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        04

  香港 ―――九龍島―――


「今は私の脚よりキッドが優先だ、何より私が留守をしたら蒼龍の動きが取れない。」

珀龍の冷静な言葉にジ-ン達は感謝したが、中国政府と日本政府の取引を一人の人間の失踪で反古にする訳には行かなかった。ましてや迎えに出した日本陸軍の軍人が任務を放棄した状態で消えた事はこの上ない失態である。

「有難い言葉だが、国交問題になり兼ねない。

これ以上の好意は却ってG倶楽部の立場を不味い物にするだろう。」


「・・・私は友人の心配も出来ないのか?」

珀龍の苦々しい声に表れた気持ちにジ-ンは心からの謝意を込めて告げた。

「貴方にはこのモクをつける、日本での治療を終え帰国するまで責任を持ってエスコートさせて貰う。

が、残りのメンバ-は出来ればこの九龍島を拠点とし、蒼龍の指揮下でキッドの捜索をしたいのだが許可を貰えるだろうか。」

珀龍の表情が僅かに緩んだ。

「造作も無い事だ、それなら蒼龍も楽になる。ClubGを手足に出来るなら必ずキッドを探し出せるだろう。」



翌早朝、珀龍はモクを従えてチャーター機で立ち、ジ-ン以下は大掛かりな捜索を始めた。

キッドの到着は確認されたが迎えの車には辿り着いていない。

ジ-ンは空港内の捜索と同時に出発便の洗い出しをもう一度繰り返し、キリ-とコオハクは香港市内を虱潰しに当たった。以前キッドが潜り込んだスラム街まで捜索の手は及んだが一切の手掛かりは無い。

蒼龍は万が一をも考え、港を中心とした海域まで探させるがそれにもキッドの欠片も掛からなかった。



日本ではG倶楽部の情報管理室を中心にネット内の捜索が行われていた。エラ-は不眠不休で事に当たったがキッドの影も無く、焦燥は苛立ちへと変わり怒りを込めた視線でモニターを睨み付けた。

