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    02

「諸君 入隊おめでとう。」

贔屓目に見ても古参。

それも叩き上げの古強者の先任曹長は、その面構えには似合わない静かな口調で口火を切った。

「と、言っても三ヶ月後の配属時にどれ程残っているかは疑問だが。 私は市橋先任曹長だ。今までは伊達一等軍曹以下3名の指導で行軍等の訓練を行って来たが、今日からは私の指揮下に入る。明日から始まる訓練の前に必要な注意事項を言っておく。」

欠片も表情を緩めずに続ける。 

「一つ、男女を問わず強姦は許さん。

一つ、他人の物に手を出す事は許さん。

一つ、私的に暴力を振るう事は許さん。

以上の事項に反した者は軍法会議に掛けられる。

諸君等は未だクズだが、入隊式を済ませた今は軍人とみなされる。軍法は一般の法よりも3割方重くなる。

場合によっては極刑も有り得ると理解しておくように。

では諸君、最後の休日を楽しみたまえ。 以上だ。」

「市橋先任曹長に、敬礼っ!」

答礼を返した先任曹長と入れ替わって伊達軍曹があとを引き継いだ。

「毎夕必要事項は食堂前に張り出される、各自の責任で眼を通しておくように。 尚、各チームの最年長者は仮の班長として呼ばれたら集まる事。以上、解散。」



クズ箱と呼ばれる新兵兵舎は広い訓練場の片隅にあった。

2階建ての平べったい建物の2階部分が居室、階下に食堂、

ミーティングルームと伊達一等軍曹以下20名の個室が居並び、クズ共の全世界がそこで完結していた。


「俺たちの担当伍長ってだれだ?」

居室に張り出した予定表を見ながら木村英嗣が予備のベッドに寛ぐ河野卓に訊ねた。

読んでいた本から眼も上げず河野が応えた。

「聞いていないな、明日わかるだろ。」

「・・ほぅ・・・」

言外に何かを含んだ相槌に河野の視線がむけられた。

女性達はシャワー室へ行っていた。どうやら今の所彼女等は上手く付き合って行けそうで、混成チームの核は固まりつつある。女達の反りが合わないとチーム自体まとまらないうえに、問題も多々発生するというデータがあった。

Aチームの女はとりあえず大丈夫と見える。後は男達であった。

室内には二人しか残っていなかった。三人はシャワーを浴びに行き、ふたりは他チームの友達のところへいっている。

木村は肩を軽く壁につけ、河野を見下ろしていた。

「何が云いたい?」

河野の問いに木村はニヤッっと笑って答えた。

「あんただろ、Aチームの・・分隊付き伍長は。他の奴は気づいていない・・あぁ エースは別だが。あれは良い女になりそうだな、今はまだガキだが。 何にしても気が付く奴は気づくもんだ、あんたが隠していたって無駄ってもんだろう。」

河野は木村の言葉に大した反応はしなかった。

「・・さぁな、俺の答える事柄じゃない。」

本のページに視線を落とした男に木村の声が冷ややかに投げられた。

「24で新任伍長ね・・・俺は30歳までに尉官クラスになるつもりだぜ、いつまでもチンタラ兵隊なんかやっていられるか。エースの座は取られたけど、この三ヶ月で巻き返して必ずトップに立ってやる。」

