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キリー 焦燥 01

それに参加していないのはジーンとキリーだけだった。

G倶楽部対キッドの袋叩き訓練と称される戦闘訓練は苛烈を極めていた。

総がかりのG倶楽部員達は大人しく順番など待っては居ず、手当たり次第に飛び掛かりキッドを引きずり倒そうとしていた。それに対してキッドは冷静に力の配分を振り分けウルフには瞬間的にパワーを上げ、エラーには軽く当身を喰らわせ、厄介なコオを弾きだしハクは顎先を掠めて落していた。

残るはシュリ、モク、イヴ、ナイト、ルウ。

キッドの作戦勝ちだな、とジーンは見ていた。

この面子で厄介なのはシュリと頑張ってモクのみ。


案の定モクが蹴りだされるとキッドの照準はシュリだけに向けられた。が、そこにするりとキリーが入り込んだ。

すでに20分が経過して全力のキッドにはキツイ状況だったが驚きもせず照準を切り替える。

キリーが動いた瞬間、キッドはルウを掴みキリーに投げ飛ばし間髪いれずの速攻を畳み掛ける。

その速さ、切れの良さに手足が伸びたように感じられた。

飛ばされたのはルウ、巻き添えでシュリも弾かれる。

だが、キリ-の拳がまともに鳩尾に入りキッドは落された。

「終了、24分。」


ざわめきの中にキリ-の声が響いた。

「何を考えている、やる気が無いなら出ていけ。此処は遊び場では無いぞ。」

それはイヴとナイトに向けられた物だった。

「格闘訓練で手の一つも出せないなら何の意味もない、次にこんな真似をしたら放り出す。」

厳しい叱責にコオが割って入った。

「キリ-、後は俺が見る。よく仕込んでおくから。」

二人がコオと行ってしまって初めてその意識をキッドに向けた。

足元に崩れ落ちたキッドに浴びせた眼差しには何の感情も浮かんでいない。

襟首を掴んで端に引きずり投げ出した。


「キリー。」

さすがにジーンは呆れて声をかけたが、キリーは表情ひとつ変えず膝で背中を押し上げた。

「・・・はっ・・済みません・・・明日もう一度やらせて下さい。」

咳き込みながらのキッドの言葉にジーンはもう何も言わなかった。

この師弟に常識は通用しない。


「馬鹿が、何度やっても同じだ。つまらん遠慮や手加減は自滅すると何度言わせるつもりだ。そんな半端な優しさは此処ではいらん、ポケットにでもしまっておけ。」

笑いを誘う台詞だったがキリーは言い捨てるとさっさと出て行った。

「キッド、大丈夫か?」

顔色が悪いと思う間もなくキッドはトイレに駆け込んだ。

「キリ-の正拳を喰らって立てる方がおかしいぜ。」

ウルフが気の毒そうに呟いた。

「今週は何度目だ? 吐くまで叩かれたのは。」

「今日で3回目。」

エラーが答えたが、今日がまだ水曜なのは言うまでも無かった。

九龍島から帰還してから三か月が立とうとしていたが、その間キッドの戦闘訓練は激しさを増すばかりであった。

入ったばかりの頃はローワンに叩きのめされていたが、今はなまじ体力も腕も上がった分だけ余計に訓練としては厳しくなっている。キッドのジャージの下が痣で覆われていることはイヴに聞かなくても想像がついた。


九龍島からの帰還についてはひと悶着あったが、周りが呆れ返るほどこのふたりの間に変化は無く、ジーンとしては胸を撫で下ろしていた。G倶楽部に女性部員が居なかった為、今までは他所の部署のような恋愛絡みの問題は起こって居なかったが、今では立派な女性が二人もいる。

