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        02

カリフがG倶楽部に顔を出したのは次の週末だった。

ウルフの指導でウェイトトレーニングに汗を流す智也を遠目で見ながらジーンの元へ脚を運ぶ。

「先週は大騒ぎでしたね。」

ジーンも笑って頷いた。

「ああ、疲れたよ。お前もご苦労だったな、イージスを手伝って呉れたそうだな。」

「解析ぐらいしかしてないですよ。智也はどうですか?」

「良いぞ、ロゥならキリークラスとでも云いそうだ。」

「それは凄い、ガッツリ鍛えて下さい。」

笑って向けた視線にキリーの指導を受けるキッドを捕える。

今はナイフを使った戦闘訓練に没頭していた。


「此処では峰も柄も使える、無理に刃先を廻すより確実だ。お前の癖は真正面に立ちすぎる事だ、眼は良いんだから横でも後ろでも回り込め、最速で落とすが基本だ。」

「はい。」

この処キッドの相手はコオハク、ナイトの3人だった。

入り乱れて恐ろしく速い展開にカリフは暫く呆然と見入ってしまった。

「凄いな・・また速くなった。」

だがキリーの叱責は絶え間無く飛ぶ。

「そこで踏み込め、遅い! 考えて動くな、読んで動け。

自分の都合に敵を誘い込め!」

床に散った汗で脚を滑らせたキッドは素早く体制を直したが、キリーはつかつかと近寄ると手の甲で素早く短いビンタを浴びせた。

「集中力が無い、生死を床や小石に任せるな。今日は終いだ、明日は棍を使うぞ。」

「はい。」


シャワールームに向かったキッドを見もせずキリーはカリフに声をかけた。

「久しぶりだな、鈍って無いか? なんなら格闘訓練でもつけてやるぞ。」

「辞めて置きます、ノビて母の晩飯が喰えないと叱られますから。でも明日は参加して良いですか?」

キッドへの顔とは全く違う笑顔でキリーは頷いた。

「いちいち断ることは無い、此処はお前のベースだ。

智也は見たか? 反射も眼も良い、正式に入ったらキッドに仕込ませようかと思うが、どうだ?」

それはジーンに向けられた言葉だった。が、ジーンは、

「いや、お前が仕込め。キッドは目一杯だ。モク以外にもコオからの申し出も有るしな。」

キリーの動きが止った。

「コオが? 何をさせる積りだ?」

「さぁ、聞いて無いが。カリフ、小僧を見に行くか。」


二人が連れ立って行ってしまうとキリーの眼がコオを探し、ナイトと話す男を見つける。

「コオ、少し良いか?」


其処はG倶楽部の裏庭と呼ばれていた。

場所が場所なだけに人気は全く無く、夏の熱気が黄昏時の今になっても残っていた。


「何だ? こんな処に呼び出して。愛の告白なら俺は女以外は受け付けて無いぞ。」

コオの軽口に付き合う気こそキリーには無かった。

「キッドに何を仕込む気だ。」

斬りつけるような口調にコオの表情が変わる。

「俺が何を誰に仕込もうとお前には関係無かろう。それとも、キッドにはお前の許可が必要なのか?」

エラーの予測は外れたらしい、確かにG倶楽部では能力の片鱗を見つけた者が後継を育てる為に個々に指導をしているし、誰に許可を取る必要もない。キッドだから特別とはなりようも無かった。

「キッドは承知したのか? 何をするのかを。」

「無論だ。」

では何も言えない。

踵を返して向かう先をコオは判っていた。


シャワーで汗を流したキッドがカリフと話している間にキリーは割って入った。

「キッドを借りるぞ。」

返事も待たずに小部屋へ向かうキリーにキッドも素直に従い、ジーンがそれを眼で追って小さく笑った。

「馬鹿が・・・」



「お前は正気か、馬鹿な事をするな。」

低く、だが鋭い声の叱責にキッドはピクリと反応した。

「コオの仕込みなど俺は許さんぞ、断って来い。」

「で、でも必要だと・・・」

「必要なものか! お前は戦闘兵士だ。枕芸者になりたいなら此処を辞めてからにしろ!」

自分でも驚くほどの怒りがキッドに叩きつけられた。

「そんなことを遣らせる為にG倶楽部に入れた訳では無いし、此処まで育ててきた訳でも無い。ふざけるな!」

余りの厳しい叱責にキッドの眼から涙が零れ落ちる。

「泣く位なら何故引き受けた、俺が怒らないとでも思ったのか。そんなにお前をどうでも良く扱って来たか。」

それでもハンカチを出すとキッドに渡す、と・・・

「でも・・泳げないと困るんです。」

シャクリあげながらキッドが呟いた。

「・・・・・」

「九龍島で蒼龍に船から叩き出すって言われて・・今のうちに習って、お、おかないと・・ジーンに言ったらキリーは忙しいから・・コオじゃ駄目ですか?」

膝から力が抜ける様だった、いや、実際デスクに手をついてしまった。

( あいつ等・・・引っ掛けやがったな。)