「そうか、頑張れよ。」

何の感情も含まれない声に、木村は軽蔑したような一瞥を投げて部屋から出て行った。


河野の手が本をめくると、そこに木村英嗣の名が記されたページが現れた。そこには出身地や身体、能力等の表面的な特徴が几帳面な文字で書き込まれていた。

「あら、ひとり? みんなは?」

帰ってきた歩美たちに河野は顔をあげた。

「風呂だ、丁度いい。ちょっと聞いてくれ。」

集まった三人に河野が続けた。

「宿舎にいる間はなるべく三人で行動しろよ、どうしてもひとりで動く場合は俺に言え、カバーするから。」

女達ははっきりと頷いた。自覚も覚悟もどうやらあるらしい。当然と云えば当然ではある。

「明日から訓練に入ればさほどの心配は無いが・・後はその時にまた話そう。」


彼女達は実に賢明だった。

夕食時にはバラけて座り、誰とでも親しく話をしている。

悪目立ちするような言動はせず、部屋でも遊びに来たBチームの三人の男女と気軽に会話していた。

内気で線の細い仲間を構いながら会話に引き入れるのは歩美、場を盛り上げるのは男っぽい口調ながら言葉を選ぶ余裕の有る真理であった。亜湖は性格も経験もふたりには追い付かなかったが、常に笑顔で話を聞いている。 