多少の覚悟はしていたがやはりそれは避けたいのがジーンの本音だった。


「おい、明日は第一順位が来るな。」

ウルフの言葉にジーンは頷いた。

「林智也だ。カリフは来週になるが・・・」

「今期は一人か、やはりキリーを送れば良かったかな。」

能天気なウルフにうんざりしたように呟く。

「馬鹿な、奴に絞められるのは俺だぞ。勘弁してくれ。」

キッドがやっと戻ってきた。顔色が戻ると開きかけた蕾のような美しさが際立って見える。

「明日は戦闘訓練は無しだぞ、新人が来る。」

「ああ、そんな時期ですか。早いな・・」

「ジーン。」

シュリの声が響いた。

「電話だ。」

嫌な予感に男達は黙り込んだ。


部屋に向かったジーンの代わりにシュリが歩いてくるが、コールを全方向に発していた。

「またか。」

ウルフが唸る、ジーンに呼ばれるのを待つ間にキリーが戻ってきたが常通り表情は消されていた。

ジーンのコールが点滅、それは緊急事態のシグナル。

全員の招集をかける声が硬く響いた。


「非常事態だ、国連軍会議に参加していた師団長が消息を絶った。G倶楽部は総力を挙げて救出に向かう。」

ジーンの声が平坦に聞こえる。

「場所は?」

「ドバイ。」

「時間は?」

「日本時間で2日前。」

「遅い!」

「エラ-、総ての手配を造れ。シュリは備品だ。今回は強行だ、手段は問わない。」




ドバイシティの拠点に到着したのは現地時間で午前8時。

この時点ですでに3日が経過していた。

「敵は不明、師団長は会議の為にドバイシティのホテルに向かう途中で消息をたった、このルートだ。

強襲地点は此処からこの地点だと思われる、が・・情報は正確とは言えない。」

指先が地図を走る。

「要求も無しか。」

コオの問いにジーンは頷いた。

「あれば苦労は無いが・・」


そこはドバイシティの外れにひっそりと建つ日本企業の保養所であった。

勿論ダミーで、内情は日本陸軍の中東基地に他ならない。今回の任務は重大で在る為G倶楽部は全力投入で事に備えていた。

「コオ、ルウは此処から北上しろ、シュリはナイトとこの地域だ。キリーはイヴを連れてこの路線を洗え。拠点はこの施設と此処、セントラルパークのコンドミニアムだ。

ドバイシティはまだ新しい街だが人は古い、油断はするな。

エラー、外の対応と機器は任せる。モクはウルフと此処に待機しろ。キッドは俺とセントラルパークに向かう。

ベースシグナルはオン。以上だ。」

「了解。」

一切の感情を切り捨てた目的の為の行動は、素早く的確に動き出した。



貸スペースの一室の、金満国際都市として目覚ましい発展を続ける街に似合いの豪華な内装は、今の状況には何とも不似合ではある。しかもドバイを訪れる外国人に合わせた身なりをしなければならず、内心の焦りとはどうも折り合いがつかなかった。

「そんな顔をするな、感情はしまっておけ。」

室内の捜査を済ませたキッドにジーンが注意するほどその表情は苦いものだった。

「なかなか似合うぞ、眼の保養になる。」

ジーンと話していてエラーが時折見せる表情の訳が良く解かる。

本心を決して表に出さないこの男と真面目な人間の間には恐ろしく深い溝があるようだ。


「苦労知らずの二代目馬鹿ボン社長と愛人上がりの出来合い秘書の設定だ、頑張って色気を振りまいて貰おうか。」

確かに軍人にはあり得ない、絶対にあり得ない設定だったし、この金の係る貸スペースを借りる為にはそのぐらいの誇張は必要だった。

だが・・・清楚な筈の白いブラウスは華やかなレースの胸元が大きく開けられ、膝丈のスカートは深いスリットが入っていた。靴に至っては凶器以外の何ものでも無い。これで殴ったら頭蓋骨も突き通すほど高く細いヒールでどうやったらこれで走れるのだろう。諦めの吐息を漏らしながら、

