイト、ルウの三人だったが、特にナイトにはこの四月から初年兵担当伍長の任務が与えられていた。
自分の弱さも脆さもとことん知るナイトはG倶楽部に入って初めてジ-ンにNOと告げたが、所詮ジ-ンに敵う訳もなくキリ-に泣きついた。が、
『やってみろ、今のお前が知るよりもっと自分が解かる。それにジ-ンにお前を押したのは俺だ。』
がっくり肩を落としたナイトを笑ったルウにキリ-が眼を向ける。
『笑ってる場合じゃないぞルウ、来年はお前だ。』
引きつった表情を余裕で笑うキリ-は以前より落ち着いた物腰で、言動にも思慮深さが加わっていた。
キッドが居ない辛さを、生存すら知れない怖さを胸の奥深くにしまい込み、G倶楽部をジ-ン等と支える男はナイトやルウを育て上げる事を責務としていたが、この日の様に時折留守をする。それは最近出来た新しい仲間、ドルフィンジャックとKARASUとの訓練の為であった。
「キリ-は?」
即座に尋ねたナイトにハクが笑った。
「御挨拶だな、キリ-は明日まで帰らんぞ。イルカと水遊びだ。ジ-ンはもう戻るが・・ほら来た。」
入って来たG倶楽部トップはナイトを見て眼で彼を呼んだ。
「どうした、何か問題でも起きたか?」
以前エラ-がジ-ンには隠し事が出来ないと云っていた事があったが、それはどうやら事実のようだ。部下の顔色だけで読み取る能力は彼の才能なのだろう。
「参りました・・・ジ-ン、今年のエースはどうやらキッド並みの女性兵士になりそうです。」
ジ-ンは当然報告書を見ていたから驚きはしなかった。
「ふん、やはりな。」
煙草に火を点けて煙を吹き出すとデスクにもたれ掛る。
「朝倉聖か・・では近いうちにキリ-と見に行こう。
本気で此処に来る気が有れば問題は無いが、まずは覚悟次第だな。もしお前の眼できついと見たら弾けば良い、第一順位でも遠慮は要らん。後の始末は俺がつける。」
こういう時のジ-ンの頼もしさは比類が無い。
「了解。」
「キリ-には俺から言っておく、他に何か?」
幾つかの懸案に確認と承諾を取ってナイトはそそくさと帰って行った。
「奴もだいぶらしくなったな。」
入れ替わってハクが入って来た。
「キリ-の眼は確かだ、この処ナイトもルウも格段に伸びて来た。イヴも良くなったし。」
情報管理室でエラ-と対等に仕事をするイヴに、ジ-ンをはじめとしたG倶楽部一行が驚いたのは彼女が帰国してすぐだった。
『その為にMITに送ったんだ、当然だろう。』
平然と告げたのはキリ-だった。今度はエラ-が二か月の短期留学を決めている為、今は最後の調整に入っている。
「イ-ジスは少しは動けるのか?」
「ああ、無理やり呼び出した、明日には来る。」
作戦司令部のイ-ジスはその才覚ゆえにG倶楽部に張り付いては居られなかったが、事有るごとに情報を流してくれるし、解析と分析を引き受けてエラ-の負担も軽くなっている。今のG倶楽部に必要なのは戦闘兵士だけであった。
キッドが居ない今、総ての荒事はキリ-一人に掛かってくる、白兵にどれほど強くてもキリ-の代わりをこなせるものは居なかった。
「ハク、今年の第一順位だが・・・」
「知っている、女だろう。今コオが見に行ってるぜ。」
思わずこめかみを押さえたジ-ンにハクが笑った。
「キッドは居ないし、イヴはエラ-のモノだしでコオの奴も詰まらんのさ・・・が、冗談ではなくコオの真贋は確かな筈だ、お前も見る積りなら良いだろう。」
「ああ、構わん。」
ジ-ンは咽喉から手が出るほど戦闘兵士が欲しかった。
今期の第一順位が男なら、戦闘兵士の素養が在るならどれほど良かった事だろう。だが、女性では・・・キッドほどの力量が合ったとしても育成には躊躇いが有る。
まして教えるのはキリ-以外に居ない。キリ-が受けるとは思えなかった。
だが、翌日帰って来たキリ-にそれを告げると案に相違して承諾の返事が返って来た。