「エラ-、私が変わります。」

血走った眼を向けた先には北米に留学中の筈のイヴが立っていた。

「・・・何をしている、誰が戻れと言った!お前は自分の事だけやっていろ!」

激しい罵倒にもイヴは引かずに踏みとどまる。

「いいえ、キッドの捜索が先です、私なら後でちゃんとやり直しますから手伝わせて下さい。」


「エラ-、イヴは俺が呼んだ、お前は少し休め。」

ウルフの口添えに思わずカッとしたように立ち上がったエラ-はイヴを押しのけウルフの胸ぐらを掴んだ。

「余計な事をするな! こいつは俺の管轄だ!」

だがその顔色は酷く蒼褪め激しい疲労を伺わせる。

ウルフは掴まれたまま驚くほど静かに云った。

「済まない、だがもう二週間だ。」

ウルフの心配はキッドだけではない。ネット内に入り込み捜索の糸を広げ手繰るエラ-は精神的な集中力を切らせる訳にはいかず、日毎に憔悴してやつれていた。

事実こうして立っていることも今のエラ-にはきつい筈だった。

落ちそうな膝を気力だけで支える男にイヴは静かに告げる。


「指示して下さい、私にも仲間を救わせて下さい。」

振り返ったエラ-の表情からゆっくり怒りが引いて行く。

長い時間エラ-はイヴを見つめ、やがて頷いた。

「・・・やってみろ。」

椅子の背越し、イヴの肩から覗きこみ細かく指示を出す。

「今やっているのはキッドが香港に着いてから出た出発便の洗い出しだ。どれかに乗って居る筈だ。」

イヴの細い指先が繊細に動くのを見つめるエラ-にウルフは引き寄せた椅子をそっとあてると意識もせず座る。

「そうだ、それで良い。その線を探れ・・慎重に・・・」

イヴが出来ると認めるとエラ-の身体から力が抜ける。

まるで気を失うように眠り込んだ男をウルフは痛ましく見つめた。

此処でエラ-が気力体力を使い果たしたように、九龍島にも疲れ切った仲間がいる。

おそらくはエラ-よりもイヴよりも、誰よりも心を砕いて居る筈の仲間が・・・



キリ-が九龍島に戻って来たのは数日振りであったが、ジ-ンでさえ声を掛けられないほど厳しい冷気をまとい、消されて居る筈の表情にも焦燥が浮かんでいた。

彼らの時間は限られていた。

全員が集まっていたが誰一人声も無く、口を閉ざしたまま立ち尽くす中、


「此処までだ。」


ジ-ンの声が冷酷に響いた。

G倶楽部としての捜索はこれで打ち切られる。

ひと月近い時間はジ-ンのごり押しでもぎ取ったが、本来の任務に支障を出すわけには行かなかった。

後は日本陸軍と政府に委ねるしかない。G倶楽部の手から自分たちの手からキッドは離された。


「直に珀龍が戻る、そうなれば俺が動ける。諦めるな。」

蒼龍の言葉にジ-ンは頭を下げたが、表情を緩めることは無かった。

生きていて呉れるなら良い、例え万が一死んで居たとしてもその証拠が欲しかった。行き場を失くした気持ちのままで帰国しなくてはならないのは誰にとっても良い筈が無い。誰よりもキリ-に・・・

だが、その日の午後、一行は帰途についた。

重い気持ちを抱えたまま。






霞んだ眼にゆっくりと視力が戻るにつれ、記憶回路も繋がっていく。

明るい室内の天井に見覚えは無く、視線だけで探った周囲も見知らぬ物だった。

身体にはまだ力が行き渡らない。

香港の空港を降りた記憶が最後だった。


「気がついたか、さすがに動けないだろう。」

視界の中に男が一人入って来た。

「もう少し掛かるが我慢してくれ、1時間ほど休めば障害も無く起きれる筈だ。」

褐色に銀色の混ざった頭髪、スチールグレーの瞳、左目の下に斜めに入った傷跡を持つ40台半ばの・・・おそらくはヨーロッパ人はキッドには初めて見る顔であった。

「申し訳ない、私の都合で君を拉致したが、君に危害を加える気は無い。頼みたい仕事に君がちょうど当てはまっただけな・・・」

キッドが跳ね起きると同時に男は飛び退った。一撃で落す筈のキッドの攻撃は総て躱される。それでもキッドは手を緩めず踏み込んだ瞬間、男の拳が腹に入った。

信じられない物を見たようにキッドの眼が見開き、身体が崩れ落ちる。と、男の手がそれを支えた。

「馬鹿な、なんて無茶を・・・」


ベッドに座らせて息をつく。

「大した物だが、君は仮死状態を解いたばかりの身だ。

後で幾らでも相手をするから今は動くな。」

「・・・何者だ。」

唸るような問いに男の眼が瞬いた。

「私はウイルと呼ばれている、ある人に仕えて居るが・・・事情を説明させて貰えないか?」


キッドの眼が改めて男を探ったが隙を見つける事は出来なかった。

「・・・良いだろう。」

自分の動きに切れの欠片も無い事は承知していたが、ヒットの一つも取れないのは二人の師匠以外には初めての事だった。

「ただし、聞いたら解放してもらう。私には仕事が残っているし、仲間がこのまま黙っている事も無い筈だ。」

何の感情も見えないグレーの眼で男は告げた。

「九龍島の珀龍はClubGの一人と日本に発った。」

愕然としたキッドに男は続ける。

「君の事は調べてある、だからこそ君が適任だと思った。

聞いてくれ、そして手を貸して貰いたい。」


僅かに頷いたキッドに男は低い声で話し始めた。

「北ヨーロッパの近年誕生したある王国で跡継ぎ問題が発生した、皇子は三人。第一王位継承権を持つリヒャルト、第二継承権のアルバート、第三は妾腹だがアルバートより年上となるルドヒア。