「ジーン、九龍島の珀龍に繋ぎを取っても良いですか、此処にも華僑が居るから多少は手を廻して貰えると思います。不味いなら辞めますが。」

高級ソファに踏ん反り返ったジーンは少し考えて頷いた。

「なるほど・・・構わん、やって見ろ。」


使える手は何でも使う、それはジーンの内心を表している。

実際の話、師団長の懐刀と云われるG倶楽部にとってその生死はG倶楽部存続に直接関わってくる。

表向きはどうでもジーンほど気を揉んでいる人間は居なかった。


珀龍に手短に話すと二つ返事で協力を約束してくれ、今日にも形を整えてくれると云う。どちらも余計な事は云わなかったがそれだけで僅かな安心を手にいれたような気がした。

電話を切るとエラーのシグナルが入った。

「・・・なんだ、キッド。すっかりジーンのオモチャだな。」

開口一番の毒舌に笑うしかない。

「全くです。」

持ち込んだPCを接続して幾つかの機器を取り付けるエラーにジーンが尋ねた。

「外はどうなっている?」

「・・どうも無いでしょう、軍部は真っ青、走り回ってますよ。私たちに任せてくれる方が早いと思いますがね。」

「公には出来んしな、日本陸軍の沽券に関わると思う馬鹿が多い。まあ、こちらは勝手にやらせて貰おう。」

エラーの視線がちらっとキッドに流れた。

「では、予定通りと云う事で?」

「無論。」

同情交じりの吐息をついてエラーは立ち上がった。

「キッド、頑張って愛人を務めろよ。」

奇妙な表情を笑いながら出て行った。

「さて、支度にかかるか。」

いかにも嬉しげなジーンとは対照的にキッドは憮然とした顔つきで自分用の部屋に入っていった。




空が暗くなるにつれ街は華やかさを増して行く、既に8時間を歩き回ってキリーはやっと脚を止めた。

「飯でも食うか、疲れただろう。」

しらみつぶしと云う言葉通りに細かい捜査を続けると戦闘訓練どころでは無い疲れが溜まる。イヴの顔にもそれを見たのかキリーは小さなレストランに向かった。


「何か国語を話せるんですか?」

なんの苦労もなく注文をした男にイヴは驚きの眼を向けた。

「さぁ、一通りは・・ジーンほど流暢では無いが。お前たちもそろそろ習わなくてはな。」

「キッドも・・習ってますか?」

「勿論だ。あれはジーンの当番兵だし、だから九龍島でも苦労はしなかった。俺達に語学と地理は必須だ。」

「・・・英語ぐらいならなんとかなるけど、大変だな。」

「焦ら無くても良いが・・・イヴ、帰還したらエラーに付いてみるか? 奴の情報処理能力とPC技術は図抜けている。お前がエラーのサブをしてくれると楽になるが。」

途端にイヴの表情が曇った。

「それは私には戦闘兵士は無理だと云う事ですか?」

この間のキリーからの叱責が思い出された。が、キリーは真面目にイヴの顔を見つめて、

「いや、違う。俺もエラーもマッドの妹を死地に送りたくないのは確かだが、実際にエラ-一人ではきついのが現実だ。それでも・・・同期の生き残りの感傷かな。」

「・・・兄は・・戦闘兵士だった?」

「良い腕だったが、仲間の為に身体を張って・・彼のお蔭で三人が救われた・・・知らなかったか?」


運ばれてきた食事を勧めてキリーは続ける。

「短気な奴だった。エラーとは喧嘩仲間でつまらん事でよく遣り合っていたが、ある任務で脚に傷を負ったエラーを最後まで守り抜いた。帰ってからも喧嘩はしていたが、傷の後遺症の残るエラーには決して手は出さなかった。」