「了解した、使えるなら男でも女でも仕込むのは構わない。ただ・・・手は抜かないぞ。」
「・・・・当然だ。」
この男が自分にこれほど気を使うようになった事がジ-ンには遣りきれない。ローワンが、キッドがいればキリ-はどれほど気が楽になるだろう。
「コオはどう見た?」
「・・・自分で聞いて来い、変わった意見を聞けるぞ。」
コオはハクとイヴの格闘訓練を指導していたがキリ-が近づくとそこから離れキリ-を眼で誘った。
「お前・・・大丈夫か?」
開口一番の問いはキリ-の不意を突いた。
「・・・何がだ。」
何時になく真面目な表情を浮かべたコオはキリ-の眼を覗き込む。
「・・・いや・・ちょっと疲れて見えた、大丈夫なら良い。」
らしくない発言に男は苦笑する。元気が無いのはG倶楽部全員である。無論そこにはコオも含まれていたが、自分の事には誰もが気付きにくいのだろう。
キッドが居ない空白感は時間がたてばたつほど広がって行くようで、誰もが口にしない分それは大きく重かった。
「昨日、初年兵を見て来たそうだな。どうだった?」
切り替わった空気にコオが息をつく。
「どうも何も、ありゃあ女じゃないぜ。」
「・・・・?」
「いや、生物学上は女なんだろうが・・・エラ-だ。」
何となく解かった様な気がする・・・
「あんたの好みじゃ無いか、仕込む身としては有難いが。」
「・・・・お前が? 本気か?」
「実際に見てからだが、能力が有るなら。戦闘兵士はもう一人は欲しいだろう。」
誰が欲しがっているのかは言わずもがなだった。
「そうか・・・・お前がそうなら俺も好みばかりは言っていられんな。協力しよう。」
キリ-が手塩にかけて育てて来たキッドは今は居ない。
その寂寥感を抱きながら別の人間を、それも女性兵士を新たに育てるのはどれほど辛いだろう。
鬼畜っぷりには定評のあるコオでもさすがにキリ-が気に毒になった。
「とにかく見て来い、たまげるぞ。」
何とも意味深な言葉につられた訳では無いが、ジ-ンとキリ-が見学に行ったのはその次の日だった。
対Bチームとのフラッグ戦、一目で判った。
女性にしては長身、170は優に在る、体格も細身の男性並み。
ガタイの良い男達を蹴散らし、フィールドを縦横に走る脚力と見た限りでは落ちない体力、反射も感も並居る男達より群を抜いていて表情さえキリリと引き締まっている。
「・・・おい、本当に女か?」
ジ-ンの言葉にキリ-が笑った。
「コオはエラ-だと云っていた、確かだな。」
「ナイトの報告では最初のひと月は目立たなかったそうだ。この三週でいきなり躍り出た感が有る、奴も驚いていた。」
「ではナイトの腕だな、あれも良いぞ。」
指した先に居たのは男にしては小柄な巻き毛の少年。
「おいキリ-、あんなチビをどうする積りだ?」
「いや、朝倉の援護を完璧にしている、あの脚に余裕で着いて行ってるし、ガードが固い。伸びしろなら朝倉よりも上かもしれんな。」
ジ-ンがまじまじとキリ-を見つめた。
キリ-の眼。それは今までで証明されている。
キッドもナイトもルウも18期生は総てG倶楽部にふさわしいレベルに達していた。
「ジ-ン、俺はあの二人を押すぞ、奴等なら覚悟が有るなら仕込んでやる。」
「了解した、ナイトには俺から伝えよう。」
こうして宝塚の男役トップスターのような朝倉聖21歳とお付の少年、海堂寺衡太20歳はG倶楽部への仮入部が決定した。
それはいきなり悲惨な旅となった。隠れ家としていた小島から対岸のクロアチアに上陸した一行が、ザグレブの拠点まで辿り着かない内に攻撃を受けウラノフが死んだのだ。
物見遊山のような行動をキッドは懸念し注意をしたが、今まで何の脅威の無かった事でウラノフ達は油断しきっていた。アルバートは護ったキッドだがウラノフまでは手が届かなかった。
次に襲撃されたならどうなるか・・・