現国王が膠原病という不二の病に倒れリヒャルト皇子の立太子を進めていたが・・皇子のまま亡くなった。

暗殺説が出るほどの不審な病気だったと聞く。アルバート皇子の周囲でも幾つか問題が起こり、両王子の母セリア妃は生き残ったアルバート皇子を護るために私を雇ったのだが、みつき前事故に遭い亡くなった。

側近たちが私にアルバートを委ね城から落とした直後だ。このまま現国王が逝去すれば何の問題も無くアルバートが王位を引き継ぐのだが、ルドヒアが騒ぎ出した。『自身の身の安全しか考えない王は王とは言えない、まして行方不明では話にならない。』

確かにルドヒアの言葉も尤もで、国民の多くは彼につきアルバートを非難しているが、リヒャルト皇子とセリア妃の死にルドヒアが関わっている証拠を出せれば問題は無い。

唯、幾つか有る今の証拠では確証とまでは云えんのが現状。私が調べ、確証を掴むまで此処でアルバートを護って貰えないだろうか。」


キッドの眼が上げられた。

「随分と身勝手な話だな、私を調べたなら私が日本陸軍の軍人だと知っていよう。他国の王位問題に関われる立場では無い。何処の国でも警察機構は在る筈だし、EU諸国を頼んだ方が早いだろう。」

だが男は首を横に振った。

「国としての地盤が弱すぎる、やっと独立した豆粒のような小国では飲み込もうとする輩に餌を呉れてやるようなものだ。」

「・・・アルバインか。旧ロシア領の・・確か飛び地だった地域・・・」

男の眼が僅かに煌めいた。

「さすがにClubG、良くそこまで知っているな。」

「・・・知識としてだけだ、そんな問題までは知らないし。私はG倶楽部員としては経験も少ないうえ畑違いだ。話は聞いたが今の私には手の付けようが無い、悪いが断る。」

「断ることは出来ない、ClubGの戦闘兵士キッド。」

男の変化が解かった。

隙も無かったが丁寧に話していた今までが嘘のように消え去り立ち昇る闘気が見える様だった。


「君では私を倒すことは出来ないし、私を倒さなくては此処を出る事は出来ない。」

それは今まで感じた事の無い恐怖、ローワンにもキリ-にも無い不気味な殺気。

だが、黙って引き下がる訳には行かなかった。

「此処でやるか?」

キッドの気が変化したことも男には解かる。

「では、外で。靴はそこに有る。」

やり方はともかく、この男はキッドから見て真っ当な思考力を持っていた。云う事を利かせるだけなら腕ずくですれば良い、身体の自由を奪えばどうとでもなる、大概の場には。

だが、このウイルはキッドでさえ納得出来る説明とキッドの身を守るための配慮をして見せた。


靴紐を固く結びながらキッドは自身の内面を探る、この男に勝てるだろうか。

自信は無かった。

調べつくされたキッドの履歴に警戒の色も見せない男の自信が垣間見え思わず祈った。

( キリ-、私に力を・・・)