「エラーは・・・」

キリーは微かに笑う。

「云うなよ、エラーは戦える身体じゃない。短時間なら問題無いが、だから努力をして今の能力を身に着けたんだ。寝る間も惜しんで勉強してな。俺には出来そうもないが。」

「・・・知らなかった。」

「わざわざ云う事ではないな、この間の様子ではキッドは気づいて居る様だが。」

キッドは気づいて居る・・・自分は人の事など見てもいなかったのに。あの苛烈な袋叩き訓練のさなかでそれを読み取り、力の配分さえする余裕がキッドには在る。


「私はキッドのようにはなれないですね。」

それは確信だった。キリーも慰めは言わない。

「キッドになる必要があるのか? お前はお前だろう。

G倶楽部のイヴは可能性のかたまりだ、白兵戦では良い腕だし体力も申し分無い。一つの技能に確執する方がおかしいだろう。無理にとは言わんが考えてみろ。」

キリーの中に河野担当伍長の顔がのぞいた。

「・・・はい、良く考えてみます。貴方は・・」

男の眼が途切れた言葉の先を促す。

「貴方は・・優しいですね。G倶楽部に帰ってからは厳しくて・・ごめんなさい、私には怖いだけでした。」

ちょっと驚いたようにキリーが笑った。

「当然だ、うちの連中は甘いから俺ぐらいは厳しくしないと・・・ガキがつけあがる、さて出るとするか。」

二人は再び捜索を始めるために立ち上がった。




日中を買物をダミーにした聞き込みに費やしたジーンとキッドは夕方やっとベースのコンドミニアムに戻って来たキッドは呆れて物も言えなかった。

山のような荷物を無視してキッドはコーヒーを入れ始めたが、ジーンの言葉にさすがに切れかけた。

「ハネムーンは何処が良いかな、ヨーロッパも良いが南の孤島も棄て難い。」

聞こえなかった振りでカップを置くとキッチンに戻る。

が、次の言葉で振り返った。

「エラーだ、イージスからの解析結果が出たぞ。」

PCの前でジーンの表情が引き締まって見える。


日本の作戦司令部に一人残ったイージスは今まで分析を続けていたのだ。モニターにはあらゆる組織を洗い上げた結果が表示されていた。それによると、国際的なテロ組織の関与の確率は20%以下、個人あるいは組織とも呼べない小グループに拉致監禁された可能性は75%以上であった。

エラーからはシュリが掴んだ情報として、とあるカジノでアジア系の名前が挙がって来ていた。

「なるほどな、道理で掛からない訳だ。キッド、予定変更だ、中東のサルタンのパーティーは蹴って街場のカジノに繰り出すぞ。」

高貴な人の集まりに気が引けていたキッドはほっとしたが、その為の用意が無駄になったのは財布の持ち主のジーンには気の毒ではある。

「これ、返してきましょうか?」

「何を言う、それで行けば良いだけだ。」

「だって・・カジノでしょう? これは・・・」

男はにんまりと笑った。

「カジノは社交場だ、それなりの礼装が必要だ。早く着替えろ。綺麗にな。」


ところが、慣れない化粧とドレスの着付けに悪戦苦闘した挙句、何とか完成したキッドはジーンの言葉を詰まらせるほど完璧な出来栄えだった。

肩も背中も露わに胸元から身体のラインに沿ってすとんと落ちたデザインはシンプルではあったが、それだけにプロポーションの総てが見て取れる。緑がかった光沢のある灰色の生地はキッドの肌と同じく艶やかに輝き裾から華奢なつま先が覗いていた。