キッドが取った行動は怖気づいたカールを切り離し女官を説得して街に残し、自分だけでアルバートを護りながらウイルとの合流地点へ向かう事だった。
「キッド、これからどうなるの?」
頼りとする第一臣下を失い、優しいサーシャやエリザも居ない中でそれでもアルバートは動揺を見せず尋ねる。
「街中ではそうそう派手な襲撃は掛けられない、まずはウィーンまでだ。そこでウイルを待つ。」
打ち合わせた連絡手段は今は使えない。ウイルの使う裏社会のネットワークは国境沿いの村には入り込んで居なかったし、田舎では人の詮索も多い筈だった。
パスポートも身分証明も無い二人が旅をするには脚を使うしかなかった。が、アルバートは何一つ文句も言わずに黙々と歩き、キッドの言葉には即座に従った。
夏場で助かったのは凍えない事と川で水浴びが出来る事だった。
スベロニアを抜けオーストリアに入るには僅か4日、山の中ではウサギや鳥を捕まえて食料とし、多くは無い紙幣を倹約したし、着る物は裕福そうな農家から失敬する。
「キッドとなら何処でも生きて行けるね。」
すっかり村の小僧に成り変ったアルバートの言葉にキッドは溜息をついた。
子供の頃どれほど困っても人様のものに手を出した事は無かったのに・・・
ウィーンまでは途中電車を使い、バスを使いしながら3日で到達した。島の野生とは異なる美しい街、その一画に建つ瀟洒なアパルトマンの一部屋がウイルの指定した隠れ家だった。
「此処、凄いねキッド。」
「・・・きっと奴は金持ちなんだろうよ、後で美味いものをせびってやろう。」
エントランスに立ち建物を見上げるふたりは完全に田舎者であった。
デスクに置かれたPCを使い(仕込んで呉れたジ-ンに感謝しながら)暗記したパスワードを入力してネットワークを呼び出した。幾つかの記号と数字を入れると後は待ちの姿勢に入る。それを利用してG倶楽部に連絡したい気持ちはあったが、今帰国命令を出されたなら背く事は出来ない。
アルバートを置いて、一人で帰る事は・・・現状では無理な話だった。何より傍付の三人を切り離したのはキッドなのだから・・。G倶楽部から頭を引きはがす様にキッドは手持ちの武器の手入れを始める。拳銃はチーフスペシャル、ばらして掃除をして組み立てる。短刀よりも長めの小太刀は今は使っていない為拭うだけで済む。棍は節棍、繋ぎを確認して・・・終わってしまった。
が、その時メールが入った。
飛びつくようにPCを開くと、ウイルからのメッセージが現れる。暗号を解読すると文字がでた。
{アスツクマテ}
ウイルにアルバートを委ねてしまおうか、約束ではウイルが帰るまでとしていた、だが側近の一人も居ない状況を作ったのはキッドに他ならない。何時も頭の片隅にG倶楽部が有り、それはキリ-の厳しい眼差しと直結していた。
キリ-ならばどうするだろう・・・この先をどう考えるだろう・・ふと、気付いた。キリ-ならこんな状況には陥る事は無いと。だがもしこうなったら・・・
子供を見捨てる事がキリ-に出来るとは思えない。
初年兵の頃の自分を手を引くように育て導いたキリ-を思い出すほどそう思えた。
「優しいからな、キリ-は・・・」
「キリ-って誰?」
思わず呟いた独り言に返された言葉に見るとアルバートがじっと見つめていた。
「キッドの好きな人?」
「・・・好き?・・かな、嫌いじゃないが・・私の師匠だ。」
好きと云って良いものか、うっかりそんな事を言えば叱られそうな気がする。
「ウイルも師匠でしょう、どっちが強いの?」
「さあ、格闘ではウイルかな、でもウイルの他の腕は知らないから・・・キリ-は何でも出来るし、知っている。」
「ウイルだって知ってるよ、僕にも色々教えてくれた。」
「・・・そうだな。」
さすがにアルバート相手に張り合う訳にも行かない。
「でも・・・僕の師匠はキッドだね。」
こんな時はたまらない。アルバートはキッドには可愛くて仕方が無かった。
「そうか、だがアル・・・私はお前の国の人間では無い。