外は麗らかに晴れた天蓋、滴る緑、潮の匂いと童話のような景色が飛び込んでくる。

北ヨーロッパとはまかり間違っても異なる異世界だった。それを背景にして男はさり気無く構える。

抑えられた気配の中に静かな緊張が見て取れた。


ぶつかった途端の力量はすぐに解かる、やはり強い。

おそらくはローワンよりも、そしてキリ-よりも・・・

熟練者同士の戦いは瞬時に決まる。当然実力の差が大きい場合にも。

たとえキッドの状態がベストであったとしてもこの男に勝てるとは思えなかった。

膝を着いたキッドを見下ろす男は呼吸も乱してはいない。殺す意思が男に有るならキッドは簡単に、赤子の手を捻るよりも簡単に死んで居ただろう。


ただの一撃。


キッドの攻撃を受ける事も無い、僅かな動きで躱したそれさえ眼で追えなかった。

格の違いを思い知らされた。

「君を育てた師に敬意を表する。若い女性を此処までの腕にするには並大抵の努力では無い筈だ。」

その賛辞はあまりに屈辱だった。指一本触れる事も出来ない自分の実力を噛みしめる。

「そんな顔をしないでくれ、私は・・5歳から特殊な訓練を受けて来た。まともな人間では無い。君が私に勝てるなら君は死神となる。」

悲しげな表情がキッドの眼に映った。

「人を殺す為に造られた殺人機、それが私だ。」

ゆっくりと手で立つように促した。

「申し訳ないが自分で立ってくれ、私の汚れた手で君に触れる事は出来る限り避けたい。」





此処がアドリア海に浮かぶ小さな島だと知ったのは誰でも無いウイル自身が告げてくれた。

「ある伝手でこの島に匿われているが、島民は何の関係も無い。漁業と小さな畑を糧とした静かで平和な島だ。

外に出るには船しか無いがその分不審者が入り込むのも防げている。」


ウイルはキッドに湯を使わせ、食事を勧めたのちに外に連れ出した。キッドのいる真新しい家屋は白い漆喰の平屋で、小さいなりにも2LDKと居住スペースは確保されていた。

庭伝いに瀟洒な造りの建物に繋がっていたが、男は別の路を進んで木々を抜け丘に登った。


それは例えようも無い鮮やかな景色だった。

息を飲むほどの紅色の夕焼けに染まった空と海、そこに浮かぶ島々・・・その美しさは圧倒的で声も出ない。

そして此処が日本では無い事実をキッドに思い知らせた。

白いハンカチが差し出されて初めて自分が涙を流していたことに気付く、と、制御が外れた。

何時もハンカチを貸してくれたのはキリ-だった。

自分でも持っているのにいつも間に合わず、キリ-のそれを借りていた。

なのに此処にキリ-は居ない・・・

声も無く立ち尽くしたままポロポロと涙を流すキッドを男は痛ましい表情で見つめて居た。




「アルバート皇子は僅かな供とその屋敷に住んでいる。」

示した先は庭続きの屋敷、

「この離れは君の為に用意したものだ、当面は此処で寝起きをしてもらう。私も一緒だが安心して良い、君には指一本も触れる気は無い、逃げようとしない限りは。

もっとも周りは総て海、泳げない君には逃げ場は無いが。」

その情報は古かったがそれには触れず別の質問をした。

「私を何で知った?」

男の眼が僅かに緩む。

「ドバイのカジノで。君を直接見る為にClubGのトップを誘拐させた。」

「あれはお前の仕込みか。」

「そう、誰も死なずに済んでほっとした。」

心底驚いた。

入念な計画、完璧な仕込み、鉄壁の意思と操作は・・・認めたくは無いがG倶楽部の上を行く。

ジ-ンやキリ-でさえもおそらく気づいても居ない筈だ。


「君をエスコートしていた男性が君の師では無いな、彼は甘すぎる。」

ジ-ンが聞いたら片眉を吊り上げるだろう。

「私が必要とする条件にピタリと嵌まったのは君だけだ、幾つか候補には上がったが。」

「どんな条件だ。」

「若く気品が有り腕が立つ、そして優しく素直な心を持っている女性。小国とはいえ仮にも一国の王になる身には其処までの条件が欲しかったが、諦めて居たのも事実だ。