ほとんど色を使わない化粧だったが唇のピンクベージュは眼を離せない輝きを放っていた。

匂い立つ美貌は若さと相まって男の眼を釘付けにするだろう、何があってもこの初々しい恥じらいに満ちた風情を望まない男は居ない。

ジーンでさえ、遊びは尽くした大人のジーンでさえ今のキッドには視線を奪われていた。


「・・・・・光栄だ。」

滑らかな肩に透けるようなオーガンジーのストールをかけて喉の奥で低く笑う。

「で、ハネムーンは何処にする?」

キッドの眉間に微かに線が刻まれた。


豪奢なコンドミニアムの車寄せに白いキャデラックを待機させ運転手に扮したハクは一瞬の放心状態に陥った。

「・・・どうぞ。」

車を走らせながらも何度もミラーで確認しては溜息をつく。

ジーンはそれを横目で見ながら笑いを押し殺した。

と、キッドの携帯端末が鳴った。

「はい・・・蒼龍?・・・カジノだ。『ダイアモンドクラブ』、知ってるのか。・・・了解した。」

形とは似合わない返事にハクは吹き出した。

「蒼龍が来ました。カジノで合流するそうです。」

「・・・・了解。ハク、全員には?」

「流したぜ、今頃は包囲網が敷かれて居る筈だ。」

「今夜でけりを着ける。」

「承知。」




そのカジノは中級クラスで身なりを整えさえすれば一般人でも入れるランクだったが、実際に入ったのはジーンとキッド、キリー、イヴの4人である、ドレスコードに加え女性の同伴が指定されていたのだ。

キリー達が先行し少し遅れてジーンとキッドが入ったが、その途端カジノ内は一瞬水を打ったように静まり返った。

堂々としたタキシードのジーンにエスコートされたキッドに視線が集中する。

若いアベックを装ったキリー達でさえも唖然として見入ってしまうほどキッドは美しかった。

ほころび始めた大輪の薔薇の蕾は恥じらうように頬を染める。

ジーンの右手がキッドの手を取り左手は細い腰を支え、大階段をゆっくりと降りてくる姿は一服の絵画のように印象的であった。キリーの眼は感情を素早く隠したがイヴには解かってしまった。


九龍島から帰ったキッドの変化は当然イヴと歩美にも隠せはしなかったし、二人の女には直接亜湖を問いただせる立場にあった。

『亜湖、正直に言いな。誰と寝たんだ。』

『まさか遣られちゃったんじゃないよね?』

そこまで判り易いのかとへこみながらも亜湖は話すしかなかったが、それを聞いて驚いたのは二人だった。

『そ、そうか・・・河野伍長が・・・』

『・・・・で、どうだった?』

『どうって言われても、他を知らないし。』

何とか聞き出した内容にイヴは驚いた。初めは痛いだけで終わった自分とは全く違う、そこには一人の男の愛情が込められていた。女の自分が見ても可愛い亜湖を男の河野伍長が愛さない訳が無い、G倶楽部の海千山千の男達だってキッドをどれほど大切にしている事か・・・だが、キリーがキッドに与えた物は大きすぎる。

だからこそのキッドの変化だった、愛情の深さがそれを表している。

なのに、キリーは何の感情も見せないままキッドを叩きのめし、痛烈な罵倒と叱責を投げつけていた。

何故か?其処まで出来れば良いだろうとイヴなら思う。だがキリーは決して容赦をしない、キッドが可愛そうだと何度も思ったがやっと解かった。今のキリーの瞳に閃いた感情が、幾重にも押し隠され誰にも、たとえキッド本人にも見せる事の無い想い。

キッドの中に今はその感情が無い事はイヴも感じ取っていた。

結局は亜湖はまだ子供にすぎないのだろう。でも、


「キリー。」

視線だけを向けた男にイヴは優しく告げる。

「子供はいつか大人になる、きっとキッドは花のように綺麗になるね。」

返されたのはそっけない返事。

「ああ、そうだな。」


キリーの眼には眩しい絵だった。ジーンの瞳の色に合わせたドレスはキッドの肌と良く合っているし、今のキッドの横には霞んでしまってジーン以外の誰も立てないだろう。

人をかき分け飛んで行ったカジノの支配人や此処の常連客が二人を取り巻く様は見事な輪を描いていた。

ジーンの余裕の表情が見える。

「馬鹿ボン社長が引き付けてる間に片付けるぞ。」

「承知。」



「左様ですか、このドバイシティへの進出をお考えなら、非力ながら私どもも出来る限りの応援をお約束いたしましょう、Mr葛城。 ああ、そちらの美しいご婦人をご紹介戴けますかな?」