「キリー? 顔が青い、Dr佐和の処に行きましょう。私は泳げなくても良いですから・・」

「・・・いや、泳げた方が良い。俺が教える。」

「でも・・」

「俺が教える、解かったな。」

「はい。」



「ジーン、コオ。」

底なしに低い声がふたりの男にかけられたが、オヤジ二人は平然と鼻でせせら嗤った。

「馬鹿が、引っ掛かりやがって、ザマアミロ。」

「こわっぱのガキをビビらせた与太話を今頃まで信じたか、キリーちゃんの顔色が変わるのは見ものだったぜ。」

絶対に九龍島の仕返しだった。

陰険オヤジコンビはここぞとばかりに腹を抱えて嗤い倒したが、

「キッドの水泳は俺が仕込む、なに、三日もあれば良いだろう。明後日から三日はすべてキャンセルしてくれ。」

黙り込んだオヤジコンビを置き去りに行きかけた脚が止る。

「買い物にでる、車を借りるぞ。 キッド行くぞ!」

言い捨てて出て行った。



「何処に行くんですか?」

買い物などする気も無かったが、この後の仕込みも兼ねて連れ出しただけとも言えないキリーは車を高速に乗せた。

「デートだ、何か欲しい物が有れば買ってやるぞ。」

今日のキリーはさっぱり判らない、とキッドは咥え煙草の横顔を眺めて首を傾げた。

「デートですか・・・した事が無いから判らないです。」

「・・・そうか、それも知らないのか。」


驚きを通り越して呆れた様な響きの言葉にキッドは俯いた。

「・・・生きるのが精一杯で、軍に入るまで食べるのも大変で・・・学校もまともに行って無いし・・・恥ずかしいです。」

「俺も似たような物だが、男は気楽で良い。飛び出せば済む話だからな。お前みたいに苦労はしなかった。」

「・・・次は男に生まれます。」

それはさぞかしあの連中が落ち込むだろうとキリーは内心笑ったが、その中に自分も含まれている事に気づいて僅かに狼狽えた。

「お前、その顔で男は無いだろう。言って置くが男もレイプの対象になるんだぞ。」

「・・・それなら、ウルフみたいな男になります。」

思わず吹き出した。


笑った後に静寂が訪れる。夏の陽が落ちようとしていた。

CDを入れるとジーンの好みのヴォサノバが流れ出しデートらしい甘い空気が車内を満たしたが、

「蒼龍と何があったって?」

口を開けば消し飛んでしまう。

「最初に喧嘩になって、九龍島に運んで貰う時です。

その後も室内で・・・あれは多分太極拳です、すごく速くて棍で躱すしか無かった。」

「李家の若様もやるな、G倶楽部のキッドを唸らせるとは。」

「私が合ったのは汗まみれの船荷人足です、口も悪くて。思わず私もつられて・・・罵り合いになりました。」

「それでも助けてくれた、良い男だな。」

「・・・まぁ、そうですね・・」


甘い歌声が柔らかく響く中、キッドは静かに尋ねた。

「今日は何だったんですか?」

幾ら天然でも気付かない訳は無い、キリーは諦めて一部始終を語った。


「はぁ・・・では、私は女スパイになりかけた訳ですか。

コオに『お床あしらい』を仕込まれて・・・・・・『お床あしらい』って何ですか?」

「・・・それは気にするな。とにかく悪かった、俺の早とちりだ。入ったばかりの頃に騙されて・・・完全に引っ掛けられた。」

「でも・・・何でそんな事を、ジーン達がするんです?」

「今更言いたくは無いが・・・九龍島の仕返しだろうな、あの程度殴っただけでは気が済まなかったんだ。」

「そんな、あれほど言ったのに。納得した振りをして引っ掛けるなんて・・・許せない、帰ったら絶対に叱り飛ばします。」

この小さな娘の強さを知っているから笑いも出来ない。と、ひとつ思いついた。

「それなら一役やって貰おうか。」




「キッド、遅かったな。」

帰って来たキッドをジーンが捕まえたのは午後10時を回った頃だった。

華やかな絵柄の包みをぶら下げていたが、さり気無くそれを身体で隠したのをジーンは気付いた。

「何処へ行ったんだ?」

「渋谷です。」

「ほう、何をしに?」

「デートだそうです。」

「ほほう、美味い物でも食わせて貰ったか?」

「釜飯をご馳走になりました。」

釜飯だと? なんてムードの無い・・・

「それは何だ?」

指された先の荷物を更に隠すようにして、

「あ、・・・水泳の訓練に必要な物だそうです。」

返事が僅かに遅れたのを確認してジーンはにっこり笑って見せた。

「良かったな、それでは今度は俺とデートしよう。旨いフレンチの店を知って居る。」

「・・・・・・・はい。」

今度の遅れの方が長いのにショックを受けながらキッドを解放したジーンであった。




G倶楽部には広いトレーニングスペースと幾つかの個室が用意されている。

ジーンの執務室にエラーの情報管理室、普段は全く使われない休憩室や倉庫、二階にも幾つか有るらしい。