だから君を見たときは感動した。思わず神に感謝したよ。」

「馬鹿を言うな、誘拐犯が。」

男はキッドの毒舌にも平然と微笑んだ。

「私の犯した罪では一番軽いだろうな、それでも此処までの準備は並大抵では無かったから君を逃がす気は無い。

ただこれだけは約束しよう、総てが終わったら君を日本に帰す。傷一つ着けずにClubGの仲間の元に帰そう。

謝礼は出せそうも無いが。」

「お前が此処から離れたら私は自由になる、何時でも抜け出せるさ。」

今度ははっきりと笑った。

「さあ、そう旨く行くかな?」



男は確かにキッドに指一本触ろうとはしなかったが、決して一人にもしなかった。

キッドに与えられた寝室は明かり取りの天窓と細いスリット状の窓しか無く、脱出は出来ない。

リビングのソファに座ればキッチンもダイニングも見通せる造りになっていたし、出入り口の極端に少ない家屋であった。

夜になって男はつと、立ち上がりキッチンに入る。

「夕飯は軽めにしておこう、君はまだ本調子ではないから。」

驚いた事に調理器具を取り出すと食材を揃え手際よく料理を作り始めた。


「これは?」

「ブイヤベース。」

「美味しい、変わった特技を持った殺し屋だな。」

「・・・・・・・」

「ウイルと、云ったな。私は何日仮死状態だった?」

「7日間だ、それが限界だった。それ以上は記憶に欠落が出来る。君にこれ以上の負担を掛けたくは無かった。」

「ほう、人道的でもある、職を間違えたな。」

微かに笑って男は呟いた。

「次の人生が与えられたなら、殺し屋だけは御免だな。今度は間違えずに生きたいものだ。

君は自分の人生に後悔は無いのだろう。」

「まんまと誘拐された事ぐらいだ。」

「申し訳ない、アルバート皇子が王位についたらこの首を君に進呈しても良いが・・・」

「誰がいるか、そんな物。」

一言で切り捨てると席を立った。

「寝ませてもらう。」




続く数日をキッドは体力の回復と、戦闘感覚のずれを直す為に動いていた。

マシンも無く相手も居ない中で出来る事は限られていたが、何もしないよりは余程良い。

キッドが動くと必ず付いて回るウイルは、キッドの訓練相手に定めたオリーブの樹に同情したのか最後には組手の相手を務める羽目に陥った。


「私は人を相手にするのは苦手だ、加減が出来ない。」

困った様な表情で立ち尽くす男には最初に見せた殺気は欠片も無かったが、躱すだけで良いと云うキッドの言葉に過不足なく応えてくれた。だが、キッドの腕では掠りもしない。手も足もどれほど速く叩き込んでも躱される。

それが悔しくて真剣にのめり込むキッドの掌が弾かれた。

「踏込だ、もっと深く。」

思わず出された言葉に驚いたのはキッドよりも当の本人だった。

「済まない、つい・・・」

「・・いや、構わない。見えたら教えて貰いたい。」

躊躇いの表情で男は呟いた。

「教師の柄ではないし・・・君がこれ以上強くなっては困るのだが。」

「勝手を云うな、此方の都合も考えろ。行くぞ。」


その技は決して体術や格闘技などと云う生易しい物では無かった。

キッドの掌を弾き返した指先がそのまま凶器となって襲い掛かる、同時に膝が肘が叩き込まれるが男は懸命にセーブしている様で当たりは強くは無い。だがキッドの眼でも追えないほど動きは速い。

二時間の組手で冬の最中にも拘わらずびっしりと汗を掻いていた。


「あの技のベースは何だ? マーシャルアーツでは無いな。」

「・・済まない、私にも判らない。気にした事も無い。」

ローワンやキリ-なら解かるだろうか、ジ-ンなら・・


その夜、暖炉の前でキッドはまじまじと男を見つめた。

人を殺す為に造られたウイルというこの男は、何故こんな仕事を引き受けたのか。

身長はキリ-ほどは無い、どちらかと云えば中肉中背、顔立ちも眼の下の傷以外は何の特徴も無く、態度に至っては気弱にすら見える。キッドに対してはごく丁寧で、態度も言葉使いもキッドの方がいっそ横柄だった。