河野のメモに又いくつかの文字が加えられ、その途中で亜湖がトイレに立った。きっかり3分後、真理が後を追う。

更に5分後歩美が立ち、ドアが開いた時に男の声が聞こえた。ドアを開けた河野の眼に苛立った他チームの男の顔があった。

「どうした?」

「どうもしねえよ! 通りかかっただけだよ!」

若い顔を真っ赤に歪めて男は逃げるように歩き去った。

それを見送って真理が鼻を鳴らす。

「亜湖を連れて行こうとしてた、止めたら恫喝してきた。」

「真理に『うせろ、ババァ』って言ってたね。」

「そう、ムカつく馬鹿ガキだよ。」

平然とした真理と笑う歩美から眼を移せば、どこかうろたえた様子の亜湖と視線がぶつかった。

「大丈夫か?」

と、訊ねようとしたとき、開いたままのドアから男達が出て来た。

「なんだ亜湖、押し倒されたか?」

「何処の奴だ、裸に剥いて逆さ吊りだな。」

「そりゃあババァ呼ばわりされた真理の特権だろ。」

「伊達軍曹に報告したほうが、良くないかな。」

「部屋に戻れ。」

冷ややかな声は木村英嗣であった。

「ここで騒ぐな。部屋で話そう。」



「亜湖もだが、真理も歩美も気を付けた方が良い、俺の聞いた話では女は半数が脱落し、その理由はレイプの被害が大半だそうだ。」

「あぁ、なるべく一人では動かないようにするよ。」

真理の言葉に、だが木村は首を振った。

「だめだ、5・6人の男に襲われたらひとたまりも無いぞ。

そんな噂だって一つや二つじゃないんだ。現に今だってAチーム専用のトイレ、俺たちの縄張り内じゃないか。」

「じゃあ どうすれば良いの?」

歩美の問いに木村は少し考えて顔を上げた。

「俺たちでガードしよう、二人ずつ就けば女三人よりは余程固いし、チームでの行動にも繋がる。

河野は班長だから、身体を空けて置いたほうが良いだろう。

後の6人で組めばい・・・」

「ちょっと待って。」

真理が素早く遮った。

「木村の云う事は良く判るし、有り難いとも思うけど、私は軍人になる為に此処に来たんだ。初っ端からお嬢扱いで守られた兵隊なんか役に立つとは思えないよ。」

「確かにそうだな。」

篠崎の声に太田が笑いながら云った。

「いざとなったら怒鳴れ、喚きながら蹴散らせ、お前らの声が聞こえたら俺たちが必ず助けに行ってやる。」

「ぼ、僕も行きます・・絶対に行きますから。」

一番 気の弱そうな古川の台詞に男性最年少の神藤が黙ってその肩を叩いた。

「助けに行くのは当然として、三人は何か体術か護身術をやってるのか?」

噂ではIQ180と云われている西田が冷静な顔で三人を見渡した。

「多少でも経験がある方が良い、なければ今からでも身に付けたほうが今後の為にもなるが。」


「私はテコンドーを、5、6年か。続けている。歩美は・」

「マーシャルアーツ、三年程だけど。」

真理と歩美の返事に驚いたのは亜湖だけであるようだった。

「亜湖、 お前は?」

西田に問われて亜湖はたじろいだ様にうつむいた。

「私は・・・何も、してない・・。」

「そうか、それなら今から習えば良い。確か隊内にあったはずだ、サークルだかクラブだったか。」

西田の視線は真っ直ぐ河野に向けられ、河野もそれをしっかりと受け止めていた。

「明日からの初年兵訓練が一段落したら連れて行く予定だ。

高村は良い動きをしているからな。だが覚悟しておけよ、結構厳しいぞ。」

その言葉も眼差しも、優しく見えた。

「はい、頑張ります。」

18歳の若い娘の初々しい返事に場がゆっくりと和んでいく中、木村の表情だけが固かった。


「それにしても問題は多いな、他のチームとの交流を避ける訳にはいかないし、部屋に閉じ篭っている訳にもいかない。大体がそんな事の為にここに居る訳じゃない。」

吐き捨てるような口調が、落ち着きかけた空気を再び掻き混ぜ波立たせる。

「訓練中も一刻も気を抜けないってことだ。」

プレッシャーを与えるような木村の言葉は亜湖の表情を曇らせた。

「大丈夫だよ、亜湖。」

真理がニヤリと笑う。」

「明日からは陸軍名物(地獄の初年兵訓練)だ、女を襲う事しか考えないケツの穴の小さい野郎共じゃぁ、生き残れないに決まってるさ。」

呆気に取られたような表情の古川の横で、太田が豪快に噴出した。

「真理姐さん、思わず惚れちゃうねぇ。」

感嘆の声を上げた篠崎にウィンクを投げて真理は梯子を昇り始めた。

「さて、私はおやすみなさいだ。」

それを機にそれぞれが寝棚に潜り込んでいくなか、亜湖はまるで見送るように立っていた。


男に比べて女性は身体の完成が早いが、亜湖の背中はまるで成長期の男の子のようなバランスの悪さが有る。

そしてそれは精神的な未熟さに直結しているようであった。

河野の持つデータには今現在の資料しか記されてない。

軍人としての資質を計る記録に、プロフィールは必要では無いと云う判断であろうが・・・今まで河野の周りにはたとえ新兵のタマゴであっても亜湖ほど未成熟な、いわば子供は居なかった。

「お休みなさい。」

「あぁ、おやすみ。」

室内の灯を落とすと、スクリーン越しのぼんやりとした光が蛍のように灯って綺麗だった。

男はその光が好きだった。

何も知らず、何の心配も無かった初年兵の頃に戻れる一瞬。

(なるべく早く調べないと・・)

どんな状況でも対応できる体は、何の苦労もせずに安らかな眠りに落ちていく。頭の中のボードに留められたメモには高村亜湖の名が記されていた。





陸軍名物 地獄の初年兵訓練・・・

言葉の意味をこれほど的確に表した文字はない。


ひと月の基礎訓練は、初日に奈落の底に叩き落される事から始まった。行動は全て駆け足、朝から晩まで走る。

早朝から叩き起こされ走りまわり、食べて寝ると又叩き起こされる。本物と同じ重さの模造銃を抱えて走り転がり又走る。雨の日でも風の日でも、野外でも屋内でもそれは続いた。チームの誰かが崩れ落ちそうになると、それを支え、そして支えられて泥の中を這いずり廻った。