「ああ、これは失礼した。私のフィアンセで春野瀬莉です。瀬莉、ご挨拶を。」

愛人上がりの秘書は何処へ行ったのか、この馬鹿社長が。との内心をおくびにも見せずキッドは淑やかにあでやかに微笑んだ。

「御機嫌よう、支配人。とても素敵なお店ですね。」


「支配人、私にも紹介を。」

聞き覚えのある声に眼をやれば、劉とした身なりの蒼龍が立っていた。

小汚い作業着で荷運びをしていた姿は消え、同色の刺繍がふんだんにあしらわれた輝くばかりの白いチャイナスーツに磨き上げたドレスシューズ、手にした黒檀の細身の扇子がひときわ際立って、中国の皇帝の子孫のようなオーラに包まれている。


「これは李家の・・蒼龍様、失礼致しました。何時お越しでしたか?」

「つい先ほど、だが詫びには及ばない。これほどの麗しい女性を前にしては男の顔など私でも見よう筈も無い。」

きつめの表情が嘘のように柔らかに微笑む。と、周りの女性たちから艶めいたどよめきが上がった。

改めて紹介を受けると蒼龍がつと、手で示す。

「良ければVIPルームへ、私専用の部屋が有ります。」

「これは嬉しい事だ、瀬莉、ご招待をお受けしよう。」

無念そうなざわめきの中、三人はゆったりと動き出した。



「化けたなキッド、たまげたぞ。」

蒼龍がいつも通りの口調で言ったのは、当たり触りの無い会話をしながら室内のチェックを徹底的に済ませた後であった。その蒼龍にキッドも辛辣に応える。

「何を言う、お前こそ何様だ。」

思わず吹き出したジーンが間に入った。

「蒼龍、九龍島では世話になったな。俺はG倶楽部のジーンだ。」

「いや、こちらも助かった、兄からくれぐれも宜しくと言付かっている。」

「珀龍の脚はどうだ?」

キッドの言葉に蒼龍は良い顔はしなかった。

「良くない、香港程度の医者では限界がある。キリーに勧められたように日本の医者に見せろと言ってはいるんだが。」

「珀龍は頑固だからな、なんなら私が括って連れて来ても良いんだが・・・」

本当に遣りかねないキッドを止めようとした矢先シグナルが入った。

決められたそれは任務完了の合図であった。

「失礼、電話を入れる時間だ。」


席を立ったジーンが次の間に消えると蒼龍は改めてキッドに眼を向ける。

「九龍島で仲良くなったキリ-はどうした?ジーンに乗り換えたのか?」

笑いを含んだ声にキッドはうんざりしたように答えた。

「全く、どいつも此奴もだな・・あれはレクチャーだし、これは仕事だ。大体お前に何の関係が有る。」

にっこりとした笑顔はキッドが初めて見る物だった。

「お前の意思で逃げたくなったらいつでも九龍島に来れば良い、お前の仕事では避難場所も必要だろう。」

不思議な事を聞いたようにキッドは首を傾げた。

「避難場所? 何から逃げなくてはならない? そんな事をしたらキリーに負担が掛かり過ぎるし・・」

「いや良い、それなら良いんだ。気にするな。

どうやら解決したみたいだな、俺も少々伝手を使ったがさすがにclubGだけ有る、九龍島でも手の速さに驚いたが大した物だ。」

「何故解かる?」

キッドの眼が鋭さを増したが蒼龍は平然と笑っていなした。

「云う気は無い、お前も聞くな。」

「可愛くないな。」

呟いた言葉に今度ははっきりした笑い声が被さった。

「可愛いものか、俺はお前よりも遥かに年上だ。」


戻って来たジーンが笑顔を向けた。

「楽しそうだな。蒼龍、お蔭で解決した。彼らは君の配下か? 旨い話に乗ったらしく、何も知らずに誘拐したら思ったより大物で始末に困っていたようだが。」

蒼龍は嫣然と微笑む。

「違う、絡みが無い訳ではないが直属と云う訳では無い。好きなようにして構わない。」

「いや、釘を刺して放した。元々が此方の油断だ、軍部にも良い薬になっただろう。」

ほう、と驚いた様な声を上げて続けた。