余りにも不思議な男だった。と、

「そう、観ないでくれないか・・」

困った様な表情で僅かに顔をそむける。

「あまり慣れてないし、若い女性は苦手だ。」

キッドは呆れてしまった。

否応なく誘拐して逃がさないと公言するくせに見られるのが苦手だと良くも言える。

「ふざけた殺し屋だ。」

今までキッドの周りには自信に満ちた余裕の有る男達しか居なかった。彼等よりも格段に腕が立つはずの男が、女が苦手とは・・・だが男は視線さえ合わせようとしない。

「・・殺し屋だから・・依頼を受ければ華のような若く美しい女性も、愛らしい幼子も手に掛けて来たから・・・

汚れきった自分が透けて見えてしまう気がする、綺麗な瞳を汚してしまいそうで・・・」

「そんなものは見えない。」


思わず出た言葉に男はキッドを正面から見返した。

「私だって人を殺した、お前の眼にそれが見えるか?」

ロシアでも九龍島でも、出来る限り避けてはいたが自身と仲間を護るためにはそうせざるを得なかった。

何よりこの路に入った時に覚悟はしていた事だった。

「お前は知らないだろうが私はスラムと云っていい地区の生まれでそこで育った、生きる為に軍に入りG倶楽部に巡り合った。自分で決めた事だ、後悔などしない。私の後ろにそれが見えるか?」

男の眼が眩しげに細められる。

「私が闇の中で生きていることは私自身が良く知っている、君とは生きる世界が違う、君は強い。」

「馬鹿を云うな、お前に指ひとつ掠りも出来ないのに何が強い物か、明日は朝からやってやる、覚悟して置け。」

ピシっと言い切って席を立ち背を向ける。


唖然とそれを見送って男は吐息をついた。会話が成り立つはずが無い。

男は内面の話をしているのに対して女は超現実的な事柄を話していたのだから。

それでも男の表情から確かに在ったはずの苦悩の影は薄れていた。閉じたドアを見つめて男は返事を出来なかった事に気付く、否応なく明日も相手をしなくてはならない様だった。




朝食を済ませ走り込みとスクワット、その後ウイルと組手、昼食をはさんでまた組手、夕方のストレッチまでが日課のように繰り返される。最初は恐々とぎこちなく相手をしていた男も2週間もすると慣れてきて、キッドに対しての遠慮は組手時だけは薄れてきたようだった。

「突っ込みが速すぎる、もっと見るんだ。」

「踏込が甘い! 」

バシッと弾かれて跳ねとんだキッドに男は冷ややかな視線を向ける。

「何度も言わせるな、これで何度死んだと思っている。

実戦では一度死ねば終わりなんだぞ、私が教えた以上死なれては困る。」


「動きが速いのは良い、だが反射だけが先走りし過ぎる。

速さだけを求めると踏込が浅くなり、そうでなくても軽い体重で猫パンチ程度にしかならない。其処までの反射とスピードが有るならもっと良く見て踏み込むんだ。」


キッドが見る限り男の身体能力は不思議なバランスを保っていた。訓練時に見せる圧倒的なパワーはその瞬間だけのもの、それもキッドに合わせて出力を調整しているように感じられた。天辺の見えない果てしなく高い山を真下から見上げているかのような感覚は第一の師、ローワンを思い起こさせた。


「眼が良いのに惜しいと思う、それほど急ぐ必要は無いのに・・・私がしていた訓練方法を試してみるか?」

何時もの様に躊躇いがちの提案をする男に、キッドは躊躇うことなく頷いた。

それは左腕を身体に固定しての戦闘訓練だった。バランスが取りにくいだけでは無い、反射もパワーも半分以下になる。何度も掌を当てられて飛ばされる。それはキリ-よりも強く容赦の無い物であり、何処か躊躇うものでもあった。