思うように動かない体を罵ろうにも言葉さえ出て来ない。


悔しさに泣こうにも涙さえも枯れ切った。


長雨が容赦なく身体の熱を奪い、思考能力も消える。


日にちどころか時間も見失い、軍曹の掛け声だけに反応する日々が続く。


たった今、目前に有る事だけが現実だった。


先任曹長の冷酷な眼差し、軍曹達の罵声、目の前で膝から崩れ落ちる仲間の姿・・その腕を力強く掴んだのは河野だった。立ち止まった亜湖を振り返って白い歯を見せる。


「どうした、亜湖 行くぞ。」

その声と姿はどれほど過酷な訓練の中にあっても力強く、亜湖だけでなくチームの全員を支え続けた。


「歩美、古川を頼む。御幸は西田だ。木村、先頭に立て。」

模擬戦は朝から続き、すでに7時間が経過していた。

雨期は終わり、照りつける陽射しは午後も半ばの今が最も厳しかった。

落ち着き払った河野の豊かな声が全員を集める。   


「敵陣営はこの先1キロ弱だ、ストーキングで行く。

木村と直人、亜湖だ 支援は真理と篠、遠慮するなよ。」

「班長は?」

笑いながら訊ねた真理に河野も笑って応じた。

「元気な若者が働くのが軍隊だ、年長者を敬え。」

「了解ー」


木の幹、岩影、草の中と夏の濃い影を伝って進めば其処に敵陣が見えた。手指のサインだけで意思を交わすと、三人は左右に別れてギリギリまで近づく。

いま使っている銃は最初の物とは異なり、実際に弾が出る。

勿論それは模擬弾では有るが、薄い皮膚は破るし眼に当たれば失明さえする威力があり事故を避けるためのゴーグルを着用していた。

光の反射を防ぐ塗料は仲間の目線も消すため意思の疎通は手指のサインのみであった。


汗と泥に汚れた迷彩服は背景に溶け込み、見慣れた仲間であっても見つけるのは難しい。其処にいることを信じて戦うしかなかった。木村の指がごく僅かに振られる。

躊躇なく走りだした亜湖と直人を敵の守備隊が迎え撃つ。

だが、弾道を見切ってかわしたふたりに再度の攻撃はない。

篠原と真理の猛烈な援護に救われた亜湖が再び走ろうとした時、前方に人影が見えた。

「御幸だ!」

銃を構えた木村に怒鳴り様、亜湖は走り出した。

「援護!」

弾幕を張るかのような攻撃。

腰溜めに構えたままの亜湖が立ちはだかる中、敵陣営の旗を奪ったのは古川であった。


「終了!」

伊達軍曹の声が響いた。

亜湖のすぐ後ろに真理が、左から直人が現れた。

旗を持ったまま呆然としている古川の横に、彼を守るように太田が立っていた。そしてその後ろに西田と河野、歩美が現れる。

「良いチームワークだ。」

整列したAチームに伊達軍曹が厳しい表情のまま告げた。

「これを以ってAチームの初年兵訓練の基礎段階を終了する。だが忘れるな、これからも訓練の日々は続く。

配属と同時に個別の指導が入り、より一層の努力が要求されるだろう。今まで良く頑張った、有難う。」

5人の軍曹たちが立ち去った後、Aチームの面々は暫くぼんやりとしていた。

「なぁ 聞いていいか? ありがとう・・って何だ?」

太田の問いに河野は笑ったが質問には答えない。

「そうか、三ヶ月経ったんだ。」

真理の言葉に篠崎が振り返った。

「へぇぇ・・三ヶ月ね。」

「・・ふぅん・・・」

何となく空を見上げていた亜湖がその眼を河野に向けた。

「班長、お疲れ様。」

それは静かで優しい声。

「班長のお陰で乗り切れた、ありがとう。」


この三ヶ月でチームの人間の人となりの大半が変わったが、変化の幅が一番大きかったのは亜湖であった。

この初年兵訓練では個人能力のギリギリまで試される。

目の前の現実にいつもうろたえていた幼い子供は、ある瞬間 劇的に変化した。

それは河野が呼びかけた一瞬、振り仰いだ亜湖の視線と、見守る己の眼差しがぶつかったその時、脱皮する蝶のように鮮やかに迷う子供の殻を脱ぎ捨てたのだ。

眼に焼き付けられたあの瞬間を思う度に、心が沸き立つ。


「こちらこそ有難う、皆にもだ。

地獄の初年兵訓練の終了、おめでとう。」

夏の長い夕暮れが始まろうとしている今、晴れやかな笑顔がそこにあった。


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