最近エラーを手伝っているイヴと、戦闘訓練でくたばるキッドの為にジーンは使っていない休憩室を仕切って小部屋を用意し、二人はよくそこを使っていた。


「キッド、明日から水泳訓練だって?」

遅くまでレクチャーを受けていたイヴが寝癖の付いた頭で尋ねるとキッドは僅かに表情を固くした。

「そうなんだ、二泊三日で集中特訓。これで泳げなかったら、キリーにまた叱られる。」

「・・・・何処でやるの?」

「・・えっと・・横須賀?横浜?どっちだったかな。海の方だけど。」

黙ったイヴに気付かずキッドは続けた。

「だから今日中にモクの課題を片付けないと、あとは何だっけ・・・課題が山積みで追っつかないのに、海にまで行かなくても良いと思うんだけど・・・」



朝から所用で出かけていたジーンの耳にそれが入ったのは既に午後に入った頃だった。

キッドの話がイヴに、寝癖付のイヴからエラ-、シュリ、コオと来てやっとジーンの元に届いた話は伝言ゲーム宜しく、『キリーがキッドと二泊三日の海水浴を楽しむバカンス』に変わっていた。


「馬鹿な、誰が言ったか知らないがそんな暇がどこに有る、真面目に泳ぎを教えるだけだ。」

呼び出したキリ-に一喝されたがジーンは何とも云えない表情で胡乱毛に睨み付けた。

「泊まり込みでか、連隊内のプールでは間に合わないのか。」

「・・・どうせなら色々教えておきたい、全く知らない方が呑み込みが良いからな。」

「ほほう、李一族がなにかも教えなかったお前がか。蒼龍をお前呼ばわりした挙句に何様だとぬかしやがった。

冷や汗が出たぞ、俺は。」

「そんな余裕が有るか、動き出してすぐにバラケたんだぞ。」

「・・・余計な事は教えた癖に。」

結局それが云いたかったのか、キリーは底冷えのする眼差しでジーンを睨み付けた。

「蒸し返すつもりか・・」


氷点下の睨み合いはキッドの声で片付いた。

「ジーン、仏蘭西語の課題此処までで良いですね。帰ったら続き、お願いします。」

パタパタと走り去る軽い足音にキリーが薄く笑む。

「語学は頼むぞ、それ以外は俺が見るから。」

歯軋りを咬み殺す男に余裕の笑を残してキリーは出て行った。




「棍の使い方は幾らでも有る、防御にも攻撃にも、最終的には飛ばしても。

だがお前は徒手が弱いから出来る限り武器を離さない戦い方をした方が有利だ。

俺が徒手で攻めるから躱してみろ、総てを躱し切ったら褒美をやろう、勿論、攻めても一向に構わんぞ。」


ローワンは神の様に強かったが、キリーは悪魔よりも油断が出来なかった。

防御のみにも拘わらず素手のキリーのヒットを何度も喰らう。

余程の事が無い限りキリーは軽く中てるだけだったが、その弾く様な鋭い掌はキッドの足りない力量をはっきりと知らしめていた。


「良く見ろ、ローワンと同じ動きだぞ。脚を使え、速く、もっと速く!」

眼にも留まらぬキリーの攻撃を全身全霊で受け止め、躱し、弾くキッドの棍は加速して行く。

たった一本の棍が高速のあまり十数本に見えるほど、それは素晴らしい集中力。

キリーの攻撃も速まって行く、そんな激しい戦闘のさなかにも拘わらず男は眼を見張る思いで笑みを浮かべた。

気力、体力、集中力の総てが充実した今が一段上がる瞬間。

仕掛けたキリーの掌から上腕、肘、膝から蹴りの連続攻撃をキッドは難なく躱しきって、さらに踏み込んだ。


パシッ!と、眼の前の棍を掴んで男は鮮やかに笑った。

「良し、いいだろう。今のを忘れるな。」

軽く掴まれただけなのに、押しても引いてもピクリとも動かない棍をキッドは愕然と見つめて居た為、その言葉を理解するのに僅かに遅れた。あげた視線がキリーと合った。

「・・・・え?」

手を放したキリーは既に表情を改めていたが、

「約束だ、何が欲しいか考えて置け。」


立ち去るキリーの背を見送ったが、キッドの中には今の一戦しか残っていなかった。

手にした棍がまるで身体の一部になったような感覚を噛みしめる。

立ち尽くしたまま反芻する、何度も、何度も。

自分が棍を使っていたのか、棍に使われていたのか・・・解かったのはこの一本の棍と同化した瞬間の無我。

身体の奥底から大きく息をつくと、ふきだす汗を流しに歩き出した。


それを見送ってモクが呟く。

「一段昇ったな、それにしても正直キリーが此処まで仕込むとは思わなかったぜ。」

「全くだ、余計な事まで仕込んで呉れるしな。」

呆れた様なモクの眼が笑う。

「オヤジはしつこいねぇ。」

「当然だ。モク、明日はG倶楽部も海水・・じゃなく水泳訓練に行くぞ。キリーには云うなよ。」

心の底から呆れ返った男にジーンはにんまりと告げた。


「奴に嫌とは言わせん、堂々と着いて行ってやる。」

後を着いて行くのに何が堂々だ、と思いながらもモクはもう何も言わなかった。


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