「・・・・俺はキリーもキッドも気に入ったが、お前も中々良いな。何かあれば何時でも力になろう。」




「明日には帰還できる、やれやれ第一順位が待ち構えているぞ。どうした?キッド。」

帰路の車の中でキッドはあからさまに不服そうな表情をしていた。

「蒼龍です、何だってあんなに偉そうなんだか・・・」

「そうか、お前は知らないか。李家は清国皇帝の末裔で今現在、唯一血筋を辿れる家柄だ。

世が世なら俺たちなど口を利くどころか傍にも寄れん。偉そうではなく偉いんだ。」

「ジーン、このままコンドミニアムで良いのか?」

「いや、いったん基地に寄ってくれ。もう皆戻っているだろう。」

ごく普通の口調で答えたジーンには何か全員に話が有るのだろうとキッドも、そしてハクでさえも思ったのだが・・・

キリーとイヴは知っていたが、他の連中の度肝を抜かした顔を見渡してジーンは実に満足げな笑みを浮かべて言った。

「どうだ、似合いのカップルだろう。これだけは見せて置かないと悔いが残るからな。」

「何だ、見せびらかしに来ただけか。」

ハクの呆れたような声にキッドの眉がピクッと動いた。

「だが確かに、見応えは有る。」

モクの眼は何かを計っているように細められたが、意外な事に自他ともに認める女好きのコオは無言、無表情を通した。

ウルフだけは心からの素直な賛辞を惜しまなかった。

「キッド・・・何て綺麗なんだ、そうしていると俺を蹴り飛ばすとはとても見えないぜ。」

「・・・ありがとう、ウルフ。ハク、帰ろう。」

がっくりと疲れ切ったキッドはジーンに眼も呉れずに出て行き、女に置き去りにされた男よろしくジーンが慌てて消えると、室内は広さを増した。

単に3人が居なくなっただけでは無い、圧倒的な迫力が消滅した寂寥感が漂っていた。


窓枠に身体を預けたキリーが煙草に火をつけるとエラーと眼が合う、シニカルな笑みがそこに浮かんでいた。

「煙草、辞めたんじゃなかったのか?」

返事の無い事など気にもせずエラーは囁いた。

「お前、とんでもないモノを創ったな。コオを見たか?

以前から言っていた条件にこの上なく嵌まる、美人で頭が良くて腕も立つ女スパイ、いずれは言って来るぞ。」

「俺に言ってどうなる、ジーンが決める事だ。」

「馬鹿が、奴に関してはお前にしか決定権は無い事ぐらい誰だって知っている。ましてジーンがOKする筈も無い事もな。いい加減とぼけるのは止めて考えろ。」

辛辣な口調に変化は無かったが眼差しは柔らかく緩んだ。

「お前が逃げたら奴が可哀想だろう。」


言い捨てるようにしてジーンに中断させられた仕事に戻っていった。

組み込まれたPCや周辺機器、複雑な配線を細い指でバラし梱包する作業は実に丁寧に行われるが、エラーは誰にも手出しをさせなかった。今までは。

「待たせたな、これを外してみろ。」

エラーの指示に指を起用に使って手伝うイヴは真剣な表情だった。手伝いを申し出たイヴにエラーが云った一言は、

「これは仲間の命を繋ぐ、それを忘れるな。」

その言葉と、他人の手を許した事に男達にちょっとした驚きが走ったのをキリーは見て取った。

イヴがキリーの言葉を受け入れたのかは判らないが、今の状態は望ましい。

他が思うように行かない今は特に。

エラーは考えろと云ったが、キリーが考えた処でどうしようも無いのが現実だった。

ビックリ箱のように次々と新しい顔を見せるキッドに振り廻されるばかりの自分と、その変化を楽しむ余裕のあるジーンでは相当の隔たりがあった。ガキの自分を育てたジーンと張り合う気も無いが・・

(・・・バカバカしい。)

対象が何も考えていないのに独り落ち込んでも意味は無い、キリーはさして多くない帰国の支度に掛かった。


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