お前を護り慈しむのはお前の国民だけだ。」
幼いとは言えアルバートは一国の皇子だった。
「はい。僕は国主になります、国民が僕を支持する限りは」
「・・・お前は同じように国民を愛せるか?」
一瞬アルバートは生真面目な表情を浮かべた。
「今の僕は国民しか居ないから、母と兄を亡くし父も長くは無い、唯一の兄は敵になってしまった。愛する者は、護る者は国民だけ・・・でもキッド、もし僕をアルバイン国民が受け入れなければ僕は国主の立場にこだわりません。」
真摯に聞くキッドにアルバートは静かに告げた。
「国が乱れれば困るのは人民、餓える事も泣く事も無いようにしなくてはいけない。兄の即位を皆が望むのなら僕は身を引きます・・・こうして守ってくれる貴方には申し訳ないと思うけど・・・」
「いや、私が口を出す事では無い。自分の人生は自分で選ぶものだ、自分が信じる限りはどの途を選んでも間違いでは無いと教えてくれた人が居る。背中を伸ばし、頭を上げて真っ直ぐ進め。」
この皇子が行く道は険しいだろう事はキッドでも予想がつく。そしてキッドが関わるのはごく短い期間だけだろう。
どれほど可愛くても一生護ってやる訳には行かないのだから。
翌日の昼過ぎにウイルが帰って来た。
「済まなかった、遅くなって・・・ウラノフ達は?」
「傷を見せろ。」
「・・・・・・」
帰投が遅れた事で予想はしていたものの、実際にウイルを見ればその動きですぐに解かった。
ウイルも隠しようが無い事を知ると黙ってシャツを脱ぐ。
左肩口に散弾を受けた痕が生々しい。
「手が届かない、キッド頼めるか?」
「承知、アルバート外を見張れ。」
くい込んだ弾を取り出して手当をする間、男は一切声を出さずキッドだけがこれまでの状況を説明した。
「そうか・・・」
「済まないな、予定が狂っただろう。」
謝罪するキッドを見てウイルは首を振った。
「いや、君の判断は正しい、アルバート様の為だけを考えるのがこの際大事だろう。」
むしろアルバートが居なければサーシャやエリザに危険は無い。後で迎えを出せばいいだけであった。
「アルバインには手は在るのか?」
抗生物質の錠剤を渡しながら尋ねるキッドに男は頷いた。
「確証を渡して来た、家臣の大半がこちら側だ。
ルドヒア側はアルバート様を消すしか手は無いが、今頃は国民も知らされているだろう。もっともアルバート様が辿り着かなくては何の意味も無いのだが・・・」
「それなら手段を択ばないだろうな、相当厳しいぞ。」
「・・・却って良かったかもしれない、お供を引き連れて真っ当に行ける道程では無いからな。」
と、顔を上げてPCを指した。
「ClubGに連絡を取れ、此処なら日本大使館も有るし外交武官もすぐに来れる筈だ。今日までご苦労だった、心から感謝する。」
欧州の外交武官はG倶楽部、逢った事は無いがディランだと云う知識はある。
だが・・・
「お前の指図は受けない。アルバート、私を雇いなおせ。
アルバインまでの護衛は欲しくないか?」
「キッド!」
ウイルの手が伸びたがキッドはそれを弾き返す。
「アルバートは私の可愛い弟子だ、傷物の手一つに委ねる訳には行かない。」
自分の判断が正しいとは思わない、後悔ももう既にしている。それでもこれは自分の判断だった。
国民の審判を受けに行くアルバートと同じ自分の決断だった。
「馬鹿な事を、今までならClubGでも言い抜けが出来る。だがこれ以上関わってはいけない、君の人生をこれ以上壊す気は私には無いぞ。帰れ!」
初めて見せる男の怒りに、だがキッドは引かなかった。
「とことん手前勝手な奴だな、それなら最初から誘拐などしなければ良かったろう。此処まで来て今更手が引けるか。」
「・・・キッド・・」
「馬鹿が、お前の云う事なんか誰が聞くか。」
冷ややかに言い放ってキッドは僅かに笑んだ。
「多少は役に立つぞ、師匠が良いからな。」