「叩く度に申し訳無さそうな顔をするな、こっちの気が咎めるだろう。」

「・・・・・今日は両手を固定する。攻撃は脚のみだ。」

嫌がらせか、と思うほど訓練には厳しいくせに男の態度は最初と変わらず困った風情のままだった。


両手の縛りは確かにきつかった。

躱しも出来ず、跳ねて逃げる事も出来ない中でキッドはその瞬間、奇妙な感覚に包まれた。

生来の反射とバランスが不思議なほどつり合い、手を縛られた事で上体がよりしなやかに動き始めた。

キッドを追う男の眼が煌めく。

「そこだ、脚を使え。」

耳も眼も確実に相手を捉えていた。

はっきりとした認識の中で踏み込んだ左足と男の動きに合わせた右膝がヒットした、瞬間飛ばされたのはキッドであった。

驚くべき動体視力と身体能力。

ヒットした膝を右掌で払いのけただけでキッドの身体が子供のそれの様に地面を転がった。

「・・済まない! 大丈夫か?」


受け身の取れないキッドを気遣う男に抱き起されて、それでもキッドは笑って見せる。

「大丈夫だ、気にするな。 それより今の感覚を消したくない、もう一番頼む。」

男の眼がまじまじと見つめ、呆れたように首を振った。

「ClubGのキッド・・・戦闘兵士の称号は伊達では無いな。」

そしてこの島に来て初めて見せた笑顔に魅せられた。




「キッド、これ以上の訓練を続ける気が有るか?」

男が尋ねたのは彼女が此処に来てひと月半、明日は新年に変わる夜だった。

脱出の隙を諦めていないキッドだったが油断の欠片も見せない男には方法を変えた方が良さそうにも思われるし、何より今までとは全く違う訓練に気持ちが動いていたのも事実だった。


「どうせ此処を出れないのなら訓練を続けた方が良い、何もしないと太るだろう。」

真顔のまま男はキッドの正面に立つ。

「一つ提案がある、あと三か月を集中的に訓練して君のレベルを一段上げよう。私が責任を持って必ず上げてみせる。その代りにその後の三か月を私に呉れないか? 私がアルバインに行き、証拠を掴んで戻るまでの時間を。」

六か月の時間は大きな物だった。だが六か月を訓練に当てた処でこの男に勝てるとは贔屓目に見ても思えない。

男が出た隙をつくのは簡単だったが一度約束をしたなら違える事もキッドには出来そうも無かった。

それでも・・・

「お前は私を信じるのか? お前が居なければ逃げるのは容易いと云うのに。」

疑ってくれた方が気が楽な場合も有る、だが男は初めてと云って良い程の穏やかな笑みを見せる。

「君を調べたと云ったろう、それでも疑い深い私は自分の眼で確認したかった。君がどんな人間かを。

君は嘘をつける人では無い、例え口約束であったとしても。」

それは断定。

自分の眼を信じる・・・いや、自分の眼しか信じない男の確信だった。

長い時間キッドは男の顔をみつめ、僅かに笑った。

「嫌な奴だな、お前。」


不意に厳しい表情に変わる。

「お前を雇った主に合わせて貰おう。今のお前が仕える真実の主に・・・話はそれからだ。」

席を立ち寝室に入って行くキッドの背中を見送って男はほんの少し礼を取った。

男にはキッドの心使いが解かっていた。拉致、誘拐をした自分を許してはならない、自分の提案を受け入れる事は許されない、clubGの人間としては・・が、自分を雇った主人との話ならそれはまた変わってくる。

だからこそキッドは話す相手を変えたのだ。

「・・・私の眼は、どうやらまだ確かなようだ・・」



一夜あけて新年、2050年の陽が昇り、キッドは初めて庭続きの瀟洒な屋敷に招かれた。

決して大きな建物では無いが、良く磨きこまれた気持ちの良い古い館であった。

玄関ポーチから入りロビーを抜けると心ばかりのの応接フロアがキッドを迎える。


「ようこそキッド、やっと逢えましたね。」

迎えたのは部屋だけではなく、そこの主が僅かに頬を染めて両手を差し出して歩み寄って来た。

「オメデトゴザィマス、日本では新年の挨拶をこう云うんですね。ウイルに習いました。」

両手を取られたキッドは思わず片膝を着いた。

(・・・嵌められた・・ウイルの奴・・)


アルバート皇子は・・・確かに皇子だった。

陶器のような輝く肌、栗色の艶やかな髪、煌めく瞳と淡いピンクの頬を持つ皇子様の年齢は6.7歳だった。

「どうかお立ち下さい。貴方は僕の臣下では無い、そんな礼は入りません。それより貴方と話をしたい。」

溜息を堪えながらキッドは皇子に引かれる様に立ち上がってゆったりとしたソファに座りこんだ。

いつの間にか何人か居た筈の傍付きもウイルの姿も消えた室内にはただ二人だけである。

皇子の眼がキッドを見つめて煌めいた。

「本当に綺麗な人だ、ウイルもサーシャもウラノフも皆が云った通り・・・日本の人には初めて会ったけど。

遠い国でしょう、僕は地図を調べて驚きました。こんなに遠い処から僕たちの為に手を差し伸べてくれるなんて・・」


「殿下、とお呼びして良いのか分かりませんが、少し待って下さい。その件に関してはまだ決めてはいません。

これからそれを相談したくて来たのです。」

心底驚いたようにアルバート皇子は眼を見張った。

「でも、ウイルは・・・あぁ、そうですか・・・」

俯いた皇子の表情はやがて健気に上げられた。

「解かりました、多分ウイルの勘違いですね。でも僕は貴方のように綺麗な人と出会えて嬉しかったです。」


若いと云うにはあまりにも幼いが、透けるような微笑みには自国に帰る事の出来ない流浪の皇子の苦悩が確かに浮かんでいた。頼るべき者も多いとは言えないのはキッドでも解かる。

ウイルの言葉を素直に信じてキッドを頼んだとしても不思議では無かった。


「殿下、私は話をしに来ました。ウイルではなく貴方と直接話さなくては何も決められません。お解りですね?

それでは貴方の言葉で私に何を望まれるのか云って下さい。」

それはキッドが口にする事は許されない台詞だった。

日本陸軍の軍人、高村亜湖としても、G倶楽部のキッドとしても。 

この流浪の皇子に正式に依頼されたなら自分の心がどちらに傾くのかは解かっていたし、その結果として失う物も解かっていた。

一昨年の夏、初めての公式任務で幼女と引き換えにした自分自身の未来はまだ小さい物であったにも関わらず、暗い穴の中で唇を噛みしめたのは昨日の事の様に思い出せる。

今は自分の未来どころでは無いし自分一人の問題では済まない。

事が明るみに出たなら国にも軍にも、何よりG倶楽部にも多大な負を背負わせてしまうだろう。

それは十分以上に承知していた。それでも・・・この少年を有無を言わさず突き放す事はキッドには出来そうも無かった。

アルバート皇子は背筋を伸ばしてキッドを見返した。

「僕は今年中に祖国、アルバイン王国に帰り、いずれ父王の後を継ぎアルバイン国王となります。キッド、僕がこの島に居る間で良い、ウイルの代わりに僕を護って下さい。」

幼いながらも王位を受け継ぐ自覚と意思を持つ少年に、キッドは席を立ち片膝を着く。


「お受けしましょう。」

それは禁断の一言。 自身の身命と周囲をも巻き込む言葉。

だが答えたキッドよりアルバート皇子の方が息を止めた。

「・・・キッド、でも貴方に何も返せない、それでも・・」

「殿下、私は貴方から報酬を貰う事は出来ない。私は日本陸軍の軍人ですから。」

『日本の軍人ならば任務以外の他国介入はするな。』

キリ-の叱責が聞こえる。叱られるぐらいなら良い、殴られても構わない。唯、その対象にさえされなくなった時が怖かった。それでも・・・

「では、ウイルと打ち合わせて来ます、失礼。」


こんな羽目になる事はあの男は解かって居た筈だった。

絶対に一発殴らなくては気が済まなかった。対象があれほど幼いなどと一言も言わずに・・

( 母さんが死んだ時の綜と大して変わらない、あれを見捨てるなど出来ない。クソっ、ウイルの奴。)

庭伝いに住居へ帰るとささやかな内庭に男は立っていた。

「おいっ、契約金代わりに一発殴らせろ。」


驚いた事に男は黙ったまま膝を着きキッドを見上げる。

「気が済むまで殴ってくれ、君の優しさを私は利用した。

人を殺すよりも罪深い所業だ、だが心から感謝する。」

キッドの正拳が何の防御も無い男の頬に炸裂した。

さすがに仰向けに倒れた男にキッドは冷ややかな一瞥を投げかけて告げる。

「約束しよう、お前が戻るまでの時間、アルバートは私が護る、逃げだしはしない。」


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